アリスドラッグ | ナノ


▼ 猛禽2

 大広間の音楽がほんの僅かだけ届く、そんな人気のない場所。しん、と静まり返ったそこに二人きり、心臓が爆発してしまいそうなほどに椛の胸は高鳴っていた。


「人に酔っていないか?」

「だ、大丈夫です……」


 壁に追い詰められるようにして、両脇に手をつかれ。目の前には男の芳しい胸板があり、彼が話すと吐息がかかる。逃げ場のない状態で距離を極限までつめられて、椛はパニックになっていた。しかし押しのけるという気もおこらない。


「みんな……すっかり男に慣れていて。駆け引きも上手で。面白みがないなあなんて思っていたんだ。だから君みたいな子、すごく気になる」

「いや……あの、僕はただ……人に慣れていないだけで……」

「慣れていない? じゃあ、今から俺がしたいこともわからない?」

「……ッ」


 する、と頬を撫でられて……さすがに、椛もそこまで鈍くはなかった。沸騰してしまいそうなくらいに顔が熱くなって、椛は俯いて男から顔を逸らす。


「いやか?」

「えっと……僕たち、出逢ったばかりで……こういうこと、」

「でも期待しているんだろう? 逃げようとしないし、俺をはねのけようともしない」


 男がふっと笑うと、椛はぎゅっと唇を噛んだ。

 図星だ。椛は……今からされることに、期待していた。椛は決して尻軽というわけではない。恋愛はきちんと段階を踏んで進んでいきたいと思っているし、相手が誰でもいいというわけではない。舞踏会に来たのだって、「もしも」素敵な人を見つけられたらお近付きになりたい、そう思ってきたのだ。

 椛にとって、この男は「素敵な人」に当てはまる人間だった。その胸に飛び込みたくなるような堂々とした風貌、それでいて物腰柔らか、……かと思いきやどこか強引。今だって、異常にどきどきしてしまって彼を直視することが難しい。所謂、一目惚れというものをしてしまったらしい。


「あっ……」


 男の親指が椛の唇を撫ぜる。唇に少し固い指の腹ですうっと熱をひかれるとぞくぞくしてしまって、ぎゅっと拳を握りしめて息を詰めた。

 椛の伏し目がちに震える睫毛の下、頬は内側からぽっと灯る朱色に染まる。見つめる男の瞳は仄かな熱に濡れる。男はさらに距離をつめ、椛の瞳を覗きこむようにして囁きかけた。


「……欲しそうだね」

「……何、」

「キスして欲しいだろう?」


 ふっと男が笑うと、びくんと椛の肩が震える。

 この男は全てお見通しだ。どきどきと高鳴る胸の音も聞こえているに違いない。こうしたふれあいが初めてである椛は唇を重ねることにも抵抗があったが、この男にだったら奪われてみたい……そう思い始めていた。

 強引に好きにされてみたい、少し危ないことをしてみたい――すっかりこの男の雰囲気に虜になっていた。


「……していい?」

「……あの、」

「何?」

「……名前……せめて、名前を……」


 問われて、「はい」と頷きたいところをぐっと我慢する。初めてのキスを一晩限りの人とするなんて嫌だ。遊ばれるなんて、そんな哀しい想いをしたくない……だから、彼の名前を聞いてから。そんな椛の想いは届いただろうか――男はにっこりと笑って、


「俺は……ジーク。ジークって呼んで」


 椛の後頭部を掴むと、そのまま唇を奪った。


「んッ……!?」


 突然視界が真っ暗になり、頭が真っ白になる。唇にじわじわと熱が侵食してきて……しばらくして、椛はようやくキスをされていることに気付く。かあっと顔が熱くなって、わけがわからなくなって、とんとんと男――ジークの胸を叩くと、静かに唇がはなれていく。


「……君の名前は?」

「……シンデレラ」

「そう、じゃあシンデレラ……もっと激しいキス、していい?」

「……っ」


 じっと自分を見つめてくるジークの瞳は、静かな欲情を汲んでいて……それが自分に向けられているのだと思うと、体の芯が震えるようだった。ぐいぐいと迫ってくる彼に嫌悪感なんて覚えない、むしろ椛はこの状況に酔っていた。激しく求められることに、歓びを感じていた。


「……て、ください」

「うん?」

「キス、……してください」


 一瞬の間の後、噛み付かれるように唇を重ねられる。はあ、とどことなく荒いジークの吐息に興奮が煽られる。角度を変え、キスを重ねれば重ねるほどに、理性のドレスを剥がれていくようだった。ジークに釣られるようにして甘い声を次々とこぼしてしまう。


「あっ……ん、ん……」


 椛はジークの背に手を回し、するりと触り心地の良い燕尾服にシワをつくって握りしめてやる。そうすればジークの脚が椛の脚を割って内側に入り込み、ぐり、と局部を責めた。

 じわじわと下腹部に熱が集まってきて、その熱が全身に巡ってゆく。裸になった欲情は羞恥心をすっかり破壊して、椛を大胆にしていった。椛は自らジークの脚に自分のいいところをすりつけるように、ゆっくりと腰を降り始める。


「は、あ、……ん、ぁ……」


 ほんの一瞬前までは、なにも知らない乙女のようだったというのに。人というのは一瞬で成長するもの、持って生まれた本能には逆らえないもの……椛は待ち焦がれた激しいキスに夢中になっていた。気持よくてたまらない、もっともっとこの身体をこじ開けて欲しい……快楽にくらくらと視界が白んで、おかしくなってしまいそうだった。


「このあと……時間ある?」

「えっ……」


 唇を離すと、余裕がなさそうにジークは問う。椛はきょろきょろと辺りを見渡して時計を見つけ――現在時刻21:30。


「……あり、ます」

「……出逢ったばかりなのに……悪いな、俺、すごく君が欲しいんだ」

「……ッ」


 ジークは椛の手をとって、更に大広間から離れたところへ進んでゆく。ああ、連れて行かれてしまう……もっともっと激しく求められる……断る理由なんてなかった。これから何をされるのかなんて、察しがついた。……それでも椛は、ジークについていった。


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