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 駅の構内直結のファッションビルに入ったは良いが、何を買うでもなく各階のメンズブランドや雑貨屋をひやかして小一時間が経った。

「何か飲まない? ペンギンさん達、仕事は夕方までだって言ってたし、座って連絡待とうよ」
「……そうするか」

 どちらからともなく一階まで降りた先でコーヒーショップが視界に映った途端、思い出したように喉の乾きを感じてローを休憩に誘った。
 館内と外を繋ぐ扉は閉ざされている為寒くはないものの、暖房が効いているとも言いにくい室温なので、店頭に飾られたメニューボードを見上げつつ注文に迷う。

「決まったか」
「黒ごまきなこラテの……マイルドホットにしようかな」
「先に席取ってろ。サイズは」
「S。バッグ預かろうか?」
「ん」

 レジ前に客が二人並んでいるのを見たローが気を回してくれる。ローの手荷物はクラッチバッグなのでドリンクを運ぶのに邪魔になるのではと片手を差し出すと、躊躇いなく渡された。
 その自然な動作に、どうにも擽ったいようなものが胸中へと湧く。

 店内を軽く見渡して、奥の壁沿いの席が幾つか空いているのを見つける。一番端を選んで腰掛け、自分の鞄と共にクラッチバッグも膝上へ置いたままマフラーを外して何気なく視線を上げると、注文をしているローの後ろ姿が見えた。
 濃いグレーのロングコートの上からでも、その肉体が引き締まっていると判る。

 あの長身に合うアウターを探すのも大変そうだなとぼんやり眺めていると、会計をしている女性店員の満面の笑顔も目に入った。ローの容姿では無理からぬ事だ。
 今日出逢ってから今までのやり取りで受けた印象として、ローは愛想に幾分欠けるとしても態度が悪い訳ではない。店員側も偶然の眼福ぐらいに思っていそうである。

 程なくして、ローが湯気のたつマグカップを両手に席へやって来た。

「ありがと」

 足元の荷物入れに鞄を纏めて収め、俺の注文分として五百ベリー硬貨をテーブル上に出すと、ローはジーンズのポケットから丸いレザーコインケースを取り出した。型押しされているロゴが目に入る。

「あ、『マリンコード』だ。買ったのってドレスローザ?」
「確か、家の近くの百貨店だ。シャボンディでも買えるだろ、こういう小物なら割と見かけるぞ」
「それがさ、財布とキーケースは見かけるのにコインケースが意外に置いてないんだよ、近場の店。来年の話ではあるんだけど弟にそれ位のサイズの奴あげたくて、出来れば直接見たいんだよね……ネットで買えば直ぐなんだろうけど」

 一つ年下のゾロは順調に行けば来年の春に大学を卒業する。祝いの品にレイリーは腕時計を選ぶつもりだと聞いているので、俺は財布か靴を贈りたい。
 ゾロは高校の入学祝いでレイリーから貰った三連ピアスを大事に扱っているが、咄嗟に外す必要があった時はつい服のポケットに入れてしまうと本人が言っていたので、小物が仕舞えるコインケースも付けようかと最近思い始めていた。『マリンコード』は老舗ブランドだが、主に合皮や本革を使用したシンプルなデザインの物ばかりで、年代に関係なく持ちやすい。

「お前、弟が居るのか」
「うん、二人。どっちとも血は繋がってないから、書類上とかだと他人になっちゃうけど、俺は弟みたいに思ってる。そうだ、帰り遅くなるって言わなきゃ」

 きなこの優しい甘さが香るラテを口に含みつつスマートフォンを取り出し、メッセージアプリの連絡先から一緒に暮らす四人で構成されたグループアカウントを選び、顔合わせ先で旧い友人と再会して夕食を共にする事になった旨を打ち込んで送信する。
 手が空いていたのか、三歳年下のルフィから即座に猫がショックを受けているイラストのスタンプが返ってきたが、然程経たずに『友達に会えたのか! 良かったな!』という一文も送られてきた。

 ルフィはレイリーの遠縁だそうで、七年前に家の事情でレイリーが面倒を見る事になって引き取った。小さな頃から、人の幸運や吉報をまるで自分の事のように喜んでくれる子だ。そしてもう六年近く俺の手料理を食べているのに毎回美味しいと言葉にしてくれて、休日は調理の様子を覗きに来たり、手伝う合間に隙を突いてつまみ食いに挑戦したりする、もう一人の可愛い弟である。
 ローはこの話題を掘り下げようとはせず、エスプレッソが注がれたカップに口を付けつつ長い指で自分のスマートフォンを弄る。

 ローにならば俺の少し変わった家族構成を話す事自体は構わないと思えるが、こういった第三者との席の距離が近い場所で口に出すのは少し引っかかるものでもあるので、此方も飲み物を味わう事に暫し集中させて貰う。 

『──♪ ──♪』

 短い間隔の振動音に、互いの視線が一箇所へ向く。テーブルに置かれているローのスマートフォンが鳴っていた。

「俺だ。……駅の南口から入るビルの、一階のカフェに居る。ああ。……分かった」

 通話を終えたローが耳元から液晶を離す。そのまま何やら操作した後、俺に画面を見せる形で端末を差し出してきた。先程ペンギンが自分のスマートフォンで見せたものと同じQRコードが表示されている。

「今からペンギン達がこっちに向かうそうだ。お前も登録しておけ」
「……そういえば交換してなかったね」

 メッセージアプリにローのアカウントを登録する。
 黒一色の、何のマークも柄もない丸いアイコンだ。大抵の人は写真やイラストを使っているので却ってローである事が分かりやすい。柴犬が駆け回っている手描きタッチのスタンプを送っておく。

 直ぐに出られるようコートを羽織って数分もすると、店の外にペンギンとシャチがやって来た。ダウンジャケットを着たシャチが手を挙げるのに対して片手を振り、先にローへバッグを渡してから自分の荷物を持って席を立つ。
 店外に出たところで、シャチが席と俺を見比べるように小さく頭を動かした。

「どうしたの」
「いやー、イケメンが並んだ時の効果を目の当たりにしてんだよ。二人が立ち上がった時、周りの女の子何人かチラチラ見てたぜ」
「それローを見てたんじゃ……」
「っは〜、困りますなァ、今後全国の女相手にブイブイ言わせてこうっつー御仁がそんなではァ〜。オレに注目しろ! ぐらいで丁度イイんだよ」
「ファン相手にブイブイ言わせて良いの? 聞こえ悪くない? あと、今日はシャクヤクさんの話聞きに来ただけだよ、俺もローも。具体的な事は何も返事してない」

 ビルを出て前を歩くペンギンに着いてゆく道すがら、まるでデビューが決まっているかのような発言をするシャチにそう答えると、サングラスの向こうの目が丸くなった。

「え、マジで? 何で?」
「続きは中で話そう。個室取れたからゆっくり出来るぞ」

 声をかけてきたペンギンが、左手のビルの階段を昇る。後に続くと、紙提灯の穏やかな灯りが優しい雰囲気を醸す居酒屋の入り口が現れた。
 



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