「借りてきたのか」
「この辺って暑くも寒くもない微妙な気候海域じゃん。油断して冷えたら良くないし、こんなちゃんとしたの貸して貰えたから二人で使おうよ」

 何か言う前にローが姿勢を変え、脚を前へ伸ばす形にしてくれたのでその隣に腰掛ける。同じく寛ぐ体勢で互いの腰から下へ毛布をかけると、布一枚でも明らかに体感温度が上がった。

 その毛布に覆われた腿の上に、傍らから掌を上に向けた手が雑に置かれる。普段は俺が断りを入れたり、問答無用の節介でローに触れて回復させるパターンが多い為これまた珍しい。見た目より疲れていそうだ。

 上から片手を重ねてローの全身へオーラを拡げてゆきながら、背後の手すりに後頭部を預けて曇り模様の夜空を見上げる。
 うっかり念を発動した儘眠りこければ翌朝以降に差し支える、では済まない。背中は何かに凭れておらず維持するのがつらいこの姿勢なら、一瞬意識が落ちても首の痛みなりバランスを崩すなりして起きられる。

「カン十郎さん、だっけ。用事が増えちゃったね」
「あの侍が一人で息巻く分には大した支障じゃねェよ」
「だとしても、あの人の炎が出せる剣技は欲しかったな。撹乱に向いてる」
「…そう言やお前、ゾロ屋と遊んでたな」

 オーラそのものに付与してある温感とは別に、手肌へじわじわとローの体温が移ってくる。その、ぬるい温もりを一度意識すると、どうしてか喉と肺の境目辺りが少しばかり軋む気がした。

「見てたの」
「お前の覇気が少し揺れたからな。何かあったかと様子見に行ったがじゃれてるだけだった」
「いやー、ゾロ君抜刀の動作が速いよ。タイミング適当にして近付いたらザクっとやられそう。研究所のデカい扉斬ってたから本来はもっと広範囲に対処可能なんだろうし、なるべく峰で対応しようとしてくれてたのもあるから、ホント勝負って言うより戯れになっちゃった」
「お前は攻める時にも大して覇気を使ってなかったろ」
「万が一怪我させたらって思うと、やっぱね」

 胸をつかえさせているのは安堵だ。
 こうして、他愛ない話をローとしている今への、安堵。
 それから、この時間があと数刻で終わる事への、落胆のような抵抗感のような何か。

 心の準備を終えてパンクハザードへ上陸したと思っていたのに、俺が覚悟だと認識していたものは、ローの悲願を聞いて簡単にぐらぐらと揺れてしまっている。ローに着いてゆく事に迷いが生じた訳ではなく、何があってもローを信じるという点に於いてだ。

 否、信じてはいるのだ。クルーの皆とゾウで合流すると決めたのはローで、確実な再会の為にべポへビブルカードの欠片を渡すよう告げたのもローだ。その紙片もローが持っている。
 カイドウの組織を弱体化させる為にドフラミンゴをターゲットにしたのではなく、ドフラミンゴを追い込むにはカイドウに繋がるピースを利用する方がより効果的だと判断したにせよ、ローは死ぬつもりは無い。本人からもそう聞いたばかりだ。

 ────本当に、そうだろうか?

 また、思考は同じところへ戻る。

 信じているのだ。だから、信じた明日が、願った通りにやって来て欲しい。

「…工場の破壊、何人か回して貰って良い?」

 そんな事を、馬鹿正直には言えない。ローに後悔をさせない為の選択と、俺が後悔をしない為の選択は、必ずしも合致してくれないと気付いてからでは。

「覇気持ちは連れて行って良い。こっちは諜報向きのニコ屋と、逃亡補助で鼻屋を借りる」
「ウソップ君ってそういうタイプなんだ? 変わったパチンコ持ってたよね」
「前半の海で特定の環境下に限り自生してる植物を、飛び道具として応用してるようだ。火気には弱いが、弾除けから目くらましまで幅が広い。本人も生にしがみつく性格をしてる」
「それは何か分かる。じゃあこっちはルフィとゾロ君と……フランキーさん船に残りたがるかな? あの人船大工だって話だけど」
「工場探索には乗り気に見えたぞ」
「じゃ、サンジ君に船番頼もうか。能力者を多めに置いて行くのもそれはそれで心配だし、モモの助君は連れて行けないし」

 左から右へ、ローの虹彩よりも暗い灰色をした雲が流れてゆく。当たり前だが黙っていても時は進むし、日付は変わる。
 時が止まれば良いのにだとか、恋愛小説で使い古された文句を頭に浮かべる日が来るとは思いもしなかった。

 この手の作戦行動は何が起きても成し遂げる、何か起こっても突破するという気概を持たないと不測の事態で己の動きが止まる恐れがある。
 折角ハンコックから情報収集も行ったが、ローから以前聞いた話と照らし合わせても、ドフラミンゴに関して目新しい収穫は無かった。ドフラミンゴも映像中継されていたあの戦争でそう簡単に手の内を披露する驕りはなかったのだろう。

 だから本当は、嫌な想定こそ綿密にしておくべきなのだ。いざ的中してしまった時、抱く感想が「まさか」と「やっぱり」では意識を切り換える早さに差が出る。

「…アルト、もう良い。充分だ」

 とん、と手の側面を指先で軽く突かれる。体内時計での大まかな計測だがまだ十分間が経ったかどうかという所だ。
 確かにオーラを多めに流し込んではいたが、本当に回復しきったのかと上体を起こしつつ数センチ上にある顔を見上げると、今度は二回つつかれた。

「前に比べて、回復速度が上がってる。自覚ねェのか」
「あんまり…。えっ、本当?」
「お前の感覚がどんなモンかは俺にも分からねェが、明らかに短時間で済ませようと効果を底上げしてる時は別にして、疲労が抜けるのが早ェ」

 自分では全く気付いていなかった。だから研究所でトロッコを運搬しながら回復させた時も、思ったより早く解除のサインを送られたのかと納得する。嬉しい発見だ。

「寝るぞ。お前も妙な温存はせずに、明日にでも一旦体力は補充しておけよ」
「はーい」

 "有限の蜜(セルフチャージ・パナシーア)"を解除して改めて手すりへ寄りかかり、瞼を伏せる。自分の呼吸もローのそれも、不規則な波音が攫って行って聴こえない。

 鼓膜を撫でる波の水音が、ゆっくり意識を溶かしてゆく。

 目が覚めればもう、次の似た夜を手繰り寄せるべく足掻くしかなくなる。その不安感から眠りに就けるか心配していたが、ひたすら海の音を聴き続けている内に、不思議と目を開ける力が無くなっていった。
 身体が脱力していると判るのに、手足の先がやけに心地好い重たさに包まれて、動かす気が起きない。

 頭も重たくなる最中、重ねた手を離し忘れていると気付く。
 自然と指先が微かに動いたが、ローの手は其処に在る儘だった。
 



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