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32.夜を食む庭へようこそ



「……っ、う…」

押し潰したような、酷く苦しそうな声で目が覚める。あたりはまだ暗い。
腕の中で眠る姫の顔を覗き込むと悲痛な表情で眉根を寄せ、閉じた目元には涙が滲んでいる。

「…っ、」

それを拭ってやりながら優しく声をかける。

「姫」

「ぃ、や……、やめて……」

「姫、大丈夫だ。俺がいる」

背中をさすりながら額や頬にキスをして何度も言い聞かせる。

「大丈夫だ」

「、いたい……っ」

「もう痛くねェ。安心しろ」

大丈夫だと呪文のように繰り返しながら胸の辺りで強く握られた拳をゆっくりと解く。柔らかな手のひらにはくっきりと爪が食い込んでいた。それを親指で撫で、指を絡ませる。

「そ、うごくん…」

「ここにいる」

「…うん、………」

涙がひとつ流れ落ちたのを最後に深呼吸すると再び眠りに落ちていった。穏やかな表情に戻った寝顔を見てホッとしつつ内心舌打ちを溢す。これで何度目だ。

高杉の元から帰ってきてからというもの、姫はよく魘されるようになった。
恐らく、奴は関係ない。きっとあちらの世界で死んだ瞬間を思い出してしまったから。

『その時』のことは、少しだが聞いた。
子どもを家に送る途中だったらしい。その男とはただの客と店員の関係で、何度かその姿を見ただけだったと。
突然向けられた強い殺意と凶器。刃物を突き立てられ橋から落とされたと溢した。想像して、腹わたが煮えくりかえりそうになる。この手で同じ目に合わせた上で苦しんで、苦しみ抜いてから死なせてェ。
殺したいほど愛してるなんて反吐が出る。
そんなの愛なんて呼ばねぇ。ただの独りよがりだ。大事なら一生、命かけて守るモンだろうが。とんだ勘違いだ、腐ってやがる。

コイツを怖い目に合わせて、穢れのない身体に傷を、痛みを与え、命さえ奪った。到底許せる事じゃない。

どれだけ怖かっただろう。
この細い身体じゃ碌に抵抗もできなかっただろう。
突然、知りもしない人間に逃げ場もなく殺されてしまう、恐怖。

その場所にもう一度向かうと決めた覚悟。強くなった。本当に。だが、一度植え付けられた恐怖は簡単に消えることはない。犯人と対峙すれば今度こそ殺されるかもしない。死ぬ恐怖をもう一度味わうのか。

「くそ……」








炬燵は魔法の道具だ。
あったかい上にみんなで入れば団欒もできる。

「失礼します、お汁粉はいかがですか」

「おう姫。ちょうど良かった、こっち来い」

近藤さんが自室とは別に使っているお部屋には炬燵がある。土方さんと総悟くんも暖まっていると聞いて、おやつにお茶とお汁粉を持って行くとなぜか土方さんだけが炬燵に入ってテレビを見ていた。あれ、おかしいな。

「近藤さんと総悟くんは一緒じゃなかったんですね」

「いや、厠」

こいこいと手招きされて遠慮なく炬燵に近づく。
すぐ戻るならと人数分のお茶とお汁粉を炬燵の台に置いて、促されるまま炬燵に足を入れてみる。ぬくぬくとした暖かさに笑みが溢れる。

「あったかい。ほっとしますね」

「なァ、出られねーよな。その上、美味い茶と汁粉も来ちまったならあとニ時間はこのままだな。こりゃ姫のせいだな」

珍しくサボり宣言をする土方さんが子どもみたいで可愛く見える。

「素敵なお正月ですね」

「だなぁ」

人肌に包まれているみたいに心地いい。
テレビからはお正月特番のバラエティが流れている。みんな煌びやかな着物を着て笑っている。平和だなぁ。なんだか眠くなってきた。

「…姫」

「えっ?」

突然低く名前を呼ばれ意識を引き戻すと、同じくテレビを見つめる土方さんがどこか真剣な声色で言った。

「元いた世界に帰るってやつ、俺ァ協力できねェ」

「……あ……は、い…」

まさかその話になるとは思ってみなかったから少しだけ胸がざわりと立った。丸くなっていた背筋が伸びる。

「いや、意地悪してぇわけじゃねーんだ。ただ…お前がいなくなるのが想像できねぇっつーか…お前と総悟が離れるのを見たくねぇ」

「土方さん…」

「アイツは姫を連れて来てから変わったよ。生意気で人を玩具にする時くらいしか他人に興味を示さなかった野郎がいつの間にか一丁前に立派な人間みてぇな面してその辺歩いてやがる。守るものができてどんどん大人の表情を覚えて、刀の迷いもなくなった。近藤さんと俺にしちゃあ喜ばしい成長だ」

だがな、と続ける。

「その分心配なんだ。離れたらどうなっちまうのか。総悟も、姫も。高杉の件で姫がいなかった間、アイツにしちゃあ冷静だったが心はずっとここになかった。中身がなくなった入れ物みたいにな。あれを繰り返すと思うと寒気がするぜ」

心配そうな表情でテレビからわたしに視線を移しリモコンに手を伸ばしてテレビを消した。静寂の中に土方さんの声が響く。

「俺からしたらお前たち2人はもうお互いに半分混ざり合っちまってるように見える。片方がなくなればもう片方も消えてなくなりそうな危うさがある。どうしても切り離せねぇ」

心配してくれている。総悟くんと、わたしを。
そんな風に思ってくれていたなんて。
土方さん、と呟いた声は、ほんの少しだけ震えた。

「わたし、こう思うんです。もう死んでるのなら、向こうでやる事を終えたら成仏しちゃうのかなーって。初めはそれでもいいと思ってた。でもここで過ごして行くうちにどんどん欲深くなって、ずっとここにいたくなっちゃったんです。それに……」

この世界でやることを見つけたから。

「総悟くんのこと頼むって土方さんに任されてるから。ミツバさんにも約束したし……、こんなに大好きなひとがたくさんいるのに大人しく帰って終わりだと思いますか?
あの時に…向こうでのわたしの人生は終わりました。だから今のわたしが生きるのは、ここです」

土方さんがハッとした表情でわたしを見た。
そう、約束した。『総悟を頼む』と頭を下げてくれた土方さんの姿を忘れたことなんてない。

「とりあえずあの子の無事を確認できたらそれでいいんです。それが済んだらまたここに来ますね。だから、待っててください。きっとまた戻ってきます。いつになるかわからないけど、絶対に。だから、その時はまたわたしを働かせてくださいね」

「……わかった。姫の気持ち、確かに受け取った。だが1人で行かせるのはどうしても心配なんだ。……もしそれで奴にまたやられたらと思うとな」

思い出されるあの人の表情。
殴られて、振り解けなかった強い腕。
夢の中で何度同じ最後を迎えただろう。

「大丈夫です。実はちょっと鍛えたんですよ、これでも」

にこりと笑って見せたけど土方さんの表情は変わらない。見透かされている。この人に強がりが通じないことはわかってる。

「………土方さん、今、頼っていいですか?」

台の上に置かれた土方さんの腕に触れた。暖かい。生きている。土方さんも、わたしも。ちゃんとここにいる。

「こわい……」

この人の前でそのたった3つの文字を口にすることができなかったのは、何を言っても絶対に受け入れてくれるってわかってるから。だから強がって平気なフリをしてた。今までずっと。
土方さんだけじゃない。ここにいる人たちみんな、優しくて、優しすぎて、縋れば全部をかけて守ってくれる気がして。でもこれはわたしが1人で戦わなきゃいけないから。心配させたくない、傷つけたくない。誰も。そう決めたはずだった。

怖い。
離れるのも、帰るのも。もう一度ここに戻れるかもわからないのに。
あの子がもう死んでいたら。救えなかったら。謝ることさえできなかったら。自分の首に刃を当てたあの人がまだ生きていたら。他の誰かを、傷つけていたら。また殺されてしまったら。

いっそのこと帰るなんてやめてしまおう。
でも、すべてに蓋をしてここにいても悪夢は消え去ってくれない。ずっと、わたしを苦しめるのだ。何度でも、ナイフがこの胸を貫き続ける呪い。このままじゃそのうち夜が来るのが怖くなる。飲まれてしまう。月の光も届かなくなって、消えてしまう。

揺れる、心が揺れる。決めたのに。何故こうも簡単に何度も揺れるんだろう。ここで手に入れたもののたったひとつでさえ失うのが怖い。

「姫」

土方さんの手がわたしの手を上から包んだ。
冷たい総悟くんの手とは対照的に、暖かい。握りしめて白くなった拳が解かれた。

「やっと本音が聞けたな」

土方さんの纏う空気が柔らかい。ほら、受け入れてくれた。強がりも不安も全部。

「さっきから聞いてりゃあ離れたらどーなるとか死んだらどーするとか、わかりもしねぇことをグダグダ考えたって仕方ねーでしょう。俺たちのこと甘く見て貰っちゃ困りやすぜ土方さん」

「そうだぞトシ。考えすぎるのはお前の悪い癖だ」

「…アンタらが楽観的すぎるからだろーが」

後ろから総悟くんと近藤さんの声がかかる。振り返ると穏やかに笑っていた。全部聞いていたのだろう。2人はわたしの肩に手を乗せた。

「姫ちゃん、大丈夫」
近藤さんが優しく言う。

「姫なら大丈夫だ」
土方さんも強い瞳で言う。

「姫が執念深いのは知ってまさァ。『守りたい』って願ってここに来たんだろ。ならもういっぺん月にでも願ってここへ来な。俺達もこっちから手立てを探す。迎えに行く」
総悟くんがのんびりと、でもはっきりとわたしに言い聞かせる。

「……わたし、1人じゃないね」

「何言ってんだ今更」

「オイお前俺たちを幽霊とでも思ってんのか?」

「姫ちゃん、いつでも俺たちを頼ってくれ。どんな小さなことでもいい。君は、1人じゃない」

「…はい」

それからみんなでお汁粉を食べた。
すっかり冷たく固くなったお餅を温め直して。底無しの甘さが身体中に溶けていった。








記憶を取り戻してから月の声は全くと言っていいほど話しかけてこなくなってしまった。帰る方法はまだ何一つわからない。
そこで銀ちゃんから『カラクリ技師』を紹介してもらうことになった。なんでも江戸一番の発明家らしい。

「まさかタイムマシン的な物を作ってもらおうってこと?」

「そーだけど?あのジジイ結構色々作れんだよ。醤油が出る木刀とか卵かけ器とか」

「本当に作れるのかなぁ………」

そんなことができれば世紀の大発見だ。
源外さんという人は大きな工房で何やら作業をしていた。銀ちゃんに紹介してもらいことの経緯を掻い摘んで話すと、腕を組んだままうーんと喉の奥で唸ったまましばらく沈黙が続いた。

「できるかもしれねぇが、恐らく成功する確率はかなり低いな」

「ジジイにしちゃあ弱気じゃねーか」

「タイムマシンなら似たようなモンを作ったことがあるが…次元が違うとなると勝手が違ってくる。やってはみるが…時間がかかりそうだ」

「構いません。どうか引き受けてくださいませんか?お礼は精一杯させていただきます」

源外さんはゴーグルの奥でじっとわたしを見つめた。

「こんないい女に頼まれたんじゃあ断る理由はねーが…そんなにこの世界が嫌かい」

「違います。この世界にいたいから帰るんです。忘れ物しちゃったのでちょっと取りに行くだけです」

「姫、お前なぁ、気軽に言うけどちょっとどころじゃねーぞ」

「ハッハッハッ!忘れ物取りにわざわざ次元越える人間なんざ初めて見たぜ。嬢ちゃん、次元超えてまで何を取りに行くんだ?」

「…命」

笑って明るく言ったつもりだったのに銀ちゃんと源外さんは凍りついてしまった。

「姫ちゃん…なんか強くなったな」

アイツらん中にいれば当然か、と言う銀ちゃんは源外さんともう少し話があるみたいでわたしは工房の中をブラブラして待っていると、ふと外から子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきた。
遊んでいるのかな。何となしに外に出てみると、ちょうど向こう側から歩いてきた人とぶつかってしまう。いけない、よそ見してた。

「すみません」

男の人だった。見上げるほど背の高い、全身を隠すように長い黒いコートを着ていた。その人はよろけたわたしの腕を掴んだ。そこは、以前にも同じように掴まれたことがある。強く、強く、折れそうになるほどに。そう、今まさにその強さで。あの指の感触を思い出しそう。嫌だな、早く工房に入ろう。

「あの、もう………」

一向に離す気配のないその人の顔を見上げて息を呑んだ。同時に全身から血の気が引いていく。

あのひとに似てる、

違う、あのひとじゃない。
顔も、背格好も、体つきも全然違う。なのになぜ、

「……見ィつけた」

わたしの知ってる目をするの


「君の『雫』はとても強くなったね。美しい光に引き寄せられてついこんなところまで来てしまったよ……本当によく『あの子』に似ている。彼女の雫の破片を見事に受け継いだね」

「…あなたは、残夢…なの?それとも、」

「おや、忘れてしまったのかな?『向こう側』で約束してくれたじゃないか」

手がふりほどけない、いたい

「『2人だけの世界で、ひとつになって永遠を生きよう』って………」

その言葉を聞くのは二度目だった。
薄く笑う瞳が虚無を見てる。
目が合っているのにわたしを見てない。
わたしの瞳のずっと向こう側をみてる、
その目を知ってる。
むねがズキズキといたい





「姫!」

気がつくと銀ちゃんが青ざめた顔でわたしの肩を掴んで揺さぶっていた。どれくらいぼうっとしていんだろう。もうあのひとはいなかった。夢?右腕を見ると、手の形がついて酷く赤くなっていた。途端に激しい目眩に襲われる。世界が歪んで立っていられない。

「この腕どうしたんだ。誰にやられた?」

「………銀ちゃん…」

大丈夫、大丈夫。
総悟くんたちが言ってくれた言葉を繰り返す。

「大丈夫…、」









title by 失青