アリスドラッグ | ナノ


▼ マスカレイド

 マスカレイド――年に一度の豪華絢爛な催しだ。三日間、派手な衣装に身を包み、仮面で顔を隠しながら踊りを嗜む。妖しくも輝かしいその舞踏会に参加した者は、皆魂を奪われたように幸せそうな顔をして帰ってゆくのだという。

 ジークフリートと結婚してから初の行事、椛は緊張していた。気楽に楽しめばいいとは言われていたものの、椛は社交的なほうではないし、踊りもわからない。王子の婚約者としての振る舞いについてもいくらか聞いてはいたが、自分にそれを実行できる自身がない。


「す、すごいですね……」


 そうこう悩んでいる間にも、そのときは訪れてしまった。次々と美しい衣装に身を包んだ人々が大広間に入ってくる。露出の多い衣装を身につけている女性も多く、慣れていない椛は視線を泳がせていた。仮面で顔を隠しているため、人々の表情はわからない。まるで人ではないようなその風貌はどこか不気味で、落ち着かなかった。


「まあ、かたくならないでくれ。簡単に挨拶をすませたら、シンデレラも他の人たちに混ざって舞踏会を楽しめばいい。仮面をつけている今日は、身分もなにも関係ないから」

「はい……がんばります」

「がんばるところじゃないさ! 気を楽に」


 ジークフリートも仮面で表情は見えなかったが、その聞き慣れた声に、なんとなく椛は安心した。壇上に立って挨拶を初めた彼を見つめ、椛は心を落ち着けようと深呼吸をする。

 きらきらとしたシャンデリア、真っ赤な絨毯。何度見ても、自分にはそぐわないと思ってしまうような、まばゆい装飾の大広間。流れる音楽は来客者と同じように仮面をかぶった奏者によるもの。磨かれたヴァイオリンやクラリネット……光を反射し輝く楽器を、ジークフリートの言葉のを飾るように静かに奏でていた。

 非現実的だな、椛はそう思った。きっとここにきている人たちは、そうした雰囲気を楽しむのだろう。現実を忘れ享楽に耽ることのできる、マスカレイドで。仮面をかぶった今なら、自分もこの内気な心を捨てて注目をあびるプリンセスを演じることができるだろうか……生まれ出る淡い期待に、椛は自嘲する。無理だ。それに、万人から愛されずとも、大好きな人が愛してくれる。

 今日はこの景色を楽しむくらいにして、自分は隅のほうで美味しいドリンクでも飲んでいようか……


「シンデレラ! そろそろダンスが始まる。俺はあそこにいる支援してくれた人と話があるから、シンデレラはシンデレラで楽しんでいてくれないか。ちょっと難しい話をするから俺のそばにいても息が詰まってしまうだろうし」

「はい、わかりました」

「疲れたらあそこにあるドリンクでも飲んでいてくれ。はじめて会ったとき、ぶどうジュースを持っていただろう? 同じものもあるからな」

「……そんなことも覚えているんですか?」

「一目惚れしたときのイメージっていうのは頭から離れないものさ」


 わざとらしくウインクをしてきたジークフリートに、椛は照れ笑いを返した。去って行く彼の背中をみつめ一息つくと、椛はさっそくドリンクのあるところへ向かう。疲れたら、とは言われたが椛は終始ここで皆のダンスを眺めているつもりだったのだから。

 大広間の照明がおち、赤いライトが光り出す。流れている音楽は明るい曲調のものから仄暗いワルツのようなものへ。

 ずいぶんとおどろおどろしいな……と椛は引け目を感じてしまう。ジークフリートはすでに違う部屋にいってしまったのか姿は見当たらない。これは隅のほうでこうしてぶどうジュースを飲んでるのが正解かな、なんて椛は思ってしまった。

 仮面を身につけた男女がペアを組み、踊り始める。雰囲気こそは不気味だが、やはり美しい光景だった。金をあしらった仮面は赤いライトをうけてゆらゆらと淫靡に煌き、女性のドレスのレースはふわりと舞い、男性のスラリとしたシルエットが散漫した色をしめる。

 見ているだけならなかなかにいいものだな、と椛はぶどうジュースに口をつけた。甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がって、アルコールがはいっているわけでもないのに頭がふわふわとしてくる。これまでに飲んだことがないくらいに美味しいドリンクだ。


「やっぱりカイにもきて欲しかったな……」


 主催者であるジークフリートが踊りにあまり参加しない、つまり、もしもカイがきていたら彼と一緒にあのダンスに混ざっていたかもしれない。綺麗なスタイルと顔をもっている彼なら、きっと派手な仮面舞踏会の衣装も似合うだろう。

 ……ぼんやりと他の人たちのダンスを眺めるだけの椛の頭の中には、いろんなものが浮かんでいた。



「……?」



 しばらく、そうしていろいろと考えながらダンスを見ていた椛は、会場の雰囲気がどこか変わったことを感じ取る。それは、楽団の演奏する曲が変わったときのことだ。

 ダンスを踊っていた男女の絡みが、過剰になる。とあるペアは男性が唇を女性の首筋に這わせていて、とあるペアは男性の脚が女性の股間に差し入れられて。たしかにダンスは密着度が高いものではあるが……ここまでするだろうか。どこか卑猥な光景に椛は思わず顔を逸らした。部屋が全体的に暗く、気分が盛り上がってああしたことを始めてしまったのだろう、そう思って見て見ないふりをした。

 しかし。


「あぁ……ん……」

「っ!?」


 テーブルに手をついてグラスに口を付けていた椛のすぐ横で、嬌声のようなものが。ぎょっとして声のしたほうをみれば、テーブルに座った女性のスカートの中に男性が入り込んでいる。脚の付け根のあたりでドレスのもりあがりはもぞもぞと動き、その度に女性が仰け反って薄く開いた唇から甘い声を漏らす。


(え、……えっ!?)


 ぱっと再び広間に目を移せば、そうした行為をしている男女がたくさんいた。壁に寄りかかった女性の胸をドレスの上からもんでいる男性、キスをしている男女。


(いやいやいや、これはやりすぎじゃあ……)


 一体どんなつもりで皆こんなことをしているんだ……そう思って椛が楽団のほうを見てみれば、彼らは仮面で覆われていない口元をぴくりとも動かさずに黙々と演奏を続行している。大広間に次第に溢れてゆく、喘ぎ声。淫らな空気。

 おかしい、なにかがおかしい。


「そこの君」


 一人の男に声をかけれられ、椛は冷や汗を流した。恐る恐る男のほうをみてば、口元が優しそうに微笑んでいる。もちろん知らない人だ、胸がざわめく。


「君も僕といっしょに踊りませんか?」

「……っ、い、いえ……僕は、遠慮しておきます」


 この状況で「踊る」という言葉は淫行のことを差す、それを察した椛は彼から逃げるように一歩、踏み出した。冗談じゃない、こんな人前で、知らない人と、どうしてそんなことをしなくちゃいけないんだ……なんで皆平然とそんなことをやっているんだ。異常な空気に恐怖を覚えた椛は、早くこの大広間をでなければという焦燥に駆られた。


 しかし。



「待ちなさい……一度、溺れてみましょう、そうすれば堕ちることができますよ」

「な、何を言ってるんですか……こないでください、僕はいいです!」

「待ちなさいって」

「――ッ!」



 彼に背を向けようとした瞬間、腕を捕まれテーブルに押し倒された。ガシャン、と激しい音をたててドリンクが落ちてゆく。それなのに、誰一人見向きもしない。

 どういうことだ、何かが変だ、狂っている――



「ひっ……!」



 男が椛の首に結ばれたスカーフを解いて床に投げ捨てる。シャツのボタンもあっさりと外してしまうと、現れた首筋に噛み付くようにキスをした。



「あっ……!?」



 ぐらっと視界が歪む。それと同時に、一気に体の中に熱が湧き上がってきた。急な自分の身体の変化に戸惑い、椛は恐ろしくなって身動きが取れなかった。この男を押しのけなければ……そう思うのに、腕が動かない。



「待っ……! やめ、……」



 シャツを剥がれ、肌が空気に晒される。もはやなにが起こっているのかわからなかった。狂気しか感じさせないこの空間に、頭はすっかり侵されていて、今自分がおかれている状況の異常さすらもぼやけてゆく。



「ダンスには、女役が必要なんです」

「や、やだ……」

「君に、オンナになって欲しい」

「っ……」



 仮面の奥の瞳が、紅く光ったような気がした。ゾクゾクッと身体に走った悪寒。そして訪れる……身体の変化。

 なんだか、胸がむずむずとする。空気が乳頭を撫ぜるとびりびりと静かに痺れが生まれてくる。



「触って欲しいですか?」

「……なにを、したんですか……?」

「ふふ」

「あ、ちょっ……、あ、あぁっ、ん……!」



 にやりと笑った男は、椛の両の乳首をきゅうっとつまみ上げた。その瞬間、恐ろしいほどの快楽が襲ってきて、椛はぐっとのけぞりながら嬌声をあげてしまう。

 ぬる、急に触られているところにぬめりけを感じて、椛は恐る恐る自分の胸元をみる。摘ままれた乳首のさきから、乳白色の液体が少しだけ溢れていて、胸元を濡らしている。まるで、赤子に飲ませる母乳のように。



「なん、で……? 今まで、こんな……」

「ほら、もっとおっぱいをおくれ」

「ひ、あぁあっ……!」



 おかしい、おかしいおかしいおかしい! ありえない、何の前触れもなく、こんな、急に……!

 やわやわと平らな胸を揉まれれば、じわじわと迫り来る快楽。男が乳首を摘まむ指先に力をこめると、ピン、と鋭い電流が身体を貫き、そして乳首のさきからぴゅうっとそれがでる。胸元が自分の……自分の、母乳に濡れているなんて信じたくない、怖い。自分の身体におこっている不可思議な現象に椛は恐怖を抱いたが、それでも快楽はとまらない。胸を責められつづけて、椛は身体をくねらせながら喘ぎ続ける。



「やぁあ……だめぇ、やめてぇ……あ、あぁ……」

「気持ちいいでしょう、オンナの身体、気持ちいいでしょう?」

「きもち、くない、よぉ……あぁあ、やだ……ふ、ぁあん……」



 びくん、と身体が跳ねれば同時に母乳が飛び出す。ぎゅううっと根元から引っ張られぷっくりと腫れ上がった乳首は、とめどなくそれを噴出し続けた。



「ひ、あ、ぁ……で、ちゃう……やだ、ぁあ……」



 抗うことのできない快楽に、椛はぐったりとテーブルに身を預けながらよがることしかできなかった。下腹部のあたりが湿っぽい、いつのまにか絶頂に達して射精までしていたようだ。乳首を引っ張られるたびに母乳を拭きながらイッて……何度も何度もイッて、もう気がおかしくなってしまうくらいの快楽の地獄だった。

 思考を手放した脳は、この大広間に何が起こっているのか考えることができない。回りからも同じように常軌を逸したほどの激しい喘ぎ声が聞こえ始めている。ギシギシと耳障りなテーブルの軋み音に椛がゆっくりと目だけを動かして横をみれば、そこにいた男女がひとつになって腰を振っていた。綺麗にアレンジされていた女の髪が激しく乱れている。



「やあ」

「……ッ!?」



 そうやって朦朧とした意識のなか隣の男女をみていた椛の視界いっぱいに、新たな仮面がひろがった。ぬっ、と突然現れた男に椛の全身の肌が粟立つ。



「楽しそうだね、僕もまぜてよ」

「今私がお楽しみ中なんですが……?」

「イイジャン! 二人で愉しめば愉しさ二倍! ネ?」



 椛の胸を弄っている男にむかってその男はひょうきんに話しかけている。首をかくかくと忙しなく動かしているその姿は、まるで人間でないようで……心底不気味である。ぼんやりと椛が二人の会話しているところをみつめていると……突然、ぐりんとその男の首は回転し椛の方をみつめ、唇をにいっと歪ませて言う。



「ヤッター! 僕もまぜてくれるって!」

「……な、」



 ぽろり、不気味な男の仮面がおちた。仮面の下は悍ましいほどに整った顔立ちをしていた――が、目玉がぐりぐりと不規則に動いていて気味が悪い。そして、ぱかりと開かれた口からでてきた舌が、恐ろしいことにずるずるとどこまでも伸びていき、床に達してしまった。男の指が段々と長くなっていって、体がぼこぼこと膨れ上がって、最終的には巨大なタコのような化物に変化してしまう。


「……ッ」



 ――人間じゃない。恐ろしさを覚えるよりも混乱してしまった椛を、化物はその長い触手で縛り上げる。



「貴様ァ! それでは僕が触れないだろうが!」

「もう十分キミは愉しんだでショ! 次は僕の番!」

「ふざけるなァ!」



 先ほどまで椛を辱めていた男も、口がどんどん裂けていって体が膨張していって、醜い恐竜のような姿になってしまう。ここにいる者たちは人間じゃない……!? 触手に拘束されながらさっと辺りを見渡した椛は、そこに広がっていた光景に愕然とする。たくさんの男女が情を交えていたはずの大広間――そこにあったのは、人間が化物に犯されている光景。男女のどちらか一方が化物に変化し、相手を襲っているのである。しかし襲われている人間は恐怖に震えるわけでもなく、顔を蕩けさせて快楽に耽っている。

 一体この広間で何が起きているというのか……今の椛にそんなことを考える余裕などなかった。絡まった触手に衣服を全て剥ぎ取られ、全身を愛撫される。薄気味悪い化物に脳は拒絶反応を起こしているというのに、なぜか身体は異常に感じてしう。ぬめりけのある触手に身体を撫でられるたびに、甘い声が唇からこぼれてしまう。



「あぁあっ……そこ、だめぇ……!」



 一番細い触手が起用に乳首に巻きついてくる。きゅうっと引っ張られながら締め上げられると母乳か飛び出した。あまりの気持ち良さに椛がのけぞれば、ぷるんと存在を主張したペニスに触手が絡みついてきて、ずるずるとしごいてくる。さらに、脚を無理矢理大きくエム字型に開かれて、丸見えになったアナルに触手が入り込む。ずぶずぶと遠慮なく入り込んだ触手は前立腺をごりごりと弄りながら、なかでばたばたと暴れまわる。



「はぁん、だめぇ、やぁあ、そこ、だめぇ……」



 びくん、びくん。イッてもイッても触手は無慈悲に責め立ててくる。体中が熱くて仕方なくて、気持ち良くて、とろとろになってしまう。くちゅくちゅと全身を愛され、どこを触られても敏感に反応してしまって。



「あぁん、いっちゃうよ、ぉ……はぁ、あ……きもち、いい……やぁ……」



 理性が破壊されるのに、時間はかからなかった。



「うう……!?」



 なかにはいっている触手が何かを吐き出した。ごろごろとした感触に椛はぽやんと何をされたのだと疑問に思ったが、抵抗する気にもなれない。お腹がいっぱいで苦しくなってきても、身体を愛撫され続けて、甘い声が溢れだすのを止められなかった。気持ち悪くて、嫌で仕方なかったはずなのに、今はもっともっと欲しいと思ってしまう。椛もいつの間にかこの会場の狂気の仲間入りをしてしまっていたのだ。ただ快楽を貪る、狂気の集団に。



「イッパイ! イッパイ産みつけたヨ! 卵!」

「それはダメだといっただろう、この少年は「皆」で食うんですよ」

「エエ―! でももうヤッチャッタ!」

「出せ! 出させろ!」



 先に椛を辱めていた化物が触手によじ登ってくる。そうすれば触手の化物は「うう、」と唸って大人しく椛のアナルから触手を抜いた。



「ほら、少年……中にいれられたもの、出しましょうね」

「はぅ……」



 胸に絡みついている触手をどけて、大きな手でまた乳首をつまむ。もう嬲られてすっかり腫れ上がったそこにはちょっとした刺激でも強烈だ。触れられただけでイッてしまいそうになる。



「ほら、中を締め付けてくださいね」

「あっ……や、やぁッ……! だめ、やだ……、あぁあっ!」

「中の物、出して」

「ひっぱるの、だめぇっ……あっ、でちゃう、……いや、でちゃ……」



 ぎゅっと強く摘まれ、椛は自分でもなかが締まったのを感じた。そうすれば中にいれられた物が押し出され、外に出ようとする。急な排泄感に不快を覚え、抵抗するも、怪物は手をとめようとしない。容赦なく刺激を強めていく。



「あっ、あっ……あー……! あ、ッ……! だめぇ、あー……! でる、でちゃう、あぁああぁ……!」
 


 ぴゅーっ、と母乳が飛び出すと同時に、椛のアナルから小さな卵がひとつ、でてくる。がたがたと震える椛の身体は既に限界まで達していて、快楽に抗うことは不可能だった。虚ろな瞳から涙をぽろぽろと流しながら、ひとつ、またひとつと卵を排出してゆく。

 言いようのない快楽に、椛は意識が飛んでいってしまいそうになった。唇の端からは唾液が零れ、自分でも何を言っているのかわからないほどに椛は嬌声をあげ続けた。いつの間にか他の化物も椛の周囲に集まってきて、椛が卵を吐き出すところをまじまじと見つめている。大勢の前で、大股を開いて、アナルから物を出すというとてつもない羞恥心も、今の椛にはあまり感じなかった。

 しばらくの後、全ての卵を出し終えると化物がぐっと椛のアナルを開いて中を覗きこむようにする。たくさんの物をつめ込まれ、それを出し終えたそこは、ぱくぱくと余韻に疼いていた。ピンク色の肉壁がみえるくらいにぽっかりとそこは開いてしまっている。



「このくらい柔らかくなったら僕のも入りそうだな」

「いいや待て、俺にもヤらせてくれよ」

「いやいや、私がしたい」



 触手に縛り上げられた椛を求め、集まってきた化物たちがにじり寄ってくる。ずるずると触手をよじ登って息を荒く迫ってきても、今の椛は恐怖心を抱かなかった。ただ新たなる快楽への期待に胸が膨らんでいた。

 広間に蔓延する狂気にすっかり飲み込まれた椛は、淫乱と化していた。相手が化物であっても、自分に婚約者がいようとも……身体も心も快楽を欲してしまう。襲い掛かってくる化物たち、それら全員に輪姦されるという未来に、椛は興奮してしまっていた。



「――ッ!?」



 しかし、ある化物の手が椛に触れようとしたその瞬間――一筋の光が椛を絡めとる触手を断った。触手で縛り上げられていた椛はそのまま床に落下してしまう。そして、化物たちが何事かと驚いたその刹那、突然吹いた突風に化物たちはふっ飛ばされた。



「な、なんだァ!?」



 化物たちと、開放された椛が風の吹いてきた方を見ると……そこには、一人の青年。マスカレイドの参加客と同じように仮面を被っていて顔はわからない。



「失せろ。黙ってここから消えるなら、俺はおまえたちに手出しはしない」



 ぼうっと意識が定まらない椛に、その声は殆ど聞こえなかった。ぐらぐらと揺れる視界のなか、自分の前に立ち、化物たちに冷たくそう言い放った青年が一体誰なのか……わからない。



「なんだ、おまえ……魔術師か」

「ちょっと魔術を使えるくらいで俺たちにたてつくか……! 人間の使う魔術なんてたかが知れているってその身に教えこんでやろうか!」



 野次を飛ばす化物たちのうち誰かが、脅しのように火の玉を青年に向かって吐き出す。その軌道を読み取ったのか、青年は動かなかった。火の玉は直撃はしなかった。火の玉は青年の仮面を勢い良く掠め――仮面が、弾き飛ばされる。



「あ……」



 先に声をあげたのは、椛だった。仮面の下の青年の素顔。もう随分と知った顔だ。銀色の髪、蒼い瞳――魔法使い・カイ。「来ない」そう言っていたはずのカイが、今ここに、なぜか来ている。衝動のままに彼の名を呼びたくなった、しかし散々嬲られた椛は、上手く声をだすことができなかった。ただわけもわからず涙を流すことしかできなかった。



「椛」

「……か、……い」

「出るぞ、この城から」



 恐ろしく冷たい目。悍ましいほどの怒りを抑えこんだ、静かなその瞳に、椛は寒気を覚えた。彼はこんな表情をする人だったのか――いつも飄々としていた、あのカイの姿を忘れてしまうくらいに、今のカイの表情は冷め切っていた。

 カイがしゃがみこみ、椛を抱きかかえようとする。しかしそのとき、一匹の化物が襲いかかってきた。椛ははっと息を呑み、カイに「危ない」と知らせようとした。しかし声がでない。



(カイ……カイ、よけて、危ない……!)

「ぎゃあッ!」



 突然、閃光が走る。光が落ち着いて、その場にいた者がみたのは……半身が吹き飛び、醜い叫び声をあげる化物がバタバタと暴れまわっている、そんな光景。息を呑み、化物たちが恐る恐るカイを見つめれば、カイは氷のような声で言う。



「……二回は言わない」

「――貴様!」



 仲間を傷つけられ激情した化物たちが、一斉にカイに襲いかかった。ちらりと煩わしそうに目を細めたカイは立ち上がり、化物たちに向き直る。そして、ピ、と真っ直ぐに杖を化物に向け――



「あぁああぁあ!!」



 化物たちの体が一気に崩れ落ちる。血反吐を吐き、臓物をまき散らしながら化物たちが倒れていくその様子はまさに地獄絵図。広間の絨毯に、赤黒い血が大量に染みてゆく。



「どういうことだ……なんで、こんな魔術を……!」

「貴様、名を名乗れ……! 人間のくせにこんな魔術を使うなんて……ありえない!」



 瀕死の状態ながらも化物たちは、自分たちをここまで追い詰めた男の正体が気になったようだった。ブルブルと体を震わせながら自分を見上げてくる化物たちに、カイは静かに歩みよると……静かな声色で名乗る。



「……カイ・アイゼンシュミット」

「え……?」



 淡々と告げられたその名に――化物たちは皆、固まった。しばらく狼狽えたように黙っていたが、やがて一匹の化物が叫ぶ。



「う、嘘をつくな! アイゼンシュミット家はたしか――」

「――シンデレラ!」



 化物が何かを言いかけた、そのとき。椛を呼ぶ声が響く。慌てた様子で兵士を連れて奥のほうから駆けてきたのは――ジークフリートだった。椛は安心したようにほっとため息をついたが、それとは裏腹に、カイは顔を引き攣らせる。



「その男に近づくな!」

「え……?」



 ジークフリートは椛に駆け寄ると、ぐったりとしたその体を抱き寄せ、カイを睨み上げた。後ろからやってきた兵士たちは椛とジークフリートの前に立ちはだかるように並び、カイに剣を向ける。



「ジーク……? カイは、悪い人、じゃ、な……」

「シンデレラ、おまえいつの間にその男に誑かされていたんだ……! その男は忌まわしき……アイゼンシュミット家の魔術師だぞ……!」

「……?」



 カイを擁護しようとする椛に、ジークフリートは必死になって諭す。しかし、「アイゼンシュミット家の魔術師」と言われても椛にはなんのことだかさっぱりわからない。怪訝な顔をした椛に、ジークフリートは静かに説明を始めた。



「……シンデレラ。「良い魔法使いが悪い魔法使いを蛙にした」という話は聞いたことある?」

「……は、い」

「「良い魔法使い」が俺たちクラインシュタイン家――そして、「悪い魔法使い」がカイ……あいつの、アイゼンシュミット家だ」

「は……?」



 一瞬椛は何を言われたのかわからなかった。何度か聞いたことのあるその話の「悪い魔法使い」がカイだって? カイが一度でも「悪い魔法」を使ったことがあるか。いや、ない。ジークフリートの言葉がどうしても信じることができず、椛がちらりとカイの顔を伺えば、カイは何も言葉を発しようとしなかった。否定をしようとしなかった。……カイの沈黙は、ジークフリートの言葉の「肯定」を意味していた。



「で、でも……その、悪い魔法使いは、蛙になったんじゃ……」

「効かなかったんだよ、カイだけ、その魔術が。……カイは、アイゼンシュミット家誕生以来の天才と言われている魔術師だ。その魔術を相殺することも、難しくなかったんだろうな」



 嘘でしょう、お願いだから嘘だと言って欲しい。心が震えるほどの感動的な奇跡をみせてくれたでしょう、楽しい時間を一緒にすごしたでしょう。縋りつくような椛の視線にも、カイは黙ったまま。やがて逸らされた目に、椛は何よりのショックを受けてしまった。




「……か、い……どうして、今まで僕にあんなに優しく……」

「……俺は――ッう、」



 椛の震える声で投げかけられた問いに、カイは答えることができなかった。突然ガクリと座り込み、咳き込み始めたのだ。魔力を使いすぎたからだ、そう気づいた椛は彼に駆け寄りたくなったがら体が動かない。……そもそも動くことができたところで自分はカイの側へ行っただろうか。自分を裏切った、彼のもとに。

 まだカイが何を思って自分に近付いたのかは全く謎だ。しかし、歴史に葬られた「悪い魔法使い」であることを一切否定しなかったカイを信用しろと言われても難しいものがある。



「カイ……どうしておまえが今の今まで命を保っていられたのか、俺は不思議で仕方が無い」



 動けない椛の代わりに、ジークフリートが前へでる。苦しそうに咳を続けるカイの目線に合わせるように自らもしゃがみ、ジロリと睨みつける。



「蛙にはなりはしなかったが……半分はあの魔術が効いているはずだ」

「……」

「……どんな姑息な手を使った?」



 終いには口から血まで吐き出したカイは、青ざめた顔でいる。ジークフリートを睨みあげ、何かを言おうとしていたが……また、咳き込んでしまいそれはかなわない。



「……こいつを連れて行け。地下二階の牢だ」



 ジークフリートは兵士たちに、黙り込んでしまったカイを捕らえるように命じた。魔法使いだからと慎重に兵士たちはカイに近付いたが、カイは特に抵抗をみせることなく、素直に兵士たちに応じる。



「あ、あの……」

「シンデレラ、君も体を休めよう。……きっと、たくさんの人の気配に惹かれて魔物がやってきたんだ、あとは俺が始末しておく」



 ジークフリートは大広間の異常な光景をちらりと横目でみると、そう言った。椛も兵士たちに抱えられ、別室へ連れていかれる。

 ――そのとき。



「あっ……!」



 兵士をの手を振りほどいてカイが椛のほうへふらふらと駆けてきた。は、と目を瞠る椛に、カイは何も言うことをなく、勢い良く手首を掴む。



「い、痛……!」

「おい、貴様!」



 バチ、と何か強い衝撃が手首に走り、椛は顔をしかめた。慌てた兵士が再びカイを捕らえて引きずるように連れて行く。椛は何をされたのかと自分の手首をみてみたが、特に痕が残っているというわけでもなく……。

 椛は様々なことが一気に起こりすぎてただただ混乱していた。兵士を引き連れながら広間の化物たちを見据えるジークフリートが心配でたまらなかったが、早く体を洗って横になってしまいたかった。何も考えたくない。

 気だるさでいっぱいの椛は、兵士に抱えられ体を揺られ移動しているうちに、意識を手放してしまった。


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