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52.こころはあなたが持っている



「何か思い出したことはありますか」

「特に何も……。ただ、ふとした時に胸が痛くなるというか、ちくちくするというか」

「胸が痛い?」

「なんて言うか、…やっぱり何でもありません。病気とかではなさそうなので」

カルテに目を落としていた清次郎さんはペンを置いて向き直った。

「それはもしかして特定の人のことを考えると痛みませんか?例えば……沖田さんとか」

「……そう言えば」

その人のことを考えてみる。ちく、ちくちく。もし小春さんと仲良く歩いて、恋人になって、手を繋いだりしたら…。それか好きな人と上手くいったら…あの笑顔を誰かに向けるようになったら……?

「ギリギリします」

「はは、ギリギリですか。彼のことが好きになったんですね?」

「………」

答えられずにいるとやけに楽しそうな清次郎さんはカルテを閉じて立ち上がった。

「午前の診療はこれで終わりです。良かったら昼飯をご一緒しませんか」

「はい、ぜひ」

訪れたのは定食屋。診療所のすぐ側にあってよく利用するらしい。食事をしながら「そう言えば」と切り出した。

「『恋は病だ』と説いている本がありましてね。きちんとした病気だそうです。だから心が痛んだり体に不調が出るのだと。心をコントロールすることも難しくなる」

「恋は病気だとして、それは治るものなのでしょうか?」

「胸の高鳴りは脳内物質の発生から来ます。そしてそれが快感と自己愛の欲求から来るものとして…ドキドキすることが少なくなれば禁断症状となる。俗に言う寂しさや辛さ、苦しさはここからくるものと思われます。これをコントロールできれば治るでしょう」

「……ちょっと難しい話ですね」

「はは、これは本当に人それぞれです。何か他のことに目を向ければいい。友達と話したり読書に集中したり…パチンコや娯楽に向かう人もいるかもしれませんね。ただ何をしても、どうしてもその人のことを考えて他の物では絶対に代えられないなら…それは手放してはいけないと思いますよ」

「…お医者様に恋についてのお話を聞くことになるなんて思いもしませんでした」

「これでも僕は少しだけ痛みを知っています。僕は貴女に振られてるんですよ、貴女が落とした記憶の中で」

「え……!?」

「だから今回僕にもチャンスがあるのかと舞い上がってしまったけど…どうやら貴女の『病』は僕には治せないようだ」

「そんな…わたし何も」

「謝らないで下さい。いいんだ。僕の病は…立派な医者になることで治りそうだから」

お茶を飲みながら穏やかに微笑む清次郎さんが、以前わたしに告白をしただなんて想像できなかった。

「ただ僕も意地が悪いから、もうしばらくはアピールするつもりです。僕が貴女の病を治す存在になれたら…こんなに幸せなことはありませんから。さっきの質問をもう一度していいですか?姫さんは沖田さんのことを好きになったんですか?」

「……わ、かりません。まだ、そんなふうにはっきりと言えなくて。第一これが恋かなんて確かめようもなくて…」

「おかしなことを言いますね。姫さんは誰かにこれが恋だと言われなければ認めたくないんですか?誰に遠慮しているんです?それじゃあ手に入りませんよ」

諭すように言われる。清次郎さんはどんな気持ちでそんな台詞を言ってくれているんだろう。

「………やっぱり、難しいです」

「はは、虐めてしまいましたか。さてそろそろ出ましょう。送って行きますよ」

屯所に着くとザワザワと騒がしい。隊士さん達が忙しなく動いている。目の前を走って通り過ぎていく人に声を掛けた。

「どうしました?」

「ああ姫ちゃん!討伐に出た十番隊が爆発に巻き込まれたんだ。途中から副長や一番隊も加勢に入って上手くいったらしいが…」

話している間に抱えられ横を擦り抜けたのはぐったりとした鉄さんだ。

「鉄さん…!」

「すぐに手当てしましょう。姫さん、お湯を沸かしてくれますか。怪我人は道場に運んで下さい」

「はい!」

清次郎さんに指示されてお湯を沸かしつつ処置室に走った。二つあった救急箱や予備の布や包帯を持てるだけ持ち、お湯を運び、担ぎ込まれて来た隊士達の呻き声を聞きながら傷の具合いを確認した。

「姫さん、僕は出血が酷い方から処置をしていきますので貴女はできる範囲で対応してください。急変があれば教えてください」

「わかりました!」

指示通り軽症の人の応急処置をして回った。脳と身体がフル回転してる。「大丈夫ですよ」と声をかけながら手が自然とやるべきことをしていく。止血をして包帯を巻いて…救急箱から鋏を取り出した時、ケースに入れられた塗り薬が目に入ってきた。これ、何に塗る薬だろう。切り傷にも効くのかな…と手に取ってみる。蓋に男の人の字で『高松 秘伝』と書かれている。さっき診療所で清次郎さんがカルテを書くところを見ていたけれど、それとは違った走り書きの文字。お爺さんが作った物なのだろうか。確か亡くなったと聞いていたはず…。

「姫さん、自分が無茶したばっかりにこんな事に…すみません…」

傍らで横になっている鉄さんが意識を取り戻した。申し訳なさそうに眉を下げ、襲ってくる痛みに顔を顰めた。

「いいえ鉄さん。無事に戻ってきてくれてありがとうございます。ゆっくり休んで下さいね」

負傷者は十人程で手当ても二人かがりだったからすぐに落ち着いた。手当てを終えた隊士さん達は自室に運んで貰った。

「幸い皆さん軽症でうちに運ばなくても大丈夫そうです。一応様子を見に明日また伺います」

「清次郎さん、ありがとうございました」

清次郎さんを見送って静かになった道場の片付けをしていると土方さんが入ってきた。とても…神妙な面持ちで。

「お疲れさまです。土方さんは大丈夫ですか?」

「ああ」

「…どうか……しましたか?」

救急箱を閉じて見上げる土方さんは酷く動揺しているようだった。それでも冷静さを取り繕っているように見える。

「姫、お前……覚えてるのか」

「え?」

「俺たちのこと、ここにいたこと、ここであった…全てのことを」

「覚えていませんよ。まだわからないことばっかりで…」

「違ぇ。俺が言いたいのはそういうことじゃない」

肩に手が置かれる。強い力だった。何か様子がおかしい。

「じゃあその手当ての仕方は誰から教えてもらった?お前は元々争い事が嫌いで故郷でも刀傷なんて見たことないはずだ。無知なはずだろう。だから初見であんな風に手当てなんて出来るはずがねぇんだよ。ここへ来てからあんなに必死になって勉強してたんだから」

「どう…いう…意味ですか。だって…記憶喪失だから…忘れてるだけでしょう?手当ての仕方を思い出したのかもしれないじゃないですか…、なのにどうして、そんなに怒るんですか……?」

「怒ってねぇ。確かめてぇだけだ。『知らない』んじゃねぇんだな?『忘れてる』だけなんだよな?お前はあの、俺たちと過ごした姫なんだよな……!?」

土方さんがこんなにも必死になって聞いていることの意味がわからない。どの、わたしの話をしているの?わたしは一人しかないのに。

「っ、や、やめてください……!」

怖くなって抵抗すると正気に戻った土方さんはすぐに手を離した。

「悪ぃ、俺はただ、」

「思い出さなくてもいいって土方さんが言ったのに…『わたし』じゃなくてもいいって……っわからないのに、聞くんですか………」

抱えた救急箱にぽた、と涙が落ちた。土方さんには涙を見られてばかりだ。泣いたって困らせるだけなのに。

「…悪い、頭冷やして来る」

そう言い残して出て行った。
頭が痛い。考えなきゃいけないことが多すぎて自分一人ではどうしようもない。叫び出したくて、代わりに駆け出した。涙でぼやける視界の中を走って辿り着いた部屋に声をかけても返事はなかった。部屋の主がいないのに入るなんて失礼極まりないのに手をかけて襖を開けた。前にも見た通り、そこに私物は殆どなかった。ただ机の周辺だけは書類で埋め尽くされていて、それがないと使われている部屋なのかも判断がつかないくらい。それでも…沖田さんの香りがほのかにする。

多分、負傷した人たちに代わって仕事の後片付けをしているんだと思う。土方さんも一度戻って来て隊士さんたちの様子を見に来たようだったけどすぐに戻るような雰囲気だった。もう怪我しないといいな………、怪我、手当て、刀傷、この間襲われた時に見た光景。血の海、濡れた刀、痛いと叫ぶ人たちの声………。まただ。また酷く恐ろしい何かがわたしに手を伸ばしてくる。黒くて大きな影。怪我をしないでと願う一方でそれを目の当たりにして内心はほんの少し安堵さえしていた。だって命に関わらない怪我なら治せるから。死んでしまえばもう救えないから………。

「……無理だよ」

清次郎さんのように手早い処置なんて出来ない。裂けた肉を縫い合わせることもできない。それなのにできると思うのはなぜ?思い出せるならもう全部思い出してしまいたい。それができないのはきっと怖いから。ここでの記憶は楽しいことばかりじゃなかったはず。断面が、見える。

「わたしは誰なの…………」

返事はない。するはずもない。自分自身が酷く恐ろしい。







「泣いてここに来たのは二度目だな」

いつのまにか眠っていたようでふわふわと何かが頭を撫でる感覚とともに意識が持ち上がってくる。少し低い体温がこの部屋の主の手だと教えてくれた。壊れそうな物を守るような、普段の姿からは考えられないくらい優しい手つきだった。安心するのに酷く胸が痛くてまた涙が目尻から零れ落ちた。そっと目を開けるのと手が離れたのは同時だった。『もう触れない』と言った言葉を思い出す。ズキリと心が軋んだ。

「…おかえりなさい…それと、ごめんなさい」

「何が」

「勝手に部屋に入って」

「他の奴なら殺してた」

起き上がろうとしたら止められた。畳じゃなくて柔らかい感触。布団に寝かされている。全然気づかなかった。いつからこうしていたんだろう。

「体温高ぇな。熱でも出たか」

「……そうかも…」

「野郎が探してた。落ち着いたら話をさせて欲しいとさ。何泣かされてんだ。そういう時は迷わず玉蹴り上げて刺し殺せ」

沖田さんが言うと冗談に聞こえない。元気付けてくれているのだろうか。話の内容を聞いたのかな。

「土方さんのこと怒らせちゃった…」

「何を今更。俺たちが何度アイツに追いかけ回されたか」

「…違和感の話をしてもいいですか」

「聞いてやらァ」

わたしは横になったまま、沖田さんはその横で胡座をかいた。隊服の袖を掴みたくて…止めた。その代わり布団をぎゅっと握った。

「はじめは、記憶喪失だって言われていたから…真選組のみんなが気を遣ってくれているんだと思ってた。でも誰も…思い出してって言わないの。そのうち触れないようにしてるって気付いた」

「……で?」

「さっき土方さんが聞いてきたんです。覚えてるのかって。知らないんじゃなくて忘れてるんだよなって。皆さんはわたしが何も知らないと思って接してたんですか?……教えてください。わたしは…記憶喪失なんですよね?」

沖田さんはどこまで言うか躊躇っているようだった。

「…俺たちは…姫がいた世界の過去を変えた。殺されるはずだった姫を俺が攫った。月の国じゃなくこの世界で生きると決めて。だが過去を変えたことでお前がここにいた事実が消えた。その結果…月の国の住人のお前の記憶だけが、なかったことになった」

「……なかったこと?」

「過去を変えて戻ってきてから二年の空白の後にようやく姫が流れ着いた。何もかも忘れた状態で。だからお前の中でここにいた事実はそっくり全部無くなったと考えた。それがあっちの世界の過去を変えた代償だと」

「代償……沖田さんはどうしてそこまでしてわたしのことを助けてくれたの…?」

「今のお前に話す気はねぇ」

突き放されて、また胸が痛む。でも違う、沖田さんが言ってる話じゃこの違和感と噛み合わない。起き上がると重い頭痛が襲ってきて思わず頭を押さえた。「寝てろ」と言う声に軽く首を振って訴える。まだ確かめなくちゃいけないことがある。

「その話だと、わたしはここの世界のことを何も知らないってことになるよね?でも納得いかないことがあるの。…何か、思い出させそうな…知ってる感覚を掴む時があるの」

「……何?」

ここでようやく沖田さんがわたしの視線を捉えた。

「さっきも怪我した人の手当てをしてて頭の中で誰かが言うの。『良かった、このくらいの怪我なら大丈夫』って……。人の怪我なんて見たことないのに。血を見ると怖くて、でも…目を逸らしちゃダメって言われてるみたいで。手が勝手に動いた」

枕元に置かれた救急箱を手に取る。さっきは気が動転していて気が付かなかったけど、箱にはマジックでこう書かれていた。『姫ちゃん用!触るな!!』『野郎厳禁』……そう、だから救急箱が二つあったんだ。これはわたしが使っていた物。そうだわたし、

「お前は高松のジジイんとこで勉強して、ここで女中と救護をやってた」

「高松さん…………」

白い髭を蓄えて穏やかに笑うお爺さんがぼんやりと浮かんだ…と思う。きっとあの人が、高松さん。清次郎さんのお爺さん。まだそれだけしかわからない。でも思い出したということは知らないんじゃない。記憶はちゃんとある。

「…俺たちの推測は間違いだったってことか」

そう言って長い、長い溜息をひとつだけ吐いた。目元を押さえた沖田さんの手の甲に血が付いていた。細い刀傷だった。救急箱を開けて手当てをする様子を何も言わずに見ていた。

「早く治りますように」

最後に包帯をひとつ撫でた。おまじない感覚で自然としたそれを見て沖田さんはとても嬉しそうに笑った。

「どうして笑ってるの?」

「お前が、姫だとわかったから」

「沖田さんの笑顔を見ると泣きたくなるの。嬉しいのに、どうしてかな」

「俺もそう思ってる。いつも」

「ほんと?涙出てないよ」

「泣くわけねぇだろ」

救急箱を傍らに置いて向き直る。一人分の距離があるわたしたちの間には、埋めようもない深い溝が確かに見える。でも近づきたい。記憶を、取り戻したい。沖田さんへの気持ちがどんな物なのかをきちんと知りたい。

「…この間『もう触らない』って言われたけど…触って欲しいと思うのはいけないことかな…。小春さんの気持ちを知ってるのに」

「他人に遠慮して諦めつくならその程度のもんなんだろ」

昼間、清次郎さんも同じようなことを言っていた。…言っても、いいかな。目の前の男性はこの唇から発せられる言葉を待っているように見えた。胸が痛いよ、沖田さん。痛くてもうどうしようもないの。

「…触れて、いいですか。あの雷の夜みたいに」

「今更許可取んのかよ」

「触って……沖田さん」

「泣きながら言うんじゃねぇ」

次の瞬間、引き寄せられて腕の中に収まった。隊服からほんの少し血と煙の香りがする。苦しいくらいなのにもっともっと強くして欲しいと思う。躊躇った後に両手を持ち上げて広い背中に回した。耳に沖田さんの呼吸が触れる。その度に押し殺した感情がそこにあるのを感じた。お互いの心臓の音が混ざり合う。嗚咽が抑えられない。痛みが涙に変わる。ボロボロ溢れて止められない。

「ごめんね…ごめんね、忘れて…っ」

「姫は悪くない。俺たちは間違っちゃいない。あれが最善だった」

「でも、それでも…っ沖田さんに悲しい思いさせてるのは、わたしだから」

「お前も同じだろうが。泣いてる顔が見たくて抱き締めてんじゃねぇぞ」

「っ、うん」

「待たされんのは慣れた。記憶が戻るならそれに越したことはねぇ。けど…全部がいい思い出な訳じゃねぇ。人の死や傷の記憶を見た。辛い経験もしてきてる。だから焦るな。思い出すのが怖くなったら俺の所に来い」

欲しい言葉が耳から心に流れ込んでくる。どこまでも温かく包んでくれるかのような声が心の底から安心する。沖田さんのにおい、腕の強さ、温度、その全てが心を溶かしていく。縋るように泣き続けた。

「他の男の前で泣くな」

「つまんねぇ奴らに騙されんな、真に受けんな、靡くな」

「いい加減、俺がお前を受け入れる理由に気付けよ」

髪を撫で、囁きながら何度も背中をさすってくれた。涙が枯れるまでの長い間ずっと。これが愛情ではないとしたら他に何だというのだろう。記憶を落としているわたしでもわかる。これは大切な人に対する触り方だと。この温もりを知っている。最後に一つだけ教えてくれた。

「俺たちは二年前こうしてた。ずっと」

納得した。だってそうじゃなきゃこんなに愛おしさが溢れたりしない。沖田さんと過ごしたこの時間は愛情で埋め尽くされていた。でも……わたしはそれと同じくらい大きな気持ちを返すことができない。こんなちっぽけな『好き』という気持ちじゃ貴方に釣り合わない。だから辿り着きたい。もう一度掴み取りたい。一番無くしたくない、わたしだけの大切な『心』を。




title by ミノルカ