「俺、何か変な事言った?」
「恐らくだが、覚えてる範囲や程度に個人差があるってだけじゃねェのか。後で聞き比べりゃ良い。何より、互いに相手が誰だか解っただけで充分だろ」
「……うん」

 それはそうだ、と素直に思えて頷く。自分以外の三人が誰なのか各自が理解出来ていて、文字通りの仲間外れは居ない。一番嬉しい事だ。

「──あら。どうしたの、こんな所で。あの子達ったら出迎えろだとか言った?」

 今度はノックなしで開いた扉の向こうから、黒髪をボブカットに整えた妙齢の女性が入ってきた。女性は立ったままの俺達を見て瞳を瞬かせると廊下を振り向く。

「いえ、そういう訳では。その……さっき来られたスタッフさん二人と、昔交流があって。こんな所で再会するとは思わなくて、つい立ち話を」
「ホント? そんな素敵な事あるのね。それじゃ、そちら側に座って貰える?」

 促され、ローと隣り合わせでテーブルの片側へ着席する。鞄を足元に置いて居住まいを正すと女性も向かいに座った。

「ローさんと、アルトさんね。今日は時間を作ってくれてありがとう、ピース・オブ・ハート代表取締役のシャクヤクよ」

 卓上で両手の指を組んだシャクヤクの挨拶に会釈を返す。

「二人とも私の知人を通じて事前に紹介して貰ってるけど、かねてから芸能界入りを志していた訳じゃないのは聞いてます。……うーん、でも、率直な感想を言って良いかしら? 私は貴方達が良いわ。もし今回の話が纏まらなくても、モデルでウチに入って欲しい位。カッコイイもの」

 褒められたのだろうが、果たして喜んで良いものか分からず反応に困る。

「先に、どういうユニットを作りたいかを説明させて貰うわね。と言っても、此方でコンセプトを用意してる訳じゃないの。それって自由じゃないでしょ。今はメディアにもネットにも一切顔を出さない歌手やバーチャルシンガーも珍しくないし、アイドルだからこうでなくちゃ、って言うのを押し付けたくはないのよね。なのでその辺りの活動方針、姿勢、スタンス……そう呼ばれるものは、アーティスト側の意向を可能な限り汲みたいと思ってます。三ページ目を開いてくれる?」

 先程シャチから渡された冊子資料を捲る。其処には、この事務所と専属契約を結んだ場合、契約者の何が尊重されて何処までが管理されるのかというような内容がやや堅苦しい文面で連なっていた。

「貴方達から何か要望や意見を貰った時、それを前例の有無を理由に跳ね除けたり、頭ごなしに否定する事はしないと約束するわ。前に倣えじゃ頭ひとつ出る事は出来ないと思ってるの」
「……所謂<アイドル>みてェに、笑顔と愛想を振り撒く気はねェと言ってもか」
「全然アリよ? こう言ってしまってはなんだけど、どんなやり方でもファンを増やせたならそれは失敗でも間違いでもなく、個性の獲得と確立だもの。でも貴方の言う方針だと、理想を語る子達をシンプルに実力で黙らせる必要はあるわ」

 思い切った事訊くなあ、と横目にローを見る。けれども確かに、満面の笑みで客席へ手を振るローの姿は想像しにくいし、俗な言い方をするなら「キャラ」ではない。

「貴方は? これだけはちょっと、っていうのある?」

 話を振られ、アイドルの単語から連想する音楽アーティストの姿を思い浮かべる。

「……嫌だ、とまではいかないんですが……極端に甘い台詞と言うか、そういうのが自分に言える気はしないですね」
「女性ファンに対して、芸能人ではなく男として接するかのような振る舞いって事?」
「そうですね、そんな感じの……。ファンの人達とそういうやり取りをするアーティストの方を否定するとかではないんです、勿論。素人考えですが、そういう期待に過不足なく対応するのは本当に凄いと思います。ただ、もし自分がとなると……」
「右に同じく」
「どちらが正解という事もないわね。私としては、本来の性格とアーティストとしての姿がかけ離れて苦しむ事のないようにして欲しいわ。ファン一人一人に違った色や形の愛を選んで返すのも、分け隔てなく同じものを返すのも、どちらもそれぞれ違った苦労があるもの。でも二人して具体的な質問をしてくれるなんて、所属を前向きに考えて貰えてるのかしら?」

 このシャクヤクの質問には、思わず正面ではなく真横を向いてしまった。
 何故この場にローが居るのか理由は知らないが、そういえばローの意志を聞いていない。実は乗り気であった場合、俺が辞退するのはかなり気まずい。

 ローもまた、俺を見ていた。
 そして互いに目が合っても何も言わない。
 保留と言ってしまえば意欲があるかのようにシャクヤクの目には映るかもしれないものの、即断ではっきり断るのはレイリーの面子に関わる気もするし、正直今のやり取りだけで是も否も答えにくい。

「流石にこのタイミングでこう尋ねるのは早かったわね」

 言い淀んでいると、シャクヤクの方からこの話題を切り上げてくれた。

「じゃ、此方から提案させて貰うわ。貴方達二人で組んで、仮契約でお試しデビューしてみない?」
「……詳しい内容を聞かねェ事にはイエスもノーも答えられねェ」
「そうよねェ。七ページ目を見ながら聞いてちょうだい」

 試しにデビュー出来るものなのだろうか。条件を弛める、つまりはハードルを下げられると「それ位なら」と流されかねないので居住まいを正す。事務所の代表相手に一切敬語を使わず話すローの態度が頼もしいやら怖いやらだ。

「仮契約期間内で貴方達に求めるのは、楽曲二曲の音源収録と、その内一曲のダンスを伴ったミュージックビデオ撮影。製作した映像と歌は動画投稿サイトで公開させて貰うわ。その動画の再生回数……つまり世間の需要ね。それが一定のラインを超えたと判断した場合はCDも発売」
「それは……もう、お試しの域を超えてるのでは……?」

 動画配信先行とは言え、どう聞いてもシングルデビューである。
 つい片手を挙げて口を挟んだ俺に、シャクヤクはにっこりと笑って見せた。

「ウチの事務所ね、五月で立ち上げてから丸三年になるのよ。公開時期をその辺にしておけば、あくまで記念として作ったユニットだとして動画一本、CD一枚で終わらせる事も出来るわ」
「……なるほど」

 逃げ道は用意してくれるらしい。

「二人とも、ダンススクールや養成所に通った事はないんでしょ? それなのにいきなり現場に放り込むつもりはないわ。実際に周囲からは殆どプロだとして扱われながらレッスンを積んで貰って、曲を作って、<本物>を体験して。その上で改めて、音楽活動をしたいかどうか二人で検討して貰えない? その間、お給料と交通費は支給するし、練習スタジオの利用料、レッスン料も、流石に無料にはしてあげられないんだけど融通するわ。貴重な体験の機会ではあると思うけど、どうかしら?」

 再びローと目が合う。

「……五月頃まで、どういった事をするんでしょう?」
「四月半ばにレコーディングと撮影をするから、それまではずっとレッスンね。あ、その合間に撮影用の衣装の打ち合わせも。レッスンに関してはダンスとボーカルそれぞれのトレーナーを用意するけど、練習内容……それとスタジオに通う頻度はトレーナーが貴方達の状態や予定を見て都度調整するでしょうし、現段階で私の口からはっきりとしたスケジュールを伝えるのはちょっと難しいわ」

 今は一月下旬だ。楽曲制作を請け負った場合、準備期間はおよそ二ヶ月しかない。
 いずれにせよ、シャクヤクが俺とローを組ませたいと言っている以上、きちんとローと話をしたい。

「……考える時間を頂けますか?」
「勿論よ。貴方達の生活スタイルもガラッと変わるでしょうから」
「返答の期限はあるのか」
「今月中だと助かるわね。確認したい事、気になる事があればこのアドレスにメールをちょうだい? 仮契約の返答もメールで構わないわ。内容を確認するのは私と会社専属の顧問だけだから安心して。私からは以上よ」
「ありがとうございました」
「期日までには連絡する」

 机上に差し出された名刺を受け取る。
 荷物を手に一礼して席を立ち、部屋を出ると、ドアの横にペンギンが立っていた。

「生憎と夕方まで仕事で。二人の住まいは?」
「俺はシャボンディの三十番台」
「ドレスローザだ」
「あー、ローさんちょっと遠いんですね。でしたら悪いんですが、終わったら連絡するんで近場で時間を潰していて貰えると……」
「……お前にそう呼ばれるのは耳慣れねェな」
「ハハ、俺も言い慣れません。でも『船長』呼びは第三者に変な顔されちまいそうですから。じゃ、俺のコード読み込んでください。シャチの連絡先も後で俺から送りますね」

 ペンギンが差し出してきたスマートフォンの画面には、メッセージアプリのQRコードが表示されていた。俺とローで順番に端末のカメラを翳して読み取る。
 連絡先一覧にペンギンのアカウントを登録し、向こうでも俺がスムーズに登録されるよう適当なスタンプをひとつ送り、片手を上げて小走りで去るペンギンを見送った。

 先程のシャクヤクの話と言いこの状況と言い、何だか現実感が薄い。色々な事が一度に起きて頭が着いて来ない。

「お前、昼は食ったのか」
「家出る前に軽く。ローは? 何処か行きたい所あるなら付き合うよ」
「いや、此処ら辺は殆ど道を知らねェ。時間潰しやすいのはファミレスだが、後でアイツ等と飯食う事を考えるとな……。適当にうろつくか」
「そうだね」

 腕時計を確認する仕種を、初めて見るなあ、と思う。
 ローの言動に対して不意に懐かしさを覚えたり、小さな発見を得るようなこの感覚とは、今後も付き合ってゆくのだろうか。自分の事なのによく分からない。
 



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