47.春をおもいだせない
「総悟、今夜の見回りはそろそろ終わりにするとしよう」
「先に戻っててくだせェ。寄るところがあるんで」
「……ああ、今夜は満月だもんなぁ」
「そろそろ出てきても良いと思うんですがね」
「そうだなぁ…お前も随分と立派になったもんなぁ。あの頃に比べて背も伸びたし剣の腕もお前の右に出る者がいないほどだ。姫ちゃん、驚くだろうな」
輝く月を見上げて懐かしむように微笑んだ近藤さんはあまり遅くならないようにと言い残して車に乗り込んだ。反対方向へ歩き出す。何度足を運んだかも覚えていないほど通い慣れたあの場所へ。
二年だ。二年が経った。あの満月の夜、月の国で姫と飛び降りてから気付けば俺一人だけがあの木の下に倒れていた。
元々違う世界を生きていた者同士だ。『時間の流れが違う』ことは理解していたがこんなにタイムラグがあるなんざ聞いてねぇ。それ以来、満月の度に始まりの場所に足を運びその姿を探していたら…あっという間に時だけが過ぎていた。
「おいカミサマ。そろそろ仕事しろ仕事。テメー俺たちが残夢殺してやったこと忘れてんじゃねーだろうなァ」
そして今夜も静まり返った道を歩く。もうすぐ橋に着くというところで、川の中で何かが光っているのに気がついた。満月の明るさがなければ当然見落としていたそれには覚えがあった。水の中に手を入れて取り出す。小さな石がついたピアス。姫への最初の贈り物だ。持ち主が消えてから二年も経っているというのに、水の中にあったとは思えないほど綺麗だった。時の中を漂ってやっと流れ着いたのか。
「……まさか」
ピアスを握りしめて走った。早咲き桜が満開を迎えひらひらと舞い散るその木の根元にいつもはない何かがあった。月の光に照らされて淡く光りを持つ、それは美しい…少女だった。
「っ、遅せーんだよ、馬鹿」
あの日と同じ服。あの日と同じ姿。ずぶ濡れであること以外何も変わらない姫を抱え上げると、うっすらと目を開いた。
「………?」
「大人しくしてろ。とりあえず屯所に戻って近藤さんに報告しねーと。怪我はねェか」
目が覚めて混乱しているのかぼうっと俺の顔を見た姫は、不思議そうにまばたきをした。
「きれい……」
「姫?」
「……わたしの名前、…知ってるの?」
屯所へ向かっていた足が止まる。何事も無かったように再び歩き出すことがどうしてもできなかった。
過去を変えておいて何も起こらないわけがない。何かしらの代償があると、多少の覚悟はしていた筈だった。それこそがこの二年にも及ぶ空白の時間だと思っていた。だから月の国から戻ってきて姫が腕の中にいなくても心を押し殺して待った。待ち続けてやっと辿り着いたと思えばこの仕打ち。
「…そうか。過去を変えるって、こういうことか」
僅かに震えた声がコイツに聞こえなければいい。
*
「総悟!姫ちゃんが見つかったんだってェ!?」
「声抑えてくだせェ、近藤さん」
「っああ、悪い」
屯所に連れ帰る道中に再び眠りに落ちた姫を着替えさせ、元々アイツの部屋だった空き部屋に寝かせた。近藤さんと土方さんが姫の顔を覗き込む。
「紛れもなく姫だな」
「姫ちゃん!良かった…!本当に良かった!」
「着替えさせる時に確認しやしたが…、胸の傷はありやせんでした。ちゃんと生身の、姫の身体で戻ってきたらしい。それも…あの日と同じ姿で」
二年前、俺が姫を追って月の国に行ったことはこの三人の中ではまだ記憶に新しい。その当時と全く変わらない姿。姫だけ時間が止まっていた。
「…そうか…総悟が帰ってきた日のままか……」
「姫が最初にここへ来た時は月の神が手添えをして魂だけを持ってきていたからそこまでタイムラグがなかったんでさァ。それが今度は肉体もとなると勝手が違ったらしい。…ったくあの野郎こんなに時間かけやがって」
「確かに散々待たされたがやっと戻ってきたんだ。これでようやく一件落着じゃねぇか」
「…そうしたいのは山々なんですが…それがそうもいかねーんでさァ」
「どういうことだ?」
「俺たちは月の国で過去を変えて戻ってきた。残夢を消し本来死ぬはずだった姫や他の人間を救った挙句次元を行き来した……。その代償があったんでさァ」
「代償だと?そりゃあこの二年の時間差じゃねぇのか」
土方が疑問を投げかける。俺もそう思ってた。それで終わるなら二年なんて大したことじゃなかったんだ。
「姫は残夢に追われて死ななければ本来ここに飛ばされてくるはずじゃなかった。それが過去を変えたことでここで過ごした一年は姫の中で無かったことになった。つまり…アイツは江戸を……俺たちを知らねェ」
「な……!」
「!?そんな……」
言葉にしたことで胸の奥が重く傷つく感覚がした。姫が受けた最初の夜は存在を消したのだ。
「いや待て。それなら俺たちが残夢の件や姫のことを覚えているってのもおかしいことになるだろ」
「その辺は俺にもわかりやせん。ただ別の次元となれば常識も違ェ。ただでさえ時の流れも違う。あっちで変えたことがこっちでも変わるとは限りやせん」
そもそも、別の世界を生きるはずだった姫がここに存在していること自体がもうおかしいことなんだ。何が起こっても不思議じゃない。
「…あーくそ、ややこしいなオイ。とにかくだ。総悟、お前しばらく姫から目を離すな」
「隊士達には明日俺から伝えるよ。アイツら姫ちゃんのことずっと心配していたからなぁ。どんな状態であってもこうして無事に帰ってきたんだ。まずは姫ちゃんの帰りを喜ぼう」
「……そうですねィ」
「総悟の話が本当だとしたらなるべく混乱させない方がいい。少し様子を見るとしよう」
視線の先に眠る姫の寝顔は安らかだった。こうやって眠りながら二年もの間、時を漂っていたのだろうか。手を握るとゆっくりと、その指が俺の手を握り返した。
*
「………」
「目ェ覚めたか」
翌朝、目を覚ました姫はやはり初めて会った時のような反応を見せた。何故ここにいるのか理解できず、ここがどこだか分からない、自分のいた世界とは違う違和感を感じている。
「何故ここに来たかなんて…今のお前にわかるわけねーよなァ」
「……あなたは?」
「沖田総悟」
「沖田……さん」
名字にさん付け。そう呼ばれるのはむしろ新鮮だった。ようやく会えたというのにその瞳は俺のことを何者かと問う。
「…わたしのこと知ってるんですか?」
「……まぁ、難しいことは考えんな。少なくともここにアンタの敵はいねェ」
問いかけに答えなかったのは混乱させないためだ。知らない男が自分のことを知っているなんざ気持ち悪ィだろ。
「ここはアンタの部屋でィ。前の住人の私物だ。ある物は全て使っていいし必要な物があれば買いに行けばいい。女中のおばちゃんにでも頼んでおく」
「…はい」
「じゃあな」
「あの、」
部屋を出ようとするとか細い声が引き留めた。不安そうな瞳が行かないで欲しいと言っている。
「助けてくれてありがとうございました。その…困ったことがあったら、頼ってもいいですか?」
「…好きにしな」
思わず手が伸びそうになって足早に部屋を出た。恋人でも知り合いでもない姫にどんな距離感で接すればいいかわからない。油断すると抱きしめたくなる。これまでなら安心しろと背中を撫でて唇を塞いでしまえばそれで良かった。そうすればすぐに強張っていた表情が解けて俺に身体を預け微笑んでくれた。それなのに今はそのどれもが使えない手段だった。何一つ気の利いた言葉も掛けられず一人にしてしまった。
「さて、どうしたもんかね」
月のカミサマ、こりゃあんまりだ。
数日が過ぎ、姫は近藤さんと何度か話し合った結果、住み込みの女中としてしばらく面倒を見ることになった。初めからそのつもりだしここがアイツの家でもあるのだが、一人暮らしができるようになるまでの間だけ置いて欲しいと希望していた。
俺は用事以外で積極的に話しに行くことはなかった。姫もどこか俺を警戒しているようだった。記憶喪失であることを告げられている隊士達の視線の先には常に姫がいて、声をかけられる度に縮こまって困ったような顔をしていた。
「きゃっ、」
「…悪ィ」
廊下を歩いていると胸の辺りに軽い衝撃。姫が前も見えないほどの洗濯物を抱えてこっちに歩いてきていることに気が付かなかった。
「…チビになったな」
「え?」
姫を待っている間に背が伸びた。身体も少しデカくなった。同い年だったのにいつの間にか俺の方が歳上になった。洗濯物を奪って目的の部屋まで持っていくと後ろから姫が小走りでついてきた。
「沖田さん、悪いです」
「ついでだから気にすんな」
「…ありがとうございます」
それからしばらく無言が続いた。目的の場所に着くと姫は律儀に頭を下げてまた礼を言った。
「…あの、女中のみなさんにお買い物に連れて行って欲しいとお願いしたのですが…沖田さんと行っておいでと言われて」
沖田さん忙しいだろうからどうしようと思って、と言いづらそうにした姫を見下ろす。おばちゃん達いらねぇ気回しやがって。
「行くか」
「いいんですか?」
「早く必要な物欲しいだろ」
「やった」
嬉しそうに顔を綻ばせた。ここに来て初めての笑顔だった。その表情に反射のようにぽんと頭に手を乗せ踵を返した。
「10分後に表な」
「はい」
「山崎、車出せ」
「はっはいいいィイただいまァァァ!!!」
「えっ…山崎さん?」
少し前から廊下の影でやり取りを見ていた山崎に車を取りに行かせる。姫は驚きつつも支度をして車に乗り込んだ。
「なんだか大ごとになってしまってすみません」
「どーせ暇してたからいいんだよ姫ちゃん。それより女の子の買い物に男二人付いて来ちゃってごめんね」
「そんな、心強いです」
そういえば山崎と姫は知り合った頃から仲が良かった記憶がある。かなり歳上だが話しやすい雰囲気もあるし監察としての仕事柄、適度に隙を作っているのだろう。
「さっきも説明したが変な生き物や天人見つけてもスルーしなせェ。万年仮装パーティーしてる頭のおかしな人種とでも思っとけ。刺激しなけりゃ無害だ」
「はい」
「じゃあこの辺で。また来ます」
「ありがとうございました」
「着いてくんなよ」
「わかってますって」
車を降り並んで歩き出す。何軒か店を回るうち顔見知りの町人たちに話しかけられた。姫が戻ってくることを想定して真選組ぐるみで『落橋事故に巻き込まれ田舎の病院で療養している』と口裏を合わせていたため姫の存在はすんなりと受け入れられた。ただ本人は驚いたことだろう。初めて歩く商店街で知らない人たちにさも知り合いのように話しかけられて動揺しつつも雰囲気で話を合わせていた。それとなくフォローして記憶が曖昧なことを何人かに伝えたからすぐに周知されるとは思うが。
「…沖田さん、わたし…ここに来てずっと不思議だったんです」
「…何がでィ」
「近藤さんや皆さんがわたしの話を聞いても変な顔ひとつしないで信じてくれたこと…。違う世界に来たかもしれないなんて、絶対に馬鹿にされると思っていたのに。それに、初めて会う人達がわたしのこと知ってる。沖田さんも。話がうまく出来すぎてて…」
足が止まる。控えめに伸ばされた手が俺の隊服の袖をほんの少し握った。
「もしかして…わたし何か忘れているんじゃないですか。知らない世界なんかじゃなくて本当はここがわたしの世界なんじゃないかって…」
「…アンタがいた世界はこっちじゃ月の国なんて呼ばれてる。これ以上混乱させなくねぇから言うが…アンタは何年か前に一度ここに来たことがある。だからこの町の奴らはアンタのことを知ってる。それだけでさァ」
「そう、なんですか……?どうして覚えてないんだろう」
「アンタが覚えてなくても俺たちが覚えてるから心配すんな。それよりせっかくの買い物、楽しんだ方がいいんじゃねーの。近藤さんから小遣い貰って来てんだろィ」
「じゃあ…名前で呼んでくれますか?わたしのこと」
姫が俺を真っ直ぐに見上げる。身長差で上目遣いになる。…一歩、距離を取りたくなった。俺のものではないコイツを側に置くことはかなりの忍耐力を要する。
「初めて呼んだとき以来、『アンタ』としか言ってくれないから…。わたしが沖田さんのこと覚えていないから、怒ってますか…?」
「怒ってねェ。ただ、」
……続く言葉が見つからなかった。
「………行くぞ、姫」
「はいっ!」
姫が飛ばされてきたあの頃と同じように隣にいて日々を繰り返したら…何も知らない、汚れのない真っさらなこの女はもう一度俺に恋心を抱くだろうか。
title by まばたき