03.アイオープナー
目が覚めて4日が経った朝。
お医者さんの往診や住み込みの女中さんが食事や軽い洗身など身の回りのお世話をしに何度か来てくれているけれど、他の人とはまだ沖田さんとしか顔を合わせていない。
沖田さんは胸の傷が酷く1日のうち多くを眠って過ごしているわたしのところへ何度も現れては体調はどうかとか近所の団子屋のおばちゃんがどうしたとかムカつく上司にこんないたずらをしたとか一方的に話して帰っていく。
沖田さんの話はいつも新鮮で真面目な顔で話すから面白くてつい笑ってしまう。そんなわたしの顔を見て、沖田さんは少しだけ目を細めて仕事に戻っていく。たぶん歳はそう変わらない気がする。それにしては学校で声をかけてくる男の子たちとは正反対で落ち着いていて話しやすい。
いつのまにか、沖田さんは今日も来てくれるかな?なんて考えるようになってしまった。
それよりも考えなければいけないことがたくさんあるのに、沖田さんが出ていったあとはいつもポカポカした気持ちがじんわりと広がって、子守唄を聞いた子どものように眠りに落ちてしまう。沖田さんは、不思議な人。
「姫、起きてやすか」
「はい、沖田さん」
返事をすると音もなく襖を開けて沖田さんが部屋に入ってくる。体をゆっくり起こすと、なんだか真剣な面持ちをした紅い瞳と目が合った。
「今日の午後、近藤さんが話を聞きたいそうで」
「…はい」
その名に聞き覚えがあった。沖田さんが何度か話してくれていた上司で、周りの人からもとても信頼が厚い人だという印象があった。上司の方が話を、というのなら内容はあの夜とわたし自身のことだろう。沖田さんはこの数日あの夜のことは一度も口にしなかった。
「俺と土方の野郎も同席することになってる。んな顔すんな、ただのゴリラだから」
ほんの少し暗い顔をしたわたしに気づいて、沖田さんはのんびりとした口調で言った。
*
午後。近藤さんと土方さん、そして沖田さんが部屋に尋ねてきた。沖田さんと同じ黒い制服を着ている。軽く会釈して顔を上げ、初めて目を合わせると2人は途端にハッとして、すぐに表情を引き締めた。
「姫さん、だね。身体の具合いはどうかな。医者の話ではだいぶ良くなってきたと聞いたよ。今回のことは、大変だったね」
近藤さんは強面のような雰囲気でしっかりとした体つきの人だったから思わず身構えてしまったけれど、とても優しい口調で丁寧に話しかけてくれた。
「ほらただのゴリラだろ?」
「ちょっと総悟くん初対面でそういうこと言うのやめてくれない?姫さん俺のことゴリラにしか見えなくなっちゃうから!ゴホン、気を取り直して…俺はゴリラじゃなくて近藤勲。この真選組の局長をやっているんだ」
で、こっちが…と言う近藤さんから視線を移すと隣に座る土方さんと目が合った。
「副長の土方十四郎だ」
唸るような低い声に少し怖いと思ってしまった。なんというか、迫力がある人だ。ぺこりと頭を下げる。
「そういや俺名前しか言ってやせんでした。一番隊隊長、沖田総悟でさァ」
「…隊、長……お偉い方だったんですね…」
「いやコイツ普段遊んでるだけだから。肩書きなんてあってないようなもんだろ」
「俺ァ常に全力で仕事してまさァ。土方の首をこの手で斬るっていう仕事を」
「それは仕事じゃねーよ」
「ちょっとトシ、総悟、女の子の前で喧嘩するのやめてくれない?」
目の前で言い合いが始まっている。話の通り、馬が合わないようだ。それにしても沖田さんはまだ若いのにまさか重役の人だったとは。緊張しているけれど沖田さんがいつもの調子でいてくれるから、心強い。ひと通り自己紹介を聞き、わたしは背筋を伸ばして頭を下げる。
「あの…お世話になっているのにご挨拶が遅れてすみません。姫と申します。命を助けていただき、なんとお礼を言えばいいのか…」
「ああそんな畏まらないで!俺たち真選組は当然のことをしただけなんだから!いや〜それにしても総悟が言ってたとおりの別嬪さんだなぁ!おじさんこんな若くて綺麗な子と話すの久々で緊張しちゃうよ〜」
「近藤さん、鼻の下伸ばしすぎだ……あー、姫、早速だがいくつか質問させてくれ」
「はい。わたしにわかることなら」
「まず…あの夜にあったことを教えてくれ。記憶があやふやだとは聞いている。覚えている範囲で構わない」
「はい……あの日の夜は確かバイトの帰りでした。大きな橋を渡って…月がとても綺麗で……しばらく眺めていたのですが、そこからは記憶がありません」
何があってこんなにボロボロになったのか自分なりに思い出そうとここ数日頭を動かしていたのだが、その先からはどうしても思い出すことができなかった。いつも通り学校に行って、塾のバイトをして帰ろうとしたところまでは覚えている。
「総悟はどうだったんだ?」
「あの夜言った通りでさァ。木の上で月見してたら突然現れた。かぐや姫でも降りてきたかと思ったら全身ずぶ濡れのボロ雑巾でとんだ生ゴミ拾っちまった。そのまま置いとくわけにもいかないんで持ち帰ってきやした」
「生ゴミ………」
にやっと笑いながら説明する沖田さん。ちょっと酷いです。
「あの木の近くには確かに橋と川がありやすが『月を見ていたら橋から落ちて怪我をした』と説明するには不審な点が多いでさァ。第一、怪我の様子からして橋から川に落ちて自力で這い上がってわざわざ木の下まで行けるとも思わない。それまでに俺が気付くはず。そして何より……」
「腕の跡と胸の傷、か………」
どくり。土方さんの言葉に指先から血の気が引いていく。
「姫、実はお前が目を覚ます前に医者に病状説明を受けたんだ。その時に怪我の状態を見させてもらった。すまない」
「ごめんなぁ姫さん、女性の身体を勝手に見てしまって…」
「あ…いえ………大丈夫、… です」
「姫さんの傷と、今の話で確信した。やはりこれは事件だ。何者かに襲われた線が強い。現場の一帯を聞き込みしたが目撃者はおらず犯人の情報もない………」
「………………」
「…胸の傷、かなり深かったそうだ。助かったのが不思議なくらいだと。今のところ他に被害者はいない。無差別ではなく姫自身を狙った可能性が高いと踏んでる。姫が無事だと知ればまた襲いかかってくるかもしれない。事件が片付くまで真選組で保護する。構わないか?」
「はい。お世話になります。…その、医療費などをお支払いしたいのですが……」
「あーそれね大丈夫!大きな声じゃあ言えないけど税金で賄ってるから!ここにいる間は心配しないでいいからね!…それとは別に、元気になったらここの家事を少し手伝ってもらえないかな?ここは男所帯でね、女性は女中さんくらいしかいないんだ。少しは気晴らしになると思うんだけどどうかな?」
「ぜひお願いします!精一杯やらせていただきます。あの、最後にひとつだけ…。今は西暦何年ですか?」
ぽかんとした顔の近藤さんと土方さんが答えてくれたものは、やっぱりわたしが知る西暦ではなかった。目覚めてから違和感がずっとあった。警察じゃなくて真選組という人たち、当たり前のように腰に下げた刀、女中さんたちの身なりや生活、言葉の節々にわたしの日常とは違う日常を感じる。わたし、もしかして、…………
「いえ、ありがとうございます」
頭を下げた。きっと、ここにわたしの家や居場所はないのだろう。真選組にしばらくお世話になれるのはとてもありがたい。とにかく、この先どうするか考えなきゃ。そう考えるわたしのことを、沖田さんはじっと見つめていたことには気がつかなかった。
*
「ふぅ……」
わたし、もしかして死んだんじゃないかな?
よくは覚えてないけれど、バイトの帰りに事故とか通り魔とか何かにあって死んじゃったんじゃないかな。そしてなぜかここに来た。ここは天国とか死後の世界なのかな?…それだと沖田さんもみんな死んでいることになっちゃうなぁ。それとも生まれ変わって新しい人生が始まったのかな。だって、あまりにもわたしの日常はこことは違う。なんだか歴史の世界に来たみたい。
わたしの日常は、前世の記憶とかそんな名前にカテゴリされているんじゃないか。そして今のわたしの存在は、異物、とか呼ばれるんじゃないのかな?
「姫さん、お茶でもいかが?風が気持ちいいから体調良ければ縁側に出ない?」
話しかけられてハッとして顔をあげると、ここに来てから身の回りのお世話をしてくれている中年の女中さんだった。開けられた襖から気持ちのいい風が吹き込んでくる。明るい縁側に出て腰を下ろす。
「わあ……気持ちいい」
「お茶と一緒にこれ食べて!最近あたしたち和菓子を手作りするの流行ってんのよ!味見してまた感想聞かせてね」
「美味しそう!ありがとうございます」
「せっかく別嬪さんなんだからあんまりジメジメした顔しちゃダメよー!」
ニコニコ笑いながら女中さんは仕事に戻っていった。女中さんのお茶とお菓子はいつも美味しい。気遣いに感謝しながら温かい湯のみを両手で持って庭を眺めていると、いつのまにか歩いてきた沖田さんが隣に座った。
「疲れたかィ」
「いえ、大丈夫です。近藤さんも土方さんも優しい方で安心しました」
「さっき、何考えてた?…今も。死んだようなツラしてらァ」
湯のみから目線を沖田さんの瞳に合わせると、思ったよりも綺麗な顔が近くにあってどきりとする。沖田さんが近くにいると、空気が柔らかくて、なんだか心地がいい。知り合ったばかりなのに、この人はわたしのことを全て受け入れてくれるような気がしてしまう。
「………わたし、ここにいない方がいいのでしょうか。ここは……わたしがいたところじゃない気がして」
「まるで自分がかぐや姫みたいな言い方だな」
「や、そんな…綺麗なお話じゃないと思いますけど…」
「仮にアンタがかぐや姫のように月の国だかどっかの世界から来たとして、当てもないのにここを出てどこに行く気で?」
「う…………」
「俺が拾ったモンだ。決定権は俺にある」
そう言ってわたしの手から湯のみを奪い、ぐいっとお茶を飲み干した。
「俺がアンタの顔見たいからここにいろって言うのは理由になりやせんか」
真剣な顔でそれだけ言って沖田さんは行ってしまった。わたしは驚いて去っていく背中に声もかけられず、その言葉の意味を探していた。