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27.蜂蜜ってすごい

ちょっと待ってくれる?なんて言った?今この子なんて言ったの?俺の?え?俺の奥さんと子ども?何言ってんの?結婚歴なんかないよ?子どもいないよ?(多分)しかも引っ越しちゃうの?俺?どういうこと?どうしてそうなった?

「まぁ落ち着いてまずは座ろう、な?」

動揺を隠しきれない中姫を席に座らせその向かいに腰を下ろした。姫の目からはポロポロ涙が溢れて、俺はその度に服の袖を当てた。すると汚れちゃうからって首を振る。そんなん、どうでもいいのに。この子はいつだって俺のことを一番に考える。

「あのさ、なんで俺にその…妻子?がいるって思った?」

「…銀時さんの部屋の写真、見て…」

「なんでそいつらと引っ越しちゃうって思った?」

「…物件の書類が一緒にあったから……」

涙ながらに訴える。うん、それは俺が悪いわ。どう考えても全面的に俺が悪い。そんな最悪な組み合わせの物が置いてあれば勘違いすんのも無理はない。俺だって逆だったら同じこと思うわ。

「弁明させて。あの写真、服部先生んちの奥さんと子どもの写真なんだよね。飲んだ時に見せてくれて、そのままうちに忘れてった」

「え……」

「で、ここからはもう少し後に言うつもりだったんだけど……あの書類、引っ越し考えてたのは本当。でもさ、姫と二人で住もうと思って探してたんだ」

そう言うとずっと伏せていた瞳が大きく開かれる。

「わたし…?」

「そう。てかさ、そっちじゃなくて付箋の方心配してたんだけど俺。なんか変なことばっか書いてあったじゃん。あれ見て幻滅されたかと思ってこっちからあんまりしつこく連絡できなかったんだよね。それがまさかそういう考えになるとは思わなかったわ」

「付箋……あ、」

今思い出しましたって顔する姫に拍子抜けして笑ってしまった。

「なんか無駄にすれ違っただけじゃね?俺たち」

「っわたしが勝手に勘違いしたから。ごめ…」

謝ろうとする姫の言葉を遮って唇を塞ぐ。

「っん……」

「もう俺と一緒にいたくなくなった?」

髪を撫でて聞くとすぐに首を振った。

「銀時さんがいなくなっちゃうのが寂しくて……。別れることも銀時さんが決めたことなら受け入れなきゃって思ったけど、でも…いくら考えてもどうしてもダメで」

姫が連絡を返さなかったこの一週間、俺と別れることを考えていたと知って背筋が凍った。

「…姫はさ、俺のこと好きだから俺が何しても許そうとか受け入れなきゃって思ってるだろ。例え浮気されてもいいって。そういう聞き分けの良いこと考えていつもどっかで一歩引いてるの、何となくわかってた」

だからいつも姫に甘えて自分を優先してしまう。でもそれじゃダメなんだ。姫の部屋に灯りがつかなくなってから考えていた。俺たちはまだまだお互いを知らない。少しでも自分をよく見せたくて背伸びすることもあるし、こうして誤解したまま自分を納得させようと一人で苦しんだりする。それは相手を思いやっているようで、実はただ臆病なだけなんだ。でもこれからは全部見せ合いたい。カッコ悪い部分もしんどいところも悩んでることも曝け出して全部話し合いたい。二人ならちゃんと前に進めると思うから。

「本当に好きでずっと一緒にいたいと思うんなら、これからは他の誰にも俺のこと譲らないで。自分のだってちゃんと戦って。そうじゃなきゃ俺が寂しいから」 

そこまで言うと、躊躇いがちに口を開いた。

「………本当は離れたくなかった。こんな風に終わるなんて考えたらすごく切なかった……。他の人じゃなくてわたしが、銀時さんの隣にいたいです…っ」

「うん。言っていい。そんなことで困らねぇし、誤解されたままなんて嫌だし。好きな子に浮気してるなんて思われたくねーじゃん。だからさ、姫が俺を想うのと同じくらい、姫の気持ちも大事にして。それができるなら……一緒に住もう。隣人じゃなくて同居人になろう。そんでもっとお互いのこと知っていこう」

「こんなに未熟なわたしが一緒にいてもいいですか?」

「完璧な人間なんていねーし、二人でやっと一人前くらいの方が俺らには合ってんじゃないかな」

姫はやっと笑って、ゆっくりと頷いた。

「多分同じこと思ってると思うから聞くけど、今何したい?」

「……キスしたいです」

「そう。俺も」

ぎゅっと抱きしめて柔らかい唇に触れた。姫が控えめに、でもしっかりと俺に抱きついてくるのが可愛くて触れ合わせるだけの優しいキスじゃ抑えられなくなって舌を滑り込ませた。こんなにゆったりとしたキスは久々で、やっぱもっと二人の時間を作らなきゃなって頭の隅で思った。立場も生活環境も違う俺たちだからこそ、ちゃんと向き合って寄り添っていきたい。

「っ、ん、誰か来ちゃ…」

「だいじょーぶ今日土曜だしこんな奥の棟まで人来ねーから。でも、この場所のことは二人の秘密な」

耳の形をなぞるように舌を這わせながら囁くと身体を震わせてしがみついた。遠くの方で講義が終わる鐘が鳴って外の空気がざわついてくる。それでも俺たちはしばらくの間唇を合わせて、次の講義が始まって静かになった頃にこっそりとキャンパスを出た。





「つーわけで今日の昼は俺が料理しまーす。おニューのエプロンどう?」

「格好良すぎて泣いてます」

マジで泣きそうになりながらスマホで写真を撮る姫に苦笑いする。そういうとこ本当可愛いよ。

「はい姫ちゃんも」

同じ日に買った俺の趣味全開のエプロン。ひらひらでふんわりしてるやつ。

「銀時さんが作るんじゃないんですか?」

「どーせ手伝ってくれるだろ?」

迷いながら、「せっかく選んでもらったし…」と渋々腕を通した。これが想像以上に似合っててめちゃくちゃ可愛い。

「今日スカートだからほんとにワンピースみたい」

「可愛いめっちゃ可愛いちょー可愛い飼いたいつーか飼う」

「これで料理するの勿体ないです。汚しちゃいそう…」

「そしたらまた別の買うし。他にも付けて欲しいのあったんだよね」

「もう」

「さて材料はこちらです」

料理番組のように材料を並べていく。俺の部屋はそんなに食材が多くなくて、しかも失敗が少ない料理といえばこれしか思いつかなかった。

「ホットケーキミックス、卵、牛乳」

「ふふ、何作るのかわかりました」

「完成してからのお楽しみですよ〜」

くすくす笑いながらボウルに卵を割ってくれる。あー可愛い。めっちゃ可愛い好き。

「ここに牛乳を入れます」

「はい。坂田先生」

「ホットケーキミックスを入れて混ぜます」

「これだけでいいんですか?」

「そうです。たったこれだけで超美味しいホットケーキができるんです」

「ホットケーキって言っちゃってますよ」

「おっといけねー口が滑りました」

エセ料理研究家のボロが出てしまった。材料を混ぜてフライパンをあっためる。手持ち無沙汰になった姫に「暇ならこれ見てて」と渡したのはこの間の付箋紙の束。もちろん服部先生が書いた分は処分した。

「これ、この間の…」

「めっちゃ恥ずかしいけど姫になら見せるわ。全部、君の好きなところ」

バターを溶かせば良い香り。ジュゥとタネを垂らしながらソファに座った姫の後ろ姿を見ていた。一枚一枚、酔ってフラフラになりながら馬鹿みたいに書いた姫の可愛いところ、好きなところ。言葉ってどうしても上手く伝わらないことも多いから不本意だけどあの日の俺に代弁してもらおう。姫は大切そうにそれをめくりながら、時折笑ったり手を止めたりしてた。

「うわ、焦げそ」

久しぶりにホットケーキ作るけど火加減難しいわ。弱火にしたり中火にしたりひっくり返したりと忙しい俺の背中にぴったりと小さくてあったかいものがくっついてきた。

「わたしも大好きです」

「はは、大好きなんて書いたっけ」

「いっぱい書いてありましたよ」

「酔ってたからね」

「わたしは酔ってなくても言ってます」

振り向くと頬を小さな手が挟んで背伸びした姫にキスされた。不意打ちすぎて目瞑るの忘れた。

「銀時さんは大好き?」

首を傾げて聞くふわふわエプロンの彼女の破壊力。鼻血出るわ。

「大好きだよ姫ちゃん」

「…えへへ」

言ったら言ったで恥ずかしそうに前見てくださいって言われて思わず吹き出した。あー可愛いし好きだしめっちゃ楽しい。ホットケーキ作ってこんな幸せになってるアラサーってやばくね?

「ちょっ助けて姫、今度は全然火通らないんだけど」

隣で姫に手引きしてもらいながらなんとか焼ききった。やったな、俺。自分一人で食うならこんな神経使わずささっとやるけど姫と食べる手前、焦げたり生だったりしたら萎える。

「何付けて食べますか?」

「あー冷蔵庫にジャムしかねーかも」

「うちもメープルシロップ切らしてて…あっ蜂蜜がありますね」

「あー蜂蜜もいーな」

「ちょっと借りてもいいですか?」

「なになに?」

そう言って蜂蜜と牛乳とバターをチンして薄黄色のソースを作ってくれた。キャラメルみたいなめっちゃいい匂いする。以前買った紅茶を淹れて手を合わせた。うん、ちゃんと火通ってる。

「銀時さんのパンケーキすっごく美味しい!」

「誰が作っても同じだろ」

「ううん。銀時さんが作ってくれたから美味しい」

美味しいと笑顔を向けてくれる光景に、じわじわと心から全身があったかくなった。そっか、いつも姫はこんな気持ちになってたんだな。

「うん、美味いな。てかこのソースがめっちゃ美味い。メープルシロップよりこっちの方が好きかも」

「蜂蜜と牛乳って本当にすごいですよね!そういえば…今日大学に来たのって本当にたまたまだったんですか?」

「ん?神威に言ったのは嘘。結野くんに土曜日の姫のコマ聞いて狙って会いに行った。思ったより早く出てきて驚いたけどな」

「晴明くんに?そんなこと言ってなかったのに…連絡先知ってたんですね」

「この間バイト先行って仲良くなった。ストーカーのことで何かあったら連絡してってこっちから聞いたんだ。まさか知ってる奴とは思わなかったけど」

「…心配ばかりかけてごめんなさい。もっと早く頼れば良かった」

「うん俺も頼られたかった。てことで次からはちゃんと言うように!些細なことでも何でも言って。我慢しないで相談すること」

「はい」

「いい返事。後お兄ちゃんからめっちゃ説教食らった」

「え?ま、まさか殴られました!?」

「いや電話で。泣かせんなとかちゃんとしろとか本当チクチク延々と。誠意を見せるまでうちに置いとくって言われて高杉のとこにいるんだって分かった」

こんなダメな俺でも首の皮一枚のところで活入れて叩き直してくれて、しっかりしろってケツを蹴り上げてくれる奴らがいる。間違いだらけの人生のレールを折り曲げてくれる。もうこれ以上色んなことを間違ったりしないように。間違えそうになったら気付かせてくれる仲間がいる。だからたった一つの大事な存在だけは何としても失いたくない。

「さっき連絡しといた。今夜高杉が荷物届けてくれるってさ」

「そうですか…」

「もしかしたら殴られるかもしんねーけど間に入っちゃダメだよ」

「えっ!?」

「なーんちゃって」

と言いながら結構覚悟してる。だってアイツ妹大好きだもん。泣かせて家出させたなんて絶対許さないよ。まぁどんな事でも受けるけどさ。だってこれからそれ以上の話しなきゃいけないんだから。ホットケーキを囲む甘い空間の後に起こるであろう地獄に内心鬱々とした。

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