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37.やわらかなる頽落



「姫ちゃん、お使い頼めるかしら。今日のお茶請け買いに近所のお団子屋さんまで」

「はい、行ってきます」

「気をつけてね」

小さな折りたたみのお財布を預かって巾着袋に入れた。屯所の玄関を出ようとするとちょうどガラリと扉が開いて隊士のみんなが午前の勤務を終えて帰ってきた。お帰りなさいと出迎える。姫ちゃん、ただいま、腹減ったよ、今日の昼飯はなんだい?口々に話しかけられて一人ひとりと話していると奥の方から「お前ら早く上がれ詰まってんぞ」とイライラした低い声が玄関口に響く。土方さんだ。隊士さんたちは手を振ってサッと屯所の奥に引っ込んでいった。

「土方さん、お疲れさまです」

「おう姫。出掛けんのか?」

「お団子屋さんまでお使いに行ってきます」

「送ってくぞ?車出すか」

「いいえ、歩いて行ってきます。そんなに遠くないので」

「じゃあ送ってく」

「一人で行けますよ、子どもじゃないし」

「俺にしたらお前なんてまだ子どもだ」

大丈夫なのに。妖刀の件があってからというもの土方さんは今まで以上にわたしのことを気にかけてくれている。有り難いことだけどただでさえ忙しい人なのにわたしの面倒まで見てもらっていては休める時に休むことができない。「じゃあお言葉に甘えて」と思ってもないことを返しつつ、頭の中では別のことを考える。

「あっそうだ!わたし部屋に忘れ物があったんだ、土方さんちょっと待っていてくださいね。なんならご飯食べて休んでてください!」

「おい姫!」

草履を脱いで玄関を上がり屯所の中へ駆け出す。もちろん忘れ物なんてあるわけがない。他の隊士のみんなは今頃食堂でランチタイムを楽しんでいるだろう。がらんとした廊下を走って裏庭に出る。手に持っていた草履を履いて裏口からそっと外に出た。よし、これで土方さんも休めるはず………、

「俺を撒こうとするなんざいい度胸してんなぁ?姫」

「きゃああ!」

「オイそんな驚くことねーだろうが」

いるはずないと思っていた人が目の前で息ひとつ乱さずに立っていた。びっくりした、バレてたんだ。長い廊下を走ったこともあってバクバクと早鐘を打つ胸を両手で押さえる。

「ひ、土方さん、足速いですね…」

「姫が遅せーんだ。そんで考えることもだだ漏れなんだよ、まず玄関上がって草履持ってく時点で他の出口から出ようとしてんのが丸わかりだからな」

「う、だって…土方さんせっかくお仕事から戻ったところなのに」

「良い女は男を立てるもんだぜ?」

「………じゃあ、」

この人には適いそうにない。観念してお願いしますと頭を下げて二人並んで歩き出す。おうと笑った土方さんはようやく満足そうにしてわたしの頭をぽんと撫でた。

「そういえば今日は総悟くんとは別だったんですね」

「アイツにはある事件のことで別行動さしてんだ。厄介な件でな、早く解決してェ。総悟は顔だけは無駄に良いからな。情報聞き出すのもアイツが適任っつーわけだ」

最後には喋り過ぎた、という顔をして少し気まずそうにわたしをチラッと見下ろした。情報を聞き出すには総悟くんが適任なんだ…。本当に綺麗だもんなぁ、総悟くん。わたしだって未だに彼に顔を近づけられただけで照れてしまう。初対面であんなに格好良い人に迫られたら秘密を持っていても話さずにはいられない。…ん?迫られたら?

「…あの、そういうのって、女の人にもしたりするんですか?」

「……あー……まぁ、たまにな、たまに」

明らかに歯切れの悪い返答。この人はわたしと同じくらい嘘をつくのが苦手だ。十中八九、総悟くんの相手は女性なのだろう。仕事なんだからああだこうだと口煩く言うつもりはない。わたしには想像し得ないほど色々な駆け引きがあるのだろう。頭では大変な仕事だなぁと思いながら、心には針を刺したようなチリッとした痛みが胸に響いた。

「ごめんください」

「おばちゃん、団子くれ」

お団子屋さんは総悟くんと初めて来て以来何度か通っている。おばちゃんとおじさんはいつもニコニコと受け入れてくれてお店が空いているときには一緒に座って世間話をすることもある。とても落ち着く場所だ。

「あら土方さん、姫ちゃんいらっしゃい。電話で注文は貰っているよ。はいこれ」

「ありがとうございます」

受け取った包みの底はじんわりと温かい。出来立てのようだ。甘いタレと包みの和紙がとても良い香り。

「珍しい組み合わせだねぇ。今日は沖田さんと一緒じゃあないんだね」

「総悟くんはお仕事なんです」

「そうかい、最近この辺りも夜は物騒だと聞くからね。若い子は特に気をつけるんだよ。土方さん、この子を守ってやって下さいね」

「ああ、見回りも強化しているが…早く解決するように全力を尽くす。おばちゃんも万が一の事もあるから気ィつけろよ」

「はいよ。またゆっくり来ておくれ」

ニコニコと柔らかく微笑むおばちゃんに手を振ってお店を出た。土方さんがお団子屋さんまでついてきてくれたのはこの辺りで何か事件があったからなんだとやっと理解した。それをあんな子どもじみた行動で振り切ろうとした自分が恥ずかしくなる。

「土方さん、ごめんなさい。わたし何も知りませんでした」

「あ?いいんだよ、姫はなんも知らなくて。アイツだって話してねーんだろ?余計な心配させたくねぇんだ」

「でも、心配くらいしたいです。何もできなくても…知らずにいるよりずっといい」

「…そうか。そう言う女だもんな、お前」

「呆れました?わたし面倒くさい女なんですよ、結構」

「いや、そういうところが可愛げがあるっつーんだよ」

「可愛げ?ふふ…土方さん、変なの」

思えば土方さんとこうして外を歩くのは初めてのことだ。一年近く一緒に生活をしていて並んで町を歩いたことがなかったなんて不思議な感覚。煙草をふかしてわたしと穏やかに会話をしながら視線は行き交う人並みや路地裏の異変を取りこぼさないように空気はピンと張り詰めているのがわかる。
そういえば総悟くんも以前同じようにしていたことがあったのを思い出した。町の平和を守る仕事というのは、本当に凄いことだと改めて感じる。わたしがこうして何も考えずに笑ってお使いに出かけることができるのもこの人たちのお陰なのだ。平和が続くとつい忘れそうになってしまう。

「土方さん、格好良いです」

「………なんだ姫、一丁前に口説いてんのか?」

「まさか、そんなこと恐れ多くてできません」

「だろ?」

「ふふ、土方さんて意外にお茶目ですよね。冗談も言うしたくさん笑ってくれる。初めは少し怖かったけど…一緒にいればいる程『鬼の副長』って言葉が似合わないなって思います」

「…似合わねぇなんて初めて言われたな、」

そう言って周りを警戒していた空気を解いて地面に視線を落とし、煙を目一杯肺に巡らせてから細く吐き出す仕草に目が留まる。下を向いたまま煙草を持つ手が口元から離れない。あ、もしかして、

「照れてます、か?」

「てってっ、照れてねぇーよ!コレはアレだ、煙草の方が俺から離れたくねぇって言ってんだよ!」

「あはは、お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなぁ」

「…俺はな、総悟のことはガキの頃から知ってるから弟みてぇなモンだと思ってんだ。だからアイツが大切にしてる姫のことも同じくらい大事な妹だと思ってる。まぁそんなこと本人には言わねぇけどな」

「土方さん…」

「そういえば昼飯まだだったな。俺の行きつけに連れてってやる」

「はいっ」

背中がむず痒い。嬉しい気持ちと少し照れくさくて今度はわたしが顔を逸らしたのを馬鹿にしたように笑って歩いていく背中を追いかけた。

「……これはなんですか?」

「ここの看板メニュー、土方スペシャルだ」

「看板メニュー……」

連れられた定食屋さんで目の前に出された丼は白いご飯が見えないほど薄黄色いもので覆われている。マヨネーズだ。本当にこの人は偏食だ。屯所の食堂でも何にでもマヨネーズをかけまくっているからはじめは「わたしが作った卵焼きが不味いからマヨネーズをかけてるんじゃないか」と思い不安になったこともある。そのうちこれが土方さんのスタイルだと気付いてからスルーしてきたのだけどまさか自分がこれを食べることになるとは思わなかった。
土方さんは隣でガツガツとそれをかきこんでいる。口に入れてみると案の定、白米とマヨネーズの味しかしない。うーん、美味しい……のかな、これ……。

「すみません、のりたまありますか?」

「はいよー」

「ありがとうございます」

「オイ姫、お前なにのりたまかけてんだ」

「ご飯にはマヨネーズよりのりたま派なんです」

マヨネーズは一緒に頼んだ唐揚げにつけて食べた。多少余ったけど。のりたまご飯美味しいなぁ。

「人には人の好みがあるんですよ、押し付けちゃだめです。せっかく同じ食卓を囲むならお互いが美味しく食べられる方法を探さないと」

「そのための唐揚げかよ。お前って本当におもしろいっつーか、ギャップあるよなぁ」

「ギャップですか?」

「ここに来た時は捨てられた人形みたいだった。ここにある全てを怖がって、不安な顔してたのをアイツが少しずつ変えていった。お前はどんどん笑うようになって、真選組にも溶け込んで、勉強熱心で…感情豊かになった。自分の思いをはっきり言えるようになった。そんで頑固になった」

「ふふ、たしかに頑固になったかも。大切なものがたくさんできました。総悟くんだけじゃなくて、土方さんや他の皆さんもたくさんのことを教えてくれました。感謝しています」

「今の姫はいい意味で、顔に合わないんだよな。だから黙ってりゃあ綺麗なお人形なんだが喋るとこう……残念っつーか予想を裏切るっつーか」

「悪口ですか?それ」

「ちげーよ褒めてんだよ」

「だって残念って言った」

「あー普段人を褒めることに慣れてねーから言葉がうまく出てこねぇんだよ許せ」

「ふふ。たまにはこんなお昼休みもいいですね」

「まぁな」

お会計を土方さんにお願いして先にお店を出ると、すぐ横の路地裏に引き摺り込まれた。一瞬のことで悲鳴を上げる暇さえなかった。人目につかない薄暗い世界で大きく息を吸って土方さんの名を呼ぼうとすると、低い声がわたしの名前を囁いた。

「久しいな、姫殿。元気だったか」

「桂さん!もう、びっくりしました……」

「驚かせてすまなかった。真選組鬼の副長が近くにいたんじゃ姿を表すことができないからな。…少し会わないうちにいい顔をするようになったな」

「そうだ、桂さんにお礼を言いたかったんです。高杉さんの時のこと協力して下さってありがとうございました」

「礼などいらん、俺は別に何もしていないからな。それより最近この辺りで『ある物』がばら撒かれているらしい。姫殿も気をつけることだ」

「ある物?」

「俺たちも調べを進めているがどうやら天人のある組織が持ち込んだ二種類の強力な薬らしい。人間がそれを服用すると精神錯乱…強い依存性があり飲み続けると生命に危険が及ぶとも言われている」

「そんな恐ろしいものが江戸に?それは…」

どんなものなのか聞こうとしたけど土方さんがわたしを探す声がする。「また会おう」と背中を押されて路地裏から出て振り返ると桂さんはもういなかった。


その日、総悟くんが帰ってきたのは明け方近くになってからだった。カタンという物音と布が擦れる音がして目を開けた。寝ぼけながら殆ど無意識に灯りをつけるとわたしに背を向けて着物を脱いでいた。

「…おかえりなさい、お疲れさまでした」

「起こしちまったな」

「ううん…総悟くんが帰ってきたら起きようと思ってたの。最近あまり顔見れてないから…」

話しているとふわりと甘ったるい香りが彼の方から香ってきた。香水だろうか、きっと女性用のものだ。チクリと胸が痛くなる。今夜も女の人のところへ行ってきたのだろう。これでもう四日になる。真選組が欲しい情報はなかなか上がってこないようだった。

「姫、悪ィ。この件が片付いたらどこか出かけるか」

「大丈夫だよ。お仕事だもんね…遅くまで大変だね」

彼からは今どんな仕事をしているのか何も聞かされていない。これまでも総悟くんは仕事の内容についてわたしに言ってくることはなかった。ただ「一人で外を出歩くな」ときつく言い聞かせるだけ。
着替えを終えてわたしの目の前にきて顔を覗き込むように近づける。その目を見て疲れてるってすぐわかった。もう寝ようと促して布団に引き入れるとわたしをぎゅっと抱きしめて呼吸はすぐに寝息になった。視線のすぐ先、首元にほんの薄らと赤い口紅が付いているのを見つけてしまって、また心臓がチクチク痛くてもう眠れなかった。







「あらやだどうしましょう、土方さんのマヨネーズがもう無いわ」

「わたし、すぐ行って買ってきます」

「でももう暗くなってきてるわよ。夕飯は我慢してもらって明日の朝買いに行った方がいいんじゃないかしら」

「走ればすぐなので大丈夫です、行ってきます!」

お財布だけ持って屯所を飛び出してスーパーに向かう。マヨネーズがないと土方さん悲しむだろうなぁ。この間あんなに美味しそうに土方スペシャル食べてたし。最近みんな忙しそうだから夕飯はしっかり食べてもらわないと。スーパーまでは急げば往復で20分もせず帰ってこられる。薄暗くなった街並みを急ぎ足で進み、無事に目的地でマヨネーズを買うことができた。スーパーを出てさぁ帰ろうという時、「ちょいとそこのお嬢さん」と声をかけられた。

「はい?」

「飴の試供品をどうぞ。赤と青、どっちがいい?赤は疲れが取れる飴、青は嫌なことを忘れさせてくれる飴だよ」

ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべた若い男性だった。手にした籠を覗き込むと赤と青の飴のようなものがそれぞれひとつずつ袋に入っている。小さな子どもが好みそうなハッキリとした赤色のそれをひとつ手に取る。

「ありがとうございます」

「おや、お嬢さん綺麗だねぇ!おまけにもう一つあげよう。こっちは彼氏にでもあげるといい。とっても気持ちよくなれるよ。あちこちで配っているからまた欲しくなったら匂いを頼りに……おいで」

男の人の話は半分も耳に入っていなかった。頭を下げて手のひらの赤と青の飴をマヨネーズの入った袋に入れて帰り道を急いだ。夕飯の時間にギリギリ間に合い、今日も無事に土方さんにマヨネーズを提供できてホッとする。短い距離だったけど走ったおかげで疲れた。今夜は早めに休もうと思い、食堂の片付けを終えてお風呂に入って早々に布団を敷いた。

「総悟くん、今日も遅いのかな……」

髪を梳かしながらぽつりと呟く。彼ひとりでの仕事とは言え、こんなにすれ違うとそろそろ寂しさがつのる。しかも最近はやっと帰ってきたと思ったら強い香水の香りを漂わせて、疲れた顔してるから甘えようにもブレーキがかかってしまっていた。キス、したのいつだったっけ?何もしていないわたしでさえ気が滅入ってくる。

『疲れが取れる飴だよ』

「…あ、さっきの飴…」

ふと夕方スーパーの前で貰った飴のことを思い出して机の上に置いていたそれを手に取る。赤と青の飴。透明な包みの中でわたしの口に入るのを待っているように見えた。なんとなく口さみしいというか、甘いものが食べたい気分だった。赤いそれの包みを破って舌の上に乗せた瞬間、ラムネのように一瞬でじゅわっと溶けて、

「…っ!?」

甘過ぎるほどの人工的な味と舌が麻痺するようなビリビリとした刺激に驚いて思わず吐き出した。舌の上に残ったそれは唾液と絡まって、すぐに形を失って喉奥に落ちていった。途端に身体があり得ないほどの熱を持ち始め、手に汗が浮かんでくる。心臓が夕方走った時以上の速さで動いている。危険の二文字が頭に浮かぶ。
なに、これ、もしかして、桂さんがこの前言ってた二種類の強力な薬って……。

『人間がそれを服用すると精神錯乱…強い依存性があり飲み続けると生命に危険が及ぶとも言われている』

気づいた時にはもう遅い。畳に吐き出された真っ赤な物体は半分以上溶けていた。水が欲しい、全部吐かないと。でももう身体が動かない。頭がおかしくなりそう。対処法を考えないといけないのに頭の中が全部クリアになって、静かなのに大音量で音楽が鳴っているかのよう。脳が自分のものじゃないみたいだ。乗っ取られたかのように自由が効かない。なんとかできたのは着物をすこしはだけさせたことだけ。苦しい、熱い、熱くて溶けそう、こわい、だれか、

「そ…うご、くん………」




title by 失青