小説 | ナノ

 医療財団であるSPW系列の病院には、ちゃんと動物病院だってある。そのためこの患者がとんでもなく凶暴で、他の動物をむやみに威圧したり人間の髪の毛めがけて飛びついてきたりということも事前に通してある。
 今日はアヴドゥルとジョセフが、力ずくでケージに押し込んだイギーを抱えて予防接種と健康診断に訪れた。
 休診日にわざわざスタッフを休日出勤させて開いた病院で待っていたのは、女性スタッフ一人だけだった。
「担当させていただきます、主人と申します。早速ですが健康診断をしていきましょう。奥へお願いします」
 彼女は獣医であったが着ている服は白衣ではない。スクラブという、手術中に着る服に帽子とマスク。目元以外ほとんど隠れていたが彼女はおそらく東洋人だろう。英語も若干不慣れさが残る。
「で、ではケージを開けますが……注意事項は聞いてますね」
「はい。スタンド攻撃でなければ大丈夫ですよ。スタンドでなければ……」
「そこは我々に任せなさい」
 ケージの隙間からハーミットパープルをしのばせようとすると、フールの車輪がそれを踏み潰した。
「あいたたたたた!」
「ジョースターさん!」
 ケージが小さすぎてフールのスタンド像がはみ出しているのだが、公子にはまったく見えていないようだ。が、何が起こったのかは大体想像が付く。
「イギー、ですね。さあ、出てきてちょうだい」
 格子状の扉が開くと、低くうなり声を上げる白黒の小さな頭がひょこっと出てきた。警戒するかのように鼻をならしているが、気が済んだのかやがて台の上でごろりと横になった。
「うん、野良とは思えないほど素晴らしい毛並みです!イギー、あなた人間の言葉がわかるんですってね。私は公子。あなたの健康状態を見させてね」
 公子は手の甲を見せるようにして腕を差し出した。小型犬のボストンテリアは大人の握り拳のサイズをガブリと噛みつけるほどの大きさではないので、イギー本体に攻撃を加えられる心配はとりあえずない。
 後ろの方ではスタンド使い二人がハラハラしながら見守っていたが、不思議なことに検診中スタンドが必要になる場面はなかった。
 最初は訝しげに公子の匂いをかいでいたイギーだったが、しばらくするとそれにも飽きたのか身をゆだねるようになっていく。そして最後には、顎の下を撫でられて気持ちよさそうな顔をしてその日は終わった。
「注射を打つときは絶対に暴れると思ったのだが……」
「意外じゃの。どれイギー、お手してみろ!お手!」
「ガウ!」
「があああああ!屁を引っ掛けよった!」
「義手を出したことを見抜いて噛み付かないとは……しかし、やはり我々が手荒に捕まえたことを根にもっているのか」
「いや、財団職員全員に対してこうじゃ。ドクターに何か秘密があるのかの」
「我々の活動にイギーを投入するつもりなら、少しコツを教えてもらいましょうか」
「うーむ。しかしわしはしばらくコッチ方面に寄れそうにないな。頼んでもええか」
「ええ。主人先生がよろしければ」
「もちろんですよ」

 ボストンテリアは元々知能が高く、温厚な性格から『小さなアメリカ紳士』と呼ばれている。
「イギー、紳士とは女性に対してだけよい態度をとるわけじゃあないぞ」
 あの特徴的な螺髪のような髪が一つ、イギーの牙によって解かれた。束ねていた髪留めをプッと吐き出すと、イギーは公子の手に顎を置く。
「うーん、イギーは人間の言葉が分かってるのよね。じゃあ、日本語だとどうかしら」
 公子が母国語の日本語で話しかけてみる。リアクションはやや薄くなったが、大まかなことはわかるようだ。
「つまりですね、イギーは言語そのものを理解しているのもあるんですが、人間の感情を読み取るのに長けているんです。きっと彼に『犬とはこうあるべき』っていう忠犬の姿を重ねている内は心を開きませんよ」
「……私はそんなに上からモノを言っていたか?」
「普通の人が普通の犬に話すような感じではありますね。アヴドゥルさんって、愛犬家の基準てなんだと思います?」
 そう言いながら公子は紅茶を淹れ始めた。今日二人と一頭がいるのは病院ではなく、別の財団施設である。
「家族なんだから食卓は一緒に囲むべきという人が愛犬家で、床で食べさせているのはそうでない、なんてことはありません。それだったら、一緒に食事を取れない人間は家族にならないですよね。犬には犬の都合があります。高いテーブルに前足を引っ掛けて食事させることはエゴです。この犬にとって、あの人にとって、どうすることが幸せだろうと考えることが大事です。犬だからこうだ、あの人はこういう人間だからこうするべき、と押し付けられるのがイヤなんじゃないかと私は思います」
 英語で語られた公子の言葉を、イギーは耳をぴくりとさせて聞いていた。昔、自分がまだ幼い頃に住んでいた豪邸を思い出す。
 手入れの行き届いた寝床と高級な食事こそがお前の幸せであると洗脳のように繰り返す元飼い主を、殺してしまう前に家を飛び出した。
(コイツ俺の過去を知ってるようなコト言うなぁ……)
 公子の手をぺろりとなめるイギーを見て、アヴドゥルは過去の言動を振り返り少し沈黙した。



(イギーにとっての幸福、それを彼女は人間と隔てなく考えていた。言葉が通じないから仲違いするのならば、異国人とは和平を結ぶことなど出来ない。ましてこの多国籍パーティーだ)
 日本を経由してエジプトの地へ戻ってきたアヴドゥルは、砂漠に並ぶ男たちを眺めた。皆国籍も境遇も目的も意識も違っていた。
(だが、皆命を賭してDIOに立ち向かおうとしている。イギーともこの意味を分かち合えれば、彼女の言葉を体現できる気がする)
 口を開けて舌をだらりと垂らしているイギーを、アヴドゥルはひょいと持ち上げた。
「あ、アヴドゥル……やられるぞ!」
 ポルナレフが前髪を指差しながら忠告するが、アヴドゥルはフッと笑って抱えるように抱きなおした。
「イギー、足の裏が火傷してるんじゃあないか?しばらく私の肩か腕にいた方がいい」
「あー、そっか。靴履いてねぇもんな」
「折角近くに来たんだ。少し話しでもしないか?」
「あぎ……」
 相互理解。それは土壇場で一瞬の猶予を作る。仲間に合図を送る一秒以下の時間、それが時には生死をも分ける。例えば、一緒に歩いているときにふと足を止めたとき、何か異変があったのだとすぐに察知し動いてくれる。



 このラクガキを見て後ろをふり向いた時お前らは………………
「?」
「ガウッ!」
「イギー!?何か臭ったか!!」
 違う。犬の嗅覚にすら何も反応しなかった。ただイギーは、アヴドゥルの足音が止まったのに気が付き後ろを向いたのだ。そのときに見た、背後に迫る不気味な影に向かって吠えたのだ。
 イギーが吠えていなければ、ポルナレフは奇襲を仕掛けたヴァニラ・アイスのスタンド、クリームの口の中へと半身を飲み込まれていただろう。
 彼らが回避行動に成功したおかげで、アヴドゥルは二人を庇う必要がなくなったのだ。
「やはり畜生だな。勘だけはいいようだ」
 三対一となっても退こうとしない敵に、アヴドゥルたちは緊張の面持ちで対峙した。



 誰一人脱落することなくDIOに打ち勝った一行は、別れの挨拶も短くそれぞれの国への搭乗口へ向かった。エジプトが祖国のアヴドゥルだが、無傷ではないイギーを見せるために唯一大人しくなる公子の勤め先へ向かう飛行機に乗ることになった。
 と言っても通常動物は貨物室で運ばれるので、今回ばかりはプライベートジェットを飛ばすことになる。公子がこちらに来たほうが都合がいいのかもしれないが、アヴドゥルは彼女に会いに行きたかった。呼びつけるのではなく、自分から会いに。
「イギー、主人さんに傷を診てもらおう」
「わう、わう」
 包帯で応急処置は施されているイギーの背後に、同じように少し傷ついたフールが姿を現し、マジシャンズレッドに話しかけた。
<おい、オレを使って女に会いに行く理由作ってんじゃねぇよ>
「いっ!イギー!?」
「わう?」
「今の、お前だろ……!いや、それより、違うぞ!俺はちゃんとお前の体を心配して……」
「ケッ」<違うなら構わねぇがな>
 妙に素直に引き下がったかと思ったが、飛行機に乗って数時間後に引き下がっていないことを思い知る。
「イギー!すごい傷よ、どうしたの!?」
「くぅ〜んくぅ〜ん」
「あら、痛むの?あー、舐めちゃだめ。舐めるようならエリザベスカラーつけるわよ」
「わぅ……」
 あちこち痛むと公子にひっきりなしに甘えてみせるイギー。とうとうお腹まで見せて尻尾を降り始めた。
 当然仕事優先の公子はアヴドゥルを外に待たせた状態になる。ガラス越しにその様子を見るのもいい加減飽き飽きしてきたところでアヴドゥルがスタンドでイギーに話しかける。
<おい……まさかお前がそんな媚びをうるような犬だったとはな>
<ハァ?オレは必要ならアホ犬のふりくらいいくらでもするぜぇ?パヒィポヘェ>
 治療を頑張ったご褒美にと犬用ジャーキーをもらいながらイギーはニヤリと笑ってアヴドゥルの悔しそうな顔を見た。
<別にこの女が目的じゃあねぇんだろ〜?だったらいいじゃねぇーか。ん?>
 どうやら真の相互理解には、まだまだ至らない模様。


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