39ひとりになんてならなくていい
「総悟くん、話したいことがあるの」
日差しが暖かな昼休み、縁側でお昼寝中の総悟くんの隣に二人分のお茶とお菓子を乗せたお盆を置いて座ると、ちらりとアイマスクを上げ訝しげな瞳がこちらを覗いた。きっと真剣な声をしていたからだろう。秘密を話すということは思ったより緊張するものだ。
「この間の薬物事件の時のことなんだけどね、」
「銃を誰に教わったって話か?」
「…うん」
薬物工場を運営する男に襲われた時、咄嗟に男の銃を奪って足に撃ち込んだのを彼に見られていた。そんな危険な物の扱い方を教える人は真選組の中に誰一人としていない。感の良い総悟くんのことだ、およそ検討はついているだろう。けれど自分の言葉で伝えたいと思った。
「…また子さんに教えてもらったの。鬼兵隊の…船の中で」
「『赤い弾丸』の来島また子か」
そう、滞在中に彼女は大怪我を負ったことがあった。わたしの治癒の力でその傷はなくなったけれど、お礼を言いに来てくれたまた子さんに言ったのだ。
「銃の使い方を教えて欲しいってお願いしたの」
はじめはすごく嫌そうな、というより『アンタには無理』と突っぱねられた。そもそもまた子さんとは武器を握る理由が根本的に違っていた。わたしは大切なものを守るために、彼女は全てを壊す彼のために。それでもまた子さんは高杉さんという『守りたいもの』があった。根気よく話して良い返事を貰ったのは数日後のことだ。
『気乗りはしないっスけど…それ以上に恩を受けたままなのは性に合わないっス』
そう言ってまた子さんはわたしのお願いを引き受けてくれた。それからは毎日『秘密の女子会』と銘打って銃の手解きを受けていた。
「大切な人たちを守るためにって思って始めたけど、そのうち残夢のことがわかって目的を変えたの。わたしがこの世界に居続けるために、銃を持つことにしたの」
鬼兵隊の中でただ一人の女の子ながら幹部として武器を持ち堂々と戦いに出るまた子さんの後ろ姿は格好良くて、その彼女なりの正義を見てわたしの心の中でなにかが動いた。待っているだけじゃ駄目だって思った。もう二度と奪われないように、強くなりたいと願った。
特訓の成果もあって船を降りる頃には『もうアンタに教えることはないっス。せいぜいそれを使うことがないように大人しく過ごすことっスね』と言って別れ際に小型の銃をひとつくれた。また子さんがわたしのことを認めてくれたようで嬉しかった。それは部屋の箪笥の奥にひっそりと眠っている。
「護身で終わればそれでいい、残夢以外の人の命を奪うつもりはないの。…総悟くんたち真選組のみんなから見れば笑われるような柔い覚悟かもしれないけど」
「誰が笑うかよ」
手元を見ていた顔を上げると総悟くんはいつの間にか起き上がっていて、アイマスクを首に下げていた。お茶を一口飲んでから和菓子の包みを開け、それを半分に割ってわたしの手のひらに乗せ、残った半分を口に放り込んだ。
「姫のその覚悟があの女にも伝わったんだろ。現にこの間実戦で役立った。俺も四六時中姫に引っ付いていられるわけじゃねェし、いい選択だったと思うぜ。何より、『もう教えることはない』って言われたんなら素質があったってことだ」
「…そうかな」
「姫、食ったら『それ』持ってこい」
甘い和菓子をお茶で流してからその言葉に従い部屋の箪笥の中から風呂敷に包まれた小型銃を取り出した。戻ってくると総悟くんは庭の端っこの方にいてまだ包みを開けていない和菓子を大きな石の上に置いた。
「狙ってみろ」
距離を確認して腕を上げると同時に撃鉄を引き起こし、的に向かって撃った。静かな庭に銃声が響く。和菓子は吹っ飛んでバラバラに散った。あ、もったいない。
「早ェな」
「また子さんが『早撃ちは基本だ』って」
「言われてできることじゃねェぞ、それ」
さすがに総悟くんも驚いていた。早撃ちを得意とするまた子さんの指導は「とにかく撃たれる前に撃て」だったから自然とわたしもそうなった。狙いをつけている間はどうしても無防備になる。わたしは身のこなしが軽いわけでも接近戦で武器なしに戦えるわけでもない。一撃受ければ脆い身体は簡単に吹っ飛んでしまう。だからこそ、狙うべきところを一瞬で見極めろとだいぶ無茶なことを言われた気がする。鬼兵隊の船の整備は整っていて思いきり練習することができた。二丁拳銃を操るまた子さんの精度は凄い。わたしは一丁操るのがやっとだ。戻ってきた総悟くんがよく出来たと言わんばかりに頭を撫でた。
「まさか姫に銃の才能があったとはな」
「また子さんにも意外って言われた。鈍臭そうなのにって。あと……」
「死ぬほど似合わねェな」
「やっぱり、総悟くんもそう思う?」
「平和の塊が拳銃持ってんの、流石に胸がざわつく」
銃を取り上げられて部屋に戻された。ほぼ同時に向こうから近藤さんが血相変えて走ってきた。
「総悟!今こっちの方から銃声が聞こえたぞ!!敵襲か!?」
「あー射的の練習してただけでさァ。そのうち土方さんの頭狙って実弾ぶち込む予定なんで」
「なーんだ驚いたよ本物そっくりじゃないか!最近の玩具はすごいなぁ!二人とも程々にな!」
ハッハッハッと笑って去っていく近藤さんの背中にごめんなさいと手を合わせた。庭で本物を撃つなんて考えなしだったと今更ながらに反省した。
「総悟くん、黙っててごめんなさい。なかなか言い出せなくて………」
「いや、いい。姫はどうも面倒ごとに巻き込まれるからな、自分を守る術があることは良いことだ。それは別として…できればあんま見たくねェもんだな。自分の女が武器を持つ姿っつーのは」
「そうだよね…反対されると思ったもの」
「そんな辛気臭ェ顔すんな。ところで…半年近く黙ってたお仕置きは受けてくれるよなァ?」
「えっ?今いいって言ったよね」
「銃を扱うことに関してはいいって言ったが俺に隠し事してたことはまだ許してねェ」
「お仕置きってどんな…?」
「ゲームしようぜ」
ニヤリと笑いながら楽しそうに提案されたそのゲームの内容は絶対的にわたしに不利なものだった。
「……やだ」
「お仕置きなんだから多少嫌がって貰わねーと俺が楽しくねェだろ」
「…言わないからね」
「じゃあ銃刀法違反で逮捕するしかねェな」
「お巡りさんが善良な市民を脅すの?」
「姫の彼氏として脅してる。ほらさっき教えただろ」
「……………ま」
「聞こえねェ」
「ご……『ご主人様』、」
「続きは?」
「…、……『お仕置きしてください』」
「お前は今日一日俺のことをご主人様と呼べ」
「……はい」
じゃあこれ、と言ってどこからか持ち出したであろう小さなマイクを付けられた。ルールは二つ。ひとつ、総悟くんのことはご主人様と呼び敬語で話すこと。ふたつ、このゲームのことは他言無用。人前でご主人様と呼んだ回数に応じてご褒美が貰え、逆に総悟くんのことを名前で呼んだら負け。罰ゲームが待っている。…むしろこれ自体が既に罰ゲームだ。すごく嫌だ。こうしてとても不本意ながら『ご主人様ゲーム』がスタートしたのである。
午後の仕事は洗濯物を畳んで庭の掃き掃除をしようと思っていたから人と話す機会は少なそうだ。これは日没までのゲーム。何事もなく終わるかもしれない。ホッと胸を撫で下ろす。人前でご主人様なんて言えるわけがない。確かに薬物事件での一幕でその言葉を口にしたかも知れないけれど流石に本人を目の前にして言うのとはわけが違う、恥ずかしすぎる。彼はわたしのそんな気持ちを見透かしてこんな子どもみたいな遊びを始めたのだろう。最近すれ違いが多かったから二人でいるときはたくさん甘やかしてくれると思ったのになぁ、もう隠し事はしないようにしよう。
大量のタオルや布巾を畳んでいると姫ちゃん、と声がかかる。
「近藤さん、お疲れさまです」
「総悟知らないかい?この間の事件についての調書が一向に上がってこないんだけど」
お茶淹れますかと立ち上がろうとすると、大丈夫だよと断られた。いつもは土方さんなのに今日は近藤さんも総悟くんを探してるんだ。彼が机に向かうことは稀だ。
「そ……………、」
総悟くんなら、と言おうとしてマイクの存在を思い出す。この会話は聞かれている。かと言って『ご主人様はサボってわたしとゲームしてます』なんて言えない…!
「ご……ご、し…」
「ごし?」
「……屯所のどこかでサボってます」
「ああそうか、ありがとう!さっきも一緒にいたからてっきり姫ちゃんの所じゃないかと思ったんだけどなぁ」
他をあたってみるよ、と部屋を出て行った。ふう、ドキドキした。やっぱり何も知らない人に言える台詞じゃない。
「追加ルール」
「!」
気がつくと部屋の入り口で腕を組んで意地悪い笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「最低一度は人に言わないと罰ゲームな」
「…忘れてたけど、そ…、ご主人様ってほんとに意地悪…ですね」
「最高だろ?」
「全然……」
口笛を吹きながらどこかに行ってしまった。いいように遊ばれてる…!もう、なんで屯所でこんなそわそわしなきゃいけないの!
「姫ちゃーん、お疲れさま」
続いてひょいと顔を出したのは山崎さんだ。思わず身体が固まる。
「お疲れさまです。どうかしましたか?」
洗濯物越しに向かいに座り当然のように手際良くタオルを畳んでいく山崎さんの手元を目で追う。手伝ってくれるのだろうか。
「この間副長と出かけてたでしょ。もしかしてデートだった?」
「そんなわけないです。お使いについて来てくれただけ」
「そうかなー、副長機嫌良かったから何かあったんだと思ったんだけどなぁ。実際副長のことはどう思う?」
「…ガールズトークでもしたいの?山崎さん、」
「そんなんじゃないけどただの興味」
「そういう山崎さんはどうなんですか?恋人は?好きな人は?」
「いないよぉ、まぁ気になる子はいるっちゃいるけど」
「わぁ!聞きたいですその話!」
「そんなに楽しい話じゃないよ?ただ気になってるってだけで…、たまさんって言うんだけど」
「お登勢さんのところの?」
「そうそう、彼女は落ち込んでる俺に優しい言葉をかけてくれたんだ……」
「素敵!それで?」
洗濯物を畳みながらいつの間にか恋バナに花を咲かせてしまい盛り上がってしまった。山崎さんのたまちゃんへの気持ちがすっごく一途で応援したくなった。いつか二人が並んでるところを見られたらいいなぁ。そんなことを話していると、そういえば沖田隊長は?と唐突に総悟くんの話題が上がって一気に笑顔が凍りつく。
「…どこかでサボってます」
近藤さんの時と同じように返すと、ふーんと考えるように言ったあと、目元を細めて山崎さんが切り返した。
「なんか今日沖田隊長のこと話すと途端に動揺するよね?なんかあったの?もしかして喧嘩?」
「な、なんにもないです喧嘩なんてしてないし、」
「ほらー、なんか変だよ姫ちゃん」
「えと、その……あの、そうごく…じゃなかった、あの人は、」
「あの人?そんな風に呼んでたっけ」
優れた洞察力を持つ山崎さん相手に誤魔化すなんて無理だ。結局しどろもどろになりながらなんとか理由をつけてその場を逃げ出すことに成功した。しばらくうろうろしてから戻ると畳み終わった洗濯物はなくなっていた。きっと戻してくれたんだろう。悪いことしたなぁ。ため息をつきながら食堂に行くとおばちゃんが丁度良かった!とニコニコしていた。
「姫ちゃん悪いんだけどお使い頼まれてくれない?」
「はい!喜んで!」
「なあに嬉しそうにして。じゃあコレお願いね」
買い物リストとお財布を預かって、飛び出すように屯所を出た。一人だけど会話を聞いていた総悟くんは付いてきてると思う。これで屯所の人たちには鉢合わせなくて済む。でも一度は言わないと罰ゲームが…。
「今ここで言ってもだめ…ですよね」
マイクに呟いても答えはないのだけど、聞いてしまう。そもそもこれはゲームなのだろうか。スーパーに向かっていると向こうから知った顔がパチンコ店から出てくるのが見えた。成果はなかったようで手ぶらでフラフラと歩いていく。今にも転びそうで思わず声をかけると真っ青な顔で振り向いた。
「おー姫ちゃん、今日も可愛いねぇ…なんかいつもより眩しいわ…」
「銀ちゃん、また二日酔い?顔色悪いよ」
へらりと笑う銀ちゃんはこの間万斉さんと戦っていた時とは別人のようにダメ男加減を発揮している。
「だーいじょうぶだってまだいけるって。お前も飲むか?行きつけに連れてってやるよ」
「いつから飲んでるの?真昼間だよ…新八くんと神楽ちゃんに心配かけちゃだめ」
「あーそういえば神楽がまた泊まり来いって言ってたぞ、枕投げできなかったからって」
「うん、そのときは銀ちゃん追い出すからね」
「しゃーねーな前科あるからなぁ俺…。そういえば最近何度か夜かぶき町で総一郎君見たけどアイツ浮気してんじゃねーの。この機会に銀さんに乗り換えませんか」
「乗り換えません。浮気しないもん」
恐らく薬物事件の聞き込みをしていた時のことだ。以前ならその言葉に不安になったかもしれないけどもうそんなことで心は揺れたりしない。
「なんで浮気じゃねーってわかんの。大人のオネーサンに目が眩む年頃だよあれは」
「だってご主人様わたしのこと大好きだもん」
あ、頭の中で考えたら自然に言ってしまった。台詞と相まって恥ずかしさがキャパを超えた。顔が熱い。なんかもう泣きそう。
「まぁ姫と付き合ってたら他の女は霞むけどなー……え、ご主人様?」
「…………そう、ご主人様」
「開き直ってるけど何それ、つーかなに?顔真っ赤だぞ、え?それなんのプレイ?」
その時、大きな手のひらがわたしの視界を遮った。いつのまにか隣に総悟くんが立っていた。やっぱりついてきてたんだ。
「そんな顔旦那に見せるとまた襲われるぜィ」
「…沖田くんなにしてんの?」
「何って新しいプレイですけど」
「一応聞くけどどういうプレイなわけ」
「恥ずかしがる姫に人前でご主人様と呼ばせて服従させるプレイでさァ」
「お前ら本当仲良いねぇ……」
銀ちゃんの顔は見えないけど呆れている声がする。総悟くんの手を両手でそっと外して隣を見上げると一人だけ楽しそうに笑っていた。
「このままだと姫ちゃんがドM調教される日も近いな。見たくねーけど俺ちょっと興味あるわ」
「されないよ!ドMなんてなりたくないし…」
「そんなこと言ってこの間の姫は凄かったけどな。まさか自分からあんな……」
「ちょっと!そ…ご主人様、やめて…ください」
「その羞恥にまみれた悔しそうな顔、最高でさァ」
「なに姫ちゃん、弱みでも握られてんの?」
「……ちょっと最近色々あってね」
ああもう、これじゃ会話もままならない。
「そろそろ終わりにしませんか、他言無用のルールだったのに銀ちゃんに知られちゃったし」
「そうだな、じゃあ終わりにして買い物行くか」
「良かったぁ」
「あんまり虐めんなよー」
はぁ、長い一日だった。今にも吐きそうな銀ちゃんとバイバイしてスーパーに向かう。買い物リストを見ながらカゴを取ろうとするとひょいと奪い取られた。
「ついて来てくれるの?」
「女に一人で買い物させて外で待ってるほど白状に見えんのか?」
「だって総悟くんがスーパーで買い物なんて想像つかないから」
言いながらカゴに食材を入れていくとちゃんと隣について来てくれている。二人でお買い物なんて変な感じ。
「あら姫ちゃん」
「お妙ちゃん!こんにちは」
「どーも」
「沖田さんと一緒なのね」
精肉コーナーを通るとお妙ちゃんに会った。同じようにカゴに食材を入れている。ここで会うなんて、初めて会ったのもスーパーだったなぁと懐かしくなった。
「二人揃って買い物なんて、まるで新婚さんみたいね」
「し、しんこん、だなんて…」
「少なくとも周りにはそう見えるわよ」
「もうお妙ちゃんってば…またからかって」
「成る程、いつもそうやって姫で遊んでるですねィ」
「あら、沖田さんよりはかなり優しいわよ」
総悟くんとお妙ちゃんて意外に気が合うのかな…、微笑み合っているのは何故だろう。まるで玩具を共有しているかのような雰囲気。じゃあまた、と言って早々にお妙ちゃんと別れて買い物を済ませた。スーパーから出るとちょうど新八くんと神楽ちゃん、定春くんが歩いていた。今日はいろんな人によく会う日だ。
「姫!偶然アルな!」
「神楽ちゃん新八くんこんにちは。定春ちゃんのお散歩?」
「そうなんです。ついでに銀さん探してるんですけど見ませんでしたか?」
「さっきそこのパチンコから出てきたぜ、今にも死にそうなほど酒飲んでたみてェだな」
総悟くんの言葉を聞いて二人は怒り狂っている。子どもたちを振り回して、とんでもない大人だ。定春ちゃんを撫でて、くうんと許可を貰ってもふもふさせてもらった。ふわふわで本当に気持ちいい。
「二人はお買い物ですか?」
「うん。お使いでね」
お妙ちゃんにも会ったんだよと伝えるとそうですかとニコニコしている。新八くんって本当にお姉ちゃん子だな。可愛いなぁ。
「こうして見るとお二人って本当絵になりますねぇ。町内で噂になるのも分かります」
「やだ、どんな噂?」
「ムカつくから言わないでおくアル」
神楽ちゃんが総悟くんにメンチを切りながらギリギリ歯軋りしている。そんなに警戒しなくても…。総悟くんはこの子に対して普段どんな態度なんだろう。年下の女の子にあんまり意地悪しないで欲しい。
「どんな噂でも構わねェけどな。じゃあな」
さっさと二人に背を向けて行ってしまう背中を追いかけながら、またねと手を振った。買い物袋を持っていない方の手に触れると手を繋いでくれた。
「ねぇ総悟くん、さっきのゲームのご褒美ってなんだったの?」
「そういや旦那の前で三回『ご主人様』って言ってたな」
手を引かれて路地裏に連れ込まれる。建物と建物の間の狭い通路のようなところで買い物袋がガサリと地面に落とされた。割れるようなものは入っていないけど傷が付いていないかなと思いながら袋を持ち上げようとしたけれどそれは叶わなかった。壁に押しつけられるように両手を縫い付けられ呼吸が奪われる。突然降ってきた口づけに思わず身体を引き剥がそうとしてもびくともしない。
「ちょっ、と、そうごくん、ここ…外だから」
「ご褒美欲しいんだろ?」
「待っ、て!帰ってから…もらうからっ、」
「生憎いつでもあげられるような安いもんじゃねェ」
「…っ、見られちゃうよ、それに」
彼は隊服なのだ。こんなところでキスなんてしてたらクレームの嵐だ。総悟くんの役職だって危うい。わかっているのかいないのか、一向に止めようとしない。
「一つ」
「ひゃっ…!」
首元で囁いた熱い唇が強く肌を吸い上げる。じく、と熱を移されたかのように身体が火照ってくる。縫い付けられた腕が離されたと思ったら右手を高くあげさせられて腕を晒される。
「二つ」
現れた二の腕にちくりと痛みが広がる。そのまま身体が反転されて今度は冷たい木造の壁に真正面に押さえつけられる。
「…三つ」
「っ、だめ…!」
今度は頸に熱い息がかかる。そんなところにキスマークを付けられたら他の人に見られてしまう。静止の声も届かず狙いをつけるようにペロリと舐められたあと、しっとりと熱を持った唇が押し当てられた。もう、こんなの全然ご褒美じゃない、意地悪…!
「罰ゲームだよ、こんなの……」
「姫も付けていいぜ」
しゅる、とスカーフを抜き取って首元を緩める動作はわたしの好きな仕草だ。格好良くて、こんな場所で恥ずかしくて酷いことをされているのに好きだって気持ちしか湧き上がってこない。もしかしてもうこの人の手でドMとやらに調教されてしまってるんじゃないだろうか。ほら、とすべすべの肌が目の前に晒される。やだ、なんでこんなところでしなきゃいけないの…!でもきっと彼が望むことをするまで離してくれない。
「浮気されたくねェだろ?」
「総悟くんは絶対しないもん……」
「そりゃ光栄」
鎖骨の下辺りに唇を寄せて、彼がしたように跡を残す。寄り添う二つの影が夕暮れに紛れて重なる。その間、黒いジャケットで周りから隠してくれたけどそんなのなんの意味もない。唇を離して薄らとついた赤い花を見て、何故かぞくりと鳥肌が立つ。わたしのだって、しるし。
「…総悟くんの気持ちが少しだけわかったかも…」
「どんな?」
「自分のものに名前を書いておきたい気持ち」
くすりと笑って身なりを整えたあと、何事もなかったかのように買い物袋を拾って帰り道を歩き出した。子どもたちがまた明日と言い合って散り散りに走っていく。さぁ、おうちに帰りましょう。
それから部屋で鏡を使ってなんとか確認するとしっかりと赤い跡が首元と頸に付けられていた。首元は着物でどうにかなるとして、頸は困る。しばらくハーフアップにして髪で隠すしかなさそうだ。
「いっそのことばっさり切ろうかな、髪」
「あんまり短くすんなよ」
「長い方が好き?」
「せっかく綺麗な髪だからな」
「わたしも髪に触ってもらうの好きだなぁ」
優しい指先が髪を撫でる。何度もそうして、ひと束掬うと鼻に向かってわしゃわしゃされる。
「あはは、ちょっと、くすぐったいよ!」
「姫は銃持ってるよりそうやってる方が似合う」
「…ねぇもしかして……今日は励ましてくれてたの?ゲームしようとか言ったのも、一緒に町について来てくれたのも…気晴らしさせようと思ったの?」
「考えすぎ」
「…総悟くんて本当に意地悪だけど、そういうところが大好き」
「だから深読みしすぎだっつの。俺はただいつも通り仕事サボってただけでィ」
「ふふ、」
この反応はどうやら図星らしい。勢いをつけて抱きつくと、余裕で支えられるはずなのにあっさりと畳に倒れ込んだ。転がったわたしたちは部屋の天井を見上げた。何もないし空も見えないけれど、目の前に星空が広がっているみたいに満たされていた。意地悪だし仕事はサボってばっかりだし恥ずかしいことばかりしてくるけど、全部そこに優しさがある。だからどんなことをされたってわたしはこの人から離れられないのだ。
title by 水星