思えばこいつはいつもそうだ。俺が初めて出逢った日に海水を浴びせられた時も、図書館で銃口を向けられた時も、シャボンディで機械人形と対峙した時も、他の海賊団から標的と定められた時も。本当にそれこそ番犬かのように前に飛び出す。俺の前へ、敵の前へ。

 それを不快だとは思わない。可笑しいとは思わない。だが、当然だとも思わない。

「ロー。ローってば、」
「…ああ、後一時間」
「まあまあしっかりとした二度寝! 女ヶ島が見えたんだよ、ローは船長だから甲板に顔出しとけって姫様が言ってんの! あと三十分ぐらいで着きそうだから起きろ!」
「………お前、今何つった」
「すいません起きては頂けませんでしょうか…」

 恐らくこの船内において、勢いであれ命令口調で俺に物を言うのはこいつだけだろう。
 窓から射し込む朝陽が与えてくる目映さを遮断すべく目の上に乗せていた腕を退け、瞳だけを動かしてアルトを見遣ると、途端にアルトの視線が逸れた。

 その顔を見ていても先の言い様に対する苛立ちが生まれる訳ではない。敬語を使わず会話をするのはベポやジャンバールにも言えた事で、他のクルーとて少なからず口調が砕ける時も在る。
 此処は会社や軍隊ではない。共通項は俺を指す呼び名ぐらいだろう。が、アルトにはそれも当てはまらない。

「何、朝はこっちで食べる?」

 寝転がらせていた上半身はシーツから起こしたものの、ベッドから降りる事なく寝起き特有の頭部を靄が取り囲んでいるようなぼんやりとした心地でアルトを眺めていると、食堂に行く事を面倒くさがっているとでも思われたのか首を傾げながら問われた。動作に併せて僅かに黒髪が揺れる。

 気休めを担う後ろ髪。今でこそ海賊だが俺と出逢うまでは違ったであろうアルトが文字通り首を狙われる事を想定しなければならない環境とは、そんな発案に縋りたくなる心境とは、どんなものか。それは俺の前に躊躇わず飛び出す動きと関わりがあるのか。
 二日前に見たアルトの苦笑が目の前の顔へ被さる。

「…汁物だけ頼む」
「ん、ちょっと待っててね」

 気になるのであれば尋ねれば良い話ではある。だが問うたからと言ってアルトが洗いざらい話すかどうかは本人次第で、俺との立場の差や恩義を理由に全容を無理に語らせるつもりはない。

 そもそも、本人が自発的な吐露に踏み切れるのかも分からないような話を語らせる事に先ずは抵抗が在る。
 当のアルト自身が誰かに聞いて欲しい、吐き出してしまいたいと思っている事柄なら耳は貸せる。ただしそうでないなら、一方的に昔語りを望むのは只々欲の押し付けに他ならない。人の記憶は他者が好奇心で以て侵して良い代物ではないのだ。

 いつかその無知が互いの間に溝を造った時にでも改めて考えれば良い。アルトが船長室を出る物音を聞きながら、項をゆるゆると温める陽射しの温度に瞼を伏せた。









「何だって引っ張り出されなきゃならねェんだ…」
「緊急とは言え男の上陸禁制の島に男集団を迎える以上、先ずは船長である貴方を島民に顔合わせ兼ねて紹介しておきたいんだそうで。"女帝"が電伝虫でそう伝えてきました」

 現在地が無風海域であるが故に、船が航行する事で発生する温度も強さも一定を保った風を浴びながら零した愚痴を、甲板の手すりに凭れるペンギンが拾った。伝説だ幻だとも囁かれる女人国がいよいよ目の前に迫ってきたからか、前方を眺める顔に些か締まりがない。
 "海賊女帝"含め九蛇海賊団の面子が揃って露出度の高い服装をしていた事で邪まな期待が高まりでもしたのか、女に困る器量ようなでもない癖欲求には割かし素直な表情筋だ。

「お前、そう弛んだ面晒してるとアルトに引かれるぞ」
「なっ、そ、違うぞアルト、俺は女性ながら逞しく生きる九蛇の女達に感心してだな、」
「ウン、ワカッテル」
「じゃあ俺の目を見て答えてくれ! いやそんな笑っていない瞳じゃなくて」

 正面に浮かぶ島は、目測だけでも大分面積が広いと知れる立派な物ではあった。

 もう少しこじんまりとした姿を勝手に想像していたが、実際は全体的に岩肌が目立つ武骨な外観だ。
 島の中央に居座る巨大な岩山の壁面には「九蛇」の文字が彫られ、半ばから上部にかけては中に空洞の在るような造りになっているらしかった。山の中腹の三箇所からアーチを描く岩が伸び、天辺で結合されている。

 その根元にそれぞれ三匹ずつ立体的な蛇の頭の像が彫られていて、なかなかに癖の強そうな国だと見ただけで知れる。蛇の像は此方からは六匹しか視認出来ないが、九蛇と言うのだから裏側も同様の細工があるのだろう。

 やがて近づくにつれ、海面に接する島正面の出入口も見えてくる。
 天然の岩山を切り拓いたかのような島全体の見た目に対して明らかに金属素材で拵えられた扉が多少の不自然さを醸しはするが、────それ以上に強烈な違和感が肌を刺した。

 知らぬ内に、鬼哭の鞘を掴んでいた手が鍔の方へ寄る。

「……ロー、これ、って」
「船長…!」

 視線。這うような、射るような、敵意と焦燥で編まれたそれが陽光より余程強く降ってくる。
 入り口に続く海路を挟む左右の陸地の、ハートの潜水艦が接する左手の崖上に、弓矢を構えた女が幾人もずらりと並んでいた。

 



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