「シャチさん俺詰んだ」
「いや撮影始まってもねェし」

 今回は表紙のコンセプトとそれに合わせるブランドが決まっているから、と雑誌側から衣装を貸して貰えた為、更衣室に用意されている服を身に着けるだけで俺個人がスタジオ内ですべき支度は終わった。
 席を立っている俺のメイク担当スタッフをパウダールームで待つ間、傍のパイプ椅子に座ってスマートフォンを弄っているシャチへぼやく。

「カメラさんが女性って聞いてなかった…。俺あの子に内心どう思われるんだか…」
「カメラマンは被写体をいかに魅力的に撮るかっつー点に重き置いてるし、お前個人を勝手にどうこう思ったりなんてしないと思うぜ? コアラちゃん良い子だって評判だしな。野郎の方が良かったのか?」
「……いや、何か同じ男の方が色々複雑かも…。トラファルガーさんがイケメン過ぎて帰りたい」
「どんな早退理由だよ。ま、確かにキャプテンすっげェ格好良いけどな! つってもアルトはそもそも顔立ちの路線違ェし、そんな固くなるなって。どした、今日弱気だなー」
「あ、ねえ、」

 先程も言っていたが、シャチがローを指してキャプテンと呼ぶのは何故なのだろう。
 その理由を尋ねようと改めて呼びかけたと同時に出入口の扉が開き、一直線に此方へ歩み寄ってきた人物から若干湯気が昇っている蒸しタオルを目の前へ突き付けられた為、質問は喉の奥へと引っ込んだ。

「ほら、ぬるくなるまでこれで目あっためろ。その間に髪弄ってやるから」
「ありがと、ボニーちゃん」
「ったく、寝不足なんて初歩的なミスやらかすなよなー。目の周りは顔ン中でも皮膚が薄い場所だから、血行悪くなると隈になりやすいんだよ。仮にもモデルなら顔色までケアしとけ」
「すみません……耳痛い…」

 染めているのか地毛なのか、綺麗な桃色のロングヘアーを持つ女性のジュエリー・ボニーはこれまで何度か化粧を担当して貰っている顔見知りのイレブンノヴァスタッフだ。

 彼女自身モデルでない事が不思議な位の小顔且つ華奢な美人で、少々勝ち気な性格と気さくな態度により初回の顔合わせから気兼ねなく接してくれて、此方の業界ではシャチの次に早々と打ち解けられた人物でもある。
 何処かの事務所や雑誌に専属としてついているヘアメイクスタッフは珍しいそうだが、毎度同じ人に肌や髪を弄って貰えるのは緊張せずに居られて有難い。

 手渡されたタオルで両目を覆う。髪がミストか何かで湿らされたりブラシで梳かれる感覚を受ける合間、少し熱い位に温められたタオルの温度と重みが瞼だけでなく目の奥にまでじわじわと染み入ってきて、自然とリラックス出来た。

 整髪剤だろうスプレーの噴射音が頭の片側から聴こえる頃にはタオルを押さえる片手に伝わる布地の感触はひやりとすらしていて、もう良いかと顔から外す。
 それに併せて背後に立つボニーが作業の手を止め、正面の鏡越しに大きな瞳と視線が絡んだ。

「ん、さっきよりかマシだな。念の為ファンデーションの前にBBクリーム薄付けしとくか」
「お任せします」

 俺の髪は左側のサイドが耳にかけられて固定され、前髪は普段よりも斜めに流されて頭頂部はワックスか何かで無造作に動きが付けられていた。
 こうやって短時間でさりげないアレンジをされると、何となく自分でも日頃実践してみたい気にもなるが、恐らくいざ自宅で鏡と向かい合ったら面倒になるのがオチだ。

 そこから多少メイクを施され、全ての準備が終わって衣装の一部でもある腕時計を見れば、撮影開始予定時刻の五分前だった。扉の向こうに在るフリースペースでは先にローが個人ショットの撮影に勤しんでいる筈なので、出て行って良いものか迷う。

 此処は撮影用のスペースが一室しか無い小さなスタジオの為、大まかなスケジュールとしては午前にロー個人、正午からツーショット、それが終われば俺個人の撮影が行われる予定ではある。

 とは言え創造分野の仕事が故に、その予定時間が前後する事は珍しくない。
 まだローのピンショット撮りが終わりそうにないようなら出来れば見学したいけど、と何と無しにボニーが出て行ったきり閉まっている扉を見つめていると、不意にその向こうからスタッフの声が聴こえた。

「アルトさん、スタンバイ入れますかー?」
「はい、今行きます!」
「いよいよだなァ、頑張れよアルト」
「…………」
「うん、先ずは椅子から立とうぜアルト」

 
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