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29. SODA SWIMMER

姫の誕生日当日。目覚ましより早く起きた俺はお隣さんのインターオンを押していた。しばらくしてガチャリとドアを開けた姫はまだ寝間着に上着を羽織っていた。ふわりと朝食の良い匂いがする。

「おはよー朝からごめん」

「おはようございます、もしかしてもう出ちゃいますか?お弁当あとバッグに入れるだけだから」

持っていって、と慌ててキッチンに戻った姫を追いかけて部屋に上がらせてもらう。ミルクは丸くなって寝てる。

「今日早いんですね!良かった、間に合って」

弁当箱をランチバックに入れてる姫の後ろに立って名前を呼ぶと、なんですか?と聞きながら箸のケースを
持った。その手を上から掴んでもう一度呼んだ。

「姫ちゃん」

「…はい?」

「誕生日おめでとう」

ようやくこっちを見た姫に言いたかった言葉を囁くと途端に動かなくなった。ぱちぱちと睫毛を揺らして、そして照れ臭そうに笑った。

「えへへ…ありがとうございます」

いつもなら朝っぱらから女の子の部屋に上がり込んだりしないが一番にそれを直接言いたかった。はいどうぞ、とランチバックを差し出してくる健気な彼女からそれを受け取り距離を詰めてキスをする。躊躇いがちに腰の辺りに腕を回してくる感触を愛おしく思いながら空いてる片手で抱き締めた。

「ん……」

漏れる吐息の可愛さにスイッチが入りそうになるが朝っぱらから下心全開で訪ねてきたと思われたくない。勿論下心は常に全開です今日も絶好調です。誤魔化すように背中を撫でると………ん?ん?んんん?ちょっと待ってこの子ノーブラ?ノーブラジャー?えっ?マジで?うっわー確かめたい。超確かめたい。寝る時はつけない派なの?いやでも確か前に泊まった夜は付けてた気がする。抱きしめた感じ、あれは付けてた。まさか俺と会う時だけ付けて普段は付けてないとか?うわ、マジかよ。手が、手を、前に持っていきたい。絶対にふわふわなその感触を今すぐに確かめたい。

「ふ、くすぐったい」

背中をさわさわしすぎて笑い声を上げた姫はそんなやましい気持ちに気づいてないようで、にこにこ笑ってる。くそー、天然め。どこまで煽れば気が済むんだ。

「っ、んんっ、!?」

ちょっと仕返しに舌を使ってめっちゃ濃いキスをしてあげると腰に置いていた手に力が入った。いつもなら呼吸しやすいように促しながら合図をして舌を入れるから突然の刺激に驚いて離れようとした頭を固定して更に吸い付くと逃げるように後退りした。残念だけどカウンターを背にしているから全く離れられてない。

「…じゃあ行ってきます」

唇を離す頃には姫の息は上がって身体の力も抜けてくたくたになっていた。ちょっとやり過ぎた。

「あ、待って…」

「そこでいーよ。じゃあ夕方な」

見送ろうとする身体を制しソファに横たえて最後にちゅ、と軽く音を立ててキスしてから部屋を出た。あー朝からすげー良い思いしちゃった。ついでにちょっと勃った。寝間着にノーブラは反則だろうが。無防備に玄関開けちゃって何考えてんのあの子。俺が不審者の変態だったらどうする気だよ。やっぱダメだ。いくら隣だからって女の子の一人暮らしは危険すぎる。確か、今の部屋は高杉が選んだんだよな。辰馬の家が持ってるこの賃貸に決めたのも、腐れ縁の俺の部屋の隣にしたのも、世間知らずな彼女を心配してのことだと今更ながら気付いた。まぁ隣人が手出しちゃってんだけど。それについては本当に申し訳ない。
駐車場に車を置き、自販機で珍しくコーヒーじゃなくてソーダを買った。ばっちり目は冴えてるし、心が弾んで良い気分だったので何か変わったものが飲みたくなった。プシュッ!と軽快な気持ちのいい音にそうそうこんな感じだ、と自分の浮かれ具合いを重ねつつ炭酸を喉に滑らせた。

「ゴホッ!っ、あ"ーっ、サイダーって炭酸こんな強かった?」

久々の強い刺激に軽く咽せながら喫煙所の前を通ると服部先生が朝の一服タイムに勤しんでいた。小さい子どもがいて家で吸えない分職場でヤニを補給しているらしい。

「あれ?坂田センセー早いじゃん」

「はよー。いや今日彼女の誕生日デートだから早く帰りたいんだよね。つーかもう帰りてーな帰ろうかな」

「帰んな帰んな、今来たとこだろ。アップルパイちゃんの誕生日か、そりゃめでたいな」

ふーっと白い煙を吐き出した隣でポケットから煙草の箱を取り出そうとしたけど止めた。今日は吸わなくてもいけそうだと何となく思った。

「あれから奥さんとちゃんと仲直りしたんだろうな?つーか写真忘れてくなよ。あの後地味に大変だったんだからな」

「そりゃもうアツアツよ。最近定時で真っ直ぐ家に帰ってんだけどだんだん嫁の機嫌が良くなってさ、今じゃ新婚の頃並みに熱い夜を過ごしてるんだぜ?」

「へーそりゃ良かったな」

お陰でこっちは破局するかと思ったけどな。まぁ服部先生に非があるわけではないんだけど。

「あ、そーだ。アップルパイちゃんのプレゼントにこれやるよ」

「サンキュー。また変な海外のゲテモノじゃねぇだろうな……は?」

ゴソゴソとバッグから取り出してきた紙袋を開けてみてギョッとした。教育現場で教師がこれを持っていればすぐさま校長室行き且つ休職になる代物が入っていた。周りをキョロキョロ確認しつつもの凄い勢いでソレを戻す。

「ちょっおまおまおまお前なんでこんなモン持ってんの!?」

「今度使おうかと思ってさぁ。昨日仕事帰りに買ったの出し忘れた」

「いやコレ絶対押し付けじゃん!間違えて持ってきちゃってバレたらヤバいからって俺に処理頼んでるだけだろーが!」

それは所謂大人の玩具ってヤツだ。透明なケースに入った手の平サイズの小さな物だが濃いピンク色と女の子の身体にフィットするように作られた形状がこれでもかと存在を主張していてそれはもうめちゃくちゃに場違いだ。神聖な教育の場でなんて物出してんだコイツしかもこれを人様の彼女への誕生日プレゼントにするだと?ふざけんなとしか言いようがない。

「これ最近流行ってんだけどスマホで操作できてかなり自由度高いらしいぜ。外出焦らしプレイでもやろうかなーって思ったんだけどさー、そう言えばうちの女房シリコンアレルギーだったわ」

「勝手にやってろ!俺を巻き込むな俺を!」

絶対嘘だろ。こんな物なら海外のわけわからんお菓子の方が百倍マシだ。

「とにかくマジで要らねーから!」

「坂田センセんとこ若いんだからさ、たまには気分変えてあげないと飽きられるぞ?俺達が若い男に勝てる所なんてせいぜいテクニックくらいしかねーんだから」

「喫煙所だからって声がデカいんだよ!朝っぱらからちょっとは慎んでくんない!?」

マジでうるっせーな!余計なお世話だ!つーか!まだ!ヤってねーんだよ!テクニックを披露することさえ出来てねーんだよ未だにさぁ!いい加減もうヤってんだろみたいな顔してデッケー声で猥談すんの止めろ!

「坂田せんせーおはよー」

「うぉっ!?おー良い天気だなぁ若人よ!」

登校して来た生徒に挨拶をされて反射的に紙袋をポケットに突っ込み、まるで万引き犯のように辺りを伺いながら喫煙所を後にした。覚えてろよあのトラブルメーカーめ。つーかそんなことより早く仕事終わらせて定時上がりだ。今日のために少し前から仕事を溜めないように雑務やら何やらはコツコツと前倒ししてきた。幸い職員会議もない。準備室の引き出しの奥に封印し、わしゃわしゃと頭を掻きながら教室に向かった。




「ごめん、お待たせ」

「全然待ってないですよ」

待ち合わせ場所に行くと姫はもう着いていて、これ以上こんな所に立っているとナンパでもされそうなくらい可愛くて、やっぱもっと急いで先に着いているべきだったと後悔した。これでも車を飛ばして来たのだが、待ち合わせ時間を数分オーバーしてしまった。姫の性格からして時間より早めに着いていただろうから、飲み屋街の近くで一人で立たせていたことに悪いことをした気になった。

「お仕事お疲れ様でした。そのまま来たんですか?」

「そー。この時間道混んでてさ、本当は一旦家帰って着替えたかったんだけど」

「あれ?じゃあ車、大丈夫ですか?」

「代行頼んだから大丈夫」

聞き慣れない言葉に首を傾げる彼女に代行配車サービスのシステムを説明すると、何故かすごいと目を輝かせた。

「それよりマジでこんな居酒屋街で大丈夫だった?一応個室っぽくはなってるけど多分うるせーし狭いよ?」

「そういう所の方が緊張しなくていいし、銀時さんの好みのお店がどんなのか見たいです」

活気で溢れる飲み屋街の一角にある比較的新しい肉バルを指差すと意外そうに看板を見つめた。

「わ、お洒落なお店ですね」

「ちょっと前に高杉と来たんだけど肉料理凝ってて美味くてさ。アイツこういう今時の店見つけんの無駄に上手いんだよなぁ」

万が一酒が合わなくても食事で満足できるだろうと選んだ店だ。白を基調とした落ち着いた雰囲気の店内ではちらほらと客が会話を楽しんでいる。テーブルから香る肉の香りに本格的に腹が減ってきた。奥の半個室のテーブルを案内され、奥のソファ側の席を姫に促し向かいの椅子に腰を落ち着けると正面に座った姫と目が合った。途端、ふんわりと微笑む。照明のライトが瞳の中でキラキラと揺れている。

「えへへ」

「嬉しそーだな」

「うん、だって誕生日に銀時さんと一緒にいられるなんて贅沢だなって」

「ホントかわいーねぇ」

目を見て恥ずかしげもなく言う姫に若干照れながらメニューを開いて牛肉を中心に気になるものを少しずつ頼み酒も注文する。運ばれてきたシャンディガフを興味津々に覗き込む彼女に思わず笑う。一緒に頼んだ烏龍茶も隣に置いてやる。

「わービールだぁ……」

「ジンジャエールで割ってあるから飲みやすいよ」

「銀時さんのは真っ黒ですね。コーヒーみたい」

「黒ビールな。後で飲んでみな。さ、乾杯しようぜ」

グラスを持ってお互いに近づける。

「誕生日おめでとう」

「ありがとうございます!お仕事お疲れ様でした!」

かんぱーい、とグラスを合わせて口に運ぶ。苦味とコクが喉を伝って落ちていく。これ肉に合うんだよなぁ。姫は両手で持ったグラスをゆっくりと傾け、口を離しぺろりと唇を舐めた。少し眉を寄せながらもぐもぐしている。可愛いんですけど。

「……苦いけど美味しいような、……うーん…不思議な味ですね」

「はは、そのうち美味いって思うようになるんじゃねーかな。ゆっくり飲めよ。苦手な味だったら他の甘いやつ頼んでいいから」

「はーい。もうちょっと飲んでみます」

黒毛和牛のステーキをつつきながらビールで脂を流す。あー、美味い、最高。高杉の奴マジでこういう店どうやって見つけてんだろうな。大方、女や取引先と言ってんだろうけど学生の頃に桂や辰馬とよく行ってた安さ重視の居酒屋よりもこういう洒落た店の方が似合うようになっていて腹立つ。ジビエの盛り合わせの皿には普段あまり食べることのない鹿肉のシチューや猪のベーコンなどが並ぶ。

「これ美味しい、なんのお肉だろう」

「ん?それラム肉な」

「柔らかいですね。そういえばマトンも羊ですよね?」

「あー確か、ラムが生後一歳未満の仔羊で、マトンがそれ以降だった気がする」

「一歳……」

「ははっ」

わかりやすく苦い顔をして皿の上を見る姫に吹き出す。少し身を乗り出して頭を撫でればすぐに顔を上げた。

「その髪、雰囲気変わって可愛い」

「ありがとうございます!今夜デートって言ったら友達がやってくれたんです」

ハーフアップにサイドを編み込んだヘアアレンジはとても良く似合っている。大学で友達にも沢山祝って貰ったんだろうなぁと想像する。

「銀時さん、これ飲んでみたい」

メニューを指さした先はカルーアミルク。甘いカクテルはこの子も好みそうだ。頷くと嬉しそうに注文していた。あー可愛い。脳裏にこの間姫の成長を喜び泣いていた酔っ払いの姿が浮かぶ。ヅラ、ちょっと気持ちわかるわ。

「わ、ポッキー刺さってる!」

「それで混ぜて飲んでみな。度数高いからゆっくりな」

「はーい」

背の低い丸みのあるグラスに立てられたマドラー代わりのポッキーを楽しそうにくるくる回し、カフェオレのような色合いになったそれをこくりと飲む。途端に「おいしい!」と嬉しそうにするものだからこちらは兄貴か父親にでもなった気分で「良かったなぁ」と微笑んだ。ポッキー食べてるの可愛い。この子の食事風景だけで酒飲めるわ。

「そこにホイップ乗せて飲むと美味いよ」

「デザートみたい、美味しそう」

「今度リキュール買っとくから家で作ろうな」

「え、これおうちで作れるんですか?」

「材料その辺に売ってるよ」

「すごーい…もっと勉強します!そしたら銀時さんとおうちでも飲めますね」

少し赤くなったほっぺたが美味そうで仕方ない。

「今年のクリスマスはちょっといいとこ予約しとくな」

「クリスマスもデートしてくれるってことですか?」

「え、そこ?当たり前じゃん。あれ?去年のクリスマスに今年リベンジするって言ったの忘れた?」

「忘れるわけないじゃないですか。でも、銀時さん忙しいから…それに普段イベントとか気にしないからわたしに付き合ってもらうのも悪いなって」

酒の力もあるのか、いつもより自分の気持ちをはっきりと言った姫を瞳をじっと覗き込む。うーん、このタイミングで言っとくか。

「…あのさ、俺、親いなくて施設育ちなんだ」

「………」

伏せた顔をゆっくりと上げ、少し赤らんだ目元に微笑む。頬杖を突いてるのと逆の手でロックグラスを持ち上げると氷が軽い音を立てて泳いだ。

「だからあんまりイベント事ってよくわかんなくてさ。勿論施設でも一応あったけど学校の延長って感覚だったし、自分からやりたいとか、こう過ごそうかとか思ったことなかった。だから今、すげー楽しいよ。彼女の誕生日祝いたいとか、クリスマスどーしよっかなとか考えんのも」

「…わたし、今年のバレンタインに銀時さんにチョコ渡せなかったの、今すごく後悔してます」

「バレンタイン?」

そういえば貰ってなかったような気がする。でも姫はバレンタインじゃなくても普段から美味いお菓子を手渡してくれるから、わざわざ2月14日という日付けの日に貰えなかったところで全く気にしていなかった。学校で数人の生徒たちから貰って、あーそういえばバレンタインかって思った程度。それより今年は卒業式もあったから忙しくてすっかり忘れてた。

「渡さなかったんじゃなくて、渡せなかった?なんで?」

「理由は聞かないでください…」

恥ずかしそうに頬に手を当てるのが可愛くて追求するのをやめ、代わりに頭をぽんぽん撫でた。

「銀時さん、そういうのあんまり好きじゃないんだと思って…、お返しとか気を遣わせちゃうかもって考えてたんです。一人で浮かれてたら恥ずかしいなって。でもこれからは色んなこと一緒にしてもいいですか?」

「逆に俺の方からお願いしたいくらいなんだけど」

「クリスマス、すっごく楽しみです!」

半年先のデートの予約がそんなに嬉しいのかってくらいに顔を綻ばせるから何でもしてやりたくなってくる。カルーアミルクが飲み終わる頃、バッグから小さめの箱を取り出して姫の前に差し出すとぱちぱち瞬きをしてからにっこりと笑って受け取った。

「おめでと」

「ありがとうございます!開けてもいいですか?」

「もちろんどーぞ」

リボンを解いて箱を開けた姫は、「わぁ…」と宝物が入った箱を覗いた子どものように瞳をキラキラさせて大切そうにそれを抱きしめた。

title by 華
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