▼ 魔術師2
やはり外は少し寒い。椛は羽織ったローブを胸元できゅっと握りしめ、教会の扉に触れる。近くに来てみるとその荘厳さをひしひしと感じ取れる。空を突くのではないかというくらいに高くそびえ立つ円錐状の屋根、立派な装飾をほどこした外観。ゾクゾクと全身に鳥肌がたったのは、気温の低さだけが原因ではないだろう。
ゆっくりと扉をおして、なかに入る。重々しい音をたてて扉は開き、少し埃っぽい臭いが鼻をかすめた。しかしそれは不快ではなく、むしろこの教会の由緒正しさを感じさせ、心地よい。
「あ……」
中へ一歩足を踏み入れた椛は、少し驚いて声をあげてしまった。……先客がいる。ステンドグラスをバックに立つ聖母の像に祈りを捧ぐようにして座り込んでいる男が、一人。こんな朝から祈りを捧げるなんて……自分の神への信仰の浅さを少し反省しながら、椛はゆっくりと彼に近づいてゆく。
「君は……」
「あ、貴方は……」
男は椛に気づき、振り向いた。揺れた金髪、グリーンの瞳……男は、第一王子・シルヴィオだった。シルヴィオはどこか憂いげに揺れる瞳に椛を映し、そしてハと気付いたように瞬きをする。
「たしか、シンデレラ。ジークの結婚相手だね。どうしたの、式を前に神様に祈りを捧げにきた?」
「そ、そんなところです……」
まさかこんなところでシルヴィオと会うとは思わず、椛はしどろもどろとしてしまった。近くで見てみると、遠目で見たときよりもよっぽど眩く、緊張してしまう。
椛は恐る恐るシルヴィオの隣に座り込み、彼のポーズを真似してみる。祈り方などよく知らない椛は、シルヴィオの手前、格好だけでも神に祈っておこうと思ったのである。
「あの……シルヴィオ様は、いつもこうして朝早くここで祈っているんですか?」
祝詞をのべるわけでもなく黙って手を合わせ俯いているシルヴィオに、なんとなく、椛は尋ねてみた。そうすると彼はゆらりと椛のほうを見つめる。
こうしてよく見てみれば、シルヴィオはたしかに整った容赦はしているのだが、弟であるジークフリートよりも華奢で、顔はどこかやつれている。どことなく陰鬱な雰囲気を漂わせる彼は、じっと隣に座ってみつめていると吸い込まれてしまいそうになる。
女性は彼のそんなところもまた素敵だと思うのだろうか……威風堂々としたジークフリートをずっと見てきた椛は、そんなシルヴィオを見て魅力的と感じるよりも先に、心配になってしまった。……なんというか、覇気がない。
「そうだね……いつも僕は、朝ここでこうしている。でも……祈っているわけではない」
「……じゃあ、なにをしているんですか?」
「……懺悔をしている」
はあ、とため息をついてシルヴィオは再びうつむいた。 美貌をもつ彼がそうしていれば絵にはなるが、やはりただならぬ様子に椛は不安を覚える。懺悔をしているということは、何か罪をおかしているということ。国の王子が一体なにをしたというのか。
「ああ、君も僕の家に籍をいれるんだから……知っておいてもいいかもしれないね。君には直接関わりないから知らなくてもいいことではあるんだけど……ジークから、クラインシュタイン家のことはなにか聞いている?」
「い、いえ……」
「そう……まあ、ジークも君に余計な気をつかわせたくなかったのかもしれないけど……やはり、知っておいたほうがいい」
王家・クラインシュタイン。なにか秘密でもあるのだろうか……とくに悪い噂もきいたことのない椛は、不信を抱くこともなく静かにシルヴィオの話に耳をかたむける。シルヴィオは一旦間をおいたかと思うと、やがて重い口をひらく、といった様子で言った。
「……クラインシュタイン家はね、魔術師の家系なんだ」
「魔術師……」
魔術師……言葉が違うだけでおそらくカイと同じ魔法使いだ、そう椛は捉えた。つまりクラインシュタイン家の人々は魔術がつかえる、そういうこと。カイだけが使えると思っていたそれを、他にも使える人がいたということに、椛はただただ驚いた。
「『良い魔法使いが悪い魔法使いをカエルにした』って話はきいたことあるだろう? その『良い魔法使い』っていうのが僕たちクラインシュタイン家なんだ」
「え、すごいじゃないですか……!」
「まあ、僕はそのときずっと子供だったから関わっていなかったけど……僕の家の者がやった。昔からクラインシュタイン家は魔術師としてその界隈では有名だったんだよ」
いつかアンナからきいた悪い魔法使いを退治した魔法使いの血筋が、まさか目の前にいる人なんて……椛は小さな感動を覚えた。伝説とかお伽話のようにとらえていたから、まさか本当に存在するとは思っていなかったのだ。
そこまで聞いて、椛はとあることに気付く。
「え、じゃあ……ジークも魔法、使えるんですか……?」
「あ、ああ……うん、そうだね、ジークも……」
言葉を濁しながらもシルヴィオは椛の問を肯定した。椛はそこで、ひとつのちょっとした疑問の答を得る。
椛が身につけたときのみ光る蒼いブローチ。そんな不可思議なものをみてもジークフリートがほとんど驚かなかったのは、自身もそうした術を使えるからだったのだ。
それはすごい、あんな美しい術をつかえるなんて……なぜ、彼は隠していたんだろう、椛のなかに新たな疑問が生まれる。椛に余計な気をつかわせたくない、とはいってもそんな素晴らしいものを知ったなら、ただ椛は感動するだけのはずなのに。
「魔法……つかえるなんて、すごいですね……! ジークもはやく教えてくれればよかったのに」
「……いや、僕たちの使う魔術なんて……そんな素晴らしいものじゃないさ」
「え?」
ゆら、シルヴィオの手にかかるロザリオがゆれる。ところどころ錆びたそれは、少々古いものにみえた。シルヴィオはよっぽど前からこの教会に通い、こうして「懺悔」をしているのだろうか……
「魔力の源ってなんだか知っているかい?」
「いえ……僕は全然そうしたものに詳しくないので」
「魔力はね……イコール生気だといってもいい」
「生気?」
「人の命さ」
え? と椛は目を瞠った。人の命が魔力だということは?
「僕たちは、他人の命を奪って魔術を使っている」
「え、命、って……え? 人を殺し……」
「いや、そうではないんだ」
シルヴィオの言葉に椛は驚いてしまった。まさか、魔術というものが人の命を使うものだとは思わなかった。人を殺しているのではないとしたら、一体どうしているというのだろう? シルヴィオが毎日懺悔している理由は?
「魔術師は性的な接触をすることで相手から生気を奪うことができる。もちろん、そうしたふれあいをすれば否応無く生気を吸い取ってしまうというわけではないよ。ちゃんとそうした術式を組んでから行為をすることでそれが叶う。……生気を奪うということは、寿命を少しだけもらうってことなんだよね」
「え……」
「僕は結構な頻度で舞踏会をひらいているだろう。あのとき出逢った人から少しだけ、生気をもらっているんだよね。特定の人から毎回もらうわけにもいかないから、ああして」
椛はシルヴィオの告白に唖然とした。よく見てみれば、ロザリオを握るシルヴィオの手は小さく震えている。
「僕は……クラインシュタイン家のなかでも魔術師としては劣る人間で……ああして何度も何度も魔力をもらわないとろくに魔術をつかうこともできない。世継ぎを産まなくちゃいけない僕は、魔術師の血を絶やさないためにも……これをやめるわけにいかないんだ」
シルヴィオがやつれ気味で、どこか陰鬱な雰囲気を漂わせている原因はこれか……椛はそう悟る。
魔術師の家系に生まれた彼は、自身は魔術の才能があまりないにも関わらず、血筋を絶やさないためにも人から寿命を奪い続けなければいけない。もともと優しい性格をしている彼にとってそれはひどく辛いことであり、こうして毎日懺悔をし、体に支障をきたすほどに苦しいことなのだ。
その立場にたっているわけではない椛は、正直彼の気持ちはよくわからない。しかし、彼から溢れ出る鬱屈とした空気は椛の不安を煽る。このまま放っておけば彼が壊れてしまうのではないかと。
「……誰にも、言えないんですよね。このこと」
「ああ……僕の家族に、僕がクラインシュタイン家の魔術をあまり良く思っていないことを悟られるわけにはいかない。だって、たしかにクラインシュタイン家の魔術は人の生気を使うものではあるけれど……魔術を極めるのは国を守るためだ、王子である僕がそれに反発をもつわけにはいかないんだ」
「……僕でよければ、辛いこと、僕に言ってください。少しは吐き出したほうがすっきりするでしょう?」
「……ありがとう」
椛の言葉に、シルヴィオは少しだけ安心したような顔をする。解決には全く至っていないが、なんとなく、椛もほっとした。
「そういえば……クラインシュタイン家の魔術が他人との性交渉を必要とするなら……ジークも?」
シルヴィオの表情が少し和らいだところで、椛は気になっていたことを聞いてみた。もしかしたら、ジークフリートもシルヴィオがひらく舞踏会に参加して、魔力を得ていたのかもしれない……それなら、これから自分と結婚する彼は、どうするつもりなのかと、気になったのだ。
「ああ……ジークはいいんだ、あいつは」
「どうしてですか?」
「彼は僕と違ってそんなふうにちまちまと魔力を集める必要がない……僕と違って」
シルヴィオの表情が陰る。先ほども思ったが、シルヴィオはジークフリートの話となると言葉を濁し表情に影を落とす。
もしや兄弟は不仲なのだろうか……そんなことを思って椛はそれ以上ジークフリートのことを追求しないようにした。気になっていた、他人との性交渉について、ジークフリートは必要ないとのことだそうで、椛も一安心した。
「ああ……ごめん、君の祈りの邪魔をしちゃったかな」
「あ、いえ……僕はただ、この教会に入ってみたいと思っていただけなので……」
「そうか。じゃあそろそろ……ジークのところに戻るといいよ。式の準備も必要だろ?」
「は、はい!」
シルヴィオがたちあがり、椛の手を引いた。服の裾から飛び出した彼の手首は細く、椛に不健康な印象を与えた。想像していたよりも難しい問題を抱える王家に嫁ぐことに、椛は全く不安を覚えなかったわけではなかった。
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