15. piyo piyo pudding
「坂田先生、ちょっと来てください」
「…げ、」
まさか、来たのか。アレが。
呼び出されて面会室に通されると案の定アレだった。あの話だ。まぁこの学校にも4年いたからそろそろ打診が来ると思っていたところだ。忙しくなるなと思いながら喫煙所に行くとお決まりの坂本先生がいた。
「坂田センセ、さっき呼び出されてただろ」
「おー、もしかして服部センセーも?」
「俺も。今年3年の担任だったからそろそろとは思ってたんだよなぁ5年目だし」
「次どこだって?」
「銀高」
「マジか、俺も」
「えっ同じ!?またよろしくなー」
卒業していく生徒とともに教師である自分も学校を卒業する方法がある。人事異動だ。うちの自治体はだいたい3年くらい勤務してると異動の対象になる。そこから何人かに打診が来るという感じだ。ポケットから煙草を出して咥える。火をつけるのも久しぶりだ。
「アップルパイちゃんの話まだ聞きてーもん俺。持って半年くらいだって思ってるからさー、振られてボロボロになってる坂田センセの愚痴聞きながら酒飲みてーもん」
「人の恋愛を酒のつまみにすんなよ。つーか別れねーから。そんな飲み会一生開催されないから」
「実際どうなの?19歳のピチピチギャルの体」
「言い方が古いよ服部センセ。身体は知らねーけど相性は絶対最高だと思います」
「えっ待って待ってちょっと待って。えっ?なに?まだヤってねーの?あれ付き合ったの去年だよね?この数ヶ月何してたの?」
「飯食ってイチャイチャしてる」
「してんじゃん!そういうのだよそういうの!もっとちょうだい!そんで?そんでどうなの!?最近の若い子ってやっぱエロいの!?」
「ちゅーして寝る。別々の部屋で」
「えっ」
ドン引きだと言わんばかりの顔をされる。前髪が長いからよく見えないが絶対ドン引きされてる。蔑んだ目で見てる。
「マジでヤってねーの?」
「悪ィかよ。つーか何、付き合ったら何ヶ月以内にエッチしなきゃいけない法律でもあるわけ?」
「…いや、『よく我慢できるなぁと尊敬する』か『よく我慢できるなぁと軽蔑する』のどっちの言葉をかけるか悩んでる。お前精力なくなっちゃったの?男としてのプライドは?」
「そこは尊敬しろよ。俺だって我慢してんだっつーの」
服部先生の言いたいこともわからなくもないし俺だってそれなりに経験がある。こんなに奥手なわけがない。我慢しなくていいんだったらもうとっくに美味しく頂いちゃってるわ。でもなぁ、相手は純粋可憐な姫。めちゃくちゃ恥ずかしがり屋な上に男性経験のない彼女を少しずつ慣らしている最中だ。
これでもだいぶ進歩したと思う。抱き締めるだけでかちこちになって顔を真っ赤にしていた姫が今では自分からキスができるようになるところまで来ているんだから。まぁこの間は半ば強制だったけど。
「坂田先生って手早いと思ってたけどすげぇ慎重じゃん、マジなの?10個も下の子に」
「マジだよ、大マジだよ悪いか」
「…いや悪くねぇよ、マジなら応援するわ。20歳くらいの子って今一番楽しくて色んなことが真新しく見える時期だろ?飽きられないようにしっかり掴んでおかなきゃな」
「……そうだよなぁ」
別に信頼してないとか姫の気持ちが足りないとかそういうことじゃない。ただ、俺はもうこっから成長したり大きく変化することはないと思う。仕事や人間的にも。そんな俺の隣でこれから劇的に変わっていくであろう姫の環境や人間観、価値観。その過程で俺の存在はどこまで大切に持っていてくれるだろう。今は心の中心にいたとしても、5年後、10年後は?変わらずに隣にいてくれるだろうか。成熟しきった大人が恐れるのは、若者が求め憧れる『変化』だ。
「ぴよ?ぴよぴよ」
「…………」
「ぴよぴよ、ぴよぴよ」
「一応聞くけど何やってんの姫ちゃん」
「ひよこの真似です」
「そりゃあ見てればわかるけど」
姫が手につけているのはひよこのパペット。黄色いふわふわのボディにボタンのような黒い目が付けられて、中で手をパクパクさせてぴよぴよ言っている。可愛いけど何してんのこれ。
「来週ボランティアで保育園に行くんです。人形劇するんですよ。わたしは迷子のひよこちゃんです」
可愛いですか?と手をパクパクしている。可愛いよ、ひよこじゃなくて君が。けどそうか、大学生の姫はもう春休みに入ったところだ。毎年思うけど大学生の春休みって無駄に長いよなぁ。羨ましー、まぁ俺も10年前同じだけ休みを楽しんだんだけど。
「今は共働きのおうちが多くて、長期休みでも開いてる保育園も多いんですって」
「あーそうかもなぁ。核家族ばっかだもんな」
「で、ひよこ見てたらこれ食べたくなって」
冷蔵庫から取り出してきたのはプリンだった。当然のように手作りだ。ちゃんと俺の分もある。
「おーうまそー」
「銀時さんプリン好きそうですよね」
「好きだけど久々だなー、ん、うまい」
「カラメルは混ぜる派?上から食べる派?」
「え、下からすくってカラメルと一緒に食べる派」
「わたしは混ぜないで上から。カラメルついてないプリンも好きです」
「どっから食っても美味いよなぁプリン」
「ねー」
「ところで姫ちゃんいつまで俺に敬語なの」
「…さぁ、いつまででしょう」
うふふ、とスプーンを口に入れる。敬語を使われるのも可愛いけど、もっとフランクであってもいいと思う。歳の差はあるが彼氏彼女という関係は対等だ。
「こういうのって今だけだと思うから。いつか自然と慣れて敬語もなくなって、くっつくのも恥ずかしくなくなる時がきっと来るから、今はこのままでいいかなって」
「…そうだな、焦ることもないか。だってこれからずっと一緒だし」
「はい。ずっと一緒です」
変化は避けられない。でも、前向きな変化もある。年上の俺がしっかりしなきゃって思ってるのに、ふとした時のこの子の言葉に俺の心は救われる。
「あ、春休みなんですけどわたしバイトしようと思ってるんです」
「バイト?」
「はい!ずっとしてみたかったんです。駅の近くのケーキ屋さんで来週から入ることになりました」
「へー、いいじゃん。がんばれよ」
「はい」
ケーキ屋かぁ、姫にぴったりだ。ケーキの前に立つ姫を想像して心中で頷いた。うん、似合うだろうな。
「そういえば俺も異動の話が出てさ、受けようと思う。4月から銀高に行くよ」
「え……、今より遠くなりますね」
「そうだなぁ。この部屋決めたのも今の高校から近かったからだけど…まぁそこまで遠いわけじゃねーから大丈夫」
少し不安そうにした姫の頭を撫でてやる。変化を受け入れよう。今は一人じゃない。二人一緒に歩いて行けるなら平坦な道よりも多少刺激があった方が楽しいだろ?
「応援します、坂田先生」
「ありがとな」
3月。
卒業式は滞りなく終わった。最後の日は何とも言えない感情が湧き起こる。俺と服部先生の離任式も無事に済んだ。この学校ともお別れだ。異動は珍しいことじゃないから名残惜しいとかそういう感情はないが、別れの独特の雰囲気が少し苦手だ。
「坂田先生バイバーイ」
「今までありがとー」
「おー元気でなー」
最後の生徒を見送って家に戻る途中、駅を少し過ぎた先で姫の背中を見つけた。バイト帰りか。
「そこの可愛いお嬢さん、乗ってかない?」
「えっ」
幸い道が空いてたから路駐して声をかけるとめちゃくちゃ驚いた姫が俺に気付いた。
「銀時さん!」
「乗って」
サッと助手席に乗り込んだのを確認して車を出した。えらくスムーズな誘拐だな。
「お疲れさまでした。早かったですね、もっと遅いかもって思ってました」
「うちの高校の卒業式って結構あっさりしてんだよ。やるところは謝恩会とかやってるけどな」
「銀時さんスーツ!格好いい…!」
アイドルでも見るかのように目をキラキラさせて俺を見つめてくるその唇を奪ってやりたい気持ちをどうにか抑えて前を向いたまま左手を姫の太腿に置かれた手の上に乗せてぎゅっと握った。
「きゃああ、もう無理…!」
助手席で顔を真っ赤にしてバタバタしてる姫が面白くてぶはっと吹き出した。なんだこの子、俺如きにこんなはしゃいで、ドキドキして、なんなんだ本当に。
「いつにも増して乙女だねぇ」
「だって夢みたい、今でも…銀時さんと付き合ってるなんて」
「俺もそう思うよ」
車を降りてマンションに入る。花束や色紙で荷物が多い俺の紙袋を持つのを手伝ってくれた姫は「あとでうちに来てください」と言って部屋の前で別れた。スーツを脱ぎ捨ててソファに寝転がる。はー、また一年終わった。お疲れ、俺。良くやった。気を張っていたのが解けて力が抜けていく。あ、このまま寝れそう。……いや、姫んとこ行くか。夕飯まで寝かしてもらうか。
シャワーを浴びて姫の部屋に入れてもらうといつになくニコニコしてる。なんだなんだ、機嫌いいな。
いつものようにリビングのドアを開けると、目の前には豪華に飾り付けられた部屋があった。
「銀時さん、おめでとうございます!」
パーン!と横でクラッカーが鳴って突然の大きな音に眠気が一気に覚めた。待て待てなんだこれ。
「あれ俺今日誕生日だっけ」
「卒業祝いです!一年間お疲れさまでした」
ぱちぱちぱちと拍手してくれる姫。鈴を鳴らして歩いてきたミルクがにゃあ〜と絡んでくる。そのちっこい頭には三角帽子を被っている。かわいいなオイ。
「え、これ俺の仕事のお祝い?マジでか、こんなこと、」
こんな風に、一年を終えて人にお疲れさまとか言ってもらったもらった事はなかった。卒業式で教師より生徒にスポットが当たるのは当然のことだ。今年も生徒全員、無事に送り出した。その見返りはいつか教え子たちが立派に社会に出ていくことだと思っていた。
だからこんな、俺だけに向けられる労いと祝いの言葉があるなんて想像したこともなかったんだ。
「人の未来の一部になるなんて、素敵なお仕事です。銀時さん」
その澄んだ綺麗な眼が言うなら俺はきっと信じられないくらい偉大なことをしたんだって自惚れてしまいそうになる。
姫、お前はまだ知らねぇと思うけど教師ってそんなに大層な事をしてる訳じゃないんだ。文句言いながらアホみたいな仕事量をこなして、問題なく無事に一年過ごせるようにって思いながら単調な授業をして、卒業していけば俺らの事なんて記憶から無くなっていくような、そんなただの通過点に過ぎないんだよ、そう言うもんなんだよ、教師って。それでもお前がそういうなら、それってすげぇ事だと思えるよ。
「…姫、ありがとう」
毎年感じていた、自分だけ時が止まって取り残されていくあの感覚はもうない。ああ、俺も進んでるんだな、ちゃんと。アイツらと同じ時間を生きてるんだな。
キラキラ輝く姫の笑顔が眩しくて、眩しすぎて、そのうちぼやけていった。
title by 白桃