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27.残れば甘い傷になる






高松さんの診療所を訪れるのは鬼兵隊の船に乗る前だからもうひと月振りになる。
賑やかな町並みからひとつ通りを外れて一層静かな敷地に足を踏み入れると、人が住んでいる気配が消えて冷たい空気が頬を刺した。
十二月に入ったばかりなのに今日はひどく冷える。

「こんにちは」

いつものようにコンコンと扉を叩いてから玄関を開けると、廊下の向こうから男性が現れた。話に聞いていた息子さんだろう。

「どちら様でしょう」

「あの…わたし高松先生の診療所でお手伝いをさせて頂いている姫と申します。高松さんのお加減は如何でしょうか」

挨拶をすると男性はハッとして、少しの間の後に優しく微笑んだ。


「ああ…そうですか、貴女が……。
父は…亡くなりました。つい二週間前のことです」


「…え…………」

「真選組の方には一報入れ葬儀にも来てくださいました。姫さんは遠い故郷に帰っていたと聞いております。こちらから改めて挨拶もせず申し訳ない。ちょうど遺品の整理をしていたところです。お上がり下さい」


お昼前、高松さんのお見舞いに行くと言った時に総悟くんが何とも言えない複雑な表情をしたのはこのためだったんだ。
総悟くんだけじゃない、みんな知っていたはずだ。
でも誰も何も言わずいつも通りだった。


息子さんに促されて鉛のように重たくなった身体を引き摺るように歩いてやっとの思いでついて行く。
高松さんがいつも横になっていた部屋に足を踏み入れると、本棚の本や書物が殆ど出されて積み上げられていた。

奥に仏壇と遺影がある。写真の中の高松さんは白髭を蓄えたいつもの笑顔ではなくて少し若い頃の、威厳のある表情をしていた。息子さんとよく似てる。
遺影の前に座り震える手で線香に火を灯して手を合わせた。

ーーごめんなさい。何もお返しできないまま、お別れになってしまうなんて。

この世界で得た医療の知識や精神は殆ど高松さんが与えてくれたものだ。そのお陰でわたしは真選組の隊士さんの手当てができる。居場所と役割を持てた。


「父がよく貴女の話をしていましたよ。若くて美しいのに、なぜこんな泥くさい仕事に興味が湧いたのかと始めは不思議がっていましたが…。
そのうち娘の成長を見るかのように、知識を広げ手際が良くなるのを見るのが楽しみだと言っていました」

「そうですか……」

「まあ娘なんて年齢でもないですね、孫のようなものだったと思います。…ああ、孫と言えば」

ちょうど部屋に若い男性がお茶を持って入ってきた。キリッとした目元に黒髪がよく似合う、爽やかな青年だ。

「私の息子、高松清次郎です」

「…初めまして。清次郎です」

「姫と申します。この度は…」

「そんな固くならずに。ただの医者見習いです。田舎でわたしの助手をさせています」

「……高松さん、お孫さんがいらっしゃったのですね。息子さんにお嫁さんを探していると話していたことがあったのでてっきり…」

「ははは、あの人は誰にでも女性を勧めたがるんです。それも若い女性を。
早くに妻を…私の母を亡くして寂しかったのでしょう。私は勿論既婚です。清次郎は未婚ですが」

「ふふ、高松さん、真選組の局長である近藤さんのお嫁さんも探していましたよ」

「全く困ったもんです。ご迷惑だったでしょう」

「いいえ、そんな…」

「この部屋の物はどうぞ自由にお持ち帰り下さい。本が多くて処分に困っているんです。まだ暫くここに滞在していますから、いつでもいらして下さい」

「ありがとうございます」




帰り際、清次郎さんが玄関口まで送ってくれた。
物静かな人なのだろうか、ほとんど会話はなかった。

「…姫さん、とお呼びして良いでしょうか」

「はい」

頭を下げて外に出ようとした時、ずっと無言だった清次郎さんが声をかけてきたのは意外だった。低く、澄んだ声だった。

「宜しければこれをお持ち下さい。風邪を引かれませんよう」

「これ……」

差し出されたのは手袋だった。
確かに今日は特に寒い。羽織を着ているけれど外気に触れた指先はもう冷たくなっていた。

「よかったらまた来てくれませんか」

手袋から顔を上げると思った以上に真っ直ぐに見つめられていて驚く。真面目な、凛とした雰囲気のある人だと思った。まさに今日のような冬の張り詰めた空気が似合う。

「…はい。また伺います」


手袋を受け取って今度こそ屋敷を出た。












「姫さん、お帰りなさいっス!外は冷えたでしょう。さっ、中へどうぞ!」

「鉄之助さん、ただいま戻りました」

「鉄って呼んでください!寒くないっスか?お茶煎れましょうか!」

「いえ鉄さん、それはわたしの仕事なので……」

「いえいえ姫さん!土方副長の小姓、この佐々木鉄之助!沖田隊長の恋人なら隊長と同じ対応をして当然っス!何かお役に立ちたいっス!」

「えっと……」

「オイボンクラ。あんまりコイツを困らせんじゃねェ。てめーは野郎のマヨネーズの数でも数えてな」

「沖田隊長!」

「総悟くん、ただいま」

「遅かったな。迎えに出るところだったぜィ」

ドキリと胸が弾む。
高松さんの訃報を知って涙を引かせるのに屯所の前で何往復もうろうろしていたから遅くなってしまった。

「では俺はこれで失礼します!」

「はい、鉄さん」

鉄さんはわたしが留守にしている間に真選組に入ってきた新人さんで、土方さんの小姓をしながら日々鍛錬に励んでいるらしい。
わたしにもなにかと用事を聞いてくれるのだけど、わたしにとっては立派な隊士さんだから逆に用事を聞きたいくらいだ。真選組に帰ってからというもの、コントさながらにお互い用事を聞き合っている。


手袋を取りながら部屋に向かって歩きだすと総悟くんもついてきた。

「それ、どうした?」

「高松さんのお孫さんが親切に貸してくれたの。冷えるからって」

男性用の手袋はぶかぶかだったけどお陰でとても暖かかった。

「…あの若い男か」

「会ったことあるの?……もしかしてお葬式で?」

「…ジジイのこと言わなくて悪かった」

「いいの。気遣ってくれてありがとう」

部屋に入って外出用の羽織を脱いでかけると後ろから抱き締められて目元に唇が落とされた。気付いてたんだ。もしかして迎えに来なかったのは、少しだけ一人で泣く時間を作ってくれたのだろうか。…なんて都合のいい話だけど感の良い総悟くんならあり得る気がした。


「冷えたな」

「総悟くんあったかい。湯たんぽみたい」

「……アレ、返しに行くのか」

「え?うん…高松さんの本、処分しちゃうからまた見に来てって言われてるからついでに」

答えるとしばらく無言が続いた。
あれ?どうしたんだろう。

「行くな」

「えっ?」

総悟くんらしくない言い方だった。
抱きしめる腕から抜け出して正面を向いて顔を見てもその心情は窺えなかった。

「どうしたの?」

「…いや、なんでもねぇ」


無言で唇が落ちてくる。
ぎゅっと背中に腕を回して受け入れた。

「大丈夫だよ。次に行ったらもう用事はないから」

「そうだな」

「…ねぇ総悟くん、鉄さんと土方さんは上手くやってるのかな?」

「見た通りあのボンクラが一人で空回って野郎の周り引っ掻き回してるだけでさァ。いい気味だけどな」

「はやく一人前になれるといいね。ああ見えて土方さん面倒見いいから素敵なコンビになるかも」

「どうだか」

話題を変えてみるといつも通りの総悟くんだった。
さっきのはなんだったんだろう。
なんでもないと言っていたから大したことじゃないのかもしれないけど、何となく引っ掛かった。

「姫」

「ん?なに?」

「何考えてる?」

「総悟くんのことだよ。どうしたらこんなに綺麗なミルクティ色の髪になるの?」

「ガキの頃ミルクティ飲みまくった」

「えっ!ほんと?すごい!」

「ンなわけねーだろ」

「なんだ……もう、わたしもミルクティいっぱい飲めば綺麗な色になれるかなって思ったのに」

「十分綺麗だろーが。贅沢な悩みだな」

「違うの、総悟くんと一緒がいいの。総悟くんの髪だからいいなって思ったの」

「俺は姫のこの髪が気に入ってる。変えんな」

「ふふ、うん」

「キスしていいか?」

「?もちろん………っ!」

キスなんてついさっきもしたしいつも何も言わずに触れてくるのに、していいかなんて聞かれることに違和感を感じた。
しかも少し強引に荒々しく口腔内を責めてくる。突然の激しいキスをされるがまま受け入れていると着物の帯を解く感覚がする。

「…っ、総悟くん…?」

「……姫」

やっぱり何か様子がおかしい気がする。
そう思うけど余裕無さそうに熱い瞳で見つめてくる彼を受け入れながら肌に触れた手のひらにそんな疑問は抜け落ちていった。












「姫さん、来てくださったのですね」

「こんにちは、清次郎さん」

数日後、わたしは再び高松さんのお屋敷を訪れた。
高松さんのお部屋はだいぶ片付けられてすっきりとしていた。端に積み上げられた本を捲っていると清次郎さんがお茶を淹れてきてくれた。

「ありがとうございます」

「すっかり冷えてきましたね。じきに雪が舞うかもしれませんね」

「本当ですね。江戸の雪は初めてなので楽しみです」

あ、そうだ…。
手提げから手袋と小さな包みを取り出して差し出す。

「先日はありがとうございました。お陰で暖かったです」

「いえ…これは……?」

「お礼の気持ちです。よろしければ召し上がってください。紅茶のクッキーです」

「…ありがとうございます。父が戻ったら頂きます」

「今日はお父様は…?」

「役所に出ております。この家のこともですが、色々と手続きがあるようです」

「そうですか…お辛いことがあった中、大変ですね」

「…姫さんは、なぜ祖父の元で医学の勉強を?」

「わたしは今真選組でお世話になっているのですが、怪我をして戻ってくる隊士の皆さんを見て少しでもお役に立てたらと思って…」

「それはそれは…。しかし真選組となれば専任の医者がいるのではないですか?祖父もその一人でした。わざわざ貴女が一から学ぶ必要が?」

今日の清次郎さんはこの間とは人が違うかのようによく話す。しかも、少しだけ強い言い回しだ。女性で医学を学ぶのは珍しいのだろうか。それとも、好奇心か。


「……そうですね、さっきのは建前です。
本音を言うと…役割が欲しかったんです。真選組に拾って貰ってその上に女中のお仕事も頂いて。
でも、優しさを与えられるだけじゃダメだと思ったんです。わたしにしかできない役割があればずっと真選組に置いてもらえるんじゃないかって……子どもみたいですね」

「そんなことありませんよ。胸の内を曝け出す事は勇気が要ることです。貴女は…容姿だけではなく心も美しいのですね。意地悪な質問をしてしまってすみません」

「……清次郎さんはどうして医学の道を?」

「姫さんにお伝えするのが恥ずかしいほどに単純です。祖父や父が人の命を繋ぐ様を見て幼少の頃から私のゆく道はここだと思っただけです」

「それも立派な理由です。決めた道を貫くことは大きな決意が必要ですから…」

「…少し、庭に出ませんか。祖父が育てていた花を貴女に見て欲しい」






「わあ…!綺麗……」

屋敷の庭にある小さな花壇には真っ赤な椿がたくさん咲いていた。

「祖父が伏せてから世話をしていたのは父ですが…祖父の好きだった花です。見せてあげられなかったのが残念です。思った通り、美しい貴女によく似合う」

「あの…さっきのお話ですが…。
容姿や外見はただの入れ物に過ぎません。内から出る美しさは、誰の心にも始めから備わっているものです。わたしには人を救うために医者の道を志す清次郎さんが美しく見えます」

「……そうですね。ただそのような話を聞くと益々貴女が美しいと思ってしまうのです。不思議ですね」

清次郎さんはひとつだけ地面に落ちた椿を手に取ってわたしの両手に乗せた。風に飛ばされて落ちたのだろうか。傷つかず綺麗なままだ。
ふと、清二郎さんの手がわたしの両手を包んだ。
剣を握ったことのない、繊細で綺麗な手だなぁと頭の隅で思った。

椿から視線を上げると清次郎さんは真っ直ぐにわたしを見ていた。手袋を貸して貰った時のようだ。綺麗な目に思わず息を飲む。


「まだ知り合って間もないのに無粋なことを口走ることをどうかお許しください。私は……僕は、貴女に惹かれています。



…週明けには武州に戻ります。もし少しでも僕のことを想ってくださるなら、一緒に来てくれませんか」