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02.堕ちた星はどこへ向かうの



「総悟!お疲れ!今夜はしっかり休んでくれ!明日盛大に酒を飲むとしよう」

「近藤さん」

「今夜は満月か。明るい光のおかげで討ち入りの時お前の姿がよく見えたよ。総悟、また腕を上げたなぁ」

深夜。巷で勢力をあげていた攘夷浪士の一派への討ち入りが片付き無事に真選組の屯所に戻ってきた。久々の大きな戦いに周りの隊士も興奮冷めやらぬと言った様子だ。

「近藤さんに比べれば俺はまだまだでさァ。じゃあ休みやす」

「おう!明日も頼む」

近藤さんと別れ自室に向かう途中、大きな月が目に入る。そういや今夜の月はとびきりデカく、輝きも強い。休むとは言ったもののまだ眠気はない。
こんな夜は、少し散歩でもするか。討伐での疲労感もあったが足が赴くままに屯所を出た。





お気に入りのサボりスポットがある。
駄菓子屋を通り越したデカイ橋の渡った先にひっそりと立つ大きな木。太い枝に登って景色を見ると、一層近くなった月の光を感じる。遠くからさらさらと川の流れる音と風に揺れる木々の葉のざわめきが少しだけ心を落ち着かせた。目を閉じる。

人をたくさん斬った日には、ここへ来ることが時々ある。どんなに洗っても落ちない血の匂い。刀を握るたびに湧き出る高揚感と正義の意識、血に濡れていく自分。正義を貫く自分が汚れていくのはなぜか。この手で守りたいものはなんなのか。言葉にできない黒い感情が、稀にざわざわと騒ぎ出す時がある。だが、その感情に支配されるほど弱くはない。

「…ま、どんなに汚れたって構いやしねぇや」

そろそろ戻るかと身体を起こしたその時、
先程まで何もなかったはずの木の下に、女がいた。

「誰でィ」

言いながら反射的に刀に手をかける。女は動かない。警戒しながら木から降り覗き込めば、全身ずぶ濡れで倒れている。意識はないようだ。辺りにこの女以外の気配はない。
まさか死体か?どこからどうやって?
呼吸を確認するため冷え切った頬に張り付いた髪をどかすと、無意識に息を飲んだ。

「こりゃあ………おい、起きな。何があった」

返事はない。目を閉じていてもわかる、整った顔立ち。ボロボロの格好でいるのに、神聖な物を見たような気持ちにすらなる。眩しいくらいの月明かりが女の身体を照らすから、まるで光っているかのような錯覚に陥る。
白い肌。濡れた服が細い身体のラインを生々しく浮かび上がらせる。よく見ると、胸の辺りに数センチの真新しい傷がある。刺し傷だ。白い洋服にも血液が染み込んでいる。何かの被害者であることは明らかだ。

「しばらくサボれるかと思ったらまためんどくせぇ事を抱えちまったもんだ」

ため息をついて女を抱え、屯所に戻るため歩き出した。





目が開かない。意識だけがふわふわしたあたたかい空気の中に溶けているかのよう。そうか、わたし、死んでしまったの。わたしの人生、もう終わっちゃった。

ーー守れなかった。
抵抗らしい抵抗もできず、大人しくあの男の思い通りになってしまった。あの子は、あの子だけは助かっただろうか。

一緒に帰らず塾で母親の迎えを待っていれば。すぐに警察を呼べば。もっと早くからあの男の異常に気づいていれば。もうあの日々は戻らないの?あの子の夢はどうなるの?
わたしがもっと強かったらこんな事にはならなかったんじゃないか。初めて人を守りたいと思った。傷つく姿を見たくない。やり直したい。こんなふうに終わりたくない。強くなりたい。守りたい……自分を、大切な人を…………。

『月の光満ち輝くとき、導きの扉は開かれる』

ふと優しい声が響いた。男の人か、女の人かわからない、意識に直接響く言葉のような声が、確かに聞こえる。

『君は彷徨う意識の中で、ずっと守りたいと強く願っていたね。……これまでの記憶はいまの君には強すぎる。全てを手放し君の光を手に入れたらもう一度自分の手で掴み取りなさい。それまでーーーーー月の神の加護があらんことを』

声が遠ざかっていく。
待って、あなたはだれ……………?





「目が覚めたかィ」


「………………?」

目を開けると見覚えのない日本家屋の天井とミルクティ色の髪をした男の子が目に入った。あれ?わたし、?

「アンタ…5日も眠ってた。このまま死んじまうかと思ったぜ」

「わ…たし………生きてる、の?」

「ここが天国に見えるんで?…まあ確かにあんな傷受けて生きてるのもそうないだろうなァ」

「………うそ………」

意識がはっきりとしないまま起き上がろうとすると、全身に痛みが走る。力が入らなくて支えた腕が折れてしまう。その瞬間ミルクティ色の彼の胸に容易く支えられる。しっかりとした体つきに、ほんの少しだけ、ざわりと胸がたつ。

「まだ安静にしてなせェ。良くなるまでは真選組で保護してやる。事情聴取もかねてな」

「あなたは…?」

「沖田総悟」

「沖田、さん…」

「アンタの名前は?」

「わたしは……姫と…いいます…」

「聞きてぇことは山ほどあるが、寝起きだしひとつだけにしといてやらァ。…それ、誰にやられた?」

沖田さんの視線の先にあるのは、白い着物のような寝巻きから覗く右腕に青くくっきりとした手形。指の形がはっきりと残っている。それが目に入った瞬間、何かとんでもなく恐ろしい光景が頭の中いっぱいに支配しようとして……オレンジ色の光にかき消されて消えた。その残像が恐ろしくて、呼吸が、うまくできなくなる。

「おい!ゆっくり息を吸いなせェ」

少し慌てた沖田さんが、背中をさすってくれる。ゆっくりとしたあたたかい手に合わせて、息を吸うと少し落ち着いてきた。

「ごめんなさい……わからない……何か……忘れている気がして……こわい、です」

「混乱してんだ、そのうち思い出しまさァ。まぁ男所帯で気の利いたやつもいないが事件が解決するまでゆっくりしていきな」

「沖田さん……ありがとうございます」

目の前にいる沖田さんは、警察の人なのだろうか。とても綺麗な顔立ちをしている。モデルさんとか、そういう仕事も似合いそうな雰囲気がするなぁとこの状況にそぐわないことを考えてしまう。これは現実、なのだろうか。
見透かすような紅い瞳と目が合うと、痣が目に入らないようにと右手に添えていた左手に、ほんの少し力が入った。