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48.君は溺れてそのまま、僕を望まないまま



夢の中のわたしはいつも幸せそうに笑っている。知らない場所を楽しそうに歩いている。桜の花びらを手に取って、嬉しそうに何かを言う。何がそんなに嬉しいの?どうしてそんなに満ち足りた顔をしているの?


「おはようございます、えと…原田さん」

「おはよう姫ちゃん!今日も元気でおじさん嬉しいなぁ!」

「原田さんもお元気そうで…」

「おや!?これは卵焼きか!朝からこんな豪勢な物が食べられるなんてなぁ〜」

「ちょいと原田さん、卵焼きなんていつも食べてるでしょう!早く食べてくださいよ!」

原田さんは女中のおばちゃんに怒られて笑いながらトレイを持って席に着いた。
真選組という警察の人たちはとても親切にしてくれて、住む場所も身寄りもない怪しいわたしを受け入れてくれている。しかも屯所に住んで良いというし、仕事だってこうして用意してくれている。しかも『違う世界から来たかもしれない』と言ったのに、誰も何も言わなかった。それどころか……。

『そうか、それは大変だったなぁ。どうだい姫ちゃん、ここで暮らさないかい?知らない土地で一人じゃ不安だろう?むさ苦しい男所帯だが、誰かと一緒にいた方が寂しくないと思うんだ』

一番偉い局長の近藤さんはそう言って優しく笑った。この世界の警察の人は刀を持ち歩いていてとても恐ろしいイメージがあったのに拍子抜けした。こんなことを言ったら精神病だとか言われて病院かどこかに連れていかれるかもなんて身構えていたのに。

『お前、家事と掃除はできるだろ?雑用でいいならやることは山ほどある。ちょうど手が減って困ってたんだ』

そう言ってくれたのは副長の土方さん。険しい顔をして少しだけ怖かったけど、拒否はしないようで近藤さんの意見に賛成だと言った。そして、

『…外に出る時は誰かに言いなせェ。アンタはすぐ厄介ごとに巻き込まれそうだからな」

一番隊隊長の、沖田さん。この人が倒れているわたしを見つけて真選組に連れてきてくれた。少し年上だけど一番年が近くて、できれば頼りにしたい存在…なのに、いつも難しい顔をして歩いている。若いのに隊長なんて役職に付いているからだろうか、ずっと気を張っているように感じてなかなか話しかけられない。

沖田さんと初めて会った日。意識が少しだけはっきりとした一瞬、わたしを抱き上げて話しかけてくれた声を覚えてる。ほっとしたように、心の底から嬉しそうに微笑んだあの人は紛れもなく沖田さんだった。なのに……。『わたしの名前知ってるの?』と聞くと悲しそうに笑った。それからもうずっと、沖田さんが笑うところを見ていない。

「おはよーごぜーまーす」

「あら沖田さんよ、姫ちゃんお願いね」

「はい」

わたしの顔を見てなんとも言えない表情をするから目が合うと少し緊張する。素性も分からない女がここに住むなんて、やっぱり歓迎されてないのだろうか。

「おはようございます、沖田さん」

「おー。今日は何でィ」

「卵焼きと鮭とお味噌汁と…この南瓜の煮物はわたしが作りました。これだけですけど」

沖田さんのトレイに小鉢を置くと目を細めた。

「蒸し煮で?」

「そうです!詳しいですね。沖田さん料理されるんですか?」

「一切しねェ」

「………?」

なんでもない会話にほんの少し違和感を感じるのはここに来てからずっと。というのもわたしは以前、この世界に来たことがあるらしい。そしてこんな風に真選組にお世話になり、町の人達とも面識があるのだという。
でもわたしにはそれが信じられない。だって見るもの全て新鮮で、この間沖田さんとお買い物に行った時だって天人を見て悲鳴を上げそうになって随分怒られた。それなのに町の人たちは揃って『姫ちゃん!おかえり!』『療養してたんだね、元気そうで本当に良かった!』なんて嬉しそうに声をかけてくるから頭が混乱してる。

どうして忘れてるんだろう。どうしてこの世界に来たんだろう。こういうことってフラッと旅行するみたいに何度も出来るものなの?一度来ると記憶はリセットされるのかな、わからない、わからないからますます………。

「姫」

「っはい、」

「今日、連れて行きたい所がある」

「…はい」

さっさと朝食を食べ終えた沖田さんのトレイを受け取って出て行く背中を見つめた。聞きたい。でも誰に何を聞けばいいのかわからない。

「姫ちゃん、沖田さんから午後休みって言われてるから行っておいで」

「ありがとうございます…」

前にここに来たとき、わたしは沖田さんとどんな風に話をしていたんだろう。







「…は、はじめまして……?」

目の前にとんでもなく大きい犬がいる。それが銀髪の男の人に覆いかぶさって頭をかじかじしている。歯固め的な……甘噛みに見えるけど額から流れる血に釘付けになる。犬、じゃないのかなこれ…。

「おー、ハジメマシテ。どーぞ上がりな」

「犬が邪魔で上がるに上がれねェんですが」

「ちょっ定春テメーマジで洒落になんねーから辞めろ!ったくお前いつになったら俺に懐くんだよ」

「あの、大丈夫ですか…?これ、」

ハンカチを出して犬の体重で中腰になっている銀髪の人の額に当てた。ぽんぽん、と血を拭っているとチラリと沖田さんの方を見た。

「…治った?」

「残念ながら治ってません。本当にただの人間になったみたいですねィ」

人間?なんの話だろう。銀髪さんはサンキューとお礼を言って犬を無理矢理引き剥がして家の中に入っていった。わたしたちもついて行く。沖田さんのお友達の家なのかな。

「あー…俺は万事屋っつってこの町の何でも屋やってる坂田銀時。あれはペットの定春。お嬢さんは?」

「姫といいます、よろしくお願いします」

頭を下げて挨拶すると鳥肌立つからそういう堅苦しいのやめてと言われた。

「何か困ったことがあったらこの胡散臭い金の亡者に頼みなせェ。ここでは知り合いは多い方が良い」

「?はい、」

「それと………」

「姫っ!!」

叫び声のような女の子の声がしたと思ったら視界が真っ暗になった。外からぎゅうぎゅう力が加わって、くる、し、

「オイ離れろチャイナ。こいつを殺す気か」

「あーあー落ち着いてから出て来いって言ったのにお前は…」

「すみません銀さん、沖田さん。神楽ちゃんたら姫さんの姿見て我慢できなくて」

「っぷはぁ!」

やっと圧迫感が無くなったと思ったら目の前には赤いチャイナ服を着た女の子がいた。正確にいうとわたしの膝に対面で座っている。

「姫っ!やっと会えたアル!この日が来るの待ちくたびれて酢昆布七千三百箱食べ明かしたアルよ!」

「一日十箱じゃねーか。お前そんなに買う金ねーだろ」

坂田さんが呆れた顔で鼻をほじっている。この女の子、わたしのこと知ってる、

「あの、ごめんなさい…わたし、あなたのこと…」

知らない、とはとても言えなかった。こんなにも嬉しそうに抱きついてくる子を拒否できない。

「いいアル。だいたいのことはそこのドSから聞いてるアル。姫がちゃんとここに帰ってきてくれたことが一番大事なことアル」

微笑む色白の女の子は『神楽っていうネ。仲良くして欲しいアル』と言ってまた抱きついてきた。その体温に安心して腕を伸ばした。

「神楽ちゃん、よろしくね」

「姫ー!!」

「うっ、」

苦しい。神楽ちゃん、こう見えてとても力が強い。坂田さんと沖田さんが神楽ちゃんを引っ剥がして助けてくれた。

「僕は志村新八です。新八って呼んで下さいね、姫さん」

「はい、よろしくね」

「こいつらにたかられても金は貸すなよ。二度と戻ってこねェからな」

「は、はい…」

「ひでーな総一郎くん。はい姫チャンこれ」

坂田さんから渡されたのは名刺だった。『万事屋銀ちゃん』。可愛い名前だなぁ。電話番号が書いてある。

「なんかあったら連絡して。特別に格安で承るよ」

「ありがとうございます」

「今日は挨拶だけなんで失礼しやす」

立ち上がってさっさと帰ろうとする沖田さんの背中を追った。

「あ、沖田さん待ってください」

名前を呼んだだけなのに沖田さん以外の人たちの空気が凍りついた、気がした。

「……?じゃあ、失礼します」

「おう。またな姫ちゃん」

「今度はゆっくり来て下さいね」

カンカン、と階段を降りていると後ろから「待つアル」と声がかかった。神楽ちゃんだ。

「姫、アイツあんなだけど本当は…ううん、姫にはとても良い奴だから、だから……!」

「余計なこと言うな」

何か言いかけたのを止めたのは沖田さんだ。

「……お前…なんで……」

「行くぞ」

歩いて行く姿を見失わないようにしながら、神楽ちゃんにまたねと言って追いかけた。この世界は知らないことばかりで…怖くなる。みんなが知っているわたしって、どんな人だったんだろう。わたしだけがわたしを知らない世界。どうしてここに来たんだろう。






着物を着る毎日にも少し、慣れてきた。
当てがわれた部屋はしばらく使われていなかったようで、でもついこの間まで誰かが住んでいたかのように必要な物が揃っていた。借りている着物や髪飾りはどれも可愛いし、面白そうな本がたくさんある。年が近い人のお部屋だったのかな。
掃除をしていると小さな箱を見つけて開けてみると、伊達眼鏡や椿の押し花、古い書物、そして『万事屋銀ちゃん』の名刺。他にも色んなものが入っていた。

「宝箱みたい」

この部屋の持ち主は、どこに行ってしまったんだろう。こんなにたくさんの荷物を残して。

「……あなたはだれ?」

呟きは自分以外の誰にも届くことはなく消えた。

そして眠りにつくと夢を見る。わたしが幸せそうに笑う夢。桜の木を見上げてとても嬉しそうにしているの。そしてそれを指差す、誰かに向かって。

ザアアアアー………… …ゴロゴロ…………、

「……雨?」

空が唸る音で目が覚めた。まだ眠ってそんなに時間が経っていない。強い雨が地面を叩く音と一緒に聞こえるのは雷の音。すぐ近くにある低い音に身体が強張る。怖いな、ただでさえこの世界の夜は暗い。こんなに広い部屋に一人なんて。

ゴロゴロ……ビシャーン!

「っきゃあ!……どうしよう、」

近くに落ちたような大きな音がして、雨音も本格的になってきた。こういう時は布団を被って凌ぐ以外、方法はない。早く落ち着かないかなと思っていると一人の男の人の顔が頭に浮かんできた。でも真夜中にこんな事で尋ねたらそれこそめいわく、

ガラガラガラガラ!

「っ!」

部屋の戸を勢いよく開けて廊下に飛び出すと何かにぶつかった。驚いたようでよろけたけどしっかりと支えてくれたのは、今まさに部屋に行こうと思っていたその人だった。

「…おきたさ、ん」

「部屋、入っていいか」

「は、い」

どうしてこんなところに。こんな夜中になんの用があるんだろう。沖田さんは部屋に入ってきたけど端っこに腰を下ろしたままそれっきり動かなかった。

「どうしたんですか?何か用ですか」

「……別に」

意味がわからないけど一人で部屋にいるより全然いい。ゴロゴロと鳴る音にびくりと反応してしまう。

「さっきどこに行こうとしてた?」

「ええと……その、ちょっとお散歩に……」

「雷が怖ェんだろ。なんかして欲しいことあるんじゃねーの」

「…じゃあ……隣に来てくれますか?」

そう言うと沖田さんはこちらに近づいて隣に座った。

「どうでィ、ここでの生活は」

「楽しいです。みんなとても親切だし、優しいし…仕事もやりがいがあって。それに…なんでだろう、居心地がいいです」

「そうかい」

気が紛れるように話しかけてくれてるのかな。でもどうして雷が苦手だってわかったんだろう。まるで知ってるみたいに。

「…沖田さんは、楽しいですか?」

「は?」

「警察の方に楽しいって聞くのも変ですよね。ええと…毎日楽しいですかって意味で…あ、つまらなそうにしてるとかじゃなくて」

「…くく、」

「あ…」

沖田さんが、笑った。穏やかな表情がすごく格好良くてなぜかとても胸が暖かくなって…なぜかもっと見たくなる。

「帰りてェか?元いた世界に」

「そうですね。できるなら帰りたいです。でも…ここにきたのにはなにか理由があると思うから、それだけはちゃんと知りたいです」

「そういうところは姫だな」

「前にここに来たときのわたしって、どんな感じでしたか?」

「…何も変わんねぇ。そのまんまだ。けど……」

言いかけた時、雷が落ちた。震え上がるような轟音に、思わず身体が動いた。

「きゃあっ!」

「っ、」

息を飲んだのはどちらだろう。
ものすごく自然に、わたしたちは触れ合った。無意識に身体が沖田さんを求め、飛び込んだ腕はまるでわたしの感触を知っているかのように優しく受け止めた。

「……っ、お、きた…さん、ごめんなさい」

何をしてるんだろう。いくら雷が怖いからってこんな大胆なこと、恥ずかしい。顔が、熱い。それなのにどうしてこんなに肌に馴染むのだろう。離れようとするとぎゅっと力が込められた。

「…耳、塞いでてやらァ」

雷が止むまで。
そう付け足して両耳を手のひらで塞がれた。見上げた沖田さんは何かを口にしたけれど、塞がれたこの耳には届かなかった。そうしているうちに沖田さんの体温が心地よくて力が抜けて、いつのまにか眠ってしまっていた。

気がつくと朝になっていた。きちんと布団に寝かされていたお陰でいつも通りの朝を迎えることができた。当然だけど沖田さんはもういなかった。外を見れば快晴。地面に水溜りはあるが嘘みたいに晴々とした空が広がっている。

「…ゆめ、?」

もしかすると夢だったのかもしれない。それくらい心地良くて、あの腕に包まれた瞬間から雷なんて気にならないくらい…胸が熱かった。男の人とああして触れ合うのは初めてのはずなのに嫌じゃなかったし、むしろ…。
沖田さんは不思議な人だ。結局、どうして昨夜わたしの部屋を訪れたのか聞きそびれてしまった。






「姫さん!お元気そうで何よりッス!」

「……こんにちは…?」

真選組の隊服に身を包んだ小柄で少しふくよかな青年は目が合うと一目散に走ってきて敬礼した。キラキラした少年のような瞳が綺麗だなぁ、と思った。

「遠方での任務を終えて戻って参りました、十番隊の佐々木鉄之助です!この春から隊士として認められたんです」

この人もわたしを知っているようだった。それも、隊士さんの中でもかなり親しくいていたようで嬉しそうに話しかけてくる。

「こうして世の中の為に働くことができて自分幸せッス!これも姫さんがずっと応援してくれていたお陰ッス!その節は本当にありがとうございました!」

自分のことは鉄と呼んでくださいね!と言われ、勢い良く手を取られぶんぶん振った。何か目標が叶ったのかな。

「それは嬉しいことですね、鉄さん」

「はいっ!」

「鉄、戻ったんなら報告書出せ」

「副長!」

「土方さん、お疲れさまです」

「ああ、姫。後で部屋に茶を二つ持ってきてくれ」

「はい」

鉄さんと別れて土方さんに言われた通りお茶を二つ煎れて運んでいると、話し声が聞こえてきた。山崎さんと沖田さんだ。

「『あの子』のこと…本当に言わなくていいんですか?姫ちゃんに」

…わたしの話?思わず足が止まった。

「わざわざ言う必要ねぇだろ。それにあの件は無かったことにと随分前に松平のとっつぁんに話をつけてある。こんな話ししたって困るだけだ。…なんせ何も知らねェんだから」

……『無知は罪』という言葉、あれを言ったのって誰だったっけ?優しく心地良い世界。だけど自分自身の存在がどうしても引っかかって仕方がない。今のわたしは歓迎されていないのかな。前のわたしなら…この会話に入っていけたのかな。どんな風に振る舞えばいいか分からない。何をしても正解じゃない気がして、動けない。

「土方さん、お茶をお持ちしました」

「おう、入ってくれ」

結局、山崎さん達に鉢合わせないようかなり遠回りをして土方さんの部屋にたどり着いた。二人分のお茶を持って来たけど部屋にいたのは土方さんだけだった。

「……誰か来るんですか?」

「いや、お前の分だ」

ことりと筆を置いてこちらに向き直った土方さんはお盆から湯飲みを取って口を付けた。

「少し休憩したらどうだ?足も崩していい、楽にしろ」

「そんな、土方さんの前で」

「俺の部屋だ。俺しか見てないからいいだろ」

少し考えて、足を崩していただきますと湯飲みを取った。外で鳥が鳴いてる。

「…みんなお前がまたここに来てくれて嬉しいと思う反面、あの頃を思い出しちまうんだ、悪気はねぇ。許してやってくれ。だが…本人にしちゃあ気に食わねぇだろう」

「…いえ、わたしが…忘れてるから」

「思い出して欲しいなんざ思ってねぇ。ただ…アイツだけは…まだ折り合いがつかねぇんだろうな」

…アイツ、って誰なんだろう。

「あの頃は…特別だった。毎日屯所の中が馬鹿みてぇに煩くて、綺麗な顔した女がニコニコしてアイツの後をついて歩く光景を見ると……ああいうのを平和っていうんだと、誰もが思ってた」

「…あの部屋を使っていた女性は…どこへ行ったんですか」

「……月に帰ったよ」

「月………?」

「記憶のことは気にするな。思い出そうとしなくていい。姫がこの世界を楽しいと思っているなら、それで良い」

「…それだけでいいんでしょうか」

もっと、やるべきことがあると思うのに、それがわからない。

「いいんだよ。もっと力抜け」

「土方さん、わたし……ここにいて、いいですか」

「当たり前だろ」

「皆さんが望むわたしじゃなくてもいいですか」

「ああ」

「っ、もう少しだけ……置いてくれますか」

「気が済むまでいればいいさ」

ここには土方さんしかいないから…だから少しだけなら良いのかもしれない、そう思うと目から涙が落ちた。湯飲みのお茶が情けない顔した自分を写す。夢の中で幸せそうに微笑むわたしには到底なれそうにない。




title by 花洩