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35.よわいのよわいのとんでいけ



「あまり乱暴にしないでくれませんか伊東さん。コイツは俺のモンなんで」

ただならぬ雰囲気だったと思う。言葉を発することなくお互いを探るように見つめ合うわたしと伊東さんの間に入ったのは総悟くんだ。その声を聞いて少し冷静さが戻ってくるけれど頭は変に回転して何を話せばいいか分からない。

「…失礼しました、知人に似ていたので」

「いや、こちらこそ済まない。まさかこんなに綺麗な女性が追いかけてきたとは思わず腕を掴んでしまった」

怪我はないかと続けた言葉に目も合わせず頭を下げて逃げるように立ち去った。そうだ、さっきの部屋のお茶を片付けないと。それから夕飯の支度と、土方さんの様子を見にいかないと、それから……「姫、どうした」

追いかけてきた声の主に空き部屋に連れ込まれて襖がパタンと閉まった。薄暗く少し埃っぽいその部屋は小さくて何も置かれていなかった。

「…あの人、だれ?」

「真選組の参謀、伊東鴨太郎。入隊してすぐ留守にしてたのが武器の調達を終えて帰ってきたんだ。…知ってんのか」

「……ううん…」

知り合いではない。あの人がどういう人なのかはっきりした事実を持っているわけじゃない。でも顔を合わせたことがあった。その場所が問題なのだ。

鬼兵隊の船に乗っていたひと月余り、高杉さんのところにはたくさんの人が会いに来ていた。そのどれもが真選組の、江戸の敵だと想像するに難くない。あの人を見たのはたった一度だけ。隊服は着ていなかった。高杉さんの部屋で長く話をしていて、帰り際にすれ違っただけ。会話もない。だけど記憶に残ったのは、瞳の奥に虚しさを持っていた人だったから。
なぜ鬼兵隊と繋がっている人が真選組にいるのか理解できない。スパイ?どちらに対しての?わたしは下手に動いてはいけない気がする。あの人からは嫌な感じがする。

「姫、何か言え。じゃねぇとその不安を取り除いてやれねぇ」

「…あの人、きっと何か考えを持ってる。真選組の中で何か起こるかもしれない」

「大丈夫だ。お前は近づかなくていい。元からアイツは臭えと思ってた」

わたしがあの人に…真選組の仲間に対して不信感を持っても総悟くんは動じなかった。何でもないような口調で安心しろと言って抱き締めてくれた。何かが起こる予感がする。できればそれが起こらないことを願いながら、目を閉じた。





 
変化は急激に訪れた。土方さんが局中法度を次々と破りまるで人が変わったようにその立ち振る舞いも軟弱になってしまったとの噂が流れ始めたのだ。外で浪人に襲われて命乞いをしたとの話も浮上した。あの人がそんなまさか、と思い土方さんの部屋を訪れても入れてくれなかった。ここ暫く姿を見ていない。鉄さんでさえも近づけないようで心配している。
一方であの人は好機だとでもいうように近藤さんの懐に入っていった。その思想に感銘を受け、もともと彼が連れてきた数名の隊士を中心に伊東派という派閥ができるようにまでなってしまった。
そしてついに土方さんが真選組から姿を消した。最悪の展開だった。この短い期間にどんどん真選組の姿が変わっていくのを目の当たりにしてどうにもしていられなかった。でも、女中であるわたしに何ができるんだろう。心ばかりが焦るまま時間が過ぎていった。

「姫さん、伊東先生がお茶を持ってきてくれないかと」

「はい、すぐに」

彼が連れてきた『伊東派』の隊士に頼まれてお茶を持っていくとその人は縁側に座って空を眺めていた。

「伊東さん、お茶をお持ちしました」

「ああ、ありがとう。君と少し話がしたかったんだ」

「…わたしとですか?」

部屋に入った伊東さんは隙間なく襖を閉めた。座るように促されて少し距離を空けて向かいに腰を下ろした。あの日廊下で鉢合わせて以来、会話するのは初めてだ。お茶を一口飲んで射抜くような強い瞳がわたしを見た。

「君はなぜあの船にいたんだ」

「…それをわたしに尋ねるのなら、貴方にも同じ質問をして良いということですか?」

「そうだな、だが先に君の思惑が知りたい。同じ志を持つ者ならば協力したいと思っただけさ、悪いようにはしない」

「あそこへは友人がいるので旅行がてら会いに行っただけです。わたしは何も企てようと考えていません」

我ながらもう少し上手い返しが出来ないものかと呆れてしまうほどの答えだ。こういう駆け引きは本当に苦手。特にこの人は…怖い。真っ直ぐに向けられる敵意。自分以外の何も信じない人の目だ。

「あの船に友人が?ハッ、まさか『あの人』のことではないだろうな?よもや愛人か?」

「…何とでも」

「その美しさならそれも頷けるが、ますます君がここにいる意図が知れないな。初めは彼等の密偵で情報収集のために沖田君と関係を持ったのだと思ったが…どうやら違うようだ。まぁそれもそのうち終わる。真選組は僕の物になる」

ニヤリと笑うその笑顔に彼の本性を見た気がする。目的は真選組を手中に入れること。鬼兵隊と手を組んだのだ。

「土方さんに仕掛けをしたのは貴方ですか?」

「それを知ってどうするつもりだい?ただの女中の君が」

「何もできないかも知れません」

それでも、ただ黙って見ているような女じゃない。

「…貴方は周りに慕ってくれる人がたくさんいるのに寂しそうですね。…きっと真選組を手に入れても変わりませんよ、その気持ち」

そう言って立ち上がる。顔色が変わったのを見逃さなかった。それと、と見下ろしたまま声をかけた。

「わたし、ここで救護もしているんです。怪我をされたらわたしのところへ来てくださいね」

「…ああ、是非頼むよ」

今度こそ部屋を出る。足早に自分の部屋に戻って、こみ上げる涙を抑える。泣いちゃだめ。泣いたら負けだ。

「悔しい……」

あんな人に土方さんが良いようにされて真選組を奪われようとしてる。どうしよう、どうすればいいの?
総悟くんは近藤さんの次にあの人に近いところにいるから迂闊に動けない。近藤さんには伊東派の隊士が何かと用事をつけて常にぴったりと張り付いていて直接話すことも難しいだろう。
今までマークされていなかったわたしもさっきの会話で敵だと思われたに違いない。きっと伊東派の監視下に置かれるだろう。嘘でも協力すると言った方が良かったのだろうか、ぐるぐると考えても今更もう遅い。早く何とかしないと真選組が乗っ取られてしまう。わたしにできることをしなきゃ。

「姫」

音もなく襖を開けて入ってきたのは総悟くんだ。部屋の真ん中で立ちすくむわたしを抱きしめた。耳元に唇を寄せて外に漏れ出ないよう囁くように言葉を紡ぐ。

「旦那のところに行け。明日、俺は奴について武州に行くことになった。近藤さんもだ」

「総悟くん…」

「その間はお前を守ってやれねェ。頼みの土方は妖刀に喰われてあんな調子だ。山崎に送らせるからこの件が片付くまで身を潜めてろ。こんな時に残夢が来たらたまったもんじゃねぇ」

「総悟くんは大丈夫なの?近藤さんは?」

「大丈夫だ。近藤さんは俺が守る」

「…それじゃあ総悟くんのことは誰が守ってくれるの?」

「コイツだ」

隊服の胸ポケットから出てきたのはわたしが以前手渡したお守袋だった。持っててくれてるんだ。でもそれだけじゃどうしても不安だ。総悟くんが離れるのも、手が届かないところで戦いが始まるのも。それでも、送り出さなければならない。

「…わかった。土方さんはわたしが守るね」

「はあ?だからお前は自分の身を守るために大人しくしてろって話をしてんだよ。聞いてなかったのかよ」

「わたしこれでも真選組の一員だから。自分の身は自分で守れるよ」

「…説得力ねぇなぁ、」

耳元で笑う声がした。ああ、不安。行かないでって言いたい。明日、きっと伊東さんは近藤さんに刃を向けるだろう。土方さんがいない今、頼れるのは総悟くんだけ。周りの隊士さんもどれだけの人が伊東さんに取り込まれているか分からない。
戦いに行く背中を見送るのは初めてではない。これまで何度も討ち入りに行くのを見送ってきた。その度に不安で仕方なかった。月を見上げてその帰りを待っていた。でも今は、待つだけじゃない。少しでも力になりたいから。この世界でできたわたしの家族のために。

「行ってらっしゃい、絶対に無事で帰ってね」

「当たり前だろ」








次の日、武州に向かう総悟くんと近藤さんを見送って山崎さんに万事屋さんまで送って貰う約束だったけれど時間を過ぎても姿が見当たらない。探していたら屯所の外れまで来てしまった。流石にこんなところにいるはずない。引き返そうとすると話し声がした。息を潜めて様子を伺うと、恐ろしい光景がそこにあった。
山崎さんが切られ倒れている。傍らには伊東さんと、その取り巻きの隊士たち。そして……鬼兵隊の万斉さんだ。
それでも山崎さんは身体を引き摺り前に進もうとする。伊東さん達は立ち去って行った。これから武州に向かう列車に乗るはずだ。
完全に伊東さんの姿が消えたのを確認してから物陰から出て走り出す。山崎さんにとどめを刺すために刀を振り上げる万斉さんの背中目掛けて飛びついた。本当は身体を倒せれば、と思って精一杯力を込めたはずだったのにその背中はびくともしなかった。

「…感動の再会か。熱烈な抱擁でござるな、姫殿」

「お久しぶりです、万斉さん。お元気そうで良かったです」

背中にしがみついたまま言葉を交わす。山崎さんは血まみれで酷い傷だった。僅かに身体が上下して細い呼吸を繰り返している。

「こんなことを言うのは少々憚られるが…お主にはこのような場面は見せたくなかったでござる」

「わたしもです。でも…わたしたちは自分のやるべきことをしているだけです、それ以上も以下もない」

そう、わたしたちは己が正しいと思うことをしているだけだ。そっと腕を離して回り込み、山崎さんを庇うように万斉さんの目の前に立った。万斉さんは腕を振り上げたままサングラスの奥でわたしを見下ろした。

「山崎さんは充分な傷を受けています。命を奪うというならその前にわたしを斬ってください」

見つめあって暫くが経った。その刃が振り落とされる瞬間を待つのは気が遠くなるほど恐ろしかった。それでも、山崎さんを守りたい。これ以上真選組を壊させない。冷たい瞳を逸らさずに見上げ続けた。

「主は真選組ではござらん。切る理由がない」

万斉さんはそう言ってゆっくりと刀を下ろした。瞬間、ぶわっと冷や汗が出た。気迫に押された。腰が砕けそう。殺気が消えたことを感じ、背を向けて山崎さんに駆け寄る。

「山崎さん、しっかり!」

意識はない。刀傷は身体を貫通していた。酷い失血だった。微かに息が漏れる。大丈夫、まだ間に合う。そこに手を当てて力を注ぎ込む。お願い、お願い。助かって。飛び込んでくる傷の記憶を目を閉じてやり過ごす。貫かれる痛みは、誰より知ってる。

「姫殿は変わらんな。常に人の為に有ろうとする」

「違います。わたしは…失うのが怖いだけ」

手を離すとそれは綺麗になくなっていた。意識を失ってはいるけど呼吸は穏やかだった。良かった…。

「その力…鬼兵隊に欲しいと思っていたが、晋助があっさりとお主を帰した理由が分かった気がするでござる。お主は…綺麗すぎる」

「…高杉さんや皆さんはお元気ですか?」

「変わりない。木島がお主の心配をして煩いくらいか」

「良かった」

「敵の心配をしている場合ではござらんぞ。これから何が起こるか分かってるのか」

「大丈夫です。わたしたちは負けません、絶対に」

「うわあああ!姫さん、山崎さん…!」

悲鳴が聞こえた方を見ると鉄之助さんが真っ青になってこちらに向かって走って来ていた。探しに来てくれたのだろう。いつのまにか万斉さんはいなくなっていた。鉄之助さんに山崎さんを頼んで万事屋に向かった。急がなきゃ…!


万事屋に向かう途中にその人たちはいた。銀ちゃん、神楽ちゃん、新八くん、そして……、

「土方さん…!」

無事で良かった、大変なんです、近藤さんと総悟くんが、山崎さんが、真選組が……、言いたいことはたくさんあるのに何も発することができなかった。土方さんは土方さんじゃなくなっていた。わたしを見る目はいつもの強く優しい瞳じゃなかった。不安に侵された表情。声も弱々しく覇気がない。総悟くんが言っていた通りだ。

「姫、コイツは今土方であって土方じゃねぇ。何言っても無駄だ。妖刀に魂持ってかれちまった」

銀ちゃんが言う。

「そんな……土方さん」

「姫氏どうしたでござるかそんなに慌てて。まさか限定美少女フィギュアをゲットしたでござるか」

特徴的な口調でボソボソと話すこの人は確かにわたしの知る土方さんじゃなかった。

「真選組が大変なんです!このままじゃ近藤さんと総悟くんも危険なんです、戻ってきてください!」

「姫さん、土方さんは今もう違う人間なんです」

「……っ、一人じゃないって、頼ってって、言ってくれたじゃないですか…!わたしじゃみんなを守りきれないんです、土方さん…!」

土方さんの服を思い切り握る。ここにいるのに。目の前にいるのにどうして届かないの?その時、土方さんがわたしの手を取って手のひらを見た。右手は血で染まっていた。山崎さんのものだ。乾いてパリパリになっている。

「姫、悪い。こんな顔させるなんて総悟に知れたら怒られるな」

「ひじかたさ、」

一瞬、いつもの声がしたのに。顔を上げるともう別人だった。土方さんも戦っているんだ、この妖刀と。腰に下げた妖刀を鞘ごと引き抜いた。この刀が元凶なんだ。

「壊そうとしたけどダメだったネ。びくともしないアル」

「どうすれば……」

ふとひとつの可能性が頭に思い浮かぶ。わたしの力は『呪われた状態』を治すことはできるのだろうか。傷じゃない、風邪や病でもない。でもやってみる価値はある。刀を持ったまま、土方さんと名前を呼んでその心臓に手を伸ばして、触れた。

「ーーーっ!!」

その瞬間、胸からわたしの右手を伝ってバチィッ!!!と電流が流れた。手首から肘まで一本の線が入ったように裂けて血が噴き出す。ビリビリと痛みで感覚が麻痺する。

「姫!!」

「姫大丈夫アルか!?」

「酷い傷だ、早く手当てを!」

「、……っ大丈夫、土方さん、大丈夫ですよ」

「あ……あ………」

訳も分からないうちに傷つけてしまって酷く動揺している土方さんに笑いかける。だめだ、呪いはわたしじゃ解けない。
自分自身が撃ち破るしかないのだ。土方さん、どうか戻ってきて。みんな貴方を待っているんです。







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