03.ふわっふわのパンケーキのように
次の日、着替えてベランダで煙草をふかしていたらピンポーンとチャイムが鳴った。
「おはようございます」
「おはよー、よし行くか」
「はいっ!よろしくお願いします」
昨夜のことは夢ではなかったようだ。
早速車に乗り込んでエンジンをかける。
昨日と同じようにちょこんと助手席に座る姫ちゃんを横目に、近所のホームセンターに向かうべく車を走らせる。
「昨日あれから猫どーだった?」
「夜は何度か起きて鳴いていましたけどお水飲んだり少し遊んだらすぐ寝ちゃいました。とっても可愛いです」
ニコニコと愛想良く笑う姫ちゃん。
君の方が可愛いからねと言いたいところだ。
「そーいや名前どーすんの?」
それなんですけど、と困った顔をする。表情がコロコロ変わっていくから目が離せない。いや運転中だからちゃんと前は見てるんだけどさ。ドライブレコーダーちゃんと車内録画してる?あとで再生してやろうか。
「悩んでるんです。調べてみたらあの子、薄い茶色の下地に濃い茶色の縞模様があって…レッドタビーって呼ばれる毛色みたいなんですが、初めて見たときからミルクレープみたいだなって思ってたんです」
「ミルクレープ?あのクレープ重なってるやつか」
「そうです!焼き目のある一番上の部分に似てて、だから『ミルク』にしようと思ったんですがそれだと白いイメージになっちゃう………」
「あー確かに。つーか本当にお菓子好きだね姫ちゃん」
からかうように言うと、少し顔を赤くして笑った。
「はい。大好きです」
うっ……!笑顔で大好きですってやめて…!勘違いしちゃうからマジで。それにしてもミルクレープね。ミルク、ミルクミルク………、
「じゃあ『ミル』は……『見る』と同じ発音でしっくりこねぇなぁ。つーかミルって粉砕の意味あるよね。途端に強そうだな」
ミルクレープにまつわるオシャレな単語なんて俺の中から出てくる訳もない。ぶつぶつ呟いていると、同じく考えこんでいた姫ちゃんがぱっと顔を上げた。
「………坂田さん、やっぱり『ミルク』にします!お腹白いし、ミルクレープに挟まってるクリーム白いし!だから……本当の由来は坂田さんとわたしだけの秘密ってことで」
「まじでか」
まじか。まじかー……。
秘密っすか。2人だけの秘密っすか。
いいんすか?
ただの隣人の俺なんかと秘密の共有しちゃって。
話せば話すほど、可愛く見える。
この人懐っこい笑顔を間近に見て好きにならない男なんていないんじゃないか。本当は魔性の女なんじゃないのかこの子。
「じゃーミルク(レープ)で」
「はーい!」
元気に手を挙げている。
くそ、どうすりゃいいんだ。
思ったより深い沼だぞこれは。
*
ホームセンターで猫……改めミルク(レープ)に必要な物を店内に聞きながらカートに積み上げていくとかなりの荷物になった。砂や飯も重さがある。
「これ、坂田さんがいなかったら無理でしたね」
「でしょ?アッシー連れてきて正解だったな」
「アッシーだなんて!逆に昨日からご迷惑をおかけしちゃってるのに…」
荷物を車に積んで時計を見るとちょうど昼時だ。
なんか腹減ってきたな。
「姫ちゃん腹減らね?俺行きたいとこあるんだけど付き合ってくれない?」
「お昼ご飯ですか?はい、ぜひ」
車に乗るように促して、俺も運転席に乗り込む。エンジンをかけながら助手席に手を伸ばす。
「ちょっとごめんな」
姫ちゃんの前のグローブボックスから薄い雑誌を取り出……めっちゃ良い匂いするぅぅ!ふんわりと香る甘い香りは、昨日彼女の部屋で嗅いだ匂いと同じだった。なんの柔軟剤使ってんの?洗濯機にショートケーキでも入れてんの?平然を装ってペラペラと雑誌をめくりお目当ての店が載ったページを見せた。
「この店知ってる?リコッタチーズ使ったパンケーキが有名なんだけど、野郎一人じゃ並べなくてさ。かと言って野郎二人でも恥ずかしいからタイミング逃しまくってんの」
「あ!知ってます!わたしもずっと気になってたんです。わたしで良ければ一緒に行かせてください」
「良かったー。じゃあ出発進行ー」
「やったー!」
車を走らせること20分。
ラジオから流れる音楽についてあれこれ話したり、どんなメニューにするか悩んでいるとあっという間に店に着いた。ランチよりまだ少しだけ早い時間帯で店内は比較的空いていた。スムーズに入店できてほっとする。
「パンケーキ以外にもたくさんランチメニューがありますね。悩んじゃうー……」
「とりあえずパンケーキは決定として……サラダとリゾット一皿ずつ頼んでシェアしない?」
「いいですね!このサーモンのサラダ食べたいです」
「おっけーじゃあリゾットはチーズ増し増しで」
注文して一息つくと、周りは見事に若いカップルばかりだった。俺と姫ちゃんのツーショットは周りから一体どんな目に写っているのだろうか。
単純に計算して10も歳が離れているんだ、カップルに見えるはずない。方やピチピチのJDと方や死んだ目をした髪ボサボサのオッさん。援交かパパ活が良いところだ。
「そういえば坂田さんて煙草吸うんですね」
「あー車の中臭かった?ごめんな普段あんま人乗せないからそんな換気してなくて」
「いえ、わたし男の人が煙草吸ってるときの横顔見るのが好きなんです。ちょっと格好いいですよね」
「えっまじでか。なんなら目の前でめっちゃ吸うよ俺」
「あはは。残念でした店内禁煙ですよ」
「チクショー車乗ったら覚えてな」
「仕事中は我慢ですか?」
「一応裏庭に喫煙所があんだけど遠いから使ってる奴はほとんどいねぇなー。大体自分の準備室で吸ってるかな。さすがに煙たくなるから俺はレロレロキャンディ舐めてるよ」
「え!すごい…ちゃんと生徒さんのこと考えてるんですね」
尊敬の眼差しで見てくれているが少し見栄を張りました。一週間に一度くらいは準備室で吸っちゃってます。我慢できません。まあこんなテキトーな教師の準備室に訪ねてくる生徒なんてほぼいないんだけど。
「坂田さんが担任の先生なら、毎日楽しそう」
「その言葉、アイツらに聞かせてやりてぇー…」
思い出される生意気な生徒たちの面々。
奴らにこの子の爪の皮煎じて飲ませてやりてぇわ。
お待たせしましたと目の前のテーブルに置かれる料理たち。肉厚なサーモンサラダをシェアして平らげるとアツアツのチーズリゾットが腹の虫を刺激する。こちらも濃厚なチーズの香りが癖になる美味しさだ。そこまで量が多くないから2人でペロリと平らげた。
最後にお目当てのパンケーキ。リコッタチーズを使っていてふわふわの弾力がある。添えられたバナナとクリームを付けて一口食べればパンケーキとは思えないくらいふわっふわで軽い食感。チーズの香りが鼻から抜けていく。
それは口の中ですぐに溶けてなくなる。もう一口、もう一口……とフォークとナイフを動かすと、あっという間に消えていった。
「おいしいー!」
「マジでうめえな。並ぶのもわかるわ」
「どうやってるんだろう、ふわふわのコツは混ぜ方なのかな……」
「勉強熱心だな」
真剣に考え込んでいる姿が彼女らしくて笑える。
普段はめっきり食べる側だから、作る側の立場で食事をしている彼女の姿はかなり新鮮だ。
「うまくできたらまた味見してくれますか?」
「もちろん。いつでも呼んで」
「わたしの方こそ、いつでもミルクのこと見に来てください」
いつでもいいなんて思わず本気にしてしまいそうだが何気なく訪ねて彼氏と鉢合わせなんて絶対にごめんだ。
もしそいつが嫉妬深い奴だったらどうする?
『俺の姫に手を出すなストーカー親父が!』なんて殴りかかられそうだ。学生の恋愛なんて8割が嫉妬でできている。俺調べである。ソースはない。
「姫ちゃんさ、そんなに俺と一緒にいて大丈夫?誤解されるよ?」
「坂田さんなら大丈夫ですよ」
それどういう意味?歳離れすぎてむしろ安全圏?
それとも教師だから?コイツ先生だから男として見なくても大丈夫だよって?
聞きたいけど怖くて聞けねーーーー。
「ほんとに美味しい….ここ住みたい」
「いんじゃね?小屋でも買って置いとくか」
「坂田さんひど!」
「いや店に住むなら看板犬くらいにはなるかなーって」
あははと顔を見合わせて笑う。
この二日間でだいぶ距離が縮まった。
会計する頃になって姫ちゃんは慌て始めた。
「いやいやいやいや自分で払います」
「いやまとめて払った方が早いから。つーかサラダとかシェアしたけど俺のがいっぱい食べたから」
「いやいやいやいやそんなつもりで来たわけじゃないので!」
「じゃあ姫ちゃんが教員採用試験受かったら奢って。それまでは俺が払う」
「えー…それじゃあ不公平です」
「応援してんの。大学の後輩だし。可愛がらせてよ」
「.……………………………ごちそうさまです」
「へーい」
渋々といった様子で引き下がった。
10も歳下の子に財布を出させるほど馬鹿ではない。
「…坂田さんにスイーツいっぱい作ります。お礼したいから」
「そりゃ楽しみだ」
帰りの車の中、姫ちゃんが『連絡先を教えて欲しい』と言ってきた。
次を予感させる台詞だ。
ケツポケットからスマホを取り出して渡すと、器用に二台のスマホを操って連絡先を登録していた。
「お菓子ができたら連絡してもいいですか?」
「ピンポンした方が早いんじゃね?」
「そっかあ!じゃあピンポンしてメールします」
「その場合は先にメールしてください」
「やったー」
嬉しそうに笑う姫ちゃん。
振り回されてんなぁ俺。
どうやらただの隣人からご飯友達に昇格したらしい。
title by 子猫恋