08.ビーフシチューに願いを込めて
「いやー……すげぇ絵面だな。まさか俺とお前が同じ女の部屋にいるなんて」
「お前が勝手に上がり込んできたんだろ。俺は姫がここで一人暮らし始めてから何度も来てる。むしろここを勧めたのは俺だ。辰馬ん家の不動産屋が管理してるからな」
「だからここにサンダルとか灰皿置いてんのかよ?紛らわしいんだよ!完全に彼氏のする事だろうが!」
「わざとだ。大事に育てた妹に悪い虫がつかねぇようにと思ったんだが、いつのまにか猫とゴキブリが入ってきちまった」
キーン、と高杉がジッポライターを手元で弄ぶ。
それを見ながら、もう一度だけ確認する。
「あのさぁ、マジでお前と姫ちゃん兄妹なの?全然似てないよね?血繋がってんの?同じ家で育ったのになんで性格が真逆なの」
「姫は正真正銘、俺の妹だ。なんならアイツの初恋の相手からスリーサイズまで教えてやろうか」
「お兄ちゃんって妹のスリーサイズ知ってるモンなの!?……つーか、冷静だな。仮にもダチが妹の部屋に上がって一緒に飯食う関係になってんのに」
「姫から話は聞いてるさ。ずっと前からな。お前達がこうして親しい関係になったのも、お前からすりゃあ単なる偶然と思ってるかも知れねェが……」
「なんだよ、偶然じゃなけりゃなんなんだよ。まさか運命とか浮ついたこと言いたい訳?高杉お前そんなにロマンチストだったっけ?」
「……こんな馬鹿のどこがいいんだろうな。まぁ姫とよーく話すこったな。生憎、今は家がバタついてアイツも混乱してる。……また顔見に来らァ。それまでに、男上げとけよ」
そう言って高杉は煙草の火を消して部屋の中に戻っていった。姫ちゃんといくつか言葉を交わしてそのまま帰ったようだった。
「…んだよ、男上げろって。そりゃあ底辺だけどよ」
俺は煙草を根本ギリギリまで吸いきってから火を消して戻った。部屋に入った途端にビーフシチューのいい香りが冷えた身体を包みこむ。忘れてたけどめっちゃ腹減ってきた。
「坂田さん、ご飯にしましょ。外寒かったでしょ」
「おー。ごめんな煙草臭くて」
「わたしなんてワインの匂い染みついちゃってますよ〜」
「じゃあお互い様だな」
姫ちゃんはいつも通りに戻っていた。
俺が勘違いして一人芝居の末にした告白は、無かったことになっているのかもしれない。むしろアレは夢だったのかとさえ思うくらいに自然だった。あれこれ悩んでいる身としては正直、助かる。
「うわ、すげーうまそう」
ダイニングテーブルに置かれたのはじっくり時間をかけて作られたビーフシチューとほどよく焦げ目のついたバケット。そして彩りの良いトマトとチーズのカプレーゼ。
「クリスマスみてーだな」
「ビーフシチューって見た目もすごく豪華ですよね。見るだけでワクワクしちゃう」
いただきまーすと手を合わせてスプーンで牛肉をつつくと、抵抗なくホロリと切れた。えっこれ肉?柔らか!口に入れると思った通りの食感と予想以上の濃い味。うっま。
「うわー肉とろとろ…溶けるわ〜〜」
「赤ワインがしっとり柔らかくしてくれるんですよ」
肉だけじゃない。人参やじゃがいも、玉ねぎといった野菜も甘くて美味い。柔らかいが煮崩れしていない。丁寧に作られていることがわかる。
「マジで美味い。これが高杉家の味かー。……ん?姫ちゃんの苗字って高杉だったっけ?」
「実は、坂田さんに苗字が高杉ってちゃんと言ってなかったんです。お兄ちゃんの妹って思われたら困るなーって」
「姫ちゃんもお年頃だもんなー。ああ見えてアレ絶対シスコンだよ君のお兄ちゃん」
「…妹って思われたら、女の子として見てもらえないから困るんです」
「ん?なに?」
「あっ、今日『山風にしやがれ』にわたしの好きな俳優さん出るんです!TV付けていいですか?」
「あー、どーぞどーぞ」
バケットをちぎって口に放り込みながらリビングまで行ってリモコンを取ってくる姫ちゃんを目で追っていると、昼間一緒にやっていたジェンガが目に入る。俺が途中まで積んだままだ。あのテーブルの上だけ時間が止まっていた。
戻りがけにお気に入りのソファの上で丸くなっているミルクを撫でている。一足先にご飯を貰ったらしく満腹で眠たそうだ。可愛いな。
長く悪友をやっているあの高杉の妹だとわかっても全然見る目は変わらない。好きだと思う気持ちは枯れることなく溢れ出てくる。次に何気なくカプレーゼに手を伸ばした。
こういう洒落たモンはあまり口にする機会はない。
「うま!えっ何これトマトとチーズだよね?」
「フルーツトマト使ってるんです。甘いですよね」
「トマトも美味いけど、チーズがちょっと溶けててそれがめっちゃ美味い」
「軽くトースターにかけてるんです。溶けきらずにちょっとだけとろっとするのが好きで」
「えー俺これ好き」
「ですよね!坂田さんと好み似ててほんとに嬉しい」
TVをつけて目の前に戻ってきた姫ちゃんの笑顔が間近でキラキラ輝いている。
「姫ちゃんさ、こんなに丁寧にご飯作ってくれるの俺マジで嬉しいよ。長く一人暮らしやって適当に飯食うの当たり前になってたけど、やっぱ一緒に食べる飯が一番美味いわ。姫ちゃんの料理がめっちゃ美味いってのもあるけど」
「…わたしも、坂田さんとのご飯が本当に楽しみです。いつも美味しいって食べてくれるから。ビーフシチューだって作るの時間かかるし大変だけど、坂田さんと食べると思うと作るのすっごく楽しかった」
とても嬉しそうに言ってくれる。
ひとつひとつの言葉が胸に染み込んでくる。
そうか、俺のために作ってくれたのか。美味いはずだ。
「あの、昼間は泣いちゃってごめんなさい。両親のことで混乱してて…、お兄ちゃんみたいに上手く割り切れなくて」
「わかるよ。家族が離れるのって寂しいよな。子どもの立場だと余計にさ。そういうのって、やっぱ時間が経つのを待つことも大事だよ。
すぐに受け入れたり理解しようとしなくていい、姫ちゃんが納得できるまで悩んでいいんだよ」
「………うん……。坂田さん、なんか先生みたい」
「アレ?忘れてない?先生だよこう見えて。坂田先生と呼びなさい」
「ふふ、坂田先生、ありがとう」
「ところで姫ちゃんの好きな俳優って誰?まさか小栗旬之助?それとも菅田翔輝?」
「堤真二です」
「渋………」
デザートはレモンの香りが爽やかなゼリームース。
濃い味のビーフシチューから口の中をさっぱりとさせてくれる優しい味だ。
「ゼリーとムースって意外に合うんだな」
「ムースだけでも充分美味しいですよ。レモンの代わりにマスカットとかにしてもいいし」
「姫ちゃんほんとなんでもできるな。魔法使いみてー」
「魔法使えたら、坂田さんの頭を綿あめにして食べてみたいです!ふわふわで美味しそう」
「それ食い終わったらただのハゲになるってことだよね?えげつねぇ……」
「あはは」
時計の針は21時に差し掛かっていた。
昼間からここにいたのにあっという間に過ぎていった。後片付けを手伝って、リビングでまったりしている。いつもならそろそろお暇するタイミングだ。
だけど、ひとつだけ確かめなければいけなかった。なかなか切り出せずにやきもきしていると、姫ちゃんが冷蔵庫の中を覗きながら声をかけてきた。
「坂田さん、明日もお休みですよね?ちょっとだけパジャマパーティーしませんか?寝る前に甘ーいホットチョコレート飲みましょ」
「そーだなー。じゃあ風呂入って1時間後に集合な」
「はーい」
じゃあねーと姫ちゃんの部屋のドアを閉めて自室に戻って電気をつける。ふー、ただいま現実。とりあえずベランダに出て煙草に火をつけた。
ところで。
「パジャマパーティーって………何………?」