窮鼠猫を噛むと、と言うけれど。
「――調子乗らないでよ、平凡顔のくせにッ!」
それはたまたまその鼠が勇敢だっただけだと西園寺は思う。
どれだけ追い詰められ窮地にあったとしても鼠は所詮鼠だ。
多少歯は丈夫かもしれないけれど、身体は小さく鋭い牙も爪もなければ毒もない。
数が多ければ或いは反撃も可能かもしれないけれど、この場合前提として鼠と猫は一対一だろう。
ならばやはり、鼠はなすがままに縮こまって居るしかできないだろうと思うのだ。
西園寺は今現在、体育館裏で数人の生徒に囲まれていた。
おめめパッチリな可愛い女の子――のような男子生徒(忘れそうになるが此処は男子校だ)に呼び出されれば、普通なら甘酸っぱい青春イベントを期待してもよさそうなものだけれど、残念ながら西園寺は声を掛けられた当初から嫌な予感しかしていなかった。
そしてその予感は見事に当たってしまったのである。
「えと…いや、あ、あのですね、」
「そんなフツー顔で灰島先輩と蔵先輩に言い寄るなんて、身の程を知りなよっ」
「で、ですから、俺は、」
「どちらか一人だけでも見逃し難いのに、お二人ともを誑かすなんて…!」
西園寺は目眩がした。
人の話を聞こうとしないだけでなく、あまりにぶっ飛んだ発想について行けなくなったのである。
西園寺が思っていた通り、この生徒たちは灰島と蔵のファンらしい。
そろいもそろってチワワやリスのように可愛らしい顔をしている彼らが口にする言葉の中で、唯一事実と合致するのがフツー顔と平凡顔の部分のみであるという事が西園寺の思考をますますぐるぐるさせた。
言い寄るどころか、断っても完全にスルーされて連行されるのである。
誑かすなどととんでもない。いったい俺の容姿のどこを見てそんな可能性があると思うのか。
言い返せないから、西園寺はそう心のなかで叫ぶ他なかった。
「とにかく…まあ、今回は忠告だけで済ませてあげるよ。今後もつきまとうようなら、容赦しないから」
チワワの一人がそう言い放つ。
いったいどう容赦しないのだろうとか、だからつきまとってるわけではないのだとか、西園寺は言いたいことがたくさんあったけれど彼らは言いたいことだけ言うと用は済んだとばかりにさっさと撤収して行ってしまったのだった。
*********
「おかえりー」
あっけらかんとそう言ったのは、チワワに呼び出された時に西園寺が助けを求めて視線をやったのに、笑顔で手を振って送り出した山田である。
薄情な幼馴染はげっそりとして戻ってきた西園寺のために恭しく椅子を引いてやると、興味深そうにその顔をのぞき込んだ。
「で、どうだった?だいじょーぶだったか?」
「だいじょーぶじゃないよコノヤロー…、チワワに囲まれて平凡のくせにだの普通顔の分際でだの、言葉のフルボッコだよ」
今更言われなくたってそんな事わかってるよ、平凡だって生きてるんだよ涙も流すんだよ、と卑屈になって呟いている西園寺の肩を、山田は慰めるようにぽんぽんと叩く。
「やっぱり親衛隊だったか」
「…しんえいたい…」
「ファンクラブだよ。蔵先輩も灰島先輩もファンクラブ持ちだからね」
「…クラ…、蔵先輩はともかく、ハイジ先輩まで?」
ヘンテコで派手な着ぐるみパーカーを纏って高笑いしている灰島を思い出して、西園寺は首を傾げた。
風紀委員や運動部統括長を務めるなど憧れを抱かれやすそうな蔵なら理解できるけれど、もう一人は紛うこと無き変人だ。
誰がなんと言おうと、常識から外れた存在だ、と西園寺は思う。
「まあ…多少変わってはいらっしゃるようだけど、灰島先輩のああいう破天荒で常識はずれなところに憧れて心酔する人間だって居るわけよ。人数こそ蔵先輩のとこより少ないけど、むしろこっちのほうが熱狂的で妄信的らしいぜー。一種の宗教みたいな」
「……ハイジ教…だと…?」
ごくり、と西園寺は生唾を飲み込んだ。恐ろしい話である。
けれど灰島について言えば、ファンクラブというより信者と言われたほうがしっくりくるなと思った。
西園寺にとって灰島は、未だに理解の及ばないという点では、確かに神にも等しい存在である。
「だいたいこの学校じゃ容姿が良くてナンボじゃん。灰島先輩超美人だし」
「残念な方のねー…」
西園寺は思わずそう付け足さずにはいられなかった。
確かに動かず黙ってさえいれば灰島雪路という男は、はっと息を呑むような麗人なのである。
「ま、とにかく気をつけたほうがいいぜー。親衛隊は暴走すると過激だからな。イジメにリンチに…」
「イジメ…?り、リンチ…?」
「それから…いやいや、これ以上は恐ろしくって俺には口にできねーよ」
「な、なんだよ!きき気になるじゃん言えよ!」
「うんにゃ…お前は知らないほうがいい…。悪いな西園寺、俺に力がないばっかりに…俺、お前と友だちで楽しかったぜ…」
「おいいい!何物騒なこと言ってんの?死ぬの?え、俺死ぬの?」
「惜しい奴を亡くしたぜ…」
「ちょっ、やま、山田あああ!」
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