アリスドラッグ | ナノ


▼ 蒼い月



 三日目のマスカレイドも終盤に差し掛かる。今日は最後にとっておきの催しがあると聞いて、客は皆浮かれていた。

 大広間の隣にある、控室の役割をもつ部屋。そこでは、カイの処刑の手伝いをする兵士たちがばたばたと準備をしている。


「シンデレラ様は? どこいる?」

「寝室だ。引きこもっていらっしゃる」

「さっさと呼んでこい! 処刑には彼が必要だってジークフリート王子も言っていただろう!」

「そのジークフリート王子はどこへ? きくところによると挨拶だけをして姿を消したとか……」

「地下牢だよ、地下牢! 本当にアイゼンシュミットとできてんじゃないだろうなあ、いくらなんでも行き過ぎだろう……シンデレラ様もだからあんなに塞ぎこんでいるんじゃないか?」

「ああ、もう……ジークフリート王子とアイゼンシュミット、どっちも連れてこい! できてようがいまいがどうでもいいわ! アイゼンシュミットの処刑は決定事項だ」


 準備を始めるのが遅かったのか、室内は騒然としていた。一人の兵士が慌てて部屋を飛び出そうとしたとろこで――ひとりでに扉が開く。……正しくは、誰かが入ってきた。


「……!?」


 入ってきた人物に……その場にいた全員が固まった。

 それは、カイを抱えたジークフリート。ぐったりとジークフリートの腕に収まっているカイは、手や首筋に酷い傷が大量についていた。肌の色は貧血で青白く、シャツにも血が滲んでいる。シャツの下がどうなっているのか想像した兵士たちは顔を青ざめさせた。しかし、ただカイを嬲っていたのかとジークフリートの表情を伺えば――ジークフリートはジークフリートで目元に隈をうかべて、魂がぬけたようにぼうっとしている。一体この二人になにがあったのかと、兵士たちは畏れてしまったのだった。


「じ……ジークフリート王子……あの、このまま準備を進めても大丈夫でしょうか? 顔色が……」

「大丈夫だ。少し疲れただけだ」


 ジークフリートは心配して声をかけてきた兵士を軽くあしらうと、部屋の隅にある椅子に座り込む。カイも隣に座らせてやったが、真っ直ぐに座っているのが辛いのか、ずるりと肩にもたれかかってきた。ここまで彼を痛め付けたのは自分だ、ジークフリートが罪悪感も手伝って髪の毛を梳くようにして頭を撫でてやると、ふわりと花のような匂いが舞い上がる。


「……おまえのこの匂い、なに?」

「……匂い?」

「花みたいな匂い」

「……ああ……いつも寝るときに花が側にあるから。その匂いが移ったのかもね」


 掠れ声で、カイは答える。

 三日目も、マスカレイドが開かれている間、ジークフリートはずっとカイの側にいた。やっていたのは、昨日とほぼ同じことだ。ジークフリートの倒錯的な愛情を、カイが全て受け入れてやる。体中に目も当てられないくらいの傷を負い、その痛みのせいで発熱までしてしまって、カイはもう瀕死の状態だった。意識がふわふわとして、刑にかけられずともこのまま死ねるんじゃないかと、そう思うくらいに。


「ねえ」


 ぽそ、とカイが呟く。カイから声をかけてくるのは珍しい、そう思ってジークフリートは視線をカイに動かしたが、カイはジークフリートの肩に頭を預けて目を閉じている。長い睫毛が綺麗だ、とジークフリートが見惚れていると、カイはそっとジークフリートの手を握った。


「……俺が死んでも、諦めちゃだめだよ」

「え……」

「……おまえのこと、幸せにできる人……きっと、いつか現れるから」


 カイの言葉に、ジークフリートは息を呑む。あそこまで酷いことをしておいて、純粋に自分の幸せを祈ってくれたカイに、驚いてしまった。家族の命を奪って、挙句カイのことも陥れようとしているのに。


「奇跡は……信じていれば必ずやってくる。どんな人にでも。だから、ね」

「……ッ」


 兵士たちがせかせかと動いている。部屋に二人が入ってきたばかりのときは二人の様子をちらちらと伺っていた彼らも、それどころではなくなったのか、慌ただしく働いて二人のことを見ようとはしていない。ジークフリートはそれを確認すると、静かにカイに口付けた。


「泣くな……変に思われる」

「……、悪い」


 やがて嗚咽をあげはじめたジークフリートを、カイは苦笑しながら撫でてやった。


「おまえ……馬鹿だよ、優しすぎるんだ、……だから、追い込まれていくんだろ。もっと穢く生きろよ……」

「アイゼンシュミットはそういう奴なの。自分の命を犠牲にして他人を救うなんて馬鹿な魔法を使う家系だ。俺もばっちりその血流れているからさ」

「そうだよ……ほんと、馬鹿」


 頭がぼんやりとして、ジークフリートの泣き声しか聞こえない。視界も暗く狭まってきて、ふらふらする。寒気もしてきて、震えが止まらない。

 ――このまま逝きたい。うるさいところに行きたくない。自分のことを想ってくれる、この憎たらしい男の腕のなかでねむるように死んでしまいたい。

 カイのなかに、明確に自分の死が見えてくる。走馬灯のようなものすらみえてくる。辛い人生だった、でも最期だけは良かったと思う。椛に出逢うこともできたし、ジークフリートの想いを聞くこともできた。心残りといえば、そうだ……


「おい、おまえ、ぼーっとしてるな! こっち手伝え!」


 向こうのほうで、兵士が怒鳴られていた。ガヤガヤと煩い室内のなか、カイはなぜかその声だけを拾ってしまった。顔をあげて、なんとなくその怒鳴られた兵士を探してみると、彼は窓の外をほうけた顔で見つめている。


「あ、いや……蒼い月なんて珍しいなぁって思って」

「蒼い月ぃ? んなもん気温やらなんやらの関係でそう見えるだけじゃねーの? んなくだらないもんみてないでこっちこい!」

「は、はい! すみません!」


 蒼い月――その言葉を聞いた瞬間、カイはぐっと体を起こした。些か驚いた様子で、ジークフリートがふらふらのカイを支えようと腰に手を添える。


「……」

「カイ?」

「……ジークフリート……窓のところまで、連れて行って」

「え?」


 ジークフリートの返事も聞かずに、カイは立ち上がった。一歩踏み出し、ぐらりと倒れかかった体をジークフリートが慌てて抱きかかえる。

 ジークフリートの肩を借りながら窓のところまで辿り着いたカイは、鍵をあけて窓を開け、身を外に乗り出した。そして、一点をみつめるようにして、夜空を見上げる。


「……カイ?」


 ジークフリートはその横顔を、不思議そうにみつめていた。夜風に吹かれてさらさらと靡く銀髪、アクアマリンのような澄んだ蒼い瞳。ふっと流れてくる花の香りも相まって、酷く幻想的な眺めだった。綺麗だ、その言葉が頭のなかに浮かぶ。思わずその頬に手をのばそうとしたところで――カイが振り向いた。


「……あ、」

「ジークフリート、あの月の色は何色?」

「……青、にみえる」


 月明かりに照らされるカイに見惚れながら、上の空にジークフリートは答える。その答えを聞くと、カイは目を細め、ふっと微笑んだ。


「今夜――奇跡が降ってくるかもね」


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