アリスドラッグ | ナノ


▼ ルーナ



 雲ひとつ無い夜空だった。宝石を散りばめたような満天の星空のなかに、まあるい月が浮かんでいる。今宵の月は珍しいことに青みがかっていて、少年は見えない力に惹きつけられるように見入っていた。青い月をみることができると、幸運が訪れるのだという。ああ、なにかいいことがないかな……少年はそんな夢に思いを馳せ、窓縁から乗り出し、夜風を浴びていた。



「……!」


 
 ふと、外から声がきこえる。猫の鳴き声だ。その声を聞いた少年は、はっと目を輝かせて視線を下に動かす。少年の部屋は一階にあり、窓から体を乗り出し下をのぞくと、すぐにぼうぼうと雑草の生えた地面が広がっている。青々をした草に埋もれるようにして、その猫は鳴いていた。



「こんばんは、ルーナ」



 白い体に青い瞳。美しいその猫は、数年前に怪我しているところを少年が手当してから懐いてきて、こうして毎晩のように少年の家に訪れる。この猫と出逢ったのも、今宵のような青い月の日だった。まるでその月をはめ込んだような青い瞳に、少年は猫を「ルーナ」と名付けたのだった。

 少年が手をのばすと、ルーナが一鳴きして少年の胸に飛び込んでくる。ぴょん、とルーナが跳ねると、青い月明かりに白い毛並みがきらきらと銀色に輝いて本当に綺麗だった。今まで花のなかで遊んでいたのだろうか、ルーナの纏った花の香りが少年の鼻を擽る。少年がルーナの体に顔を埋めるように抱きしめると、ルーナが嬉しそうに少年の頬を舐めた。



「ルーナ、今日の星空は綺麗だね」



 窓際の壁に沿えられたベッドに座って、少年はルーナと星空を見上げる。こうしてルーナと共に夜を過ごすことが、少年にとっての一番の楽しみだった。
家族はみんな、少年に冷たい。アンナとは話せる時間も限られている。少年にとって完全に心を許し、ゆっくりと心ゆくまで一緒に過ごせる相手は、ルーナしかいなかったのだ。

 ルーナは言葉を話せない、言葉を理解しているのかもわからない。それでも、少年はルーナとお話をすることが大好きだった。その日あったこと、嬉しかったこと苦しかったこと、なんでもルーナに話した。相槌をうつようににゃあと鳴くルーナは本当に可愛らしかったし、頬を擦り寄せてくる仕草には癒やされた。もしもルーナがいなければ自分はどうなっていたのだろうと思うくらいに、少年にとっての喜びをルーナは与えてくれた。



「そうだ、ルーナ。まだ言っていなかったことがあったね」



 少年の瞳にたくさんの星が映り込む。夜風の香りが好きだ。透き通っていて、今日一日の出来事を思い出させて、そしてまた明日へ繋いでくれるような香り。遠くから運んできた草木や花の匂い、梟の鳴き声……世界と自分をかさねてしまうような錯覚。なんとも言えないような感傷に浸るこの時間が、狂おしい。



「僕の名前……シンデレラじゃなくて、椛って言うんだ。亡くなってしまったお母さんがつけた名前。お父さんはそう呼んでくれるけど……なかなか帰ってこないから、もう、僕をそう呼ぶ人はいない」



 少年の名は――椛といった。この家の雑用を押し付けられ「シンデレラ」と呼ばれるようになっていたが、椛というのが本当の名だ。すっかり呼ぶ者がいなくなったその名を、椛はなんとなく……ルーナに教える。ルーナはただの猫ではあるけれど、椛が最も気を許す存在だった。

 「椛」という名を聞くと、ルーナはまるでその名を呼ぶようににゃあと鳴いた。アクアマリンのようなその瞳が、椛をしっかりと映している。星が沈む瞳を覗いていると、自分が星空を泳いでいるような心地になった。椛はふっと微笑んで、ルーナを抱きしめる。



「……あ」


 
 そのとき、夜空にひとつの流れ星が通る。光の尾をひいてあっという間に闇に溶けていった流れ星に、椛は苦笑した。その存在に気づき美しさに魅入られている間に消えてしまう、それが流れ星。消えゆく前に願い事を言う、それだけのおまじないは、なかなかに難易度が高いようだ。



「やっぱりおまじないはできないかなぁ」



 椛が諦めたように呟く。そうすると、ルーナが「おまじないって何?」と聞くようににゃあと鳴く。再びルーナの瞳を覗くと、……やっぱりきらきらとしていて綺麗。



「僕も素敵な人に出逢って幸せになりたかった。おまじないとか……魔法とか、そんな奇跡に頼りたくなるくらいに、ありえないことだから」



 アンナや、楽しそうに出かけていった継母と姉のように。素敵な人と出逢って笑い合う幸せを欲しかった。静かに微笑む椛に、ルーナがすりすりと頬擦りをする。くすぐったい、そう椛が笑って身を捩ると、椛の髪からひらりと美しい青い花が舞い落ちる。ルーナの体についていたのだろうか……突然現れたその花に椛は驚いたが、ルーナの瞳のような深いブルーをしたその花の美しさに、椛の顔はほころんだ。



「……ルーナは魔法でも使えるの? どこについていたんだろうね、この花。綺麗」



 ルーナの白い毛並みからふわりと舞う花の香り。奇跡なんておこらないけれど、こうしてルーナと一緒にいる時間はたまらなく幸せだ。自分に女の子のような幸せはこない……そう思いながらも、ルーナのぬくもりに胸は満たされてゆく。椛はルーナと青い花を胸に抱いて、星のささやきを聞くように目を閉じ――穏やかな時の経過に身を任せた。


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