▼ 溺水
―――――
―――
――
椛を捕まえていた執事の姿をした悪魔……彼は、カイのことを思い出して涙を流す椛をみて、舌なめずりをした。あまりにも甘美な悲劇の匂い。悪魔の大好物だ。邪悪に微笑む悪魔の表情に、椛は寒気を覚える。
「ほら……よくこの顔をみているんだ」
悪魔は椛の視線を固定するように顔を掴んだ。悪魔の顔はぐにゃぐにゃと変形していき……そして、なんとカイの顔に変貌してしまう。
「……っ!?」
「美しい思い出も、好意も憎しみも、全て忘れてしまえばいい。一度、彼に抱かれてみるんだ」
「なっ……なにを……、あ、んっ……!?」
悪魔は驚きに目を白黒させた椛に、カイの顔のまま口付けをした。カイを侮辱されているような気分になって椛は悪魔を突き放そうとしたが、悪魔の力は存外に強く、それはかなわない。
「ん、ん……」
これはカイではない……そうわかってたが、悪魔が椛の記憶をもとに作り出したカイの擬態はほぼ完璧だった。唇の感触も、独特な彼の花のような香りも。
本当に、カイにキスをされていると錯覚してしまうほどに。
「ふ、……」
舌で唇をなぞられて、椛はびくりと肩を揺らす。嫌だ……そう思うのに、不思議と心地よい。何度も舌先でおねだりされ、思わず侵入を許してしまう。
「ん……」
気持ちいい。椛は咥内を弄る舌に自らのものを絡め、その熱を堪能した。くちゅくちゅと水音に脳内が侵されると、なにも考えられなくなる。いつの間にか椛は悪魔の背中に腕を伸ばし、キスに夢中になっていた。つま先立ちになって、もっともっと深いキスができるように、必死になった。
「ふ……ねえ、シンデレラ。ほんとうは彼のことが好きだったんじゃないか?」
「え……」
「彼に裏切られたことにここまでショックを受けて、しかもキスだけでこんな顔になっちゃって……彼とこういうこと、したかったんだろう?」
「そんな……だって、僕には、ジークが……」
「大丈夫さ、誰にも言わない。ほんとうの気持ちを言うんだ。婚約者がいるからなんて、そんなこと関係ない……シンデレラ、おまえはアイゼンシュミットに…… 」
する、とシャツの中に手が入り込んでくる。暖かいような冷たいような、そんな手のひらの感触にぞくっとする。なぜか抵抗できないでいる椛に、悪魔はぐっと顔を近付けた。そして、にっと笑って言う。
「抱かれたいんだろ? 椛」
「……ッ」
かあっと顔が熱に茹だる。カイそっくりの表情のつくりかた、そして名前の呼び方。
「ほら……何して欲しいのか……言ってみてよ。いましかできないよ。本物の彼は君を愛してなんかいないんだから」
「や……やめてください! カイの真似をするのも……カイの声でそんなことを言うのも……!」
「椛……好きだよ、いっぱい愛してあげるからね」
「や、やめて……」
あの、綺麗な蒼い瞳。同じ瞳で見つめながら、そんなことを言わないで。
悪魔はカイの声で椛へ愛を囁きながら、椛の服を脱がしていった。椛はぼろぼろと涙を流しながらも……抵抗しなかった。脱がされながら肌に唇で愛撫されると、燃え上がるような歓びが身体の内側から湧き上がってきて、零れる声を止めることができなかった。
「あ……カイ……カイ……」
椛をみたしていたのは、ジークフリートへの罪悪感でも悪魔にいいようにされることへの屈辱でもなく……胸を割くほどの切なさだった。カイは自分を裏切った、カイは絶対に自分を愛することはないーーその事実を突きつけられた瞬間に、たまらなく哀しくなった。ニセモノのカイでもいいから……愛を囁かれて、抱かれたいと、夢をみたいと、そう思ってしまった。
「愛しているよ、椛」
「あっ……もっと、言って……カイ、もっと……」
「椛……好き、椛……」
「あぁっ……」
もう自分がわからない。でも、こうしてカイの姿をした人に、名前を呼んでもらって、好きって言ってもらって……幸せだと感じている自分がいる。初めてカイが姿をあらわしたときにその胡散臭さに追い払おうとしてしまったことも、一緒に星空の中を駆けたことも、たくさんの花に包まれてキスをしたことも。その思い出が嘘だったと認めるのが苦しくて、哀しくて……もしかしたら、本当にカイが好きだったのかもしれない。
カイの裏切りによるショックが大きすぎた今の椛に、ジークフリートのことを考える余裕はなかった。カイのことで頭がいっぱいだった。だから、偽物のカイの愛の言葉に、異常なほどに酔ってしまったのだ。
「カイ……カイ、僕のこと、見て……カイの目、好きなの……もっと、見て……」
全身を愛撫され、立っていることもできなくなって、椛はずるずると座り込む。そうすれば悪魔は自らも胡座をかいて座り、その上に椛を誘う。そして、素直に応じた椛の尻の割れ目に指を這わせた。
「あっ……」
椛に言われた通りに、悪魔はじっと椛を見つめてやった。アナルを指でほぐしながらそうしてやると、椛は顔を赤らめながら、それはもう気持ち良さそうに喘ぐ。自分の身体を支えるように悪魔の肩に手を置いて、ゆらゆらと身体をくねらせた。
「椛の中、熱いね……俺、はやく一つになりたいよ」
「あぁあ……カイ、僕も、はやく欲しい……は、ぅ……」
「椛……可愛い……」
「カイ、カイ……」
カイ、カイ、カイ……何度も何度も椛はカイの名を呼んだ。もう、こうした熱を感じながらカイの名を呼ぶことは二度と赦されないのだと思うと、口から自然とその名がでてきてしまった。カイ、と一度呼ぶたびに身体のなかでひとつ、赤い実がぱちんと弾けたように、胸のなかがきゅうっと締め付けられる。その感覚がたまらなく心地良い。そして、苦しい。
十分にほぐし終えたところで、悪魔は自分の脚の上に座るように言った。とうとうカイとひとつになれる……そう思うとドキドキしてしまう。
「椛……」
「あ……っ」
あらわになった悪魔のペニスに、椛は自らアナルをあてがった。そして、腰を落としてゆく。入り口が押し広げられる感覚、そして熱いものがじわじわと中にはいってくる感覚。それが奥に進むたびに、椛は甘い声を高めていった。
「あ……あ……」
快楽の波が押し寄せてくる。そして、同時に涙が止まらなくなってしまった。本物のカイとの美しい思い出を、自ら黒い絵の具で塗りつぶしているような気分になったから。彼との関係はこんなものではなかったはずなのに……こんなにも浅ましいことを偽物のカイとやって、本物の彼との記憶を穢してゆく。
「ぁんッ……」
奥まではいると、悪魔にぎゅっと抱きしめられた。哀しくてたまらないのに、幸せだった。椛も悪魔に抱きついて、全身を密着させる。そうすると、甘い香りが鼻腔をつく、大好きなあの匂い。たくさんの記憶が蘇っては、消えてゆく。もう戻ることのないはずの思い出たちが……悲鳴をあげている。
「カイ……」
一緒に、満天の星空をみたね。あまりの美しさに泣いてしまった僕を、貴方はどんな想いでみつめていたの? 馬鹿だなって嘲笑っていたの? 僕はほんとうに嬉しかった。絶対に忘れないって、あのとき思った。
でももう、……忘れます。忘れてみせます。星空を見上げるたびに切なくてたまらなくなるだろうから……もう、
「あっ……あぁっ……!」
身体を揺さぶられ、椛は仰け反りながら鳴いた。純粋にカイのことを好きだった自分を嘲笑うように、淫らに、はしたなく、乱れてみせた。
「忘れてしまえ、この男のことなんて……! おまえを裏切り、傷付けたこの男のことなんて、憎んでしまえ!」
「あっ、あぁ、ッん、カイ……あっ、」
「騙されたんだよ、おまえは……この男のつくりだす幻影に酔わされたんだ!」
「カイっ……あぁ……カイ、なんで……あっ、あっ……!」
「嗚呼、可哀想にシンデレラ……おまえはなんて可哀想なんだ」
「カイ……」
涙で視界が歪んで、何も見えなくなった。カイの姿をした悪魔の周囲に、ぽつぽつと影が増えていることだけがわかる。もしかしたら、追いかけてきた他の悪魔が寄ってきたのかもしれない。
それなら、それでいい。このまま犯してくれて構わない。この苦しみを消してくれるなら、それでいい。
「カイ……いかないで……」
貴方への想いを消す方法がそれしかないのなら、それで。
prev / next