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西園寺の周りでは最近、徐々に嫌がらせめいたものが行われるようになっていた。
廊下を歩いていたら肩をぶつけられたり、すれ違いざまに暴言を囁かれたりという些細なものから、下駄箱にヘラクレスオオカブトがいたり、机の上に綺麗な三角の盛り塩(恐らくきちんと型を使っていた)があったりという微妙なもの。
大抵はそういう気にせずにいようと思えば特に害もなく生活できるものであったのだけれど、ひとつだけ西園寺にも看過できない事件があった。
西園寺の幼馴染兼親友の山田が階段から突き落とされそうになったことである。山田がどうにか咄嗟に手摺を掴んだお陰で鼻血を噴きだしただけという被害に納まったものの、西園寺はそれが自分のとばっちりを食らって恨みを買った誰かによる犯行なのではないかと推測している。
山田は気にしすぎだと笑っていたけれど、それで済ますわけにはいかない。自分だけならまだしも、友人をも巻き込むとなると現状に甘んじている場合ではないと、西園寺はここ数日ずっと悶々としていた。
容赦しないから、と脅しめいた忠告をしていった親衛隊の生徒の言葉がつきまとい続けている。

忠告されて、その言葉通りに自分の意志で回避できるならばそれでいいのだ。
けれど、例えば事前に台風が来ると忠告されても止めることなどできないように――西園寺もまた、灰島を止めることなど到底出来るはずもできないのである。


「ペーター!」

がらぴしゃん、とけたたましい音をたてて教室の扉が開かれて、クラス中の視線がそちらへ集中する中、西園寺だけがびくりと肩を跳ねさせて固まった。お出ましだなあ、と隣にいた山田が呟く。
ぎぎぎ、と錆つきでもしたようなぎこちない動きで振り返ると、まるでどこぞの貴公子か王族かというような威風堂々とした足取りで灰島がこちらに近づいてきたところだった。
本日はモカ色のクマ耳パーカーだ。ちらりと見える耳につけられたピアスまでクマの形をしている。


「一大事だ!校舎裏にフェレットが逃げ出したそうだぞ!」

キラキラした眼差しで声高にそう告げた灰島に、西園寺はぱちりと一つまばたきをする。


「……はあ、そーですか…」

「なんだその腑抜けた返事は。こうしちゃいられない、さあ探しに行くぞ!」

「えええ!な、なんでですかぁ」

「なんでですか?愚か者め、そんなの楽しいからに決まっているだろうが!」


主にあんたがな!と西園寺は心の中で突っ込んだ。
脈絡も何もない切り出し方だが、大方生徒が飼っていたペットでも逃げ出したのだろうと西園寺は見えない経緯を何とか推測で補った。なぜそれを灰島が捕獲する必要があるのかは謎だったが。

ほらほら早く立って!と手を掴んでぶらんぶらんと揺すったり引っ張ったりしてくる灰島に、ハイハイと疲れた顔で立ち上がりかけた西園寺は、ふと突き刺すような視線を感じてはっとした。
見れば、クラスの中でもミーハーさが目立つ可愛らしい顔立ちの生徒たちがぎりぎりと歯噛みしてこちらを睨みつけている。そういえば彼は以前体育館裏に呼び出ししてきた親衛隊とかいう顔ぶれの中に居なかったかと思い当たって、顔を引き攣らせる。


「あ、あのっ!」


その視線たちに促されるように西園寺はぐいぐい引っ張る灰島に抵抗するように足を踏ん張った。西園寺の目の前でクマ耳男が「なあに?」と振り返る。
その無邪気できらきらした大きな眼に一瞬うっと詰まりながらも、西園寺はしどろもどろになりながらもどうにか言葉を続けた。

「俺…い、行けません!」

「なぜ?」

思い切って、初めてまともともいえる抵抗をしてみた。けれど間髪入れずに理由を尋ねられて狼狽する。


「…………お腹が、痛いので」


咄嗟にそう言っていた。言ってから、恐る恐る灰島を窺う。
こんな嘘を言ったところで灰島は歯牙にもかけずに引っ張っていくんだろうけれど、と。


「腹が痛い?それは大変だっ!それならそうと早く言いなさい」


疑うことも無視することもなくあっさり信じた灰島に、西園寺はえっと小さく驚きの声を上げた。
どのへんが痛いだの、薬はあるのかだのと心配し始めた灰島に、なんだか悪いことをしている気がして良心が咎め始める。
けれど言ってしまったからにはしょうがない、これ以上親衛隊の怒りを買ってリンチだのレイプだのはゴメンだと西園寺は揺らぎそうになる気持ちを叱咤した。
親衛隊らしき生徒たちは相変わらずこちらをすごい形相で睨みつけてひそひそと言葉を交している。


「ああそうだ、薬が無いのなら保健室に――…」

「いりません!」


ぱっと表情を明るくさせて再び西園寺の腕を引こうとした灰島の手を、西園寺は思わず振り払っていた。
やや乱暴ですらあったその仕草に、灰島がきょとんとしてこちらを見てくる。


「……あ。す、みません」


はっと我に返ると灰島から視線を逸らして、小さな声でぼそりと謝った。言い様のない罪悪感に胸が痛んだ。


「しばらくじっとしてれば、平気なんで…」


西園寺は目の前の紅茶色の目がまともに見られないでいる。
灰島は珍しく黙ったまま、黒縁眼鏡の奥で長い睫毛に縁取られた眼を細めた。
相手の無言に西園寺がじっと身を固くしていれば、ぽんと頭に優しく手を置かれる。


「いいだろう。痩せ我慢だけはしないようにねっ」


よしよしと灰島は西園寺の頭を撫でた。
それから「じゃあしょうがないクララでも誘おう」と楽しげに言ってにっこり笑った。
すみません、と西園寺がもう一度小さく言うと、いいよと軽やかな返事が返ってくる。


「ああそれと、ペーター」


教室の出口へと向かいかけた灰島は、振り返ると聞いたことがないような優しく穏やかな声でこう言った。


「本当に無理なときには僕に言いなさい。直ぐに飛んできて助けてあげるからね」

「え…」


西園寺は瞠目して、閉められる扉を見ていた。
灰島は腹痛のことを言っていたはずなのに、西園寺にはなぜかそれは別のことを言っているように聞こえた。
けれど西園寺は灰島に親衛隊に呼び出されたことすら話していなかったから、やはりたまたまなのだろうと思った。
それでも、嘘の腹痛に対してすら掛け値無しの励ましをくれたことが、いっそう西園寺の胸を重くした。

ぽんと肩を叩かれて振り返ると、山田が窺うように西園寺の顔を覗き込んでいた。

「…よかったのか?」

「…うん」


これでいいんだ、と西園寺は自分に言い聞かせた。
自分がいつも断りきれずに流されているせいで友達に迷惑をかけるくらいなら、嘘を吐いてでも断らなければ。


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