「戦闘部族? 女ヶ島に住む人間の全員が?」
「噂だが、ほぼ真実と思っておいて良さそうな話ではある。女ヶ島が荒らされたって話は聞いた事がねェ。女帝屋が海賊として海に出て国を留守にする間は島民が余所者を排除してるなら、軒並みその辺の野郎よりは闘える連中の筈だ」
「暴漢が来ても返り討ちにするレベルなんだね…。姫様の船に乗ってた子、全員そんなにも屈強な見た目はしてなかったけどなー…。何か普通に香水? か石鹸? みたいな香りがしたよ」
「男よりは身だしなみに気を配ってるだけだろ。軍艦並みのデカさの船を持っているとは言え、女しか居ねェ九蛇海賊団が敵船を沈没させる記事は時々新聞に載る。女帝屋の口振りからして、あの女も覇気の存在は知っているようだからな……部下も同様に扱える可能性は高ェ」
「……あ、なるほど」
「…つうか、そう言や」

 九蛇海賊団がクルー揃って覇気を扱える可能性を示唆され、薄ら寒い気持ちになりながら着替えに袖を通す。
 かいた汗を放置すれば身体の冷えに繋がるからと鍛練場を出た足で風呂場に向かい、シャワーを浴びる間ローより改めて覇気に関する細かな説明を受けていたのだが、浴場を出る頃には話が女ヶ島とその住人について及んでいた。女性のみが暮らす島の防犯面を憂慮した俺の気持ちは全くの杞憂だったらしい。

 水気を含んで肌に張り付く毛先から垂れる雫が早くも冷え冷えとしている。カットソーを着た折、不自然に途切れた声に隣人を見上げた。

 細身のパンツに脚を通し、上半身は裸体を晒した儘のローが、自分の髪を拭く手を止めて此方を見ている。
 俺の首の辺りに視線を寄越すローの眉が当人の疑問を代弁するように片方上がった。

「女帝屋の配下にお前より髪が短ェ女も居たぞ。切れって意味じゃあねェが、何だって後ろ髪だけそう伸ばしてんだ。鬱陶しくねェのか」
「ああ…、予防策みたいなものだよ」
「予防? 何のだ」

 近頃鋏を入れていないので今は毛先が鎖骨近くにまで届いているが、元々俺は襟足の部分だけ髪が長い。夏場などそれが煩わしい時は適当に結んだりもするものの、ハンター試験を受ける前から長さを変えた事はなかった。
 そして試験に受かって以降、自宅内はともかく外出先へ髪を弄って出かけた事もない。それは今も変えていない癖だ。

「首の後ろって人体の急所だろ? 殴られても蹴られても切られてもヤバいし」
「……? そうだな」
「で、髪の毛ってちょっとした風とか動きでも結構揺れるし、細い髪が一本頬に触ったりしても意外と分かるじゃん。だからもし背後から殺気もなく襲われた時に、項に髪が在れば意外と察知……出来たら良いなあ、って言う理由で伸ばし始めたんだ。気休めだよ」

 自分の意向だが、改めて言葉にすると我ながら結構情けないと言うか臆病な理由で苦笑が漏れた。ハンター試験前と最中は同じ受験生からの攻撃を、プロになってからも野生動物を警戒する必要があったので、結局髪型は四年以上変わっていない。

 本当に気休めとしか言い様のない小さな工夫で、相手の素早さが俺の反応速度を上回れば無意味だ。お守りとして天然石を持つようなものと似た行為だろう。
 自分のオーラを一定以上の直径で周囲へ円状に拡げ、その範囲内に侵入する物を感知する「円」を覚えてからも、何となく切る気にはならず今日まで過ごして来た。

「………。そうか」
「ちょっ、痛い、地肌が痛い」
「拭き方が雑なんだよ、ほぼ生乾きじゃねェか。人より髪が長ェならその分乾きにくいんだから湯冷めに注意しろ、…ったく」

 想像していたより理由がくだらなかったのか、簡素に相槌を打ったローの手が唐突に俺の首へかかっていたタオルを取り上げて頭に被せ、片手で頭を鷲掴むようにして拭いてきた。
 出来ればもう少し弱い力加減だと有難い。が、面倒くさがってあまりきちんと髪を拭いていなかったのは事実なので耐える。

 まるで保護者か何かのような物言いが、遠い日の母親と被った。夏季に限らず俺は髪をしっかり乾かさない事が度々あって、傍目に不自然な艶を持つ髪を見た母にその都度注意されたものだ。

「母さんにもよく言われた。ちゃんと乾かせって」
「お前は昔から変な所でずぼらだったんだな」
「ハハ、食材と同じぐらい自分にも気ぃ遣えとも言われてた」
「……料理は母親から教わったのか」
「そう。父さんと母さんは出身国が違うんだけど、母さんは醤油の発祥国の生まれで、料理好きな人だった。……そう言えば、母さんが一番得意だった料理だけ、今でも同じ味には作れないんだよな…」

 醤油と砂糖だけで味付けされた卵焼き。薄焼きにした卵を幾度も巻いては重ねる調理法も、その見た目も、先ず醤油と言う調味料の存在すら、父親の生まれ故郷に家族揃って住んでいた当時は自分の家以外の場所では全く見聞きしなくて、子供ながら内心得意だったものだ。

 両親が逝ってから時折自分で作ってはみたが、これまで何度試しても記憶の中に息づく味が舌の上に再現されはしなかった。
 この味じゃない、と思う度に料理が好きな身としては些か悔しくて、けれども"母の味"が上書きされない事が何処か嬉しくて、いつしか卵焼きは作らなくなった。醤油は元より俺の好物であった事と、母の味を身近に感じ続けていたくて、購入ひいては製造を続けていた。

「アルト」
「ん?」
「お前、親は」
「今は居ないよ。二人共、六年前に流行り病で」

 ふと手を止めたローの声が、タオル地を介してやや籠った響きで以て聴こえる。妙に空気を強張らせないように努めて穏やかな調子で答えると、其処から数秒沈黙が流れた。
 今では哀愁や懐古にそう引きずられる事は無くなった俺自身より、俺が両親に関する点だけは過去形で話した事で察しがついたのか言葉少なに問うたローが気になって背後へ首を捻る。

 薄灰色の虹彩の内側でちらちらと瞬くものが何なのか明瞭に見当をつける事は難しいものの、ローの眦にも口端にも、露骨な憐憫の色は滲んでいない。

 視線が交われど変わらず此方を見返す瞳が一度瞼に隠れ、再び覗き、薄い唇が僅かばかり開いてから一秒後に、低音が鼓膜を揺らした。

「昔、俺にも両親と妹が居た」

 決して俺が言えた台詞ではないのだが、己の素性や経歴、過去の類いについて語らう事が殆ど無いローが自ら明るみにした事実に、俺もまた暫し黙ってしまう。過去形の物言いで綴られた理由は言わずもがなだろう。

 ふとローの視線が移ろいで、俺の視界の外、依然頭へ添えられている己の手を一瞥するような素振りを見せる。
 次いで些少な衣擦れの音すらなく伸ばされていた片手は降り、三度俺の鏡像を映し込んだ双眸が心なし柔い細まり方をした。

「…この歳で弟が出来るとは、思わなかったな」

 言葉が耳の中を通り抜けて、頭蓋の中を一周し、喉を過ぎて胸と腹の境目辺りにするりと落ちる。
 俺が三日ほど前にハンコックへと向けてハートの皆が兄代わり云々と綴った台詞を組み込んでの発言かもしれないが、今しがたの文脈と併せれば何とも形容し難いものが胸腔へと湧き出した。

 思いがけず自生した面映ゆさについ視線の置き場をローから逸らすも、不思議と傍らで笑む気配がはっきり感じ取れる。
 俺の方こそ、この歳になってこんな良い兄代わりが出来るとは思いもよらなかった。

 



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