▼ 正体1
あの舞踏会から数日。いつものようにひと通り掃除を終わらせて自室で休憩をしていた椛は、なにやら外が騒がしいことに気付く。扉に耳をあててリビングから聞こえる声を聞いてみると、継母とジェシカが猫なで声を使って誰かに話しかけている。注意をこらしていると「王子」という単語が聞こえてきて、椛は驚いてしまった。まさか、王子がこの家にきているというのだろうか……
「……!」
窓を少しだけあけて外を覗くと、派手な馬車がとまっていた。兵隊が馬車の側で待機していて――決まりだ、なぜか王子がこの家にきている。
しかし、椛は王子に会いたいと特に思わなかった。自分のようなみすぼらしい少年が王子の前にでていったところで何にもならないし、それに椛が今会いたいと思うのはジークという男だけだった。他の男には興味がない。舞踏会が終わってからもずっと、椛はジークのことだけを想い続けた。あの蜜夜のことを思い出すと、今でも身体の内側から熱くなってくるようだった。
この場は大人しく部屋に篭って知らないふりをしよう……そう思って椛は息をひそめる。しかし、そんな椛の考えを無駄にするように、継母の呼びかける声が聞こえてきた。
「シンデレラ……シンデレラ、ちょっときなさい」
「えっ……」
「不思議なブローチが似合う人を探しているんだって。悪いけど、でてきてもらえるかしら」
王子の手前だからだろうか、普段よりも優しい口調で継母は椛を呼んだ。不思議なブローチ、と聞いて椛の胸はざわめく。まさか、あのブローチのことだろうか……城に落としてきたのだから、王子が拾ってくれたとしてもおかしくはない。一目みただけだがシルヴィオ王子は随分と優しそうな顔をしていた、わざわざ落とし主を探してくれているのかもしれない。
あのブローチは本当にお気に入りだった、また自分の胸につけられる……嬉しさにとくんと胸が高鳴る。扉をあけて王子の前に出て行こう……そう思って椛がドアノブに手をかけたとき。
「まて、いくな……!」
突然、ぐっと後ろから腕を掴まれた。この部屋には自分しかいないはず……驚いて椛が振り返るとそこにはーー焦った様子のカイが立っていた。
「カイ……!? どうやってここに入ったんですか……!?」
「そこの窓からだよ……それより、」
そこの窓、といってカイはいつも夜空を見上げる時につかっているベッドの上の窓を指差す。嘘だろう、その窓を見た瞬間に椛は思った。猫一匹が通れるほどしかあいていないその窓からどうやってはいるというのか。魔法使いである彼はどうせ、なにかしらの魔法を使って侵入したに違いない。椛は訝しげな視線をカイに投げてやるが、カイは全く気にした様子はなかった。椛をつかむ手にさらに力をこめ、僅かに声色を荒げて言う。
「椛……王子には近づくなって言ったのに……」
「えっ……」
「椛の言っていたいい人……まさかアイツだとは思わなかったよ」
困ったようにじろりと自分を見つめてくるカイに、椛はわけのわからないといった表情を浮かべるしかなかった。自分は王子となんて会話を交わしていない。シルヴィオ王子のことをカイに言われたとおりに避けたし、あの時出逢ったのはジークという男だ。カイに咎められるいわれなどない。
「ま、待ってください……僕は王子には近づいていません……僕はジークっていう……」
「思いっきり俺の言いつけ破っているだろう。ジークって……ジークフリート王子の愛称だろ?」
「……え?」
カイの口からでてきた名に――椛はハッと目を瞠った。ジークフリート・クラインシュタイン。国の第二王子――シルヴィオ王子の弟だ。庶民である椛でも流石にその名は知っていた。まさか、ジークが王子だとでもいうのか。しかし言われてみれば、彼の瞳はシルヴィオ王子と同じグリーンで……何より、落としたブローチを拾う可能性が一番高いのは、ぎりぎりまで椛と一緒にいたジークだ。さらに「ブローチが似合う人」などと曖昧な定義で人探しなどできるはずもなく、あのブローチが「椛が身につけたときのみ輝く」と知っている彼のみがブローチをつかって人探しをすることができるのだ。扉の向こうで待っている王子は――間違いなく、ジーク……もとい、ジークフリート。それを悟った瞬間、椛の胸がドクンと高鳴る。
「カイ……いかせてください……彼に、会いたいんです」
「椛……!」
やめろ、そう言うようにカイの眼光が強くなる。頑なに「王子に近づくな」と言うカイに、椛もそろそろ猜疑心を抱き始めた。何を考えているのかわからない彼、その心のうちを問いただすように、椛も普段よりも荒んだ声で言う。
「どうしてですか……どうしてカイは、そんなに僕が王子に会うことを拒むんですか……!」
「……ッ、それは……」
「僕は、ジークに会いたい、好きなんです、僕はジークのことが好きなんです!」
椛が言い切った瞬間――カイの瞳に絶望の色がふっと浮かぶ。ショックを受けたように睫毛を震わせて俯いたかと思うと、そろそろと指先だけで椛の服を掴む。
「ジークフリートは……君を愛してくれそう?」
「……はい」
「彼のそばにいれば、幸せになれる?」
「……はい」
「……彼を、愛している?」
「……愛しています」
少しの問答ののち、カイは迷ったように視線を泳がせ……やがて、まっすぐに椛をみつめた。海の漣を湛えたようなブルーに椛が映し出される。
「じゃあ……いくといい。何かあったら俺は西の森にいる……そこにきて」
「……はい」
ふう、とカイが息をついた。銀色の髪がふわりと揺れる。
本当に、カイという男は謎だった。表情からその心をよむことができない。絶対に何かを隠しているとは思うのだが、どうせ彼にきいたところでのらりくらりと答をかわしてしまうのだろう。椛はカイのことを好いてはいたが、そんなこともあり完全に信頼することはできなかった。
椛がカイに背をむけ、ドアノブをまわした、そのとき。ふ、と全身が優しい熱に包まれる。驚いて椛が振り返ると――カイに、抱きしめられていた。彼から漂ってくる、不思議な花のような香りがとくんと胸を煽る。
「……君の幸せを祈っている」
「カイ……」
かすれ声で囁かれたそれに、椛は頭が真っ白になってしまって、まともな言葉を返すことができなかった。そうだ、ジークフリートに会えたのもカイのおかげだ、お礼を言わないと……そう思ったときにはカイは猫のようにふらりと椛から離れて、はじめに会ったときのような飄々とした笑みを顔に浮かべていた。窓から差し込む白い光に照らされたカイは、綺麗だった。
「ほら、いけよ」
「うん……カイ、ありがとう」
カイがふっと目を眇めて笑う。一瞬だけ――カイの唇が何かを言いたげに動いたが、椛はそれに気付かずに彼に背を向けた。
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