ローが手を傾け、揺らし、逆さまにしても、手中の置物──ロー曰くエターナルポースの内側に在る針はその都度くるくる動いて同じ方向を指す。

「特定の島の磁気のみを記録して、その方角を示し続ける。海賊よりは貿易商船や賞金稼ぎ、漁師に重宝されるから珍しいモンじゃねェし市場に出回ってもいる。…が、決して安くはねェ。まァ、"七武海"なら余所からぶん取るなり買うなり、複数溜め込んでいても可笑しくねェが……」
「何で姫様そんな便利アイテムくれたんだろう。この島に行けってアドバイスかな」
「だとすりゃ余計な世話だ。…謝礼金代わりかもしれねェな、あの国内じゃベリー通貨は使わねェと聞いた事がある」
「あー、何処かで換金して足しにしてね、って事?」

 まさかの窃盗疑惑を否定すると共にエターナルポースはジャングル内でハンコックの連れている大蛇に貰った事、様子からしてハンコックの使いであっただろう事を話せばローは浅く頷いて「だろうな。女に対して無駄に甘いお前がこの島で盗みを働くとは思わねェ」と返して来た。女性に対して無駄に厳しいよりは良いだろうと訂正していない。
 硝子玉の上部に在る板の側面には小さく文字が彫られている。これが島の名前なようで、他に情報は何もない。

「この島、ちょっと前に新聞に名前よく載ってなかった?」
「麦わら屋の一味が騒ぎ起こしたからだろ」
「あ、それだ。写真見たけど綺麗な島だよなあ…」
「…行きてェのか?」
「え? ……んー…」

 潜航開始に伴うエンジンの稼働に併せて船全体へ弱い振動が広がる中、廊下を真っ直ぐ進む。
 食堂が近付くにつれ複数の人間が集うざわめきが聞き取れる傍ら、ローの手に収まっているエターナルポースを見下ろしながら何気なく呟くと、てっきり相槌か同意を返してくるかと予想していたローの口から問いかけが紡がれた。

 そう訊かれるとは思っていなかったので、少し考えてみる。
 しかし俺はペンギンから地理を教わったとは言え、それぞれの島の特色まで暗記する域には達しておらず、島の名前を見ても何が特徴的な場所なのか咄嗟には思い出せない。新聞を流し読みしていた際に写真が目に留まって、まるで絵画のような外観を持った島の姿に感嘆しただけなのだ。

 これからの予定にこの島への寄港が含まれているならローはそうと言う筈だし、現時点では立ち寄るつもりがないのだろう。
 ついでならともかく、流石に態々舵をきって貰うのは気が引ける。其処までの我が儘を言いたい程にこの島への上陸を熱望してもいない。

「観光出来るならしてみたいけど、次に行くのシャボンディと魚人島だろ? この島が何処に在るにせよ航路引き返す事になっちゃいそうだからいいよ」

 食堂の扉を開けつつ答えると、何やらローの双眸が細められる。扉の前で突っ立っている訳にもいかないからか脚は止まらなかったが、ローが手近な椅子に腰かけながらがやがやとした空気の中に細い溜め息を漏らしただろう事は挙動からして察しがついた。

「お前は本当に、食に関係しねェ物事だと我が儘の一つも言わねェな…」
「いや航路に我が儘言うってどうなの」
「勿体ねェな〜、あそこまで行って…」
「入ってみたかったな〜、女人国…」
「クマなら良かったけどな」
「うっせェお前! なァアルト!?」
「いやベポに八つ当たりするってどうなの」

 出発して尚机に突っ伏して未練を吐き出すシャチから急に話を振られたので、出来る限りの真顔で答えた。
 周囲が女性だけだとそれはそれで気を遣いそうなものだが、俺より余程海上生活の長い皆にとって、女性との触れ合いは俺が想像するよりも切実に求めてやまないのかもしれない。堅物ではないが割と理性的な人だと思っていたペンギンまでこうも名残惜しげとは若干意外だ。

「ペンギンさん、結構遊び好きなとこあるんだね」
「………いや、あのなアルト、俺は決して節操無しだとかそういうんじゃなくてだな、あくまで人並みに」
「ウン、ワカッテル」
「最後まで聞こうな!?」











「アルトー」
「何?」
「片付けが終わったら船長が部屋来いってさ」
「分かった、ありがと」

 厨房に顔を出したクルーの伝言に頷いて、洗剤の泡を流し落とした皿を水切り用の籠へ立てかける。昼食後にすべき俺の仕事は洗い物で丁度終わりなので、流し台の下に作られた備品入れの扉の取っ手に掛けられたタオルで手を拭くと食堂を出た。

 刀術の稽古なら鍛練場へ呼ばれるだろうし、何の用事だろうか。朝に起こしに行く、または食事を届ける以外の用向きで船長室に顔を出す事は少なく、最近何か叱られるような失敗をやらかした覚えもないので予想がつかない。

「入れ」

 ノックを小刻みに三回。火急では無い用向きで訪ねる際の合図で到着を伝えると直ぐに応答が返った。

 扉を開けると、室内中央に据えられた机の前に立つローが先ず視界に入る。机上に広げた地図を眺めていたらしいローは僅かに顔を傾けて此方に視線を遣り、来訪者が俺だと判ると腹の前で組んでいる腕を解いて指を揺らす仕種で呼んだ。

 従って傍まで足を進めるとローが一歩後ろへ下がり、ローの脚と椅子で隠れていた物が露になった。

「刀架だ。急拵えだが、床に置き続けるよりは良い。保管場所は本棚の脇に移すから覚えておけよ」
「とうか…」

 俺の木刀は購入時に店主から「幾ら素材が特殊で頑丈だろうが木は生き物だ。陽が当たったり湿り気の在る場所に置くんじゃあねェぞ」と忠告を受けた為、船内においても比較的人の出入りが少なく室温が変動しにくいローの船長室に置かせて貰っている。
 今まではベッドの横の壁際に寝かせていたそれが、刀架という名らしい木製の用具の上に横向きに置かれていた。鍔の近くと切っ先の手前をY字型に造られた二対の板が支えている。

 急拵えという言い様からして、ローが元々使っていた物ではなく態々新たに製作してくれたのだろう。とは言えローが工具を持つ姿を見た事はない上、医者が手に怪我を負いかねない大工仕事をしやしないのではと思う。

「……………」
「………。何してんだ」
「見ての通り」

 そう、思ったのだが。ローが何喰わぬ顔でパンツのポケットへ捩じ込んでいる右手の指に絆創膏が貼られているのを見つけて、果たして何処ら辺までの可能性を視野に入れたものか一瞬迷う。

 原因は紙で切ったのかもしれないし、ささくれた机や椅子の端だとかかもしれないし、もしかすると工具の類いなのかも判らない。
 ただローが、医者としても武人としても大切な場所を怪我をしている事だけは事実なので、その手首を掴んで"見えざる繭(ソフトプリズン)"を発動した。

 



( prev / next )

back

- ナノ -