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43.ふたり、眠らない夢を抱いて



『あの子は残夢が唯一愛した子。そして全ての人の幸せを願うために造られたイヴがただ一人心から愛した人間。彼は永遠に終わらない幻想を見ている』

月の神様が言いかけたあの言葉の続きが聞こえた気がした。ずっとこの胸を蝕んでいた痛みは呪いなんて禍々しいものじゃなかった。イヴが泣いてる…悲しんでる痛みだ。自分の命を引き換えにしてまで蘇らせた愛する人を幸せに導くことができなかったから。
頭の中に流れ込んできた残夢の記憶は、アレス族について書かれた書物や神威さんから聞いた言い伝えよりももっと悲しく、寂しいものだった。何百年語り継がれた話では残夢がイヴを殺したなんて言われていたのに、目の前の記憶はそうではなかった。引き裂かれたたった一人の恋人。その人を想う故に生まれた悲劇。
命を与えても一人じゃ生きていけない。変わり果てた残夢の姿が今はもう悲しい生き物に映る。この人はただ、彼女と一緒にいたかっただけ。でももうあの日々は戻らない。だから亡霊は彷徨い続ける。永遠を繋ぐために。



燃えているんじゃないかと思うほど熱い痛みの中に、泣きたくなるくらい身体に馴染む声がした。幻聴だったらいいななんて思ってしまう。光も届かないような暗闇の中、雨に濡れてぐちゃぐちゃで血塗れで、殴られて転がされて。あんなに準備したのに、心も身体も支えてもらったのに、この有り様。情けなく地面に張り付いているこんな姿見て欲しくなかった。桜の花びらに囲まれて穏やかに笑い合ったあの綺麗な思い出のままが良かった。でもどこかで、彼なら見つけてくれると思っていた。我儘だ、わたし。

「姫、早く寝ろとは言ったが床で寝ろなんて言ってねェぞ」

「……枕がないと眠れないみたい」

「しょうがねぇな、本当」

冗談交じりに吐く声は低く、見たこともない怒りが入り混じっていた。一瞬目が合ったけれど視線はもう目の前の敵にある。

「邪魔する気かな」

「テメェが邪魔してんだよ。コイツの人生を」

「はは……人間は本当に面白いことを言う。この『入れ物』はイヴの雫を私に届けるためだけに生まれたんだ。ここで死ぬのが運命。決められた役割だ」

「役割?そんなん誰が決めたんでィ。寝言でも言ってんのかよ。勝手に決めてんじゃねェ」

残夢は失った片腕を瞬く間に再生させ攻撃を繰り出した。胸の中に埋め込まれた雫がぼうっと輝く。黒く、より漆黒に。死体の匂い。死の匂いがする。生きてるなんて言えない。イヴの雫はもうとっくに、死んでる。あれはただの化け物だ。総悟くんとの斬り合いは恐ろしい速さで目をこらさなければ何が起きているかわからないほど。足場が悪く雨で視界も遮られる中、次第に押されていくのがわかった。早く、立たなきゃ。なのに力が入らない。その時、暗闇から現れた二つの影に身を固くする。まさか残夢の仲間?

「姫!大丈夫か」

「近藤さん、土方さん…!来てくれたんですね」

「江戸の平和を守るのが俺たちの仕事だからな」

「姫ちゃん、怖かったね。ここまでよく頑張った」

近藤さんが頭から流れる血を拭い、同時に土方さんが右手に布をきつく巻いて止血をしてくれた。さっきまでの絶望感と恐ろしさが嘘みたいに消えていく。以前不安を零した時、『一人じゃない』って言ってくれた言葉を思い出した。みんな、来てくれた。

「こりゃ酷ぇ。折角の美人が台無しだな」

「俺たちも礼をしてやらないとな、トシ」

「言われなくてもそうさせてもらうさ。久々に骨のある奴みてぇだからな」

「待ってください。あの人は心臓がないんです。ここで倒したとしても月の雫を壊さない限りまた生き返ってしまう…とどめを刺さないと」

「わかった。姫、もう少し頑張れるか」

「もちろんです」

支えられてやっと立ち上がった。一人じゃ立てないけどみんなとなら、きっともう大丈夫。わたしの命はもう残り少ない。それは残夢も同じ。ねぇもうこんなに悲しい永遠なんて終わりにしよう。

降り続く雨で増水した大量の水が橋の下で轟音をあげて流れていく。その音に心臓が突き動かされる。走れ。走って、この人を眠らせなきゃ。そうしないと、残夢はいつまでもイヴに会えない。

「うぉぉぉぉぉっ!!!」

近藤さんと土方さんが背後から回って残夢に斬りかかる。正面からは総悟くんの刀の切っ先が黒い胸を捉えている。背後から振り落とされた刀が残夢の動きを封じ、総悟くんの刀は残夢の身体を裂いたが貫通することはなかった。引き抜いて瓦礫のようにボロリと崩れた死体の中から現れたのは白い石。何層にもなった固い膜のようなもの。それは残夢の骨からできた殻だった。その白い石によってイヴの雫は大切な人を守るかのように固く包まれていた。これを壊せばその先に雫がある。

「はははっ!!人間はこんなものか!今まで戦ったどの人種よりも弱く脆い!こんなものに私達が倒されるなど…ヴゥァァッ!!!」

左手で構えた銃の弾丸は真っ直ぐに石を捉えた。当たりはしても砕けない。でも残夢の苦しみようからしてわたしの銃でもダメージは与えられる。骨の白は暗闇の中によく映える。狙え。もっと、確実に。もっと、力を込めて。

「……『入れ物』如きが………!!!」

「イヴはあの時死んだの。貴方のために」

「煩い…煩ァァァァァァァァァァイイィ!!!」

地獄の底から響くような叫びが空に轟くと、さっきまで降っていた雨が黒く変わった。瞬間、濡れたところから針を落としたように鋭い痛みが次々と降って来る。熱湯のように恐ろしく熱い。肌だけでなく草木までもを枯死させるかのように命を枯らしていく。

「っう…!」

黒い雨が傷口に当たり肉を抉り血が蒸発する。蹲ってしまいそうなほどの痛み。痛い、痛いと叫んでいるのは誰?総悟くんは怒りで激しくなった残夢の攻撃を避け確実に死体を破壊しながら中心を狙うが再生能力によって阻まれる。その合間に次の動きを読んだ近藤さんと土方さんが隙をつき石を壊そうと技を繰り出す。残夢からの攻撃が直接当たらずとも次第に雨によって全員の身体は傷だらけになっていく。あまり長引かせられない。だが壊しても壊しても再生してしまう。

「オイそろそろ死んどけ。雨で江戸が腐っちまうだろうが。腐るのはテメーの身体だけにしとけ」

土方さんが呆れたように言う。けれど息が上がり刀を持つ手は赤く染まっていた。

「残夢、江戸の桜を見たことはあるか?この橋の川沿いにはな、それは見事な桜が咲くんだ。お前にも一緒に見たい子がいるんだろ?今頃待ってるぞ」

諭すような近藤さんの声。傷ついた身体を物ともしない物腰で話しかける。

「待ち合わせに遅れんのは男として最低でさァ。何百年待たせてんだか。いい加減あの世で愛想尽かされてますぜ」

最もダメージを受けているのは総悟くんだ。ボタボタと血が滴り落ちる。行かなきゃ。なのに、どうして身体が動かないの?この雨のせい?もう、身体の力が底をついてしまう。

「イヴは…ここにいる…イヴはずっと…!お前が死ねば…会えるんだ!!!」

ドォォォン!!!残夢の身体を中心に地震のような重い衝撃に包まれる。総悟くんたちが吹き飛ばされ瞬きする間もなく目の前に鈍色のナイフが迫る。迷わず振り落とされたそれはわたしの胸を刺した。けれど切っ先は中心で止まっていた。淡く揺らめく光が浮き上がる。虹色に輝く雫の欠片が刃を受け止めていた。これが…わたしの中にあった『イヴの雫の欠片』。……声が聞こえる。イヴの悲しげな声が、わたしの頭の中に響く。

「これだ…!イヴの命!これがあれば……!」

残夢の腐敗した指が光る欠片に触れようとして、闇が光に照らされたようにジュウウ、と一瞬で溶けて消えた。

「グアァァァァァァ!!イヴ…!なぜだ…!何故触れない!?」

『…貴方は汚れすぎてしまったの。光に触れられないほど真っ暗に…。憎しみに負けてしまった。だからもう…ひとつになれないね…私達……』

「止めろ…止めろォォ!!イヴの姿でそんなことを言うのは許さない…!!」

『…神様にお返しした雫の欠片にはね、貴方と過ごした幸せな記憶が入っていたの……レオム…』

「イヴ…!?イヴなのか……!?」

『レオム』というのは残夢が人間として生きていた頃の名だった。数百年呼ばれることのなかったその名前を知るのはたった一人しかいない。

『神様はわたしに愛情を持たせたけれど…恋を…ただ一人の人を愛する気持ちは与えてくださらなかったのよ。それを教えくれたのは…レオム……貴方なの』

話しているのは入れ物である姫だ。彼女じゃない。なのになぜこんなに懐かしい気持ちになるのか残夢にはわからなかった。ただ一つ理解できることは、目の前で紡がれるそれがイヴの言葉だということ。何百年も待ち望んだ彼女の声。

『綺麗なものしか知らないから…貴方が闇に飲まれてしまうなんて思いもしなかったの。一人って…こんなに寂しかったのね…ごめんなさい…長い間一人にして…夢の中でなら一緒にいられるから』

「イヴ……!」

イヴが目を閉じた瞬間、雫の欠片はパキンと割れ月の光を放つ美しい輝きは消えた。残夢は姫の身体を抱きしめようとしたが、月の光を浴び朽ちた身体では叶わなかった。もう再生もしない。背後から三つの気配がしたが振り返らなかった。

「触るな。それは俺のだ。お前が守りたかったものはもうとっくにこの世にない。イヴを守れなかったのはお前の弱さだ。時代が悪かった?次元が違う?そんなことしか言えねぇ口なら黙ってろ。希望がなきゃ人を愛せねェのかよ。どんな絶望の中でも救って見せろ。何があっても絶対に離すな。それができなきゃ……死んで夢でも見てろ」

三本の刀が一斉に残夢の身体を貫いた。骨でできた白い石は割れ、真っ黒に汚れた月の雫が現れる。

「『ただ、思うままに一緒にいられたら』……わたしもそう思ってた。ずっと。大切な人とずっと一緒にいられたらって。そう願うのは、本当に愛する人がいるから。貴方もそうでしょう?」

目を開けたその少女は起き上がり手を翳す。自分の中にある力を残夢のそれに注ぎ込む。耐えきれず止血された手の平から再び血が滴り落ちる。残夢はその赤さえも美しく思った。胸の中に流れ込む光は、数百年感じたことのない暖かさだった。懐かしい、体温に抱かれているかのような温もり。忘れていた。生きている人間はこんなにも優しく、温かい。幸せだったあの日々が目の前に見える。柔らかく微笑み自分を見上げる表情。繋いだ手の平。人間より少し低い体温で人間よりもっと柔らかく、そしてこの世の何よりも………美しい心を持った、ただ一人の愛おしい人。

「イヴ………済まない……守れなくて……私が…弱かったんだ…愛してる………君を……永遠に………」

雨は止み、心が光で満たされていく。真っ黒だった死体は色を取り戻し、『レオム』だった姿が浮き上がった。姫はその身体を抱きしめた。

「やっと、本当の夢を見られるね…」

レオムが最後に見たのは朝の晴れ間だった。数百年振りに眠りについた身体がぐらりと倒れ込むと、黒い雨と戦いで朽ちた橋の木材が崩れ落ちた。姫とその一番近くにいた沖田の足元がなくなる。

「姫!!」

沖田は咄嗟に手を伸ばしたが深傷によってその動きは落ちていくスピードに僅かに届かない。死体が絡み付いた姫は橋の下に落ちていく。その数秒の間に何かを悟った姫は、一瞬微笑んだ後に左手に握ったままだった銃口を沖田に向け残った最後の一発を撃った。ドン!と鈍い音を残して濁流に飲まれて消えた。同時に弾丸を受けた沖田もまた荒れる川の中に落ちて流されていった。

「姫!!総悟ーー!!」

その後駆けつけた隊士達によって発見された沖田は薄い光のような何かに守られているかのような状態で引き上げられたが、どんなに探しても姫の姿は見つからなかった。





title by 失青