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09.ホットチョコに混ぜた真実

1時間後、俺は姫ちゃんの部屋のドアの前に立っていた。
シャワーを浴びて上下黒のスウェットにパーカーを羽織っている。後は寝るだけの格好だ。
自分で言っておいて何だが、風呂入って集合ということは当然寝る時の格好になる訳で………。

「パジャマパーティーって何着ればいいの」

クローゼットをひっくり返してもくたびれたスウェットしかなかったため強制的にいつものスタイルで挑むことになった。
つーかコレ姫ちゃん普段着だったらめっちゃ恥ずかしいやつじゃん。え?パジャマパーティーってパジャマでいいんだよね?
パジャマで人んちに上がり込むなんて学生の頃同じアパートに下宿していたヅラの部屋で試験前のノート写す時にしていたくらいだ。
そういえば高杉は自宅から通ってたな。アイツのパジャマ姿なんて見たくもないが。家に帰れば姫ちゃんが毎日いたのか……そう考えると羨ましくもある。

こんなに遅い時間に彼女の部屋を訪れるのは初めてだ。意を決してインターホンに人差し指を当てると、それを押す前にドアが開いた。

「おわっ」

「きゃっ」

お互いに驚いて一歩後ずさる。

「坂田さん、来ないから寝ちゃったのかと思った……」

「ごめんごめん。お邪魔しまーす」

つい1時間前までいた部屋なのにまるで初めて足を踏み入れた時のように緊張するのは、風呂上がり特有の甘い香りが部屋を満たしているからだ。
俺の数歩先を歩く姫ちゃんは薄いワッフル素材のワンピースに同じ生地のレギンスを履いてもこもこのカーディガンを羽織っている。めっちゃ可愛い。めっちゃ女の子。全身柔らかそう。触りてぇ。これがパジャマパーティーの正装か。……その点俺の煙草の匂いが染みついたドンキのスウェットよ。お前は今日限りでクビだ。

リビングのソファに腰を下ろすとミルクが擦り寄ってくる。お前は本当に懐っこいな。猫って放って置かれるのが好きな生き物なんじゃないのか?

「あーここお前のお気に入りの場所だよな。ちょっと貸してくれな」

声をかけると俺の腿の上で丸くなって落ち着いた。
ここでいいのかお前。めっちゃあったかいな。
姫ちゃんがミルクレープみたいだと言った薄い茶色の毛に濃い縞模様の背中を撫でると、しっぽがぺしぺしと腕に飛んでくる。

「はいどうぞ。混ぜてくださいね」

「サンキュー」

もこもこパジャマ姿の姫ちゃんがマグカップを2つ持ってきた。ほかほかと湯気が立っている。
ひとつを受け取って覗き込むと、ホットミルクにチョコレートが溶けて渦を巻いている。その上にぽってりと浮かぶマシュマロ。ほんの少しナッツも散らせてあり甘い香りの中に香ばしさがある。マグカップに刺さった木の棒を持ち上げると、溶けきらないチョコレートが重力に従ってトロリと落ちた。

「うーわ、美味いわこれ」

「まだ飲んでないのに」

「いや美味いよこれは。寝る前にこんなん飲めるなんて贅沢だわ」

「いつでも作りますよ。パジャマパーティー限定メニューなのでパジャマで飲みに来てくださいね」

「次はパジャマ新調してきます」

笑いながら姫ちゃんは俺の隣に腰を下ろした。
ちょ、待って隣かよ!近っ!
一人暮らし用に用意された姫ちゃんのソファは少し大きめとはいえ男女2人で座ればいっぱいだ。

手の中の甘いチョコレートの香りと、隣からふんわりと香るシャンプーの香りがダブルで俺を誘惑する。酔いそう。
なるべく端っこに詰めて冷静を装いホットチョコレートに口をつける。あっま。うっま。あったまるわー。
姫ちゃんも両手でマグカップを包んでふうふう息を吹きかけながら飲んでいる。
しばらく沈黙が続いた後、先に口を開いたのは彼女だった。

「……坂田さん、少しお話ししませんか?」

「うん、俺も聞いて欲しいことがある」

「じゃあお先にどうぞ」

「まじでか」

突然の振りに急に背筋が伸びる。
さぁ、いくぞ、俺。

「姫ちゃんさ、昼間俺が言ったこと覚えてる?」

「…はい」

「もう一度ちゃんと言うわ。…俺、姫ちゃんのことが好きだよ。彼氏がいるからって諦められなかった。勘違いだったけど」

至近距離で目が合う。メイクを落としていつもより幼くなった顔が、真剣に俺の言葉を聞いている。

「姫ちゃんと付き合いたい。姫ちゃんからしたらこんなオッサン恋愛対象にならないかもしれないけど、チャンスがあるなら考えてみて欲しい」

「それを言ったら、坂田さんも同じです」

「…え?」

「坂田さんから見ればわたしなんて子どもです。学生で、社会に出たこともなくて、親の助けがないと住むところだって困る…、そんな小娘と立派な教師の仕事をしている大人が釣り合うと思いますか?」

「そんなの、好きなら関係ねーよ」

「うん、関係ないんです、坂田さん。歳の差なんて、とっくに乗り越えてます、わたし」

そう言うとマグカップをテーブルに置いて向き合った。膝が、触れる。

「坂田さんのこと、ずっと好きでした。…彼女にしてくれますか?」

微笑んだ姫ちゃんの瞳いっぱいに涙の膜が張っていて、心底綺麗な涙だと思う。言葉の意味を理解した瞬間から心臓が甘い痛みを訴える。

「姫ちゃん…………、マジ?俺の彼女になってくれるの?」

姫ちゃんの太腿の上でぎゅっと握られた手の上に自分の手を重ねる。目の前の彼女がこくりと頷くと、同時にぽろりと涙が溢れた。その温かい一粒が、俺の手の甲に落ちた。









「わたし、話さなきゃいけないことがあります」

重ねた掌が温かく熱を持つ。
気恥ずかしくて、でも心は満ち足りていた。
彼女は何度か言い淀んでいたが、やがて意を決したようにポツポツと話し始めた。

「長い初恋の話です」

「…初めてその人を見たのは、小学生の時です。
お兄ちゃんが通ってた剣道の練習を小さい頃からお母さんとよく見に行ってました。お兄ちゃんがいつも楽しそうに話すお友達が何人かいて…その中でも1人の人と話す時は特別でした。お兄ちゃんって、あんなに笑ったり怒ったりするんだってその人といる姿を見て思った」


「そのうちその人ばっかり目で追うようになりました。竹刀を持つ姿が格好良くて…お兄ちゃんよりその人を応援していました。時間が経つうちに恋だって気づきました。
好きで、でも10個も年上の人に相手にしてもらえるはずもなくて、お兄ちゃんの妹なんて言えば恋愛感情なんて持ってもらえないと思って……恥ずかしくて声もかけられなかった」


「その人は大学生になってもサークルで剣道を続けていて、大会を見に行く時だけが唯一会える時間でした。お兄ちゃんから大学での様子を聞くのが楽しみでした。
とっても楽しそうで、お兄ちゃんが羨ましかった。お兄ちゃんは『彼女がいるから諦めろ』って言ってたけど、どうしても無理で……」


「何もできないまま気づいたらわたしは大学生になりました。その人は立派な社会人になっていました。
お兄ちゃんが紹介してくれたマンションの隣の部屋にに、まさかその人がいるなんて思わなかった。
隣にいるのが嬉しくて…それだけで満足だったんです。

でも、この子を拾って困ってたら声をかけてくれて、優しくて、面倒見が良くて、あの頃から好きだった笑顔が目の前にあって……。あの夜にご飯に誘ったのは、わたしの精一杯の勇気でした」


「甘いものが好きって聞いてからいつも、坂田さんのことを考えてお菓子を作っていました。渡したくて、渡せなかった。ずっと。
いつの間にかお菓子作りが趣味になってて、食べて貰えない分だけ、上達して…。

だから、こうしてわたしが作ったご飯を食べてもらえて、幸せ。好きって思ってもらえて、幸せ…………」



彼女がしたのは、途方もない話だった。
溢れる涙をパーカーの袖で拭ってやりながら、俺自身も涙が止まらなかった。

長い、長い初恋。その中心にずっと、俺がいた。

俺が適当に女を抱いて不義理をしている間も、この子はずっと、俺だけを想っていた。直接話したこともない、フラフラしてるだけのこんな俺を。
何年も、気が遠くなるくらいの間、ずっと。

俺だけを見てくれていた彼女にいるはずもない彼氏の影を感じて一人焦って苦しんでいた自分自身が、心の底から恥ずかしい。
俺には何にも見えていなかった。この子が笑う意味を。丁寧に作られた料理に込められた気持ちも。

『本気になった時、後悔するぜ』

あの頃から高杉は全て知っていたんだ。
昔からアイツが俺を毛嫌いする理由のひとつが、わかった気がした。

目の前にいるこの女の子が、心から愛おしい。
頬に手を当てて、そっと唇を合わせた。

「…………夢みたい」

その一言で、彼女が乗り越えてきた時間の長さを思い知った。

大切にする。君がこれまで俺にかけてきた時間を無駄にさせないように。俺の残りの人生全部かけて幸せにする。
君が長い間大切にしてくれていた感情に、やっと、追いついた。

もう一度口づけると、2人の涙がひとつの雫になって頬を流れ落ちていった。


title by 子猫恋
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