アリスドラッグ | ナノ


▼ 魔法の話



「ちょっとシンデレラ。まだ埃が残っているじゃない。こんなことにも気付けないの? どこまでも使えない子ね」



 継母と姉が意地悪に笑って床を雑巾がけしている少年に言う。つぎはぎだらけの服を着た少年とはまるで正反対の彼女たちの装いは、これから外出するといったところだろう。今朝、彼女たちが麗しい男性たちが集まる食事会に行くと楽しげに話していたこを思い出し、少年は言う。


「すみません……お二人が帰るころには綺麗にしておきます」

「ふん、ちゃんとしておくのよ。ああ、夜ご飯、テーブルの上にパンが置いてあるからそれを食べてちょうだい。ひとつだけよ、勝手にそれ以上食べたりしないでね」



 吐き捨てるようにそう言って、二人はそのままルンルンと家を出て行ってしまった。示されたテーブルをみれば、そこには拳ほどのサイズのパンがバスケットに山積みになっている。今日はあれをひとつしか食べられないのか……少し空が紅くなり始めたばかりだというのに音をたてた自分の腹に、少年は不安を覚えた。
 
 少年の母親は早くに亡くなってしまい、現在の継母は父の再婚相手である。継母は二人の娘を抱えており、彼女たちに少年はあまり良く思われていなかった。仕事が忙しくなかなか家に帰ってくることのできない父の見ていないところで、先のようないびりを受けることも多々あった。呼び名はもっぱら「灰かぶり」を意味する「シンデレラ」である。
 
 しかし、二人の姉のうち、歳の若いほうは少しだけ優しかった。



「シンデレラ……シンデレラ!」

「……アンナさん。アンナさんはお食事会いかなくていいんですか?」

「私はもう少しあとしたら、友達の家のパーティーにいくからいいの。それより」



 アンナという名の彼女は少々気の弱い少女。心優しい性格なのだが内気な部分もあり、母と姉が少年にきつくあたっているなか少年に話しかけることができない。母と姉がいない隙を見計らっては、少年に話しかけてくることが多かった。



「朝、昼どちらもあんまり食べていないよね? 私の残したもので悪いけど……サンドイッチ。これ、食べて?」

「……アンナさん。ありがとうございます」



 「残したもの」といってアンナはいつも少年に食べ物を分けてくれた。もちろん彼女が少食なんてことはなく、少年のために残しているのである。少年もそれを知って、ありがたく思いながらいつもアンナに食べ物をもらっていた。遠慮したいところではあるが、空腹はどうしても辛かった。

 手を洗い、ソファに座ってサンドイッチを食べる。ハムと卵の味が口いっぱいに広がって、腹だけではなく心も満たされるような気がした。思わずがっつくように食べてしまえば、そんな少年をみかねたアンナが「喉に詰まらせないでよ」といいながら紅茶を淹れてくれた。感謝のあまりパチパチとまばたきを繰り返す少年をアンナは黙って見下ろしたかと思うと、化粧道具をテーブルの上に置いて少年の隣に座る。



「シンデレラ、ごめんね。私、あんまり気が強いほうじゃないの。お母様とお姉さまが見ていないところじゃないとこういうことしてあげられない」

「……いいえ、すごく嬉しいです。いつも、アンナさんには感謝しています」

「もうちょっとの我慢よ。どんな人にだって、幸せは訪れるの。きっと突然……奇跡みたいな幸せが貴方にもやってくるわ。そう……魔法みたいな」

「魔法……」



 唇にルージュをひきながら、アンナは言う。元々愛らしい顔立ちをしている彼女を、化粧品はさらに美しくする。それこそ、魔法のようだった。女の子だけが使える魔法。頑張って化粧を覚えて増々可愛くなった彼女が「彼氏ができたの」と幸せそうに笑って言ったときのことを思い出す。化粧は女の子だけが使える幸せの魔法だと、今、そう思う。



「魔法なんて……そんな非現実的なものを信じることができるほど、僕は幸せに近くないです。アンナさんや女性が羨ましい。幸せを掴むチャンスを、僕よりもずっともっている」



 女の子は顔が良ければ幸せになれるから……少年はそんなことを思ってついつい言ってしまった。すでに幸せを掴んでいる彼女だからこそ「魔法」なんてものを夢みる余裕があるのだろう。そう羨んでしまった。言ってから「しまった」と思ったが、アンナが気を悪くする様子はなかった。彼女はなにやらイタズラっぽい笑顔を浮かべて、少年に囁く。



「あら、知らないの? 有名な噂があるじゃない。この世界には、魔法使いがいるのよ」



 アンナの赤みがかった茶髪がふわりと揺れる。ぽかんとマヌケな顔をしている少年に、アンナは手にもったチークブラシを小さく振って続けた。



「昔から、この国には魔法使いがいるの。彼らは国の人達を幸せにしたり、他の国から守ってくれたりしているんだって」

「……本当にいるなら、僕は少し怖い……と思います。だって、魔法って人を幸せにもできるけど……人を傷つけることだってできるんでしょう?」

「ううん、大丈夫よ。悪い魔法使いは良い魔法使いに蛙にされちゃったから、もうこの国にはいないんだって! ねえ、シンデレラ。夢をみてみましょうよ、信じている人にはきっと、魔法使いがきてくれるわ」

「魔法……」



 夢をみたことがないわけではない、魔法を信じたくないわけでもない。少年は、ただ期待をして裏切られるのが怖かったのだ。もしも魔法があるならば、魔法使いが自分のもとに来てくれたなら……きらきらと笑顔を咲かせるアンナのように、人生が輝いで見えるのだろうか。



「……魔法……はまだ信じられないから、おまじないからはじめてみようかな」

「おまじない?」

「次に流れ星を見つけたら、お祈りをしてみます。素敵な人に出逢えますようにって」

「ふふ、素敵。頑張ってね。流れ星は速いわ、のんびりしていたらお願いを言い切る前に消えてしまう」


 
 アンナが目元に金のラインをひく。「どう?」と言って微笑んだアンナは、星空のようにきらきらとしていて綺麗だった。立ち上がってドレスをふわりと翻す姿は、宛ら人形のよう。

 ひらひらとレースを靡かせて家を出て行くアンナを、少年は見送った。すでに紅に包まれた空を鴉が泳いでいる。

 もうすぐ夜が近い。少年は、夜にひとつの楽しみをもっていた。早く日が沈んで、みんなが眠りに就くころにならないだろうか……わくわくを胸に、少年は扉を閉める。


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