アリスドラッグ | ナノ


▼ 兄と弟

 寝室で一人横になっていた椛は、灯りもつけずにただ虚空をみつめていた。カイが「悪い魔法使い」というだけで彼が自分を騙しているのだと決めつけることはできないが、毒の魔術をかけたとなったら、これはもう「決まり」である。カイは優しいふりをして椛に近付き、椛のことをただの魔力の源としてしかみていなかった。

 ベッドサイドに置いてある、蒼いブローチ。カイがくれたもの。本当に綺麗で、大好きで、ずっと大切にしてきたが……なんだかもう、馬鹿らしい。


「ひっ……、う、」


 椛はブローチを掴み、思い切り投げつけた。カシャ、と小さな音をたてて、ブローチの花びらを模した宝石がひとつ飛んでしまう。床に無残に転がるブローチに、椛は目もくれなかった。塞ぎ込み、声もあげず……ただ、泣いた。

 「奇跡を叶えてあげる」「奇跡を信じろ」? ひどい狂言だ。すべてを諦めていたときにあんな魔法をみせられて、そんな魅力的に思えるようなことを言われたら、信じてしまう。彼は口の上手い男だ……まんまと騙されてしまったのだろう。

 もう何も信じない。もう騙されたりなんか、したくない。……だから、嫌だったんだ。期待を裏切られたとき、そのショックは大きいから……変に、信じたりはしないって決めたはずだったんだ。今度こそ、もう……


「……シンデレラ?」


 鬱々と布団をかぶり丸くなっていた椛の耳に、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。小さなノックとともに聞こえるそれは……たしか、


「……どうぞ」


 シルヴィオのものだ。正直今は人に会いたくない気分だったが、王子のよびかけを無視するわけにもいかない。椛が返事をすれば、扉が開いてシルヴィオが中にはいってきた。


「食事、持ってきたよ」

「……シルヴィオ様が?」

「いや、メイドが本当はもってこようとしていたんだけど……シンデレラの様子が心配で……僕がシンデレラの様子をみにいくついでに」


 シルヴィオは穏やかな口調でそういった。椛の寝ているベッドまで歩いて行く途中、床に落ちているブローチに気付く。しゃがみこみ、お盆を持った手をぷるぷると震わせながらそれを拾うと、困ったように笑った。


「どうしたの、これ」

「……いえ」


 目をそらしながら答えた椛をみて、そのブローチについてあまり触れないほうがいいのだと悟ったシルヴィオは、それ以上尋ねることはなかった。黙って椛のそばまで歩み寄ってくると、ベッドサイドテーブルに食事を置き、その横に壊れたブローチを置く。


「あんまり食欲ないんじゃないかなって……スープとパンしか持ってきていないんだけど、もう少し食べる?」

「いいえ……十分です。ありがとうございます」


 椛はさっそく、スープの入った器をとると、スプーンですくって口にいれた。野菜がたっぷり入った、クリームのスープだ。ちょうど良い熱さのそれは、疲れ切った心身に染み渡ってゆく。シルヴィオはゆっくりとベッドの隅に腰掛けると、黙々とスープを食べている椛をみて、目を細めて笑った。


「……シンデレラ、君は今……幸せ?」

「……?」

「ジークと結婚できて、幸せかい?」


 なぜ今この質問をするのだろう……椛はそう思ったが、特に困るような質問でもない。カイに裏切られたショックからは全く立ち上がっていないが、ジークフリートを好きなことに変わりはない。


「……幸せですよ。ジークはとてもやさしいし……僕を、愛してくれます」

「……そう」


 椛の返事をきいて……シルヴィオはなぜか表情を曇らせた。なにかまずいことを言っただろうか……しかしまったく心当たりがない。考えて、椛はあることを思い出す。以前シルヴィオと話したとき、彼はジークフリートの話をすると少し様子がおかしくなった。それとなにか関係あるのだろうか……


「……あの、シルヴィオ様は、ジークとなにかあったんですか?」

「え?」

「あ、えっと……いつも、ジークの話をすると、なんだか表情が……」


 シルヴィオがぎょっとした表情をみせたのをみて、やはりきかなかったほうが良かったかと、些か後悔する。しかし、きいてしまったのだから後に引くつもりはない。喉に小骨がささったようなムズムズといた想いを抱えているのは、あまり気持ちのいいものではない。


「いや……べつに、隠すことでもないんだけど……なんというか、すごく僕が惨めになるから言わなかったんだけど……」

「惨め?」

「本当に、大したことじゃないんだ。……ただ、僕がジークに嫉妬しているだけだから」

「……嫉妬、」


 シルヴィオはへへ、と無理をしたように笑った。なんだかその表情は胸を締め付けるような、そんな哀れさを汲んでいて、目を逸らしたくなってしまう。


「前も言ったでしょ。僕は、クラインシュタイン家のなかでも落ちこぼれの魔術師だって」

「……」

「たくさん魔力を蓄えて、……それでも、僕は魔術を使いこなすことができないから、魔力は全くの無駄になってしまう。こんなに嫌な想いをして魔力を集めているというのに……。それなのに、……ジークは……僕の弟のジークは、魔術の天才だった」


 天才。そう言われて椛は気付く。昨日、ジークフリートは大広間にいる魔物をすべて相手にしたというのに、傷ひとつなく帰ってきた。そして、また天才であるというカイのつけた「毒の魔術」をあっさりと解いてしまった。

 天才――目の前に、天才の弟がいる兄の心境。それは、兄弟に劣等感を抱いたことのない椛でも感じ取ることができた。


「ジークフリートが魔術の才能を開花させたあたりから……親が僕を見る目が変わったのが手に取るようにわかった。もう、僕に魔術師としてまったく期待しなくなったのか、魔術を教えることもなくなった。ただ、魔術師の血を絶やさないように、魔力だけは集めろって……そういわれた。僕は魔術師としては必要ないって、暗に言われたんだ」

「……」

「そう……ジークフリートが魔術の才能を開花させたのは、あのとき……ずっとずっと、幼いときだ。知っているだろ、『良い魔法使いが悪い魔法使いを蛙にした』話。それ、ジークフリートがやったんだ。まだ、年端もいっていないころかな……アイゼンシュミット家のものたちに、その魔術をかけてみせた」

「……ジークって、……えっと……すごい、んですね」

「そう。あいつの側にいると鬱々としちゃって。僕のほうがお兄さんなのに、全然ダメで。ただの種馬としての役割しか、僕にはないんだ。ジークがこの国をまもる魔法使い――彼こそが本物の王様……でも、表にはでない。そして僕は、お飾りの王様……みんなから『王よ、』って讃えられる。先に生まれたからね」


 は、と自嘲するように笑ったシルヴィオの瞳は、辛そうに歪んでいた。


「で、でも……強いだけが王様に必要なことじゃないですよ……シルヴィオ様はみんなから慕われているじゃないですか……」

「……ありがとう。そうだね……僕は、ずっと――優しい人でありたい」

「……っ!」


 シルヴィオは追い詰められたような口調でそう言って……椛を抱き寄せた。一瞬何をされたわからなかった。なぜ、自分がシルヴィオに抱きしめられたのかがわからなかった。そして、次のシルヴィオの言葉は、余計に椛を混乱させるものだった。


「……僕は、君を見ていられない」

「……え?」

「そうだよ……強くなることなんて……そんなに、大切なことじゃない」


 どういうことだろう、「君をみていられない」ってなんだろう。震えながら椛を抱くシルヴィオの様子に、椛はたじろぐことしかできなかった。

 それからシルヴィオは何もいうことはなく、黙って椛の肩に顔を埋めていた。この抱擁は恋情のそれじゃない。それはなんとなく感じ取る。……じゃあ、なに? それが、まったくわからなかった。

 「これ以上のことを言うのは禁じられているんだ」シルヴィオのその言葉は――一体、なんの意味があるというのか。


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