▼ 奇跡が降る夜
兵士になんとかなだめられて椛が大広間までやってきたのは、マスカレイドが終わる頃だった。きらびやかな衣装に着替えてはみたものの、心が踊ることはなく、むしろその衣装の重苦しさに気分が沈んでいくのみ。楽しげな音楽が耳に入ってきても、すぐに反対側の耳から抜けてゆく。
これからどう生きていけばいいんだろう。ジークフリートから吐かれる愛の言葉にずっと作り笑いを返す日々が続くのだろうか。ああそうだ……記憶を消してもらえばいいんじゃないか。この、マスカレイドの記憶をすべて。カイの記憶と、ジークフリートの話についての記憶を消してさえもらえれば……自分はこれからも幸せを感じながら生きていくことができる。
「……?」
マスカレイドの閉幕の挨拶をするために壇上にあがったジークフリートをみて、椛は些か眉をひそめた。彼の表情が、酷く陰っている。これからあるというカイの処刑の準備で疲れたのだろうか……色々と考えてはみたが、答えなどみつからない。どうでもいい。彼のことなどもう、想うだけ無駄だ。
カイの処刑があると聞いても、椛はとくに驚きも戸惑いもしなかった。罪を犯したのならば罰せられればいい、そう思っただけだった。一晩寝て、心に整理がついたのだ。これからの人生に幸せを求めることはやめよう。感情なんて捨ててしまおう――これ以上自分が傷つかないようにするための自己防衛を、椛は無意識にやっていた。
やがて、司会をしていた人がカイの処刑を告げる。「クラインシュタイン家の悲願」などといいながら会場を煽っており、人々は盛り上がっていた。椛はその騒ぎにはついていけず、端っこのほうで会場全体を眺めていた。壇の端のほうから、大きな拘束具を抱えて兵士がやってくる。派手な装飾が施された磔台。手と脚を拘束するための鎖がついており、そこに罪人を縛り付けて剣などで首を切るのだろう。
「シンデレラ」
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえて椛は弾かれたように振り返る。ジークフリートだった。椛は口元がひきつるのを感じながら、笑う。
「……なんでしょう」
「これ、持って」
「?」
ジークフリートが手を差し出してくる。そこには真紅の布がかかっていて、何が握られているのかわからない。なんだろうと思いながら椛がジークフリートの目を見つめれば、黙って見つめ返される。自分で布をあけろということだろうか……心がざわつくのを覚えながら、椛は布をつまみ、一気にめくった。
「……!」
現れたものをみて、椛は唖然とした。ジークフリートの手に握られていたものは、ナイフだった。椛にナイフの持ち手を向けて、ジークフリートが持っている。
「……あの?」
「……シンデレラがアイゼンシュミットを殺すんだ」
「え……」
「言いたいこともいっぱいあるだろう、アイツに。おまえが、やれ」
嫌だ、そう思った。相手がカイだから、それ以前に椛に人を殺す勇気がなかった。しかし、断ろうにも言葉がでてこない。ジークフリートの座った目に気圧されたのだ。
「……っ」
でも、だめだ。……大丈夫、普通の人間が人を殺すことなどできない、ということくらい、ジークフリートも理解してくれるだろう。言おう、「できません」そう言おう。心のなかで決心し、椛が口を開いた瞬間――
――ジ
「いたっ……」
頭が、割れるように傷んだ。何事かと頭を抱え込み、辺りを見渡す。そうすると、椛はいままで自分がいたはずの大広間ではなく、汚い小さな部屋に立っていた。一人用の小さなベッドの上に自分が潜り込んで、なにやら本を読んでいる。ベッドの周りには、本が山積み。ベッドの中の自分は、ちらりと顔をあげて、ぼそりと呟く。
「ココデ逃ゲタラ、誰モシアワセニナレナイヨ」
――ジジジ
「……!」
はっと目が覚めると、元の光景に戻っていた。ジークフリートがナイフを差し出している。
受け取れということだろうか。「嫌だ」と言おうとすれば、またあのわけのわからない幻が現れてしまうかもしれない。
でも……カイのことを、自分は殺せるだろうか。彼は自分を裏切った。夢をみせて、絶望のどん底へ突き落とした。……しかし。憎いというよりは、怖い。あの飄々とした仮面のしたで、どんな風に自分を嘲笑っていたのかと思うと怖い……その想いが強くて、憎いという気持ちはそこまでなかった。
それは、殺したいという衝動に直結する想いではない。だからといって、ここで受け取らなければまたあの幻のなかに引きずり込まれてしまう。
「……」
椛はしぶしぶ、ナイフを手にとった。幻は現れない。直前で「やっぱりできない」そういえばきっと逃げることは不可能ではないはず……
「あ……」
会場がどよめく。兵士に連れられてローブを羽織った青年がやってくる。
「カイ……」
覚束ない足取りで歩いてくるのは、カイだった。手錠に繋がれた手は傷だらけで、ローブから時折見える横顔も青白い。最後に会ったときとはまるで違う彼の様子に、椛は不安を覚えてしまった。
「あの……カイの、あの傷は……」
「……」
あまりにも酷いカイの姿に思わずジークフリートに聞いてみれば、ジークフリートはバツの悪そうな顔をして黙りこむ。ジークフリートがやったのだろうか……と、勘ぐってしまったが、正直そこまで興味はない。深く追求することもなく、椛は再びカイのいる方に向き直る。
カイが磔台に拘束されてゆく。人々は好奇の目でその様子をみつめていた。「悪の魔法使いなんていうからどんな強面なのかと思えば、意外と若い子なのね」「今にも死にそうでそんなに迫力がないなあ」などと、好き放題言っている。なんだかカイのいる場所だけが別世界のようで、本当に自分とは無関係の人に思えてきてしまった。
……本当に、カイは僕のこと、なんとも思っていなかったんだな。
無抵抗に、まるで罪を受け入れているかのようにじっとしているカイに、胸が傷んだ。
カイの拘束が完了し、司会が処刑の開始を告げる。「言いたいことを言ってこい」――そう言われ、椛はカイの前まで連れてこられた。逃げるタイミングを完全に失ってしまった――ナイフを持つ手がカタカタと震える。
恐る恐る、椛はカイをみつめる。閉じられたカイの瞼がそっと開き……視線が交わった。
「……椛」
「カイ……あの、」
その瞳は、恐ろしいほどに冷たかった。顔色が悪いのも相まって、カイの表情は自分を蔑んでいるようにみえた。
「……あの、カイは……なんで……僕を、騙した、の」
すでに何回も答えを聞いている問を、椛は口にする。頭が真っ白になって、何も言葉が浮かんでこなかったのだ。ほかにもっと、言うべきことがあるはず……そう思っているのに。
問を投げかけられたカイは、しばらく黙っていた。蒼い瞳が、静かに動く。一度、ジークフリートをみつめ、そして椛へ。怯えきった椛の表情を確認し、そして手に持ったナイフを見る。
「あの、」
「……からさ」
沈黙が苦しくて、とりあえず、と声を発した椛を遮って、カイが何かを言った。よく聞き取れなかった椛は、もう一度言って欲しい、そんな目でカイをみつめる。
「面白かったからさ」
「……え?」
「人を騙しているときって――すごく、愉しい。たまたま目に留まったおまえを、俺は自分のオモチャにきめた、そして遊んでいた。それだけだよ」
「え……」
その言葉の違和感に気付いたのは――ジークフリートだけだった。カイがなぜか明らかな嘘を言っている。一体どういう理由で? 心を探るようにカイの瞳を見つめてみても、まっすぐに椛を見据えたその瞳から、彼の心は読むことができない。
カイの言葉をきいた、兵士や客は、なんて酷い男なんだとどよめいた。カイが嘘をついているなどと、夢にも思っていないのだろう。そして……言われた本人も。カイの言葉を疑いもせずに信じ――呆然と立ちすくんでいた。
「……僕で、遊んでいた?」
「そうさ。おまえは俺のこと信じ切っていたから……それはそれは面白かったよ。笑いを堪えるのにいつも必死だった」
は、と椛を嘲笑するようにカイが息をはく。
目の前が真っ暗になる。今まで……もしかしたらカイが裏切ったなんて嘘なんじゃないか、という期待を実はもっていたが――見事に打ち砕かれた。他の誰でもない、本人によって。
「さい、てー……」
今まで哀しみだけでいっぱいだった胸に、ぼわりと憎しみの火が灯る。人をバカにしきったカイの態度に、椛も堪忍袋の尾が切れた。
「僕は……! 貴方のこと、本当に信じていて……! だから、奇跡も魔法も信じたっていうのに、貴方はそんな僕の心さえも弄んでいたっていうんですか!」
「そう言っているでしょ。きみさぁ、馬鹿みたいに素直だったからほいほい俺の言葉信じたよね」
「この……」
怒りでナイフを持つ手が震える。気づけば一歩、足を踏み出していた。
「……貴方みたいなペテン師に、人生が狂わされたのかと思うと腹立たしい。貴方に出逢わなければ……僕は……」
カイと出逢わなければよかった。自分で言って、自分で酷く傷付いた。カイとすごした時間が、たとえ彼にとってのほんの戯れだとしても、椛にとっては楽しくて幸せだった。それは、揺るぎのない事実だったからだ。幸せで笑っていた過去の自分を――自ら椛は踏みつけて、涙ながらに叫ぶ。
「僕は――奇跡なんて不確かなものを信じることもなかったのに!」
それは、衝動的だった。全ての希望が途絶えた瞬間、人を殺すことへの恐怖も薄れてしまった。騙された自分が悪いのか、騙したカイが悪いのか――そんなことはもうどうでもよくて、頭のなかに渦巻く黒い黒いどす黒い炎を払拭したくて……前に進んでいた。
奇跡?そんなもの、消えてしまえ。これからそんなくだらないものを信じて、絶望する人が生まれなければいい。
「――カイッ……!」
おまえ何を考えているんだ――そう思って、ジークフリートは思わず名前を呼んでしまった。なんでそんなに悲しそうな顔をしながら、思ってもない嘘を吐く。なんのため?もしかして、悲劇を好む俺のため?椛に殺されるため?そんな自惚れのような思惑が浮かんだせいか、ジークフリートのなかに椛を止めなければ、そんな思いが浮かんだ。愛している人に、自分のため死なれたりでもしたら……
「――……!」
大広間が一斉に静まり返る。
「カイ……」
ジークフリートの声がぽつりと響く。そして、それが引き金となったかのように、いっせいに拍手喝采が湧き上がった。
――ナイフは、カイの腹部に深々と突き刺さっていた。
「……あ」
椛の頭からすうっと血がひいていく。存外に簡単に刃が沈んでいったため、実感がわかなかったが――ぼたぼたとカイの口からこぼれたと思われる自分の手におちてきた血をみて、本当に刺してしまったのだと……その現実が叩きつけられた。怖くて、カイの顔をみつめることができず……椛は俯いていた。
「……カイ、おまえ……!」
後ろから、ジークフリートが叫んだ。客の歓声に埋もれてよく聞こえないが、その声色は焦っているようにも聞こえる。
「なんで……なんで嘘なんてついた!」
「……嘘?」
ジークフリートはなにを言っている――椛が震えながら振り向くと……ジークフリートが顔を真っ青にして叫んでいる。
「なんで嘘なんてついてシンデレラを煽ったんだよ! 俺のためか! おい、カイ!」
「……は?」
一瞬――ジークフリートの言葉の意味がわからなかった。嘘をついて煽った……? それは、つまり?
「……カイ? どういう、こと……」
ドクドクと高鳴る心臓。もう一度、カイに向き直る。そして――虚ろに開かれた、蒼い瞳と視線が交わった――
「……っ」
ふ、と視界が暗くなった。それと同時に、花の匂いがいっぱいに鼻のなかに入り込んでくる。
そして、唇に少しかさついた何かが触れ……口の中に血の味が広がった。
「……ッ」
カイにキスをされた――そう気付くのに、少し時間が必要だった。色んなことで頭がいっぱいになっていて、すぐに状況をのみこめない。
は、と椛が目を瞠ると、視界いっぱいにカイの苦しそうな顔が広がった。ああ……嘘、嘘をついたってどういうことだろう。問いただしたい、とはいってもこんな状態のカイにできるわけがない。
「カイ……」
でも、きかなくても答えはわかるような気がした。あまりにも優しいキスに、全てがわかったような気がした。
カイは……僕を裏切っていない……?
辿り着いた、一つの答えに……ぼろりと涙がこぼれてきた。なにが真実なのか……わからない。それでもたまらなく哀しくなって――椛は崩れ落ちるように、カイの足元に座り込む。
「……なんで、嘘をついたかって?」
静かな、カイの声が響いた。はっとして、椛は顔を上げる。そこには、不敵に笑う、カイの顔があった。
「ジークフリート……おまえのためかって? ああ……そうだね、半分、正解だ」
「半分……?」
「あ……ごめん、嘘。三分の一くらい」
「……おまえ、そんなこと言ってないで、」
「答え?」
カイの唇が、弧を描く。
ガシャン、と音がした。なんだか、そこからの光景はスローモーションのように感じられた。一瞬光りが瞬き、視界が眩む。そして、ひらりと濃紺のローブが翻り、その風が頬を撫ぜた。
「――ンッ!?」
ぐい、と後頭部を捕まれ、唇を塞がれる。舌が唇を割ってはいってきて、咥内を弄られた。
(えっ、えっ、なに、なにが起こって……!?)
自分に深いキスを仕掛けているのは、紛れも無く、カイだ。しかし、今、椛は座り込んでいて、磔台に拘束されていたはずのカイがキスをできるわけがない。じゃあ、どうして? なんで? ただただ混乱してしまった椛は、カイが離れていくまで無抵抗にキスを受け入れていた。唇が離れていって、ようやく「ソレ」が見える。――破壊された磔台が。
「答え。……奇跡を叶えるためさ」
「……!」
カイの魔力はほとんどなくなっているはず――それを知っていたから、こんな磔台を使った処刑なんてしたのに。魔力が使えれば、拘束なんていとも簡単に壊されてしまうから。ではなぜ、魔力のないカイが拘束を解くことができたのか――その答えに、ジークフリートは遅れて気がついた。椛から魔力を奪ったのだ。椛がナイフを刺した瞬間――あの、触れるだけのキス。そこで、カイは椛の魔力を奪っていた。
「おまえ……初めからシンデレラの魔力を奪うつもりで……」
「いいや? 直前までは本当に死ぬつもりだったよ。それこそ……ジークフリート、おまえに寄り添って死にたいと……そう思っていたさ」
そう、カイは磔台に拘束されたそのときまで、全てを諦めていた。しかし――処刑人が兵士などではなく生気を奪っても寿命の縮まない『無限の魔力』を持った椛であったこと、そして椛の武器がギリギリまでカイに接近する必要のあるナイフであったこと――それを知った瞬間、カイのなかで一つの考えが浮かぶ。椛が自分を刺した瞬間に、口付けによって魔力を奪えば、ここからの逃走が可能であると。椛がナイフで人を刺すことなどできないとわかっていたカイは、心を痛ませながらも椛を激情させるために嘘を吐いたのだ。
「……でも、まて、カイ。おまえはアイゼンシュミットの魔術師だろ。自分の生気を使う魔術しか使えないはずじゃあ……」
「……クラインシュタインの魔術もある程度知っている」
「は? なんでだよ、クラインシュタインの魔術は秘匿されている! 外部の者がそれを知ることなんてできない! どこで知った!?」
「どこ? クラインシュタインの魔術の資料なら、ここにある」
カイがにっこりと笑って、自分の胸を指でとんとんと叩いた。
「おまえが俺にくれた、魔蟲。こいつを解析すればクラインシュタインの魔術の仕組みはわかるよ」
「……な、ありえないだろ、そんなことできるわけ……」
「ありえない? なんで? ジークフリート、俺のこと誰だと思っているの?」
カイが椛の手を取って立ち上がる。いつの間にか、全身についていた傷も消えていて、顔色も元に戻っていた。ぽかんと自分を見上げてくる椛の頭をぽんぽんと撫でると、カイはジークフリートを見つめ、笑ってみせる。
「アイゼンシュミット家の『天才』魔法使いだ。なめてもらっちゃ困るよ、クラインシュタイン家の『天才』くん?」
す、とカイが手をのばすと、光を纏う杖が現れる。そして、カイがその杖を振りかざすと――煌めく蒼い光の円がカイと椛を囲んだ。
「ジークフリート、俺、ひとつ心残りがあったんだ」
「……なんだ」
「椛に出逢えた、おまえと話すことができた……俺の人生はそれで十分幸せだった、そう思ったけれど」
カイがぐっと椛を抱き寄せる。なにが起こっているのかわからない椛はされるがままに、カイの腕のなかに収まった。
「――やっぱり、惚れた人は自分の手で幸せにしてあげたいなって。男なら」
光の円のなかに、模様が浮き上がる。かぼちゃの馬車をつくりだしたときと同じような――魔法陣。
「『若者よ、今宵の月の色を知っているか』」
魔法陣から突風が拭きあげて、カイと椛を煽る。
二人を纏う衣装が風に翻り、バタバタと音をたてた。
「『闇を呑み、生を嘆き、私が放浪した先でみたのは、青い月だった』」
眩いばかりの光景に、その場にいた人たちは皆、息を呑んだ。
「『死神に手を引かれてた私は、その美しさに生きる喜びを知った』」
奇跡の光は――全てを包む。
「『今宵は青い月』――俺が、奇跡を降らせてみせましょう」
現れたのは、光を纏った白馬だった。カイは椛を抱きかかえて白馬に乗ると、ジークフリートに向かってわざとらしく笑ってみせる。
「ではごきげんよう! 俺は「悪の魔法使い」らしくお姫様をさらっていきますので。文句があるなら、追ってくるんだな、王子様!」
カイが手綱を引くと、白馬が嘶いた。白馬がかけたあとにはきらきらと光の粒子が舞い、美しく煌めく。白馬は驚きにどよめく人々を割って、窓ガラスに向かって駆けてゆく。
「ちょ、な、何が起こって……! カイ、ここ、三階ですよ! っていうか、そのままいったらガラスに……!」
「――大丈夫!」
カイが窓ガラスに向かって杖を振ると、一気にヒビがはいって大きな音をたてて割れてしまった。そして、バラバラと宙を舞うガラスの破片が、蒼い花弁に変化してゆく。
「……!」
夜風が一気に室内に吹き込んで、蒼い花弁が大広間に舞い上がった。そのまま外へ突っ込んでいった白馬は、驚くことに空気を蹴って、空を駆けてゆく。
光の渦、かぐわしき花の香り。あまりにも幻想的な光景に、人々は目をかがやかせる。開け放たれた窓からは蒼い月が覗きこんでいて、そこへ向かって魔法使いが駆けてゆく。
「……あいつ……!」
ざわめく人々の間をぬけて、ジークフリートは花弁と散ってしまった窓に向かって走る。そして、白馬が駆けた跡の光が残る空を見つめて叫んだ。
「このガラス一枚いくらすると思ってんだ!」
「そこじゃないよね」
ジークフリートのそばによってきたシルヴィオが、不安げにカイが消えて行った夜空を眺めた。じっと一点を見つめるジークフリートを不安げに見上げ、小さな声で尋ねる。
「アイゼンシュミット……彼があんなことをしてくるなんて……はやくシンデレラを奪い返しにいかないと。彼はやっとみつけた、『無限の魔力』の保有者だろ?」
「ああ、そうだな」
「……シンデレラには悪いけど、これからも悪魔の餌食になってもらわないと。国のために」
「ああ……今すぐにでもあいつの元にいってやるさ」
ジークフリートは静かに魔物を召喚すると、その背中に飛び乗った。横目でちらりとシルヴィオをみて、「この騒ぎを収めといて」と頼むと、魔物にカイを追うように命令する。
「……このまま! 逃がすと思うな、カイ!」
そのまま飛んで行ってしまったジークフリートの背中を、シルヴィオは唖然とみつめていた。そして、ぽつりと呟く。
「……なんでジーク、楽しそうな顔してるんだ……」
初めてみた、ジークフリートのどこかいきいきとした表情に……シルヴィオは、不思議に思いながらも、なぜか、嬉しいと思った。
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