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42.なんでも壊れる瞬間が美しいんだよ



気がつくと雨に濡れていた。立っているのはついこの間見た、早咲き桜がある川沿いの赤い橋の上。場所が変わったのは好都合だった。真選組の建物の中で戦うわけにはいかなかったから。

「ここで死にたいのか。いい場所だ…桜が綺麗だね。君によく似合う」

残夢の視線は桜の木なんて見上げていない。下だ。花弁は長く続いた雨のせいで全て地面に落ち、いくつもの水溜りの中に沈み泥に塗れていた。それを見て綺麗だと口元が歪む。笑っているのだろうが、酷くぎこちなく壊れた玩具のよう。

「散った花が一番綺麗みたいな言い方ですね」

「例えば花が散ることなくずっと咲き続けていたらどう思う?そのうち綺麗だと思わなくなるだろう?壊れるからこそ美しい、全てはそういうものだ。それは君も同じ。だから早く壊したくて仕方ない」

「だからってわざと花を枯らすなんて風情もないし悪趣味。美しさとは何かなんて…貴方とは分かり合えません」

「そんなこと、些細なことさ。ここで君に会えるのを待っていたんだ。月が隠していた…イヴの命の欠片を持った君を。追いかけて追いかけて…この世界に誘き出して漸く私の元に戻ってきた。さあ、返してもらうか」

「…わたしは死ぬ為に生まれたんじゃない…!」

バン!懐から出して構えた銃で心臓を撃った。確かに貫通したはずだったのに残夢の表情は変わらない。黒いコートがふわりと舞い上がる。そこには、何も無い。空洞。ぽっかりと空いた拳ほどの穴。その身体はもう心臓さえ必要としていなかった。やはり彼の中にある月の雫を壊さない限りこの男は止まらない。生きる屍…生きてるなんて思いたくないくらい悍しい姿。

「戦う意志…覚悟の表情…殺してきたアレス族の誰もが持ち得なかった物だ…なんて美しい」

「美しいとか綺麗とか…いい加減止めて」

「もっと見せて欲しい、美しい君が、泣いて苦しむ様を」

立っていたはずなのに背中に床があった。叩きつけられたと頭が判断する前に背筋に鈍い痛みが走ると同時にズブリと皮膚を裂き肉を断絶する音が耳に届く。重く、鋭く、絶望的な痛みが襲う。

「ああああ…っ!!」

右の手の平に深く突き刺さる短刀のような真っ黒いナイフ。銃は手から離れ転がっていた。血が雨に混じって広がっていく。赤い橋の床に色味の違う鮮血の水溜りができていく。身体が、起こせない。鋭利な刃物は橋の木材にまで届いていた。とにかくナイフを抜かないと。抜いて、立って、銃を取って、今度は胸を狙って撃つ。できる?……それがどんなに難しくてもやらなければいけない。殺されて終わりだなんて、もう嫌だ。

「っ!う、ぁ…くぅ、!」

突き刺さった物を抜こうともがく度にぶち、ぶつ、と鋭いナイフが肌と骨を抉る。残夢は傍らに立ってその様子をまるで芸術品を鑑賞するかように見下ろしていた。嬲り殺すつもりなのだろうが、その一方でわたしの抵抗を目に焼き付けようとしているようにも見えた。

「素晴らしいね、君は。あちらの世界で殺した時は抵抗もなくただ絶望して死んでいったのに…いつの間にそんなに生にしがみつくようになったんだい?」

「はぁっ、はっ…、っ貴方が殺してくれたお陰よ」

痛みに耐えて立ち上がる。もともと月の力が残り少ない身体で無傷で勝とうなんて思ってない。大丈夫。まだ動ける。持久戦では敵いそうもないけれどどこかに隙があるはずだ。

「イヴは貴方にとって何なの?大切な子だったんじゃないの?もういないのに…貴方は一人になってもどうしてそんなに生きたいの?」

「いない?…いるじゃないか、ここに!私の中にイヴがいる!分からないかい!?」

「っ!!」

目の前に黒いコートが広がり濡れているのに意思があるかのように舞い上がる。咄嗟に転がった銃を取りに走りながら血が流れる腕を上げて抵抗しようとするもそれより早く残夢の拳が頭に当たった。殴られて再び倒れ込んだ身体を肉のない手が圧迫する。脳が揺れ、塞がれた視界に流れ込む暗闇。その向こう側で女の子が柔らかく微笑んでいた。それは誰も知らない、歴史にも残っていない数百年前の記憶。






その娘は、月の神様が自身の涙を集めて一番初めに命を吹き込んだ女の子だった。
イヴと名付けられた娘は満月の光を具現化したかのように美しく、常に穏やかな微笑みを携えていた。『月の使い』と名乗り傷を再生する力と争いを嫌う精神を持った彼女は、戦場に現れては敵味方関係なく平等に多くの負傷者の命を救い、争いの沈静化を訴えてきた。その清らかな微笑みを目に映した兵士たちは心の奥が暖かく解けていく感覚を初めて知った。そのお陰で長く続いた領土争いも次第に落ち着きを取り戻しつつあった。

そのうち、イヴはある人間の男と恋に落ちた。兵士の一人だった。若くして駆り出された彼もまた、争いを酷く嫌っていた。イヴの優しさと穏やかな性格に心を奪われた男は彼女が現れる度に熱心に声をかけ色んな話を聞かせた。イヴにはそのどれもが鮮烈に聞こえ心が躍った。同じ時を過ごすうちに二人だけの安寧を求めるようになっていった。イヴは彼に出会って『特別な人を愛する心』を知ったのだ。

『わたしは人間ではないの。神様から与えられた役割を果たさなければならないの』

『争いの中に君を置いてはおけない。一緒にどこか別の星に逃げよう。星を捨てて二人で…』

『できるならそうしたいわ。でも…傷ついている人の声が聞こえるの。戦場から離れようとしても悲しむ人間を放っては置けない、そう造られたの。涙から離れられない…それがわたしの生まれた意味』

『ならばこの無意味な戦争を終わらせよう。そして静かな地で平穏に暮らそう』

男はイヴを戦場から引き離し静かに暮らそうと考えていた。イヴが使命を果たせればこの星から出られると考え、争いを終わりにしようと周りに掛け合った。領土を奪い合うのではなく分け合い、決まりを作り平等に暮らそうと平和の道を唱えた。
その思想は戦争派の兵士達の反感を買った。更にイヴを連れて星から出て行こうとしていることもどこからか伝わってしまった。イヴがこの星からいなくなれば負傷者は死に兵が減る。戦はこちらが不利の状態で、最早戦いに彼女は不可欠だった。しばらくすると勝利の前提として彼女を取り合うための新たな戦が始まったのだ。長は、男を反逆者として牢に捕らえ、処刑を言い渡した。

彼女が見つけた時にはもう既に男の息はなかった。イヴは酷く悲しんだ。自分の存在が、本来は起こるはずのなかった争いを引き起こしてしまったから。そのせいで何よりも大切な人が殺されてしまった。悲しみに暮れた彼女は禁忌を犯してしまう。『人間の命を蘇らせてはいけない』という月の神との約束を破り、男を生き返らせようとしたのだ。だがイヴにそこまでの力は与えられていなかった。イヴがどんなに力を注いでも男は息を吹き返すことはなかった。打ちひしがれ、絶望し、苦悩の最後に辿り着いたのは、自らの月の雫だった。

『わたしの月の雫を貴方にあげる。わたしが貴方の命を奪ったのと同じだから…。貴方には生きて欲しい。生きて、平和な世界で暮らして欲しいの。大丈夫、どこにいても光が照らしてくれるから…ずっと一緒よ…』

処刑に使われたナイフが傍らに落ちていた。赤く濡れたそれを使い命の源である月の雫を取り出す様子を空から見ていた神様はイヴを止めようと光の矢を放ったが、それは月の雫を掠め僅かに欠けた欠片がころりと落ちただけだった。

彼女は男の亡骸にそれを埋め込んだ。力を失ったイヴは転がる男の冷たい身体にもたれかかり、あの優しく暖かい手を思い出しながら目を閉じた。殺されて変わり果てた姿をしていても、彼女にとっては何よりも愛する人だった。自分自身を生み出した、神様よりもずっと。

『神様、ごめんなさい。わたしは全ての人ではなくて、この人の…愛するただ一人の幸せを願います。だからもう月には帰れない…。この欠片はあなたにお返しします。神様……わたしを造ってくれてありがとう』

命を与えられ目を覚ました男の目に映ったのは、月の雫を失ったイヴの身体が光に溶けて消える瞬間だった。

『イヴ……!』

抱きしめようと手を伸ばした男の手が光に触れることはなかった。男の心臓は動いていなかった。代わりに、胸に埋め込まれた月の雫が男の死を奪い続けていた。イヴの命と引き換えに一分一秒ごとに生命を注がれ動かされている亡骸がそこにあった。

『イヴは……死んでない。消えてない。ここにいる……』

イヴは雫の中に共に生きている。そう思わないと壊れてしまいそうだった。あの微笑みをずっと見ていたい。守りたい。ただそれだけが彼の望みだった。二人で平穏に暮らそうと考えたのがそもそもの間違いだったのだろうか。争いの時代に生まれた自分達が、平和を夢見てはいけなかったのだろうか。

『夢物語……。目が覚めてもなお見残した……夢……』

行き場を失った男は故郷を捨て彷徨った。幾つかの星を漂っている間に自分が人間でなくなったことに気付いた。数年、数十年と時を重ねても老いることはなく、噂が噂を呼び、怪しいと難癖をつけられ酷く暴行されても傷はすぐに癒えた。
やがて地球に辿り着いた。田舎の小さな寺に拾われ、住職として亡くなった人間を弔った。しばらくはそこで平穏に暮らすことができた。男はその頃から自身のことを『残夢』と名乗るようになる。

供養するのは老衰や病死した人ばかりではなかった。敢なく殺された男、乱暴され子を身篭ったが貧しくどうしようもなくなり自害した娘、辻斬りに斬殺された若者たち。戦争もなく平和に見えた地球にも争いと悲しみがあった。
次第にたくさんの争いの傷が残夢を蝕むようになる。イヴは生きている間に戦争で傷ついた多くの兵士たちを癒してきた。その『傷の記憶』が夜毎に残夢を苦しめた。憎しみが湧いては痛みとともに消えていく。その名残がまた新たな憎しみを生む。繰り返される増悪の記憶に、いよいよ頭がおかしくなりそうだった。そもそも、月の神様の特別な力を具現化した月の雫の力にただの人間が耐えられるわけがなかったのだ。

死なない、老いもしない、止まった心臓を動かされているだけの身体。日々消えていく小さな命たち。供養なんかで死んだ人が救われるのか?これでいいのか、何のために自分が生きているのか分からなくなっていった。なぜ俺は生かされているんだ?どうすれば痛みが消える?憎しみがなくなる?イヴと誓った平穏は、この世のどこにも無かったのか?

『そうだ………ならば私がこの世で一番強くなればいい。一度全てを壊し何よりも誰よりも強い力を持って平和を作ろう。そうすれば争いは消える。新しい世界でイヴと永遠を生きられる』

光はどんなに美しくとも人間の汚い感情の闇に掻き消されてしまう。ならば月よりも、光よりも深い闇の力でこの世界を作り直そう。……残夢が選んだのは、破壊だった。


時を同じくして各星では争いが激化していた。月の神様はまた雫に命を吹き込んで数人のアレス族を生み出した。今度はイヴのように特定の人間を愛してしまわないように、彼等には「愛情」を持たせなかった。人形のように美しいアレス族たちは、文字通り人形のように片っ端から兵士達の傷を癒し争いを止めるように促した。感情のないそれは次第に死を奪うだけの兵器に成り代わっていった。そこへ残夢が現れてこう言った。

『あの人形たちは私達を人間ではなく殺戮兵器にしようとしている。何度刺され撃たれても死ぬことは決して許されない。幾度も再生され殺し合いをさせ続ける。アレス族こそが悪なのだ』

長きに渡る戦争の苦しみの矛先はアレス族達に向けられた。そして全てのアレス族が殺されて月に還っていった。歴戦の勇士達によって殺されても残夢はその度に蘇り幾つもの星を滅ぼした。何よりも美しかったイヴの月の雫は、次第に黒く、深い闇色に染まっていった。残夢の暴走はもう月の神様にもどうしようもなくなっていた。

僅かな希望はたった一つ。イヴが残した月の雫のほんの小さな欠片。生まれた時と変わらない美しい光を放つそれを、神様は冬の満月の晩に生まれたある赤ん坊に託した。長い年月をかけて見つけた美しく輝く魂を持つその赤ん坊は、残夢から隠すように別の次元で生まれ何も知らず身体に月の雫の欠片を持ったまま育った。

一方で蘇りを続けていくうちに残夢の中にある月の雫は力を失い、止まった心臓は崩れボロボロの屑になって穴を開けた。再生し続けた死体も限界が近づいていた。これでは世界を作り直し永遠を生きることはできない。

『月が……あるからだ…!月があるから争いは消えぬのだ!』

月にはイヴが残した雫の欠片がある。それを手に入れ月の雫を完全な物にすればもっと生きられるだろう。残夢は次に「世界から光を消す」ことにした。そのために気が遠くなるほど長い時間を掛けて月を支配するほどの大きな力を手に入れた。欠片の在り方を辿っていくうちに次元を越え、そして今、目の前にいる少女の身体の中にイヴの命の欠片がある。やっと見つけた。
姫と呼ばれるその少女は彼女によく似ていたが決定的に違っているものがあった。意志の強さだ。イヴのように月の光で作られた「優しさ」と「愛情」に命が宿っただけではなく、恨みや苦しみを持った紛れもない人間だった。人間は争い合う。ダメだ。いくら似ているとはいえ外見だけ。殺さなくては。
押さえつけた身体を離し顔を見ると目元に雨でない水滴が流れていた。

「二度目と言えど死ぬのが恐ろしいか」

「……違う、泣いてるの。わたしの中のイヴが……」

「おかしなことを言う。イヴは喜んでいる。私と永遠に一緒にいられのだから」

「永遠なんてないの。どんなに愛しても一緒にいられる時間は限られてる。だからこそ人は求めるの。それが間違えて争いに変わっただけ…」

「ならば私が変えてやろう、この世界に永遠を作ってやろう。月も…太陽の光さえ消したこの世界にもう光が灯ることはない。雨は止まない。これが永遠に続く本当の平和だ」

さようなら、あの子の偽物。ただの入れ物。

ナイフを胸に突き立てようと振り上げた腕は銃声とともに吹き飛んだ。いつの間にか拾い左手に隠し持っていた銃。利き手は封じたはずだ。現にとめどなく流れる血が傷の深さを物語る。目にも留まらぬ速さで撃ったのか?左手で。

「まだ抗うのか……面白い」

「争いは避けられないかもしれない。でもそれ以上に美しい世界よ、ここは。向こうの世界にいた時よりもずっと」

「黙れ。人間が…」

「貴方も元は人間でしょ」

この距離なら残った片腕でも欠片は充分に狙える。先ずはあの時のように心臓をひと突き。息の根を止めてからゆっくり欠片を取り出すとしよう。ああ早くひとつになりたい。そして永遠の時を生きるのだ。愛する人と。

ザン、

突如殺気の塊が背中から襲いかかってきたのをナイフで迎え撃った。コートがはらりと切れて水溜りに落ちた。姫は何もしていない。

「…今取り込み中なんだ。後にしてくれないか」

「こっちもようやく出てきた下衆野郎に色々と用事があるんでねィ」

渦巻く殺気を隠さず切り掛かってきたのはまだ若い少年だった。こんな子どもからビリビリと痺れるような空気が出せるとはここで殺しておく必要がありそうだ。

「…総悟くん…」

足元で入れ物が呟く。味方か。だがコイツだけじゃない。殺気はあと二つ。姿は見えないが近くで好機を伺っているのだろう。イヴに似ているからと言って時間をかけて遊び過ぎたか。

「早く終わらせたいんだがね」

「せっかくだから楽しませて下せェよ。不死身の人間を殺すなんてワクワクすらァ」

ニヤリと薄く笑ったそれはもう少年とはいえなかった。




title by 水星