10.その道標に先はあるのか
あの人の腕の傷を治した日から、ずっと身体がだるい。
熱っぽくて、風邪をひいてるみたい。
たくさん寝ているはずなのに、良くならない。
腕に触れた時、その傷を負った時の記憶が見えた。
『死ね、高杉………!』
たくさんの殺意と恨みの塊のような声たち。
あの人は、多くの闇の上に立っている人。
この力の代償。
本来そこにあるべきものを消すということは、その傷や痛みを負った理由ごと、わたしが受け止めるということなんだ。
「顔色悪ィな」
ミルクティ色の髪がキラキラ光る。眩しくて目が眩みそう。
今日はとてもいい天気。今夜は月も良く見えそうだなぁ。…そういえば最近、いろいろあって月を見ていない。なんだか頭がぼーっとする。
「総悟くん、お茶煎れる?」
「そんな面で煎れられたお茶が可哀想でィ」
取り込んでいた洗濯物をバサッと取り上げられて、日陰まで連れて行かれる。縁側に腰かけた総悟くんは、そのままわたしの身体を倒して自分の腿に頭を置かせた。ひんやりとした総悟くんの掌が頬を包む。気持ちいい、と呟いて深呼吸する。
「…この間はわたしが膝枕したよね…今度は逆だね」
「そうだなァ」
「…あの時、総悟くんの怪我を見て、守りたいって思ったの。でも……ずっと前にも、そう思ったことがあった………それが思い出せないの」
「記憶なんて些細なモンだ。本当に必要ならそのうち思い出す。もーゆーもんでさァ」
「それを思い出したら…いつか、消えちゃうのかな、わたし」
頬を撫でていた手が止まり、その指先でぎゅっとつねられる。
「いた!」
「アホなこと言ってんじゃねェや」
思わず起き上がると、ぐわんと世界が揺らぐ。
それをわかっていたかのように逞しい腕が包み込んでくれた。目を閉じてしばらくすると、目眩はすぐに落ち着いた。
「アンタがここにいたいと思ううちは、俺が守ってやらァ」
「ずっと…いてもいいかな?守ってくれる?」
「お望みのままに」
王子様みたいなセリフをさらりと言って笑ってくれた。総悟くんの笑顔を久しぶりに見られて、嬉しい。
わたしも抱きしめ返そうとすると、体勢がきつくないようにか総悟くんの足の間にひょいと体を移動させられる。どうぞと言わんばかりの行動に、遠慮なく笑顔でぎゅーっと抱きしめ返した。
指先から全身、触れているところがドキドキして痺れる感覚。なんだか心臓のあたりがくすぐったくて、ちょっとだけ恥ずかしい気持ち。総悟くんがお返しのようにぎゅっとしてくれる感覚が楽しくて、あははと声が出た。
「なに笑ってんでィ」
「総悟くんも笑ってる」
「腕の中にあるアホ面がおかしくて笑ってんでィ」
「総悟くんが笑ってるからわたしも笑っちゃうんだよ」
ずっとこうしていたいな、なんて言ったら困らせちゃうかな。
「おいあの二人…恋仲じゃねぇんだよな…?」
「ええそのはずですが………恐ろしい話ですよねぇ俺なら絶対耐えられないですよ…姫ちゃんも沖田隊長の前では無邪気に笑いますよねぇ」
「総悟があんな顔するなんてなぁ……!姫ちゃん…!総悟をよろしく頼むよぉ……!ぐすっ!」
その様子を物陰に隠れて見ているおじさん三人がいた。
*
思っていた通り、今夜は月が良く出てる。
身体はつらくてもう今すぐ布団に入って眠ってしまいたいけど、少しだけ。そう思って寝巻きの上にストールを羽織り、部屋の襖を開けると、導かれるように足が出る。
なぜこんなにも月の光に惹かれるのだろう。
呼ばれている?それともわたしが、求めているの?
最後の記憶も、月を見ていた。
綺麗だねって、言ったのはわたし?それとも………。
光がわたしの元に降り注ぐ。
身体が内側から発光しているかのような錯覚。
もう治ったはずの胸の傷がじわりと熱くなって、身体が軽くなる。何日寝ても良くならなかっただるさが、すっと消えてなくなった。一瞬の出来事だった。
「え………?」
『月の神の加護があらんことを』
頭に響いたのは、優しい、穏やかな声だった。
知っているような、でも誰かわからない。
「あなたは誰なの……?あなたがわたしをここへ連れてきたの?」
返事はなかった。
答えの代わりに、風がふわりとストールを靡かせた。
月の神さまは、わたしをどうしたいの?
*
「万事屋さん、依頼をひとつ引き受けていただきたいのですが」
電話口で控えめにそう言ったのは、『鈴が鳴るような声』の持ち主。思わず受話器を握る手に力が入る。相手に見えてもいないのに、服の埃を払ってみたり部屋の汚さに焦りを覚えちまう。中2か俺は。
その日、昼過ぎに彼女はここへやって来た。
仕事は休みのようで、外出用の綺麗な着物を着て、髪も纏めている。もともと育ちがいいのだろう。小さな所作も丁寧で、送迎の車から降り隊員に恭しくお礼を言っている姿は本当にどこぞのお姫様だ。
『いっそただのお姫様でいてくれた方がよっぽどマシでさァ』
キャバクラで沖田くんが呟いた言葉を思い出す。
次元を越えて傷だらけで発見された彼女。
源外のジジィにかかれば元の世界に戻るためのカラクリくらい作れるだろう。
ただ、彼女は死んでここへ来たと言っていた。
ならば元の世界に戻ればどうなる?
生き返るか?屍に戻り消えて無くなるのか、あるいは………。
ピンポーンとインターホンが鳴る。
上がって来たようだ。
「ぎーんとーきくーん!あーそーぼー!」
「こんにちは」
「………………………ちょっと待て。なんだその組み合わせは」
「いやあ今し方会ってな。この美しい女性もお前に用事があるというじゃないか。ちょうど良いと思ってな」
ハッハッハッとムカつく笑い方をしているヅラに蹴りの一つでも入れてやりたいところだが、姫ちゃんの手前我慢してやる。
「姫ー!しばらくぶりネ!元気してたアルか!?」
「神楽ちゃん、元気だよ。ありがとう」
「わおん!」
「定春ちゃん、こんにちは。新八くんも」
「姫さんこんにちは。そこ座ってください」
姫ちゃんは神楽や定春と戯れている。
あーかわいいなチクショー。あんな子いたら俺頑張って働いちゃうわ。養ってやりたいわ。
「姫さん、桂さん、お茶どうぞ。つーかアンタはどうしたんですか急に」
「そーだぞー帰れ帰れー今日は姫ちゃんから依頼受けてんだ、こっちは忙しいんだよいつでも遊んでもらえると思うなよヅラ。てーか何姫ちゃんの隣に座ってんの?てめーは床にでも座ってろ」
「ヅラじゃない桂だ。では姫殿の用事が済んでから話そう」
「あ…えと……大したことではないのですが…ちょっとお聞きしたいことが……」
「何アルか?」
少し言いづらそうに開いた口から出たのは予想外の名前だった。
「『高杉』さんという男の方について調べていただきたいのですが…」
「えっなに姫ちゃん高杉に会ったの!?」
こくりと頷く。うっ、上目遣い…!じゃなくて、オイオイオイオイ何やってんのチンピラ警察は。アイツに姫ちゃん合わせたら興味持たれるに決まってんだろーが。
「先日、ちょっと……。何かご存知ですか?」
「知っているも何も奴は江戸のお尋ね者だ。過激派攘夷志士の筆頭にして武闘派集団「鬼兵隊」の総監。攘夷志士の中で最も危険な男だ。姫殿、奴と何があったんだ?」
「…………大したことは…ただ、『欲しい』と」
険しい表情で無意識に首のあたりを触る仕草。
オイ絶対なんかあったろ。欲しいってどういう意味!?どこまでいっちゃったの君たち!?
「総悟くんに、万事屋さんには伝えてあると言われているのでお話ししますが………高杉さんの怪我を、治しました」
「な……っ!まさかお前本当に…」
「……恐ろしいですか?」
ふわりと笑っているのに、心は見えない。
沖田くんがいないと彼女は大人びた顔をする。
まるで人と距離を取ることで自分を守っているかのようだ。
「どういうこと?姫があの厨二病と何の関係があるネ!?」
「実はね、神楽ちゃん。わたしちょっと他の人とは違うみたいなの」
自分が別の世界からここへきたこと、治癒の力に気づいたことを神楽や新八にわかりやすいよう簡単に伝える。
「待て…まさか姫殿、いま一部の攘夷志士の中で噂になっている『月の国の姫君』か…!?」
「いいえ、わたしはお姫様なんかじゃなくてただの人間なんです。月の国から来たということにしたのは、突然現れたわたしの存在を誤魔化すのに都合が良かったから」
でも…と続ける。
「こんな力を持ってしまったからには、逃げるわけにいかなくなってしまった。真選組のみなさんに迷惑かけたくないんです。万事屋さん、どうか力を貸してください」
それは初めて見る、強い意志を持った瞳だった。