▼ 奇跡
「どうかしら、お母様! 似合います?」
「あら、ジェシカ素敵よ! これなら王子様も……!」
いつのもように家の掃除をしていた椛は、慌ただしい家族の様子に手を止めた。食事会、パーティー……様々な遊びをしている彼女たちだが、本日の服装は一層きらびやかだった。たくさんの宝石を身につけて、何度も鏡で化粧をチェックしている彼女は、あきらかに浮ついている。
「シンデレラ! 今日も留守番していてね! テーブルの上にローストビーフが置いてあるわ、それ食べていてちょうだい!」
ローストビーフ……いつもよりも豪勢だ、と継母の機嫌の良さを感じ取った椛は、おずおずと本日の催しを尋ねてみる。そうすると、継母は真紅のドレスをふわりと翻して椛を顧みて、答えた。
「舞踏会よ! シルヴィオ王子のひらく舞踏会! はじめてだわ、王子のひらく舞踏会に参加するなんて!」
舞踏会。椛も噂には聞いたことがあるものだ。
この国の第一王子・シルヴィオが頻繁に開催している舞踏会に招待されることは、女性たちのステータスになっている。特段金持ちでなくても招待されることがあるそうで、今回継母たちが招待されたのもおかしなことではなかった。
シルヴィオ王子が妃となる女性を探しているのだという噂が広がっているためか、参加する女性は気合をいれておしゃれをしていくのだという。継母たちが着ている服も、よく見てみれば初めてみるもので、おそらくはこの日のために買ったものなのだろう。
「シンデレラ……ごめんね、いってくるね」
アンナも姉・ジェシカに手を引かれてゆく。アンナは恋人がいるが、付き合いでいかなければいけないのだろう、椛に申し訳なさそうな顔をして家を出て行ってしまった。
残された椛は、テーブルに散らばった化粧道具をみてため息をついた。
赤やオレンジ、華やかなそれは、椛には全く無縁のもの。自分が化粧道具で顔に色をのせたところで似合わないし、ましてや見てくれる人がいない。
――ああ、羨ましい。こうして社交の場に出てゆく家族を見る度に、一旦は諦めた「素敵な人と出逢いたい」という願いが顔をだしてくる。自分には縁のない願いだ、と思っていても、羨ましいものは仕方がない。
今日の舞踏会は王子も出席するもの。彼と繋がることは到底無理なことかもしれない。しかし、招待された彼女たちはそのチャンスを持っているのだ。……自分とは違う。
「……僕も、一度でいいから行ってみたいな」
「泣くほどいきたいの?」
「いきたいよ……僕だって……って、え?」
思わず呟いた一人ごとに、返事が返ってきた。そして、その返事で椛は自分が泣いていたことに気付く。慌てて涙を拭ってキョロキョロと辺りを見渡せば、こんこんと窓を叩く音が聞こえてくる。声の主は、窓の外。泥棒だったらどうしよう――椛は急いで扉をあけた。
「……誰?」
「こんばんは、魔法使いです」
「はい?」
窓のすぐ脇に立っていたのは、濃紺のローブを羽織った痩身の青年。銀色の髪が月明かりを浴びてきらきらと光っている。金色のピアスを揺らして彼が振り向けば、その吸い込まれるような美しい蒼眼に、椛が映った。
「いや〜、なんだか可哀想な少年がいるなあ、と思って。うっかり話しかけちゃったよね」
「……帰って下さい」
「ちょちょちょ! 待って! 閉めないで、椛!」
いきなり自分を魔法使いだと名乗ったあまりにも胡散臭いその青年に不信を抱いてしまうのは仕方がない。椛が家の中に戻ってしまおうとすると、青年が閉めかけた扉を掴んで家の中に入り込んでくる。椛はぎょっとして、いっそその扉を掴む手を挟んでやろうかとドアノブを持つ手に力を込めようとしたが……はた、と動きを止める。――彼は、今……自分を「椛」と呼ばなかったか。
「……なんで僕の名前、知ってるんです?」
「え? いやあ、魔法使いってなんでも知っているもんでしょ?」
「魔法なんてあるわけないじゃないですか。なんですか、貴方……ストーカー?」
「ちがうよ! いい加減信じろって! 俺は、魔法使い、だ!」
ぐ、と青年が扉を開けた。ぎゃー、と声にならない叫びをあげた椛に、青年が手に持った小さな杖を振りかざす。殴られる、と死を覚悟した椛は腕で顔を覆ってぎゅっと目を閉じたが……やがて漂ってきた良い香りに、そっと瞼をあける。
「……わ、」
視界に飛び込んできたのは……花束だった。現れた青い花はどこかきらきらと光っていて、そのあまりの美しさに、椛は息を呑む。
「どんな奇跡でも叶えてみせましょう、俺は魔法使いだ。名前はカイ・アイゼンシュミット。……椛、君の話をきかせてもらおうか」
「……手品?」
「いい加減信じて!」
花束を受け取りながらもしらーっとした目で見つめてくる椛に、カイと名乗った青年は半泣きで叫んだ。しかし信じたくないものはしょうがない。期待して裏切られたらきっと、すごく哀しい。椛は「怪しい」と顔にくっきりと書いて冷たい眼差しを変えることはなかった。
「……じゃあ、たくさんの流れ星を流してみてください。一度、見てみたいと思っていたので」
「そんなことしたらこれから君の願いを叶えられなくなる」
「どうして? っていうか……僕の願い?」
「俺は使える魔力の量に制限がある。っていうか、正直こうして君の前に姿をあらわしているだけでもしんどい。だから君の本当の願いをはやく叶えてあげたいんだよね。……舞踏会にいきたいんだろう?」
よくよく見てみると、カイの顔には一筋の汗が伝っていて、時折辛そうにぴくりと眉を歪めている。魔法を信じるつもりはないのだが、そのカイの様子をみると彼を無碍に扱うのも悪いような気がしてきて、椛は警戒をとくように肩の力を抜く。
「素敵な人と出逢ってみたい、椛の願いはそれでいいね?」
「う、うん……」
おずおずと頷いた椛に、カイはふっと微笑む。そして玄関に体をねじこませて家の中を覗くと、あ、となにかに目を付けた。
「あれ、あれ貸してもらっていい?」
「あれ?」
「かぼちゃ。ゼロからつくるより媒介があったほうが楽なんだよね」
「?」
するりと家の中に入り込み、テーブルにのっていたかぼちゃを手に取ると、カイはにっこりと笑った。勝手につかったら継母に怒られる……と思ったものの、正直これからカイがしようとしていることに興味がある。再び外に出てきたカイがかぼちゃを手で弄んでいるのを見つめながら、椛は先程もらった花束をぎゅっと抱きしめた。……この花の匂い、どこかで嗅いだことがあるな……そんなことを椛が思ったとき。
カイの足元に白い光の円が浮かび上がり、やがてその円のなかに複雑な模様が浮かび上がる。それは本かなにかでみた、魔法陣とそっくりなもの。さすがに「手品」だけでは片付けられないその不思議な光景に、椛は目を瞠る。
「わっ……」
そして次の瞬間、その光の輝きが一気に増し、あまりの眩しさに椛は花束に顔を埋めて目を閉じた。光は音をたてず静寂を守っていたのに、星がざわめいているのだろうか、椛の胸のなかは何かが喧しい。未知なる光景に、椛の心はたしかに魅入られていた。
光が鎮まり椛が瞼を開けると、そこには大きなかぼちゃの馬車が佇んでいた。いつのまに現れたのだろうか、白馬が馬車の前にたち、椛を見つめている。
「えっ……すごい……」
「そろそろ信じた? 俺の魔法」
「……!」
ふふん、と得意気に笑うカイがすっと椛の前に来て、腰をかがめ見上げるようにして言う。調子の良さそうな表情に椛はムッとしたが、ふとその顔立ちをみて思う。非常に綺麗な顔立ちをしている。そして、初めて見たときも思ったが、カイの瞳はあまりにも美しい。深い海を湛えたような蒼、入り込む月明かりは海に沈む星屑のよう。思わず椛が見とれていれば、カイは訝しげに目を細める。
「何?」
「あっ……いや」
声をかけられ椛がパッと顔を逸らすと、カイは追いかけるようにして椛の顎に指を添える。
「椛」
「……っ」
顔を固定されて、目を逸らすこともできず。まっすぐに見つめられて、椛の顔はみるみる朱に染まってゆく。近い。まるでつくりもののように整っている顔だとは思ったが、ここまで距離を詰められると彼の吐息や熱を感じて恥ずかしくなってくる。長い睫毛に飾られた宝石のような瞳はうっとりしてしまうほどに美しく、それがまた心臓の高鳴りを助長させる。
「――綺麗だよ」
「……ッ」
何を、この男は――椛の中の一気に熱が爆発する。衝動のままにカイを突き飛ばそうとしたが、椛が手をあげるまえに彼は自ら離れていった。はあ、と一息ついて文句を言おうとした椛は……ひとつ、違和感を覚える。体が重い……。怠い、というわけではなく、質量のかかった重み。
「舞踏会にいくなら相応の格好をしないとね」
「……えっ、これ」
椛は自らの体を纏う服をみて驚きの声をあげた。みるからに上物の燕尾服。体に感じた重みは、つぎはぎだらけの薄っぺらいシャツからこの服に変わったことによるものだった。花束を抱えたままだというのに、服装が変わっている。いよいよカイの魔法が本物であるという雰囲気だ。
「まだ疑っている? 俺が偽物の魔法使いだって」
「……」
「あんまり魔法を信じたくない気持ちもわかるよ。夢みる少女が現実を知り絶望を浮かべる姿を何度も見てきている、君はそうなりたくないんだろう? まあ、でもさ」
カイが椛の手をとって、かぼちゃの馬車へ誘う。
「奇跡を信じることも、悪くない。俺のつくる奇跡は君を裏切らないからね」
ふっと体が浮いて、馬車に入れられた。「いって」とカイが言うと、白馬が嘶いて駆け出す。しばらくがたがたと道の凹凸に合わせて車体は揺れていたが、やがて椛を浮遊感が襲い……馬車が浮き出した。白馬は空中を蹴り、どんどん上へと昇ってゆく。あまりの驚きに椛が馬車から体を乗りだそうとすれば、危ないからとカイに手を引かれて止められた。
「え……すごい、すごいすごい……! なんで空を飛べるんですか……!?」
「そりゃあ俺が魔法使いだからだよ」
馬車は空を駆ける。空を泳ぐ夜鳥たちと目が合うと、彼らはびっくりしたような顔をする。椛が得意げに笑ってみせれば鳥達はぶーぶーと鳴いて追いかけてくる。
星空の中を泳いでいるようだった。馬車のなかには月明かりが差し込んで、椛とカイと影を色濃くうつしだす。夜風に髪の毛がふわふわとゆれ、透き通った光の水に撫でられているような心地だった。手を伸ばせば届きそうな星屑、冷たい風、肌に感じる夜の匂い。
「今、俺達はこの世界で誰よりも月に近いところにいる」
「……!」
「誰もしらない、空を切ってゆく感覚。誰もが夢見たこの景色。奇跡を掴む力をもった君だけが……手に入れることができたんだ」
月光のなかのカイの瞳が、きらきらと光っている。覗きこめば映る星空は、馬車の外に広がる本物の星空の美しさに負けやしない。
「奇跡はおこる、誰にでも。信じた人には絶対に訪れる。俺たち魔法使いは……それを教えるのが役目さ」
夜風がカイの銀髪を揺らす。思わず見惚れた、この奇跡を操る彼は、なによりも綺麗だった。
カイは椛の腕から一本、花を抜き取った。この花の色は、カイの瞳の色に似ている……比べて、椛はそう思う。何をするんだろう、椛がカイの指先で弄ばれる花を見ていると、花が光を帯び始める。細かい光の粒子がくるくると花を回り、やがてぱっと強い光を放ったかと思うと……カイのてのひらに、ころんと花のブローチが転がっていた。宝石のような、月明かりをうけてきらきらと輝くそれは今までみてきたどんな装飾品よりも綺麗で、椛は目を輝かせた。カイはそんな椛をみて微笑むと、ブローチを椛の胸元につけてやる。
「えっ……」
ブローチは椛のポケットにささった途端――きらきらと蒼に輝きだす。たくさんの星を閉じ込めたように、人工では絶対につくることのできないような妖しくも美しい輝き。
「これは君が身につけた時のみ、こうして光るんだ」
「……えっと、」
「プレゼント。君の幸福を祈って」
「……ありがとう」
――嬉しかった。綺麗なその花のブローチを、椛はそっと指先で撫でる。女の子が琥珀色のチークをのせたようにぽっと染まる頬、ブローチを映しきらきらと輝く瞳。喜びの笑顔はなによりのメイクアップ。一番の笑顔をみせた椛に、カイは嬉しそうに微笑んだ。
「……カイ?」
突如、ふ、とカイの笑顔が曇る。そして、馬車が僅かに揺れたその拍子に、カイが椛にぐらりともたれかかった。ふわりと鼻をかすめた甘い香りと仄かな熱に椛の胸は小さく跳ねる。しかし耳元で聞こえてきた湿っぽい、そしてどこか苦しげな吐息に椛はさっと血の気が引くのを覚えた。そういえば、カイは使える魔力の量に制限があると……立っているだけでもしんどいと、そう言っていたじゃないか。こんなにも大掛かりな魔法をたくさん使えば……
「カイ? 大丈夫ですか……?」
「ん……平気。でもごめん、ちょっとこのままでいさせて」
「ごめん……僕のために無理してるでしょう?」
「まさか。俺が好きでやっているだけだから。自惚れないでよね」
は、とカイが大きく息を吐く。カイは相当辛いようで、ぐったりと椛に身を預けている。なぜここまで彼が椛のために制限のある魔力を行使してくれたのか……その理由は本人の口からはでてこない。何を考えているのかわからない人――そう椛は思ったが、カイの表情のひとつひとつから、自分を騙そうという意図は感じない。なにより、この眼の前の奇跡は本物だ。
「……なんだか、世界がきらきらしてみえます」
「信じろ」と何度も言ったカイは、この奇跡を自分にみてほしかったのだろうか。幸せを諦めきった、自分に。奇跡は起こるのだと、椛に信じて欲しかったのだろうか。
ぺらぺらと動く唇を黙らせて、静かに椛に縋りつくカイの苦しげな呼吸が落ち着いてくる。椛はほっと一安心した。カイの背に腕をまわし、そっと体を抱いてやった。
しばらく風に吹かれていると、きらびやかに彩られた城に辿り着く。バルコニーから城内の様子が見えて、中では派手な衣装を着た人々がくるくると踊っていた。ああ、本当に来てしまったんだ――椛の心が踊り始める。優雅な音楽が聞こえてきて、椛がそれに耳をすませていると、ゆっくりとカイが体を起こした。
「……そうだ、椛。君は、王子と出逢いたくてここに来たいと言ったわけじゃないよね」
「え……うん、誰か……いいな、と思える人と出逢えたらいいなって」
「そう。それは確認しておきたかったんだ。うん、それならいい」
「?」
「ひとつ、忠告だ。王子には近づくな」
「……どうして?」
「……王子と結ばれるっているのは色々面倒くさいでしょ。愛されるとか、そんなことの前に色んな障害があるんだよ」
「なるほど……」
カイが椛から目を逸らしながら、淡々と告げる。城の光が映り込むその蒼い瞳に、どこか陰鬱な色が宿る。この雰囲気にどこか似つかわしくない彼の表情に椛は疑問を覚えたが、それよりも今からあの場にいけるという高揚感が胸をいっぱいに満たしていた。馬車が地上に近づいてゆく度に、心臓が高鳴ってゆく。
「そうだ、魔法は12時にとける。衣装も全部消えちゃうから、その前に城をでてくるんだ。俺が迎えにきてやろう」
城の前に椛をおろすと、カイはひらひらと手をふった。椛は会にお礼を言って、城内へ駆け込んでゆく。眩い光のなかへとけてゆく椛の後ろ姿を、カイは静かに見つめていた。
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