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36.触れるためにある傷じゃない



初めてその目を見たとき、寂しそうな人だなって思った。人に囲まれて、野心があって、才もあるのに全く満たされていない。いつも独りだって顔して、誰も信じようとしない人。本当に真選組が欲しいわけじゃないんでしょ?真選組やそれ以上のものを手に入れたって貴方は寂しいままなんでしょ?

「………!」

「姫さん、気づきましたか!大丈夫ですか!?」

「新八くん…ごめんなさい、わたし」

「姫、悪いが付き合って貰うぞ!コイツを墓場まで送り届けなきゃならないからな!」

「隠れてるヨロシ!」

気がついたらパトカーの中だった。暴走車の如く車を走らせる銀ちゃんたちはみんな目眩しのためか真選組の隊服を着ていた。後部座席で意識を失っていたわたしの隣で心配そうに見つめるのは土方さんだ。ズキズキと右手が痛む。見ると布が巻かれ止血されていた。

「姫氏、その、すまない…」

「大丈夫ですよ、土方さん。みんなのところに行きましょう」

妖刀に魂を侵されているとは言えこんなに弱々しく覇気がない土方さんを見るのは初めてで、加えて恐らく近藤さん達に合流するつもりだろうというこの状況に引き摺られるようにわたしの心にも不安が溢れてくる。…大丈夫。いつか近藤さん土方さん総悟くんがわたしに言ってくれた言葉を繰り返す。

「土方さん、大丈夫です。思い出せますよ。土方さんの居場所はここにあります」

怪我のない左手で彼の手を強く握った。車は列車に追いつき銀ちゃんが無線で何か叫んでいる。そのうち土方さんも引っ張り出されて行った。彼の魂は刀の中、戦いの中にある。きっとみんなが真選組副長の土方十四郎を引き出してくれるはず。
そして列車から総悟くんが刀を持って出てきた。血まみれだった。その姿を見て心臓が止まりそうになる。返り血なのか怪我なのかは判断つかない。「休ませてもらいまさァ」と言って神楽ちゃんと新八くんに代わって乗り込んできた彼はまさかわたしがいるとは思わなかったのだろう、赤い目を見開いた。

「…どういうことですかい旦那。俺の記憶が正しければ姫を匿えって言ったはずなんですがね。戦場に連れてこいなんて言った覚えはありやせんぜ」

「このヘタレからも頼まれてんだよ真選組を護ってくれって!姫ちゃんひとりで置いて来れねーだろうが!」

「土方コノヤローの依頼よりこっちの方が優先でしょう、何やってんですかィ」

「総悟くん大丈夫?」

「お前が大丈夫かよ、何だこれ」

右手の怪我を咄嗟に隠そうとしたけど腕を掴まれてしまい、ズキリと痛みで顔が歪む。途端に彼の機嫌が悪くなるのがわかった。次いでその口から出ようとした文句を遮った。

「土方さんの呪いを治そうとしたんだけどダメだったの」

「…奴の精神が軟弱なんでィ、自業自得だ。土方のために怪我なんかしてんじゃねェ」

痛々しそうに血が滲む布を撫でた総悟くんの指は、わたしが人を治すために手を当てるときと同じ動作だった。

「姫の力の弱点は自分を治せないことだな」

「総悟くんが守ってくれるから大丈夫」

「近くにいなきゃ守れねェよ」

「オィィィそこのバカップル!!さっさと電車に乗り込むかこの車で避難するかどっちかにしてくんない!?銀さんもう限界なんだけどォォォォ!!うぐっ!」

銀ちゃんに攻撃してきたのはさっき屯所で会った万斉さんだ。列車からも銃声や大きな音が響く。

「銀ちゃん!」

「総一郎くん、姫頼んだぞ!」

「言われなくても」

銀ちゃんが出て行って運転席に総悟くんが乗り込んだ。銀ちゃんと万斉さんが心配で仕方ない。列車の中の真選組のみんなも無事だろうか。

「姫、お前はどうしたい?」

「……いいの?」

「話したいんだろ、アイツと」

頷くと、ニヤリと笑ってアクセルをふかした。伊東さんが真選組に戻ってきてからずっと考えていた。彼はもしかしてずっと寂しいだけだったんじゃないかって。落ち着くべきところにいても満たされないのは、まだ気付いてないだけなんじゃないかって。
列車の横に車をつけて乗り込んだ。橋に差し掛かった途端に爆発音が響き大きく揺れる。咄嗟に総悟くんがわたしに覆いかぶさって守ってくれた。列車は大きく崩壊しあと少しで橋の下に落ちそうになっているところをギリギリでバランスを保っていた。その先端には片腕を失いボロボロになった伊東さんがいる。そこへ近づいてきた敵のヘリを真っ二つに切ったのはいつもの土方さんだ。良かった、戻ったんだ。
切りかかってくる敵を次々と切り返す総悟くんにつきながら進むと別のヘリが近づき、その銃口がこちらに向かっているのに気付いた。

「伏せて!」

立て続けに銃声が響き渡る。撃ち込まれる弾丸を座席を盾にしてやり過ごす。やがて目を開けると土方さんや近藤さんを庇いたくさんの弾を受けた伊東さんがいた。ボタボタと血が滴り落ちる。「先生!!」近藤さんの悲鳴にも似た叫び声が響いた。

「伊東さん…!」

「姫、行け」

総悟くんに背中を押されて駆け出した。近藤さんと土方さんが残党を打ちに刀を振るう。座り込む伊東さんの傍らには神楽ちゃんと新八くんが立ち尽くしていた。あまりに酷いその惨状に言葉を失いかける。伊東さんの目の前に腰を下ろすとちらりとその目がわたしを見た。

「……君か、こんなところまで来たのか」

「わたし救護もしてるって言いましたよね、怪我をしたらわたしのところに来てくださいって」

「…ああ、そうだったな」

間近で見ても伊東さんの身体は酷い状態だった。こうして会話ができるのが不思議なほどに。流れ落ちる血が床を赤く染めていく。

「手当てでもしてくれるのかい」

「……いいえ。貴方はわたしの大切な物を傷つけたから。でも、貴方の心の傷はわたしが貰います」

真っ赤な血が染み込んだ胸にそっと手を当てた。後ろで神楽ちゃんと新八くんが慌てて声を上げる。

「姫さん、その人は…!」

「ダメアル!」

「大丈夫。治さないよ」

幕府の人間が鬼兵隊と手を組みこれほどまでに大きな裏切り行為をはたらいた伊東さんがこの後どうなるのかは総悟くんから聞いていた。だから、この人の傷を治すことはできない。ならばせめて、心の痛みを奪う。目を閉じると伊東さんの記憶が傷を伝って流れこんでくる。幼い頃からの寂しさ、孤独を抱えて今日まで生きてきたその半生。認められたいという思いがいつの間にか歪み、高杉さんの目に留まった。そうか、だからいつも寂しそうだったんだ。それはとても悲しい記憶だった。ゆっくりと目を開けるとあの頃の記憶からずっと心は傷ついたままで成長した伊東さんの現在の姿があった。

「…やっぱり、貴方は気付いてなかったんですね」

「……どういうことだ」

「貴方がずっと欲しかったもの、もう持ってるんですよ。欲しくて欲しくて堪らなくて、手に入らないから見ないようにしてただけ。貴方は真選組。貴方のために命を賭けた人がこんなにたくさんいるんです」

「……君は僕のことをまだ真選組と言うのか」

「真選組を利用したことは許せません。だけど、その隊服を着た伊東さんはわたしたちにとって大切な仲間です」

わたしが言った言葉を噛みしめるように「仲間か、」と呟いて笑った。

「…不思議だな、もう…どこも痛くないよ」

目を閉じて満足そうに言った伊東さんは支えられながら連れて行かれた。土方さんと最後の斬り合いをして、隊士たちに見守られながら彼の命は終わりに辿り着いた。その散り様はまさしく武士だった。
ほどなくして銀ちゃんが万斉さんとの戦いを終えてボロボロになって戻ってきた。万斉さんは大丈夫?と聞くと「俺よりあの三味線野郎の心配かよ」と傷ついていた。万斉さんは気まぐれとはいえわたしと山崎さんの命を見逃してくれた。無事だといいな。また会えたらお礼を言いたい。そうして伊東さんと鬼兵隊の陰謀は断たれ全ての戦いが終わった。

ゆっくりと屯所に帰ってきた。みんなボロボロだった。順番に怪我をした人の手当てをして傷を治した。さすがにたくさんの人に力を使って疲れた。元より、土方さんの妖刀に力を弾き返された時から頭がぐらぐらして意識を保っているのがやっとだった。裂けた右腕から力が外に流れ出ててしまっているみたいに力が入らない。救急箱をしまい、誰もいなくなった処置室のベッドにもたれて座り込むと意識が遠ざかっていく。ここでいいから少し休もうと思い、でもまだ総悟くんの手当てをしてないことを思い出す。彼もわたしを庇いながら戦ったから怪我をしていたはず。あれはわたしが受けるはずだったものだ。手当て、しなきゃ…………。

「お疲れ」

眠りに落ちる瞬間、身体が浮き上がる感覚がした。低く優しい声が耳を伝ってわたしの心に染み込んだ。 







目が覚めてからも一週間は身体が動かなかった。右腕の傷も結局病院で縫ったからしばらく女中の仕事はお休みすることになった。怪我をしたことは公には言っていなかったのに、わたしがここに来た時から世話をしてくれている女中のおばちゃん達は何かを察しているみたいで「こっちは心配しなくていいからゆっくり休みな」と言ってくれた言葉に甘えることにした。
だるくて起き上がれなくて一日をうとうとしながら布団の中で過ごしていると総悟くんは何度も部屋に来てはあれこれ話したりご飯を運んできて一緒に食べたり何かとわたしの世話を焼いてくれた。それはこの世界に来たばかりで何も分からず変わってしまった日常に怯えていた日々を思い出させた。
あの頃からいつだってわたしの心を救ってきてくれたのは彼だ。気づけばあれからもうすぐ一年が経とうとしている。この世界に来て季節がひと回りする。あの頃はまさか総悟くんがこんなに大切な存在になるだなんて想像もしていなかった。

「月の光を浴びても回復しねェのか」

「きっと妖刀の呪いを治そうとして取り込んだのが身体に残ってるから…そのうち消えるとおもう……」

「腕はどうだ?」

「だいじょうぶ…痛いときは薬飲んでるよ」

「治してやれねェのがもどかしいな」

「すぐ治るよ、ありがとう」

治癒の力は便利だけど代償が大きい。傷や病気を治す代わりに月の力を通してその傷を受けた時や苦しんだ日々の記憶ごとわたしの中に奪い取っている。時間を戻しているわけではないのだ。わたしが肩代わりしているだけ。それには精神的ダメージが伴う。刀が皮膚を破る瞬間の感覚と血が噴き出す時の身の毛がよだつような温かさ。恐怖と絶望。たくさんの人の傷を治したときはそれは悪夢になって現れる。だから一日を布団の中で過ごしていても実際はぐっすりと眠れてはいなかった。ただひとつだけ、総悟くんがそばにいる時は穏やかに眠ることができた。

「眠いか」

「…ちょっとだけ………」

頭を撫でてくれる感覚が気持ち良くて次第に目蓋が重くなっていく。でも、今日はまだ話したいことがあった。夢現のなか、あのねと呟いた。

「…ほんとうは……伊東さんの怪我ぜんぶ、治してしまいたかった…。ずっとひとりぼっちで寂しいひとだった…」

伊東さんの心の記憶を貰ったのは、ずっと瞳の中にあった寂しさの理由を知りたかったから。真選組を乗っ取ろうとしたその裏切りに理由があると思ったから。そしてたったひと時、真選組だった彼を忘れたくなかったから。でも、野望の中に入り混じった感情がなんのためにあったのかを今頃知ったところでもう遅すぎる。
あれで終わってしまうにはあまりにもわたしたちが過ごした時間は短すぎた。幼少期の寂しさと孤独をずっとひとりで抱えていた人。誰にも語られることのなかったその想いをわたしが背負って生きていくことしかできない。それで彼が救われるなんて思ってない。わたしがしていることはただの自己満足に過ぎない。

回らない頭でぽつぽつと話していると襖が開いて誰かが入ってくる気配がした。総悟くんが追い出さないならこの話を続けてもいいんだと判断して、続けた。意識は半分夢の中だ。

「真選組を裏切ってたくさんの人を傷つけたけど、もっと早く気づけば良い仲間になれたのに……土方さんのこと守るなんて言って…なんにもできなかった…」

気づかなかっただけで伊東さんの周りにはいつもたくさんの仲間がいた。それに向き合えなかったのは積み重ねた過去の痛みがそうさせたから。あの人がみんなと心から笑い合っている姿を見たかった。どうすればその未来が現実になったんだろう。これ以上何ができたんだろう。帰ってきてからそればかり考えていた。
真選組としての伊東さんを救うことはできなかった。仲間の命が目の前で消えていくのを見た。触れてはいけない傷があることを知った。ならばこの手は何のためにあるのだろう。武士の戦いの中でわたしの力はあまりに無力だった。

「…姫がそうやって泣いてくれるから、俺達は前を向いていられるんだ」

そう言っていつの間にか溢れていた涙を拭ってくれた手は、煙草の匂いがした。その日の夢は連日見ていた悪夢ではなくて、幼い頃の伊東さんが病気の治った双子のお兄さんと一緒に外で楽しそうに遊んでいる夢だった。







「…どこまで付いてくるんですか?」

「いや…なんか手伝えることはねぇかと思ってな」

「大丈夫なのでお仕事に戻ってください、土方さんはただでさえ忙しいのに。鉄さんに叱られますよ」

大したこともしていないのに誰よりも長く休養してしまったわたしが女中のお仕事に復帰して二日。土方さんが何かとくっついてくるようになった。右手の怪我が自分のせいだと気にしているようだった。たまに痺れるけど傷口も閉じて経過は良好だ。
結局、妖刀は土方さんの腰に刺さったまま。彼の強い精神力のおかげで今回は妖刀の支配から抜け出せたけど、またあんな風にヘタレた土方さんを見るのは嫌だなぁ。ほんの少し、可愛かったけど。

「姫、それ待つぞ」

「タオルは軽いので大丈夫ですよ」

「副長、美少女アニメ見るのやめたと思ったら今度は姫ちゃんの追っかけですか?あんまり引っ付いてると沖田隊長に殺されますよ」

「山崎さん、身体は大丈夫ですか?」

「うん、もう全然平気」

見かねた山崎さんが声をかけてきてくれた。万斉さんの刀で貫かれたときはどうなるかと思ったけどいつも通り仕事に復帰できたようだった。山崎さんには治癒の力のことを言っていなかったけど、監察である彼のことだ、大体わかっているんだと思う。深く追求してることはなかったけどありがとうと言ってくれた。

「土方さんがくっつき虫なの」

「本当だ、こりゃあでけぇゴキブリだ。早く退治しないと卵産むぜ。つーわけで死ね土方」

「うわっなんだコレ!!」

ブシュウウウウとスプレーが噴射される。土方さんと山崎さんが咳きこみ白いモクモクが廊下に立ち込める中、身体に回された腕に引かれて煙が届かないところまで連れて行かれた。

「土方コノヤローの心配性も困ったもんだな」

「総悟くんもだよ?」

「俺はいいんだよ」

内緒話のように囁き合う。完全に治ってないんだから無理すんなよと右手を撫でた。

「姫、お前はそのままでいい。別に何かを守ろうとしなくたっていいんだ。姫が姫でいてくれれば、俺たちは何があっても立ち上がれる」

「…それじゃあわたしはなんのためにここにいるの?」

「なんのため?俺のためだろーが」

わかりきったこと悩んでんじゃねェ、とデコピンされた。痛い。思わずおでこに手を当てる。

「いた」

「姫がやるべきことは俺の隣でヘラヘラ笑ってること。それ以外は全部おまけだ。覚えとけ」

「ふふ、なにそれ……すごく楽しそう」

「だろ」

向こうから土方さんが怒鳴りながら走ってくる。わたしたちは手を繋いで駆け出した。



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