囁きは哀愁により

※次富の嫉妬甘裏:勘南さんキリ番リクエスト
最後に三之助と触れ合ったのはいつだっただろう。

あんぐりと口を開ける屋根。見事と言う以外に言葉が見つからないくらいに綺麗に開いており、作兵衛はため息ひとつ落とし修繕に取り掛かる。開けた本人が直すのが筋ではあるのだけれど、幸か不幸かその技術に長けてしまっているのが作兵衛の所属する用具委員会だった。用具委員長の食満先輩には及ばないにしろ、その手つきは手慣れており一通り一人で難なくこなせてしまうくらいに作兵衛の腕も向上していて、なんなく穴をふさいでいく。

「いけいけどんどーん」

遠くからも響く声がふさがりかけた屋根の穴に響く。この声の気合で穴もふさがればいいものを、と思いながら作兵衛が声の方向に目をやると相変わらずランニング中の体育委員の姿があった。
そのでふ、と目につくのは作兵衛と恋仲である三之助の姿。同じ色の制服とふっさふさの髷が颯爽と揺れる中、作兵衛を釘づけにしたのは握られていた三之助の両手。いつもなら大きな綱の輪で電車ごっこのように走っているのに、今日に限ってその綱の姿はなく三之助の両隣りには一つ違いの先輩と後輩の姿があった。
作業の手が止まり見下ろした作兵衛の手が握るのは釘と金槌。

「そういえばいつだったっけ…」

最後に三之助に触れたのは。
組も部屋も同じなのだから、つい最近の事だろうと思い返してみたが作兵衛の記憶の中には見当たらない。そういえば三之助が構って欲しいと寄ってきたのはいつだったろうか、名前を呼んだのは、笑ったのは。この頃忙しかったのにも違いはない、授業、演習、委員会、すれ違っていたのは間違いないけれどそれにしても今のさっきまで作兵衛は気にも留めていなかった。
三之助は甘えたがりの節があって、嫉妬もすれば、時折構わないでいると寄ってきては構ってと催促もする。もしかして、自分が気が付かなかっただけだろうか。いやもしかしたらもう自分には興味がなくなったのではなかろうか、委員会には構ってくれる先輩も後輩もいる、同学年にだって自分以外にもっと気の利く奴なんている。そう考えると作兵衛には例え好きだと言ってくれたにしても、それが過去に話のように思えてしかたなくなってしまった。
もし自分も体育委員会だったなら、その手を引くのは自分であるという自負が作兵衛にはある。それは日常において無自覚迷子である三之助の手をひいているのが作兵衛が一番多いいからだが、その位置が変われば寂しがり屋の三之助の事、その対象が変わっても仕方のない事なのかもしれない。

「嫌だ」

胸の痛みがそう作兵衛に告げる。
嫌になる思考を塞ぐように屋根の穴を無我夢中で塞ぎ、次の仕事に作兵衛は急いだ。終われば長屋に帰れる、帰れば三之助に会える、作兵衛の頭の中は一転しその事で埋め尽くされていた。
もちろんその状態で仕事が捗るはずもなく、終わったのは月が高く上がった後。
この時間では食堂は閉まり、風呂水も抜かれていたので仕方なく作兵衛は井戸で体を拭いた。さすがに三之助も床に就いてしまっているだろうと作兵衛は自室をの戸をゆっくりと開けながら、寂しさにかられた。

「おかえり、さく」

遅かったな、と二人分ひかれた布団の上で胡坐をかいた三之助が作兵衛を迎えた。予想外の事にその場に立ち止まる作兵衛に三之助は手招きをし、机の上の布を被った皿をもち布を持ち上げる。すれば真っ白いおにぎりなる物の姿。その形は褒められるものではないのだけれど、握られた米、おにぎりだった。

「どうしたんだ、これ」
「俺今日晩御飯ぎりぎりだったからさ、さく食べてないだろうなーと思って。左門みたいに上手じゃないけど」

照れ笑いをしながら、それでも褒めてと待ち構える犬のように三之助は言う。
自分が逆だった時、そんな事を作兵衛はやったことがない。むしろ他が手につけれなくなると蔑ろにしてしまうのは作兵衛の悪いところだった。手先は器用なくせに立ち回りとなると同じようにはいかず、複数の事を同時進行をして上手くいった試しがない。

「ごめんな」
「え」
「俺、要領悪ぃから三之助になんにもしてやってねぇのに」
「そんな事いいから、食べて」

三之助は作兵衛にお握りを差し出す。作兵衛も遠慮気味に行為を受け取り、お握りを口にする。控えめな塩が優しく感じられて、嬉しくてそして少し苦しかった。
美味しいか、と聞く三之助に作兵衛はお握りを頬張りながら頷く。

「別に何かして欲しいから、してくれるから作の事好きなんじゃない。好きだから、何かやってあげたいって俺は思う。それで、作が喜んでくれてさ、もっと俺の事好きになってくれたら嬉しい。俺が思うみたいに、一緒に居たいって思ってくれたらそれでいいよ」

返す言葉が作兵衛の手元にはなかった。お握りを綺麗に腹に落とし、出てこない言葉の代わりに感情の入り混じった涙が作兵衛の頬をつたう。自分にない寛大な三之助に対する悔しい気持ち、その感情が惜しみなく自分に向けられているという実感、そしてもっと近くにいたいと思うからこその他への嫉妬心。

「さく、どうした。何かあった」

落ちていく涙を救い上げて、三之助は作兵衛との距離を縮める。その手を作兵衛は無意識に握りしめていた。久しぶりに触れた手はなんの変わりなく作兵衛の手を受け入れる。それがより安堵を引き寄せて涙が落ちていく。
作兵衛の顔を覗き込む三之助の顔はやっぱり穏やかで優しく、じんわりとそして確実に作兵衛に寄り添う。軽い口づけを額に落とし、作兵衛のぎこちない笑みからまた一粒落ちる。言葉にするのは苦手で、一つ言えばきっと言いたくない事まで糸を引くように出てくることを知っていた。だからこれでいいと言い聞かせながら、三之助の頬に二度目の口付けをした。
そこからは一気に転がり落ち、久しぶりに触れ合った肌はどこに触れても熱を生み、互いの欲情を呼び起こす。三之助がひとつ熱を呼び起こせば、答えるように作兵衛が震え、作兵衛がひとつ三之助に甘い吐息を差し出せば、三之助も指先で答える。どくどくと行き来する心音、しっとりとそしてぴたりと重なる肌、混ざり合う欲、息も絶えそうになるほど激しい動きの合間、それでもまだまだ恋しいと作兵衛は三之助の名前ばかりつむぐ。

「っ…三之、助」
「ん」

滲み充血をうっすら纏う瞳に口付けすれば、始終視線さえも三之助を追い求め離すまいとする。それが三之助には嬉しかった。だから何度もその視界を逸らそうと態と試み、その視線に熱を焦がす。
三之助にとって追われることは優越を感じる瞬間で、本当はそれさえも全部自分のものにしたいという願望がある。だけどそれがやすやすと叶うほど現実は甘いものではなく、自分の力量もわからない歳ではない。それならせめて、自分に向くようにと三之助は思考をめぐらせて巡らせてたどり着いたのが、待つという行為だった。
ひとつの事に目を向ければ、それしか見えないのは近くで生活していれば手に取るようにわかる。そんな作兵衛がふ、と振り返った瞬間居る事がきっと自分の存在感を大きくする。例えいつもいられなくても、居る人がいない寂しさは記憶に残り、一層深く三之助という存在が作兵衛に刷り込まれ、誰よりも作兵衛の近くにいれる。物理的な事もそうだったが三之助はそれだけでは収まらなかった結果だった。
ゆっくりと時間がかかったけれど、確実に自分の思う道筋を辿っていることが背徳として三之助の背中を走る。
そんな三之助の心情を煽るかのように、作兵衛が甘い二文字を耳元で囁くのを聞きながらその身を焦がすことだけにその夜を費やした。


寂しいと囁けない口も
君の名だけは忘れない
例えすべてを忘れても
その名だけで
きっといくつもの感情
君に伝えてゆけるから
prev/next

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -