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――――

――……





「な……」



 ハルは頭が真っ白になった。ノワールへの嫉妬が心の中を満たしていた丁度そんな時に、彼が現れたのだ。

 ノワールに会わせないように、寝室から外に出ないように言っていたはずの、ラズワード。そんな彼がこうして目の前に現れた。



「ラズワード、なんでここに……」

「ノワール様」



 ラズワードはハルのことなど眼中にないように、呆然とノワールを見つめていた。少しの間そうしていたかと思うと、ハッと弾かれたようにラズワードは言う。



「あ……ハル様」

「……ラズワード、どうしてここにいるの」

「す、すみません……エリス様に呼び出されたので……」

「ふうん、兄さんに」



 どうしてエリスがラズワードを呼び出す必要があるんだという疑問は浮かんでこなかった。ハルの存在の認識が遅れたことのほうがずっと気がかりだったのだ。

 それほどにノワールの存在がラズワードにとって大きいということ。それを、身をもって知ってしまった。



「……ラズワード」



 ノワールが口を開く。その声色が恐ろしく優しくて、ハルは固まってしまった。



「久しぶり。ここでの生活には慣れた?」

「……お、お久しぶりです。ええ、ハル様の下での生活には随分と慣れました。とても良くしてもらっています」

「そう……それはよかった」



 顔など見えなくても、ノワールが優しく笑っているのがわかってしまう。そんな声に、ラズワードはどこか居心地悪そうにそわそわとしている。

 今ラズワードは何を考えているのだろう。自分の前では見せない彼の表情にハルは焦るばかりであった。

 ラズワードはハルの前で緊張なんてしない。そんな風に戸惑ったりしない。……そんな風に困った顔をしない。



「あの、ノワール様」



 かすれ声でラズワードはノワールに呼びかける。



「俺、忘れたわけじゃないです……! 貴方のこと、ずっとずっと想っています」

「それ、だめだって言わなかった?」

「違います、そうじゃない、俺は貴方のこと好きなんかじゃない、愛していない……! そんな感情を貴方に抱いていません、そんなものとは違うんです、これは……!」



 ああ、その顔は。

 ハルは既視感のあるラズワードの表情を見て思い出す。ノワールの話をするときの、いつもの辛そうな表情を。「愛じゃない」なんて言いながら、心を捕らえて離さない人のことを想うときの彼の表情を。


「だって、貴方を「好き」だって、「愛してる」って、そう言ったのは俺じゃありません……! 貴方が貴方の愛するものを投影した「俺」です……! あの言葉は俺が言ったんじゃない、それくらい、わかっているでしょう!?」

「……うん、そうだったね。じゃあ、ラズワード、君自身の「想っている」はどういう意味なの?」



 この場において全くの部外者であるハルにはラズワードが何を言っているのかさっぱりわからない。ただ、このふたりの関係が明らかに「普通」ではないことだけがわかる。

 たぶん、ラズワードの「想っている」の意味はノワールよりもハルのほうが知りたいのではないか。ノワールの後ろで、ハルはただ黙ってラズワードの答えを待つことしかできなかった。この二人の関係に踏み込むことなどできない、それを悟りながらも、嫉妬を抑えることはできなかった。



「――わかりません」



 ラズワードは真っ直ぐにノワールを見つめる。迷いと、何か強い意思と。その瞳にはそんなものが込められているように見えた。



「……でも、貴方を救いたいと、そう思うのです」



 きゅ、と唇を閉ざし、ラズワードはその青い瞳にノワールを映す。僅か揺らぐその瞳は、光が映りこんで、本当に美しかった。



「――そう、なら大丈夫だね」



 そっとノワールは言う。どこか震えるその声は一体何を思っているのだろう。



「君は幸せを見つけることができる。……いい? 自分を幸せにしてくれる人を愛するんだよ。……例えば、俺みたいな人は論外だからね」

「……ッ、」

「……じゃあね、ラズワード。久々に君の顔を見れて嬉しかったよ」



 ふわ、と黒いローブが揺れる。ハルはハッとして歩き出したノワールを追った。ラズワードとすれ違う時に彼の顔を伺ってみれば、やはりノワールのことを目で追っていた。



「ハル様。送っていただいてありがとうございました。ここまでで大丈夫です」

「え、あ、はい」



 気付けば出口にたどり着いていた。自分の屋敷の構造も忘れるほどに頭の中はラズワードと目の前の男のことでいっぱいだったのかもしれない。

 使用人が扉をあけると、外の風が吹き込んでくる。ハタハタとローブが揺れて、外に広がった青空に異様に似合っていた。こんなにも血生臭い男がなぜか、綺麗に見える。



――どこか、この光景にデジャヴを覚えた。



「ハル様」

「……はい」

「――ラズワードのこと、幸せにしてあげてくださいね」



 ふふ、とノワールが笑った。嫌味のない笑い方だった。

 ノワールという男の本質がわからない。悪人のくせにこんなことを言う。美しい青空に抱かれて、儚げに笑う。

 ハルは心の中に渦巻いた彼への疑惑を、吐き出すように叫んだ。



「――もちろん。あいつが貴方にどんな感情を抱いていたとしても、俺があいつを幸せにする。……例え、貴方がどんな人間だとしても……貴方に彼はやらない。俺が、ラズワードのことを幸せにしたいんです」



 突然、突風が巻き起こった。思わず目を覆った腕をどけると、そこには白い羽が舞っている。そして、ノワールに寄り添うように白い獣が出現していた。

 ノワールはひょいとその獣の背に乗ると、言う。



「……はい、お願いします。ハル様」

「……っ」



 言葉が出てこなかった。ただ、見とれていた。

 白い獣はチラリと屋敷の奥のほうを睨みつけたかと思うと、そのまま飛んでいってしまった。



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