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23.哀しいくらいの秋でいい








『危ないところだったね』

『命を蘇らせてはいけないよ』

『彼女は月の雫を奪われてしまった』

『私たちは月が溢した一雫の涙』

『君はわたしたちが最後に残したもの』

『奴が探しているよ、気をつけて』

『私たちの遠い遠い星の子どもよ………』












万斉に抱えられ看板に連れ出された姫の身体は月明かりがよく当たるところに下ろされた。夜に浮かぶ満月は大きく、不気味なほどに輝いている。


「これは……!?」


光に照らされた姫の胸の辺りが柔らかく光を持ち始める。高杉が姫の着物の合わせ目を広げると、そこには古い刺し傷があった。刃物によるものだ。それが淡く光を持っている。それはだんだんと広がり彼女の身体を包み込むと、やがて蛍の光のように消えていく。

そして、彼女の瞳はゆっくりと月を映した。


「交渉成立だ」


高杉が口角を上げて呟いた。














「また子さーん!見てみて、船が浮いてる!」

「はしゃいでないで手を動かすッス!ったく…起きたら起きたで鬱陶しいッスね」

「ラピュタみたい…どうやって浮いてるのかな?」

「呑気でいいッスねアンタは」

「また子さん、姫って呼んで欲しいな」

「サブイボ出るから無理。掃除頼んだッスよ」

プイッと顔をそらされてまた子さんは船の奥へ行ってしまった。

あれから高杉さんから船の中を自由に歩いていいと許可が下りて、船内の雑用から掃除、食事の用意を手伝ったりして女中の仕事をしていた時のように動いていた。

部屋の中に1人できりでいると寂しくて仕方なくなる。
高杉晋助率いる鬼兵隊は最も危険なテロリストだと真選組のみんなに言われていたけれど、いざ中に入ってしまうと戦いのない日は拍子抜けするほどに平和な雰囲気で、さすがの高杉さんも常にピリピリしているのではなさそうだ。人間味があっていいな、と思うのは失礼だろうか。

数日前に力を使って重傷の怪我を治して元気になった隊員たちが部屋に詰めかけてきて一斉に頭を下げてきた時は驚いた。
これでまた鬼兵隊の役に立てる…と溢した微笑みに、胸が痛んだ。わたしはあの歴史を繰り返してはいないだろうか。正しく使えているのだろうか。不安に押し潰されそうだ。でももう立ち止まれない。



ーー高杉さんと交わした約束は、とてもシンプルなものだった。


『わたしは江戸とか真選組とか関係なくここに来ました。人質ではなく個人としてお話ししたいです』

『条件を言ってみろ』

『この船にいる間は力をお貸しします。その代わり、調べて欲しいことがあります。ーーアレス族を滅ぼした人が誰なのかを知りたいんです』



高杉さんはこれを承諾した。
そういうわけでわたしは客人として暫くこの船に留まることになった。

廊下の窓を覗くと青い空が広がっている。
高杉さんにはアレス族を知る人に心当たりがあるらしく、その人に会うために宇宙に向かうことになったのだ。

下にはわたしが住んでいた江戸や地上の町が見える。小さくなっていくそれに、ああどんどん彼がいる場所が離れてしまうなぁと実感して針を刺したように胸がチクリと痛む。

「総悟くん、元気かな」

「ほう…姫殿は真選組随一の剣士、一番隊隊長沖田総悟の女であったか」

「ば、万斉さん…聞いてました?」

「しっかりと聞いたでござるよ。お主はどこにいてもいい音を奏でているでござるな」

「音?ですか、」

「拙者には魂の歌が聞こえるのさ」

「?……あ、ピアノなら少し弾けますよ、わたし」

鬼兵隊の中でも万斉さんは特に不思議な人だ。
表情が読み取れなくて怖いと思ったけれど、話すうちに声色や話し方は穏やかなことに気づいた。そしてそのサングラスの奥の瞳はしっかりとわたしを見てくれている。きっとこの人は優しい人なんだろうな。

でも、『人斬り万斉』という異名を象徴するかのように背中には三味線に見せかけた刀を持っている。また子さんも二丁の銃を肌身離さず身に付けている。鬼兵隊幹部としていつでも戦えるようにしているんだ。

「そうか、では拙者の暇つぶしに付き合ってくれぬか」

万斉さんの後を着いていき、厚いドアが開くとそこは音楽関係の機械がたくさん並んでいてどこかのスタジオのような光景が広がっていた。

「わ……すごい!」

「趣味の部屋でござる」

「ここでお通ちゃんの曲が作られているんですね」

万斉さんに続いて部屋にお邪魔して珍しい機材を眺めていると、キーボードが目に入る。人差し指で鍵盤をひとつ押すと、ポーンと懐かしい音が鳴った。
元の世界にあるわたしの部屋に置かれたピアノは、もう何年も弾いてあげられていないなぁと懐かしくなる。


窓辺に座った万斉さんが三味線を弾きはじめた。
三味線の音を生で聴くのは初めてだ。心地よくゆったりと響いていた音が心を落ち着かせる。しばらく耳を傾けていると、曲調が変わった。
二曲目に入ったみたいでそのうちリズムが速くなって迫力が増していく。

あ、この曲知ってる。お通ちゃんが送ってくれたCDに入っていた代表曲だ。
同じ楽器で奏でているのに雰囲気が全然違う、すごい。


軽快に撥を鳴らす万斉さんは表情が変わらないように見えるけどなんだか楽しそう。
そうだ、ピアノだって最初は楽しくて仕方なかった。部屋で練習しているとお母さんがバイオリンを持って現れて、一緒に弾いたっけ……。それをお父さんが聞きにきてくれた。楽しかった大切な思い出を、忘れていた。

万斉さんと目が合って、キーボードの上に置いた指が無意識に動いた。





「…武市先輩、なんか音が聞こえないッスか」

「差し詰め万斉殿の三味線でしょう」

「いや、三味線だけじゃなくて…」

「……おや……これはこれは…随分と船に相応しくない愉しげな音楽ですね」













夜、甲板に出てぼうっと月を眺めていた。
宙を浮いている船が揺れるのが怖くて床に体操座りしていると、風に乗って紫煙の香りがする。 

「月からの迎えでも待っているのか?」

振り返ると高杉さんが煙管を片手に立っていた。


「…はい、お陰様でいろいろと思い出しました」

「その胸の傷はどこのどいつにやられた?刃物でひと突きたァ、随分と好かれたようだなァ」

「ただのストーカーです。でも…このお陰でここに来れました」

高松さんが言っていた最後の宿題。
『その傷から何を失って何を得た?』
全て思い出した今だから言える。

この傷はわたしから日常と命を奪った。
そしてこの世界で生きる新たな命とアレス族の力を得た。
あのまま易々と殺されたままではいられなかった。死にたくない、あの子を守りたいと願ったから月の神様がアレス族の力を与えてくれたんだ。
アレス族のことを知ってから、彼らを滅ぼした人のことが気になって頭を離れなかった。最後まで知らなければいけない気がした。誰かに引き寄せられている気がするくらいに。

そういえば、

「総悟くんが高杉さんに貸したものがあるって言ってたっけ……」

借りたというか貸したというか…と言葉を濁していたあれはなんだったんだろう。

「……あァ、こいつのことか」

高杉さんは前に立つと肩を押してわたしを床に押し倒した。

「きゃっ…、」

月を背負った隻眼の男がわたしの上にいる。

その手でわたしの首筋に爪を立てた。そこは、初めて会ったときに彼が唇を落とした場所だった。

「あ………」

そうか、総悟くんはそれを言っていたのか。

……ちょっと待って、この状況は、まずい。
体を起こそうとしても、肩を縫い付けた片腕はびくともしない。

「ちょっと、重いです…高杉さん」

「一番隊のガキの女だったか。副長の方だと思っていたが……まあどっちでも構いやしねェ」

喉の奥でクク、と笑いながら高杉さんの顔が首筋に降りてくる。同じ場所を舌で舐め上げられて、ぞわっと全身の毛が逆立つ。

「っ、高杉さ……!」

反射的に押し返そうとして右手が高杉さんの頭辺りに触れ、包帯を掠めた。隠された左目に近いところだった。指先がチリ、と痺れて反射的に目を閉じると、あるはずのない荒野が広がる。


目の前には体を縛られた長髪の男性が座っていた。
その人の後ろに現れた白い羽織を着た銀髪の若い男の人…が、次の瞬間には男性の首を斬り落としていた。その横顔は涙で濡れて……目の前が真っ暗になり光を失った。それは左目の最後の記憶だった。

「銀……ちゃん…?」

呟くと、高杉さんの動きが止まった。
わたしの手が高杉さんの左目に近いところに触れていることに気づいて、引き剥がされた。

「見たのか」

「どうして………」

高杉さんの左目に彼がいるの?

「ただの腐れ縁だ」

吐き捨てるように言うけれど、わたしの腕を掴む高杉さんの掌から断片的な映像が逆流するように流れてくる。振り払おうとすればできたのにそうしなかったのは、記憶の中の幼い高杉さんが普通の少年のように笑ったり怒ったりしていたから。
その多くに銀ちゃんや桂さんがいた。そしてその中心に、首をはねられたあの男性の姿があった。


そうか……。

ーーこの人は長い間ずっと治らない怪我をしているんだ。
ボロボロになった心が、痛いと悲鳴をあげている。
治してくれと叫んでる。
それは、彼が成そうとしていることの原点だった。

「…なぜ泣くんだ」

「高杉さんが泣かないから……」


でも、わたしにこの傷を治す資格はない。
彼もそれを望まない。

彼が望むのは、目や心に負った傷の再生ではない。

知らなかった、いつもヘラヘラしてる銀ちゃんがこんなに哀しい過去を持って生きてきたこと。
桂さんがなぜ反政府の思想を持っているのかも。
高杉さんが江戸を吹っ飛ばすと言っていたその訳を。

抱えた大きな心の傷を、彼らなりのやり方で癒そうとしているのだ。痛みや傷は、彼らにとって原動力なのだ。


高杉さんに押し倒された体制のまま涙がどんどん溢れて出てきては重力に向かって頬を流れ落ちていく。


「勝手に見てごめんなさい…」

高杉さんは無言でわたしを見下ろしていた。
この人は、本当は誰よりも…………。


「姫」

その日、出会って初めて高杉さんがわたしの名前を呼んだ。