▼ ずっと君を見ていた
星空のなかを駆けるのは久しぶりだった。椛はカイの肩に頭を預けるようにして、夜風を浴びる。
「これから……どうしよっか」
「……家に戻ろうかなって思います。っていうか……それくらいしかないし」
「……俺は?」
「一緒に住みましょう。大丈夫……許してくれますよ」
「え〜? だって椛のお母さんケチじゃん」
「はは……うん、でもきっと大丈夫」
手を重ねる。カイの温もりが心地よい。目を閉じてカイに身を委ねていると、甘い花の香りが鼻をくすぐって、どこか懐しい気持ちになる。ああ、またカイのそばにいてもいいんだ、そう思うとたまらなく嬉しい。
「へへ」
「? どうしたの、椛。急に笑って」
「いや……初めて会ったときのこと思い出して。なんだか僕、カイにかなり失礼なことを言ったような」
「ああ〜、そうだね、全くだ」
「あのときは、ごめんなさい」
「ううん。今はこうして……俺のこと信じてくれているでしょ」
「はい……」
気まぐれに体を起こして、カイをみつめてみた。銀色の髪がきらきらと靡いていて、蒼い瞳が吸い込まれそうなくらいに綺麗。みているだけでもどきどきしてしまう。
「ん、」
椛がカイに見惚れていると、カイが椛の髪をそっと撫でた。夜風に吹かれて少し鬱陶しかった髪を耳にかけてくれる。カイの手が心地よくてその手のひらに頬を寄せてみれば、カイが目を細めて笑った。
「……あれ」
どこか違和感を覚えて、椛は顔をあげる。かさ、と耳元で何か音がしたような気がする。なんだろうと不思議に思ってこめかみのあたりに触れてみると……ひらりと蒼い花びらが一枚、舞い落ちた。
「あっ、せっかく似合っていたのに」
「……!」
なぜか……このシーンに既視感を覚えた。ひらりと蒼い花びら。銀色の髪、アクアマリンの瞳、蒼い月。夜の風……
「あの……カイ?」
「ん?」
ひとつ、心当たりがあった。そう、これとよく似た経験をしている。そして、彼の甘い花の香り……嗅ぐと懐しい気持ちになると思ったが、そうだ。
「……僕たちが初めて会ったのって……いつでしたっけ?」
「え? ああ……うーん……「何年前」だったかなぁ……」
「……!」
――何年前。椛は、確証を得た。たしか、カイと出逢ったのはつい最近だったはず。つまり、何年も前に出逢っているということは……「違う姿」の彼と会っているということ。そして、その違う姿とは……
「……なんで、黙ってたんですか?」
「あれ、ようやく気付いた?」
「……貴方、ルーナでしょう」
ルーナ。あの家で一人で寂しい夜、いつも寄り添ってくれた猫。白くて、蒼い目をしたあの猫は、いつも花の香りがした。
カイが「椛」という名を知っていたのは、椛がルーナの姿であった彼に教えたから。ああ……そうとわかれば、様々な出来事に整合性が取れる。
「猫の姿っていいよね〜。セクハラし放題」
「はあ!?」
「はは……うそうそ。椛があの姿の俺を気に入ってたみたいだからさ、ずっとあのままでいたんだよ。俺といるときに幸せそうにしてて、嬉しかった」
「……人間の姿の貴方のほうが……その、好きですよ」
「え? なに? イケメンだって?」
「茶化さないでください! 僕は、」
「うん」
する、と手を指を絡められた。真っ直ぐに瞳を覗き込まれて、どきりと心臓が跳ねる。
「……僕は、……僕は、カイのこと……好き、です」
「……うん」
「好き、です。カイ……好き」
「……俺も、好き。椛のこと好きだよ」
触れ合った指先が、熱さに痺れてきた。全身が心臓になったかのように……バクバクと鼓動がうるさい。
「……」
「……」
合図もなく。静かに、唇を重ねた。触れ合うだけのキスなのに、今までのキスのなかで一番、緊張した。頭が真っ白になって、ほんの一瞬の時間がとても長く感じて。顔が火照って、涙が零れてしまいそうになった。
唇が離れると、夜風が熱を冷ましてくれる。そっと瞼をあけると、きらきらとしたカイの蒼い瞳がひろがっていた。
「……ずっと、君を見ていた」
「……っ」
「君が幸せになることを、祈っていた。……でも、もう祈るだけなんて……我慢できない」
「……カイ」
「……俺が、椛を幸せにするよ。側にいる。椛の笑顔を、守っている」
ぽろ、と涙のしずくが頬を転がってゆく。カイは苦笑して、それを指で拭ってくれた。
「……嬉しいときは、泣くんじゃなくて笑うんだよ」
「……はい」
泣くほど嬉しい。それをこの人は知らないのか、この馬鹿。それでも、彼に笑顔をみせたかった。無理やり笑ってみたけれど、上手く笑えただろうか。
……ああ、貴方も幸せそうに笑っているから。上手く笑えたみたい。
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