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14. こころに染みるあったかスープ

『銀時さん、今日のお夕飯一緒に食べれられますか?』

「あー今日はそんなに忙しくねーから早めに帰れると思う。じゃあ姫んち行くわ」

『楽しみにしててくださいね。お仕事がんばってください!じゃあ、行ってらっしゃい』

「ん。姫も大学頑張ってな」

はい、と優しい声が応えて通話が終わる。
モーニングコールだ。たまにかかってくるそれは朝から俺のテンションを爆発的に引き上げる。クソ苦いコーヒーを飲み干して家を出た。姫の部屋の前を通りすがる時、「行ってきます」と自然に声が出た。彼女の声が聞けるだけで身体がポカポカと暖かくて寒さも気にならない。さて今日もやるか、ともともと少ない仕事へのやる気がまぁ人並みにまで向上する。さながら姫の存在と飯で生かされているロボットのようだ。

「銀時さん!いってらっしゃい!」

エレベーターに乗り込もとしたとき、声がして振り向くと姫が部屋のドアを開けてひょこっと顔を出して手を振っていた。ちょうどさっきの呟きが聞こえたか、扉を閉める音で気付いたのか。とにかく途端に恥ずかしくなるが、寒いのにわざわざ見送ってくれたことが嬉しい。手を振ってへらりと笑った。

年が明けてセンター試験も終わり受験シーズンも佳境だ。いよいよ卒業式に向けて準備も本格的になる。進路状況もまちまちだ。就職が決まった奴の報告を受けたり受験の結果を見るのが怖いという生徒と一緒にPCで合否を確認したり。少しずつ迫る環境の変化を肌で感じる期間だ。

「あー坂田センセーおはよーございます」

「神威か。つーかもう昼なんだけど。こんにちはだろーが」

職員室に進路状況の紙を持って現れたのは何かと突っ掛かってくる神威だ。ハイこれ、と出された紙を受け取る。書かれていた大学名を二度見した。

「お前……これ俺の大学じゃん」

「ああ、坂田センセーの出身大学だからすんなり入れたのかぁ。ここそんなに偏差値高くないもんねぇ」

いちいち嫌味なことをニコニコしながら言うところにイラつく。言うほど偏差値低くねぇよ。まぁこの高校から行くなら花丸モンだ。よく頑張ったと言いたいところだが。

「マジかよお前、俺の後輩になるのかよ。なんでここにしたの」

「それはねー、オープンキャンパスで一目惚れしちゃったんだよねぇ俺」

へらりと笑った緩い口元は思いもよらない言葉を喉から押し出した。

「はぁ?待て待て待て待て。お前女目当てで受験したのかよ!?よくも人生の選択をそんなもんに使えたな」

「結構真面目だけど?キャンパス案内してくれた子が凄い可愛くてさ。ちょっと迫ってもダメだったから持久戦で行こうかと思って」

「いやダメなら諦めろよ」

オープンキャンパスでナンパしてんじゃねぇよ。マジで最近のガキの考えることはわかんねー。まぁ何がきっかけだとしてもこの時期の若者には全てが良い刺激だ。そこから将来やりたいことが見えてくればいいのだが、生憎俺が見届けられるのはここまでだ。

「最近は積極的な男は嫌われるらしいぜ。草食系っつーのがモテるんだと」

「へぇ、だから坂田センセー彼女いないんだ。なんかがっついて嫌われそうだもんね」

「うっせーないちいち!彼女いるっつーの!」

やべ、デカい声出しちまった。ここ職員室だぞ俺。クスクスと他の先生から笑われている。女子生徒は「えー!坂田先生彼女いるの!?」と騒ぎだす始末。

「坂田センセー彼女いたんだ。意外だなぁ。じゃあ俺も頑張ろーっと」

じゃあね〜と学ランを翻して職員室を出ていった。それからは女子生徒から恋バナの集中砲火だ。ハイハイと軽くあしらいたいが女っつーのは恋バナに関してはどの年代もしつこくてしょうがない。その後も進路の話で生徒と話し込んで作業の手が止まってしまい仕事を急いで終わらせたが気付いたら遅くなってしまった。クソ、覚えてろよ神威。

「ごめん、遅くなった!」

家に帰り階段を駆け上がって自分の部屋の手前のインターホンを押すと姫がお帰りなさいと迎え入れてくれた。怒ってなかった。良かった。それどころか嬉しそうに笑っている。

「めっちゃいい匂いする。コレ当てていい?」

「えへへ、なんでしょう」

「おでん」

「あたりー!」

リビングに入るとふわっと暖かい空気と出汁のいい香りが優しく俺を包んだ。ミルクがにゃあ〜〜、と擦り付いてくる。あー落ち着く。癒される。
ダイニングテーブルはもう夕飯のセッティングが済んで後は食べてもらうのを待つばかりだ。

「お鍋だけ温めますね」

「ありがとな、ごめんな冷めちまって」

「おでんは冷めるときに味が染みるからいいんですよー、わたしの好きな具いっぱい入れたの」

「あーーー、もう」

コンロの前に立つ姫を後ろからぎゅうっと抱き締める。仕事でイラついたのが嘘みたいになくなっていく。

「マジで好きだわ姫ちゃん」

「わたしもです」

「わたしも何?」

「わたしも…好きです」

こっち向いて、と身体を反転させて正面から抱きしめて唇を合わせるとすんなりと受け入れてくれた。

「キス、だいぶ慣れたな」

「だって銀時さんがいつもいっぱいするから」

「姫が可愛いんだもん、しゃーねーじゃん。できるならずっとしてたいくらいなんだけど」

「唇溶けてなくなっちゃうかも」

「なくなりませーん」

ミルクがにゃあにゃあ足に絡みついてくる。なんだお前、嫉妬か。いいだろお前は毎日ずっと一緒にいられんだから。2人のときくらい姫を俺に譲れよ。

「食べましょ」

鍋を移動させてダイニングテーブルについて手を合わせる。

「いただきまーす」

ラインナップは大根、卵、はんぺん、餅入り巾着、がんもどきなどの練り物が数種類。それから昆布にこんにゃく、手羽肉も入ってる。

「何がいいですか?」

「大根と巾着ください」

「はーい」

俺が言ったものをつゆから引き上げる。よそってくれるんか。小皿を受け取って大根に箸を落とすとすっと切れた。中まで出汁の色がついていて味が染みているのがひと目でわかる。ふーふーして口に入れるとすぐに形をなくてしてじゅわーっと出汁が溢れた。

「熱ちっ、うま!めっちゃうまいわ姫ちゃん、作るの大変だっただろ」

「大根は圧力鍋で下茹でしてるからすぐ火通るんですよ。あとはコトコト煮るだけだからそんなに手間じゃないです。でもやっぱりおでんは誰かと食べた方が美味しいんですよね」

だから今日作れてよかった、と笑う。そして何か思い出したようにあっと席を立って冷蔵庫から背の高い缶を持ってきた。

「じゃーん」

「え、ビール?どうしたの」

「この間ゼミのお疲れさま会があってビンゴで貰ったんです。銀時さんどうぞ」

「ゼミ!懐かし!」

ありがたく受け取って人差し指で蓋を起こす。お茶のグラスを持った姫とそれをこつんと合わせた。

「乾杯」

「今日もお疲れさまでした」

冷えたビールと熱い大根の相性は言うまでもない。めっちゃ美味い。うますぎるわ。他の具もどれもが柔らかく味が染みてうまかった。あー幸せ。

「そういえば俺の教え子が俺らの大学受かってんだわ、姫の一つ後輩になるな」

「えー!すごい!仲良くなりたいなぁ」

「いやそれは止めといて。多分アイツ女好きだから」

「男の子なんだ…お仕事してる時の銀時さんのこと聞きたいなぁ」

「いや聞かないで。絶対マイナスなことしか言わねーから。すげー生意気なんだよ」

姫と神威を会わせたくねぇな。まぁアイツギャルとか好きそうだし迫られることはねぇか。……いや喋ってるとこ見たくねぇな。やっぱダメだ。箸でがんもどきをつつく。

「なんつーか、とりあえず大学行って進路考えようってスタンスでもいいんだけどそれをどのタイミングで見つけるかだよなぁ。気がついたらやること見つからないまま四年経ってましたー資格もないですーさぁ就職どうしましょーって結構あるからさ」

「ん、耳が痛いです坂田先生」

「姫は教職課程だろ?」

「うん……」

言葉を返した姫の表情はなんとなく曇っていた。まだ一年が終わったところだ、焦る時期じゃない。まあ早くからがっちり進路固めるに越したことはないけどな。

「教職大変だもんな、他の学科と比べて講義も多いし。飯も無理しなくていいからな」

「ご飯はわたしがやりたくてやってるんです、銀時さんのこと考えたら手が動いちゃって…こうして一緒にいる時間が大切だから」

だからこれからも作りたいです、と続けた。

「ありがとな。俺もできることあれば協力する。わからないことあったらなんでも聞いて」

「はい。銀時さんがいると心強いです」

手を伸ばして姫の頭をよしよしと撫でた。こういう時期が一番不安で大変だよな、学生って。大人と言える年齢に近づくにつれて自分がそれに相応しいか不安になり立ち止まる。正しいことなんて誰も教えてくれない、社会に出る前はひよこみたいなもんだ。なのに社会人になりゃあ持ってもいない大人の常識を当たり前のように求められて期待に応えられなければ『今時の若い子は〜』とか言われんだろ、クソな大人に。

「銀時さんの手、好き。大きくて、あったかい。ミルクを撫でてるの見ると羨ましいなって思うんですよ」

「え、ミルクに嫉妬してたの姫ちゃん。俺いつも一緒にいられるミルク羨ましいなーって思ってんだけど」

「ふふ、お互いミルクに嫉妬してる」

会話を聞いていたのかふわふわの物体はソファから鳴き声で答えた。お前、人気だな。

「銀時さん、お仕事のときスーツなんですか?Yシャツにネクタイだから」

「あー私服だと毎日考えんのめんどくせーからいつの間にかこの格好になってたな」

「あの…すっごくかっこいいです、」

「…何その顔、反則……」

頬を染めて俺を見る瞳が綺麗すぎて触っちゃいけないんじゃねぇかって思うけど、でもやっぱ触りたい。触れていたい。

「姫、こっち来て」

手招きして呼んで腰を引き寄せる。椅子に座る俺の上に跨らせる形で座らせると驚いた姫は俺の肩に手を置いてバランスを取った。

「きゃあ、なんですかこれ」

「姫ちゃん、ちゅーして」

顎を上げて姫を見上げると恥ずかしそうに俺を見下ろしている。

「いつもと逆で恥ずかしい?」

「…はい」

「でもダメ、」

肩に置いた手を撫でると観念したようにゆっくりと姫の顔が近づいてくる。

「…目閉じてください」

「目閉じたら姫の可愛い顔見れねーじゃん」

「見なくていいから…」

「姫が閉じちゃえば?」

「もう、」

えい、と半ばやけくそで降りてきた唇を受け止めた。




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