玄関で初対面を果たした際は撮影の合間の休憩中か何かだったのか、撮影スペースに居るローの服装は変わっていなかった。
 室内の端に置かれた、背凭れと肘掛けがそれぞれ滑らかな曲線を描く木造りの椅子に腰掛けてただペットボトル飲料を飲んでいるだけなのだが、実はこの現場が隠し撮りされていて撮れた映像をその儘飲料のCMに起用するプロジェクトでも動いていそうな位には雰囲気が在る。

 女性モデルとは異なりアイカラーやチーク、ルージュなど顔に何かしらの色彩を上乗せするアイテムを使う事が少ない男性モデルは、こうした何気ない瞬間までも格好良い人が看板を務めてくれるから一定の需要が保たれるのかもしれない。撮影する角度で意外と人間の見た目は変わって見えるが、ローは全方向隙が無さそうだ。

「お疲れ様です」
「おはようございます、お疲れ様です」
「月刊ドレスローザ編集部のサボだ。急な話だったのに請けてくれて助かった、よろしくな。今日カラコンとか着けてるか?」
「いえ、此方こそお話を頂けて有難い限りで…。と、目は裸眼です」
「バストアップで撮るけど今の儘で構わねェか? ウチの雑誌、カラコンとかはあんまりとやかく言わない方だから、ブラウンとかグレー系で良けりゃ着けて貰って良いぞ。度なしだから眼科の処方箋も要らねェし」
「あー……」

 ウェーブのかかった金髪を顔の片側へ流した、人の良さそうな青年の提案に、直ぐには返答が浮かばなかった。

 幸い視力は良い方なのでコンタクトレンズを装着した事が無い。社会勉強だとシャチに連れられて行った人気ブランド「クリミナル」の展示会で知り合ったナミという女性モデルがカラコンを着けている写真をSNSや雑誌などで何度か見かけていて、瞳の色一つで存外印象が変わる事は知っているので興味が無い訳ではない。
 けれども幾ら医療管理機器とは言え目に薄いフィルムを入れるのだから、初めてともなれば流石に異物感はありそうだ。

 俺のコンタクト装着経験などサボが知る筈も無いのだし、単純に意向を尋ねてくれただけなら断った所で此方の印象が悪くなるという事にはならないだろう。
 そう思って口を開きかけた折、斜め後ろの椅子に座していた筈のローの顔が突然横から現れた。

「…………」
「…………?」
「コイツは裸眼の方が良いだろ」

 透明感がある薄い灰色の瞳に見下ろされ、無言の注視に対し用件を訊くべきか迷って口を開かずに居ると、ローはそれだけ言って視界から消えた。
 もしかすると褒められたのだろうか、と前向きな想像をするには微妙な一言だが、"良い"と言われたのは確かだ。照れる程の内容ではないものの少し緊張が解れる。

「トラファルガーさんがああ言ってくれましたし…あと、俺コンタクト着けた事が無くて。初体験で撮影に臨むのはちょっと不安なのでこの儘で大丈夫です」
「あ、そうなのか? 悪い、俺の周りの若ェ連中はファッション感覚でカラコンしてる奴多いからついその前提で言っちまった。…と、後コレ。今回必ず使って欲しいアイテムだ」

 頭を掻きつつ詫びるサボの態度は決して不快ではなく、眉尻を下げた表情から当人の人柄の良さが何処か感じられて、気安い口調も軽薄な印象は受けない。
 サボは次にふと何かを思い当たった表情を浮かべ、畳まれたレフ板やカメラのレンズキャップが置かれた卓へ歩み寄ると机上から何やら掴み取って戻って来た。

「アルトの顔を事前に見た上で選んで来たから、多分合うと思うんだよなァ。着けてみて貰って良いか?」
「あ、はい」
「…お。うんうん、やっぱ良いと思うぜ。締め付けのキツさとか大丈夫そうか?」
「特に問題ないです」
「うし、じゃあそのまま撮影入るからな。ロー、アンタもこっちかけてくれ」

 手渡されたのは伊達眼鏡だった。太めのフレームはネイビーとホワイトの二色のストライプ模様に彩られ、ネイビーの方が幅が広く、派手過ぎない。
 弦の部分には左側だけ丸い金色のスタッズがあしらわれているので多少は購買層が限られるかもしれないが、柔らかい印象を受けるオーバル型のフレームは女性が着けても何等可笑しくなさそうだ。光の反射を懸念してかレンズは既に外されている。

 特に弦の締め付けが強いという事もない。頷いて見せると、満足そうに口元へ笑みを乗せたサボはローの元にも向かった。

 ローは色違いか何かだろうか、と何の気なしに視線を巡らせる。
 が、艶のある漆黒のフレームと、マットな質感が見受けられる弦の内側のみが鮮やかながら落ち着いたワインレッドに塗られたバイカラー且つ異素材の組み合わせによるスクエア型の眼鏡を私物が如く着けこなしている姿を目にして、最早モデル側でなくカメラマン側になりたい気持ちすら芽生えそうになった。

 見学スペースに居た筈のシャチがいつの間にか隣に来て俺の肩を叩く。

「分かるかアルト…あれが色気のバーゲンセールだぜ…」
「うん……よく分かんないけど分かる…」

 
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