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18.アイスブルーに希望を託して








「あら?姫ちゃんどうしたの?今日はお休みでしょ?」

「あれ?そうでしたっけ…?」

いつものように食堂に行くと同じく出勤してきたおばちゃん達が仕込みに取り掛かろうとしているところだった。
今日は朝食当番のはずだ。お休みなんて聞いていたっけ?

「昨日沖田さんが姫ちゃん休みにしてくれって言いに来たのよ。本人から聞いてない?」

「ええ?もう、総悟くんったら…お休みありがとうございます!よろしくお願いします」


何も聞いてないよ…どういうこと?
混乱する頭で食堂を出ようとすると「楽しんでね〜」と和やかに手を振って見送られてしまった。デートだと思われているのかな、恥ずかしい。

ここの女中さんたちは親世代くらい歳が離れているけど厳しくされることは全くなく丁寧に仕事を教えてくれて本当にいい人ばかりだ。環境に恵まれているなぁとつくづく思う。好意に感謝しながらわたしの休みを直談判した本人の部屋を訪ねると案の定まだ夢の中だった。


そっと部屋の中に入って膝をつきその寝顔をのぞき込むと、整った顔の持ち主が無防備に目を閉じてすうすう寝息をたてている。寝顔を見てぎゅっと抱きしめたいくらい可愛い、と思うし、目眩がするくらい格好良く見える時もある。

二十歳前の男の人はみんなこうなのだろうか。周りの人に悪戯をしてニヤニヤと楽しそうにしている姿は無邪気な少年の名残を思わせる。だがひとたび刀を握れば恐れる事なく命のやり取りに身を投じて行く。目まぐるしく変わるその表情に惹きつけられるようになったのはいつの頃だったか。歳は変わらないはずなのに、大人と同じくらいに多くのものを軽々と背負って歩いている。

出逢ってしばらくして引き寄せられるように同じ時を過ごすようになると、呆れや冷ややかな眼差しの中に時折優しい微笑みを向けられるようになり、ふとした時の穏やかな笑顔にまんまと落とされてしまった。
これが彼なりの女の落とし方だとしたら100点満点の大成功だ。広い大地の中でたったひとつだけ掘った落とし穴に嵌ったかのようにわたしはまんまと彼の手の中というわけだ。


この人がわたしを好きなんて都合のいい夢なんじゃないかと思うほどに現実離れした幸せがここにある。
無意識に耳に付けられたピアスに指を這わせると、小さな花の飾りの感触が主張する。そしてあの日のことを思い出すのだ。彼に対する気持ちに恋という名をつけた夜のこと、異性に初めて好きだと想いを告げた痺れるような甘い時間を。
親に言われるがままの道を辿り平凡に生きてきた自分が縁もゆかりもないこの世界でこんな風に愛おしさを噛みしめながら好きな人の寝顔を眺める未来を、一体誰が予想しただろう。


少し伸びてきたミルクティ色の前髪をさらりと撫でて、現れたおでこに唇を当てると「そこは口だろ」と突然声を発した。
思わず離れようとすると腕を引かれて彼を押し潰さないように両手を畳につけば、総悟くんを押し倒しているような格好になってしまった。

「おーいい眺め。たまには逆もアリだな」

「いつから起きてたの?騙されたよ」

「警察が不法侵入者に気付かずスヤスヤ寝てるはずねぇ」

「不法侵入じゃないもん…勝手に入るのなんて総悟くんの部屋だけだよ」

拗ねたように答えると、熱の籠もった瞳を細めてじっと見つめられる。キスしろという合図だとわかってしまうほどには彼と唇を重ねてきた。後頭部に手を回されその指が髪の感触を確かめるのは、それが深くなる前触れだということも、わかっている。

「…ふ……っ、ん……」

「舌出しな」

薄目を開けて指示通り舌先を出せば、すぐに絡め取られ呼吸が満足にできなくなるほどに追い詰められる。形をとるように指が耳を掠めて下がり首筋をなぞられて一気に身体に熱が広がる。そもそもなぜ彼の部屋に来たのか頭から抜け落ちてしまいそうになる。深い欲情の波に飲み込まれてしまいそうだ。


「、待って……っ、はぁ、」

その骨張った手が次に向かう場所を知っている。腰の帯締めを解かれ帯を取られるのを拒否しなければ全てを彼に見せることを許したのと同じだ。
普段は飄々としてクールな素振りを見せているがこうなった時の総悟くんはどこまでも貪欲に求めてくる。
このままだと完全に流されてしまう。ちょっと待ってと厚い胸板を両手で押し返した。全くびくともしなかったが、意思が伝わったのか動きが止まった。


「…ね、今日わたしお休みなの、どうして?」

「俺も非番になった。出かけるから支度しな」

「っ、くすぐったいよ…!……って、お出かけ?」

身体はくっついたまま総悟くんが耳元で話すからぞわぞわとくすぐったくて仕方ない。その中で聞こえた出かけるという言葉の意味をゆっくりと咀嚼して飲み込むと、つい今まで離れようとしていたのに嬉しくてぎゅっと抱きついた。久しぶりのお出かけだ!


「嬉しい!総悟くんありがとう!」

「とは言え姫が起こしに来たお陰でまだ早ェ。丁度いいから軽い運動でもしていくか」

再び総悟くんの手がわたしの着物に伸びるけど、わたしの頭はもうお出かけのことでいっぱいだ。

「歩けなくなっちゃうから、だめ」

「………事が終わってから言うべきだった」


総悟くんは呆れた様子で体を起こして布団を畳みはじめたのでわたしも部屋に戻って準備することにした。
爽やかな青をベースにした桔梗の柄の着物に着替えて、仕事用に軽く括った髪も一度解いてサイドを少し編み込んでからアップにして簪をさした。どちらも、いつか総悟くんが連れていってくれた呉服屋さんで彼が選んだ物だ。
少しだけ気合いを入れてお化粧をすると、思いっきり浮かれて頬が緩んでいる自分と目が合った。


準備ができたら玄関口で、と言い合っていたので向かっていると近藤さんとすれ違う。胴着姿で汗を拭いている。きっとこれから汗を流しに行くのだろう。

「近藤さん、おはようございます」

「おお、姫ちゃんおはよう、総悟と出かけるのかい?随分早いなぁ」

「えーと…早く起きてしまって……」

朝っぱらからばっちりめかし込んだ姿を見られてしまった。近藤さんは気にしている様子はないが顔に熱が上がってくる。

「ちゃんと門限までに帰ってくるんだよ!総悟にも言っといてくれ!パパ待ってるからね!」

門限なんてあっただろうか。
気をつけてなー!とお父さんみたいに送り出してくれた近藤さんに手を振って玄関に行くと、総悟くんが待っていた。服装を見て足が止まる。てっきり隊服だと思っていた。


「総悟くん、私服…だね…」

「非番だからなァ」

「デートみたいだね」

「デート以外の何をするつもりなんでィ」

「格好いいね……」

「……いつまでも立ってないで早く隣に来なせェ」

距離を取ったまま足を留めて見惚れているわたしに焦れて手を伸ばしてくれる彼の手を取って、屯所を出た。









「おばちゃん、団子くだせェ」

「あら沖田さんいらっしゃい。今日は随分と早いじゃない……おやまぁ、これは珍しいお客さんだね」

総悟くん行きつけの団子屋さんに入ると、優しそうなお婆さんが店の奥から顔を出した。
隣に立つわたしと目が合うと驚いたような声を出したがすぐにニコッと人の良さそうな笑顔を見せた。
わたしも頭を下げて挨拶する。この世界に来てしばらく寝たきりだった時に彼から『団子屋のおばちゃんの話』を聞いた事があったので、ここがそうなんだと物珍しげに店内を見渡しながら総悟くんに続いて腰を下ろした。

夫婦で切り盛りしているのか、奥から微かに話し声がした。年季の入った柱に取り付けられた風鈴が、風に揺れてその度にチリンと音を鳴らした。甘いお団子の匂いが鼻腔をくすぐる。どこか懐かしくて落ち着く雰囲気のお店だ。

「素敵なお店だね。見回りの日はよく来るの?」

「まあな。江戸に来た頃から世話になってるんでィ。今じゃ万事屋の旦那の方が常連で、やれ新メニューは団子に氷砂糖をトッピングしろだのタレじゃなくて練乳をかけろだの好き勝手に注文つけてらぁ」

「ふふ、思い浮かぶなぁ」


「はいお待ちどうさま」

美味しそうなみたらし団子とお茶が置かれ、お婆さんが正面からわたしと向き合って頭を下げた。奥から店主であろうお爺さんも出てきて頭を下げてくる。

「私たち夫婦でこの団子屋を営んでおります。沖田さんや真選組のみなさんには以前から贔屓にして頂いているんですよ」

「あ…姫と申します。よろしくお願いします」

畏って挨拶してくれるお婆さんに驚いて慌ててわたしも頭を下げた。

「おばちゃん、姫はただの一般人ですぜ」

「あらそうなのかい?偉い別嬪さんだからどこかの御令嬢かと思ったよ」

なぁんだ、とニコニコしながらお茶をすすめてくれた。頂きますと湯呑みに手を伸ばす。

「沖田さんが近々祝言を挙げるんじゃないかって噂になっているよ。なんでも若いお嫁さんが真選組で花嫁修行してるって」

「えっ!祝言って……」

結婚、のことだろうか。そんな噂になってるなんて知らなかった。


「その噂、別に否定しなくていいですぜ。そのうち本当にするかもしれないんで」

お団子を頬張りながらしれっと言う総悟くんに、老夫婦は顔を見合わせてあっはっはと笑った。わたしは顔を真っ赤にして両手で顔を覆うしかなかった。

「総悟くん…恥ずかしい…」

「俺は最初からそのつもりでアンタと……」

「もうやめて…!」


「随分と仲良くなったんだねぇ。沖田さんからよく話を聞いていたから、連れてきてくれるのを待っていたんだよ」

「わたしの話をですか?」

「そうそう、どうやったら意中の人を射止められるかって頭抱えてたね。あんなに悩んでいる姿は初めて見たよ」

その姿がその辺の子どもみたいでかわいくてねぇ、と揶揄うように笑うお婆さん。いい関係なんだろうな。


「おばちゃん、それは言っちゃいけねェ話でさァ。俺の立場がなくなっちまう」

気まずそうに目を逸らして風鈴を見つめる総悟くん。まさかそんなことがあったなんて、意外だ。普段の振る舞いからして悩みとは無縁だと思っていたから。


「そうだったの?悩んでくれてありがとう」

「…そういうところが悩みの種なんでィ」


「話の通り、可愛らしいお人だね。こりゃ本当に祝言も近そうだなぁ」

お爺さんの言葉にまた顔が赤くなった。







「じゃあまた来やす」

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」

「待ってるわね。姫さんもまた来てね」

「はい。また」


お団子を包んでもらってお店を出た。
総悟くんは行く宛があるようでわたしの手を引いて歩いている。

「楽しかったね」

「最近は立ち寄る度に彼女を連れて来いってうるさかったから丁度良かったでさァ」

「総悟くんのお知り合いに紹介してもらえてすごく嬉しい」

「江戸中に自慢してやろうか?」

「い、いいです…」


「そういや最近あのジジイのところ行ってんのか」

「高松さんの診療所のこと?…少し体調悪くしていて、しばらくお休みだよ。『次までにブラックジャック全巻読んできなさい』って宿題出てるの」

「そりゃあ難儀だな」


どんどんビルやお店が遠ざかり、長閑な道を散歩するかのように歩いている。
途中で真っ赤なお煎餅を買った。わたしの手の中には綺麗な花束がある。少しずつ増えていく荷物に反比例して総悟くんの口数は減っていた。あちこちの家屋から風に乗って煙の香りが舞っている。

少し前からどこへ向かっているか気づいていた。


「姫」

「うん」

「もう一人、会わせてェ人がいる」









「…はじめまして、姫と申します」

休憩をしながら辿り着いた墓地のひとつの前に立つ。
土方さんが言っていた、総悟くんのお姉さん。
病で亡くなったと聞いたけれど、彼にとっては最後の肉親。その時、どれだけ辛かっただろう。大切な人を失った悲しみを乗り越えることは、想像もできないほどに重く苦しい日々だったはず。

水を汲んでお墓を綺麗にして、線香とお花を立てた。
隣で総悟くんは赤いお煎餅とお団子を供えて、懐からタバスコのような物を取り出してお団子にぶち撒けた。

「えっ!総悟くん!?」

「好物だったんで」

たちまち真っ赤になったお団子はとてもじゃないけれど食べられそうにない。お煎餅といい、辛いものが好きだったんだ。総悟くんは甘いものを好む。姉弟合わせてちょうど釣り合いが取れるのかもしれない。

墓前に腰を下ろし、手を合わせて目を閉じた。

ミツバさん、総悟くんをとても優しくて素敵な人に育ててくれてありがとうございます。いつも彼を見守ってくれてありがとうございます。わたしも、総悟くんを精一杯守ります。必ず支えになります。


それ以上の言葉が出てこなくて目を開けようとするとちょうど強い風が吹いて砂埃が目に入ってしまって痛い。軽く指で目元を押さえると、ぼんやりと小さな男の子とその隣に立つ着物姿の女の人の映像が浮かんだ。


「…………?」


ミルクティ色の髪と赤い目を持つ2人は笑顔がそっくりで、手を繋いで仲良さそうに話している。
すぐに場面が変わる。どこかの道場だろうか、竹刀を手に駆けていく男の子は、長身の男性に稽古をつけてもらっては長い黒髪の若い男性に挑んで何度も負かされていた。ボロボロになって悔しそうにする男の子に、女の人は笑っていた。

また場面が変わり、今度は彼らが荷物をまとめて手を振りながら去っていく姿が現れた。
残された女の人は手を振って見送っている。遠ざかる背中を、愛おしそうに見つめて。これはきっと、彼女の記憶。


不思議な感覚だった。
会ったことも、顔を見たことさえもなかった人の記憶が次々と流れ込んでは波のように引いていく。
その全てに幸せがあった。見守るという役目を立派に果たした満足そうな微笑みを最後に、それは消えていった。

気がつくと、大切な人を亡くした総悟くんの心を思って締め付けられていた胸の痛みが消えて、暖かい光がさしたような満たされた気持ちになっていた。

なぜミツバさんの記憶を見ることができたのかはわからない。わたしの能力が何かをきっかけに記憶を引き出したのかもしれないし、もしかしたら彼女自身が見せてくれたのかもしれない。
どちらにしても、失うことは悲しみばかりじゃない。数えきれないほどたくさんの思い出が支えになってくれる。それはいつも、この胸にある。



「総悟くんのこと幸せにするね」

「…姉上の前でプロポーズかい」

「ぜひよろしくって」

「じゃあ頼まァ」

隣で優しく笑う総悟くんの手をぎゅっと握った。


そして供えたお煎餅を開けてみんなで食べた。
涙が出るくらいに辛かった。

『ありがとう』

誰が言ったかわからなかったけど、確かにそう聞こえた。