09.(この世にないもの)
「きゃああああああああ!」
「どうしたんだ姫ちゃん!………こ……これは一体……!!?」
「ぎゃああああああ何やってんですかあ沖田隊長おおおおおおおおおお!!もしかしてやっちゃったの!?あれからやっちゃったの!?あんな余裕ぶっこいててやっちゃったのォォォォ!?」
わたしの悲鳴を聞いて駆けつけてくれたのは近藤さんと山崎さん。わたしはなぜか下着のみで毛布に包まっていて、隣には寝てる総悟くん。ちょっと待っていったいどういうことなの……!?
「とっとにかく姫ちゃん服着てえええ!見てない!なにも見てないからあああああ!」
近藤さんと山崎さんが大慌てでバシンと襖を閉める。ただでさえ恥ずかしい格好なのにもしかして見られた…!?大丈夫だよね!?毛布で見えてなかったよね!?ていうかこんな状況じゃ、わたしと総悟くんに何かあったとしか思えないんだけど……!
「でかい声出すんじゃねェや姫の下着姿が奴らに見られちまっただろィ」
「いやあああ何それぇぇ………もう泣きたい……」
絶望的な気持ちで布団に倒れ込むと、涼しい顔をした総悟くんに抱えられて二度寝モードに突入しようとする。ちょっとやめてこれ以上近藤さんと山崎さんに見られたくない…!
「離して総悟くんー!服着るからー!」
「姫、アンタ細っこいのに胸は意外にあるんですねィ」
「………〜〜〜〜ばかーーーーー!!!!」
わたしの悲鳴と、ばちん!という平手打ちの音が屯所に響いた。
「オイ総悟どうしたんだその顔」
「うるせぇ死ね土方」
「はあ?ていうかお前昨日俺の部屋に『死ね土方』って書いた貼り紙貼りまくっただろ!部屋入ってびびっちまったじゃねえか!!」
「ついでに死ねば良かったんでさァ」
「てめー表出ろや」
「ぶふふっ副長それ姫ちゃんにやられたんですよー」
「姫に?お前昨日なんかしたのか?」
「実はなトシ、昨日の姫ちゃんの制服姿が可愛くて襲っちゃったんだよねぇ〜未遂だったけど!それで怒った姫ちゃんに平手されちゃったんだよねえ〜総悟くぅん」
「…………なんで近藤さんが姫が制服着てたこと知ってるんでィ」
「えっ!?えーっと昨日たまたま歌舞伎町行ったら見ちゃったんだよねぇ〜〜いやぁほんとたまたま!」
「どうせ姐御のストーカーで店にいたんでしょう」
「うっ…!!!」
「いやでも本当昨日の姫ちゃん可愛かったですね……沖田隊長が思わず襲っちゃうのも当然っちゃ当然っすよね」
「記憶から消せ。じゃなきゃここで殺す」
「ヒィィィィ!!」
「お前ら会話の内容がクズすぎんだろ……で、その姫は?」
「女中の仕事してますよ。沖田隊長は朝から一言も口聞いてもらえないですけど」
「総悟と姫ちゃんがケンカなんて初めてだなぁ。毎日一緒にいるくらい仲良かったのになあ総悟!」
「まあ全面的に沖田隊長が悪いんですけどね」
「あーーーうっせーーわかってらァ」
*
「….あ、お醤油が切れそうだったんだ」
昼食後の休憩時間。片付けが終わって一息ついていた時。
ふと醤油の在庫がないことを思い出した。いつもならこの時間は総悟くんとお茶を飲んでいる時間。でも今日は顔を合わせたくなくて、部屋で過ごしていた。総悟くんも訪ねてこない。さすがに平手打ちはやり過ぎただろうか。でもあんなの恥ずかしすぎだし思わず手が出てしまった。頬、大丈夫だったかな。いやいや、悪いのは総悟くんだし。考えるとなんだか気が滅入ってくる。業者から醤油が次に届くのは明後日。気晴らしに外に出たいし……。
「………よし!」
お財布を持って、部屋を飛び出した。
「………疲れたぁ……」
無事に醤油は買えたけど、とんでもなく疲れた。
まず屯所の外に出るや否や若いお兄さん達からお茶しないとか遊ぼうとか声をかけられて、おじさんからはモデルとか興味ない?なんて言われ、女の子からはホステスしない?と誘われる始末。八百屋の前を通ればおじさんから「お代はいいから食べて!」と野菜をいただき、喫茶店の前を通れば「喉乾かない?チケットあげるから今度飲みに来て!」とカードを貰ったり。一人ひとりと話しているとあっという間に時間が過ぎていった。醤油を一本買うだけだったのに。
いつも外出する時は総悟くんがついて来てくれた。
あの意味と優しさがようやく身にしみて、総悟くんに会いたくなってくる。外に出る前にやっぱり一言伝えれば良かった。
思ったより荷物が多くなって歩き疲れたので、ひと休みすることにする。人気のない小さな公園だ。木で囲まれていて、外の道から死角になる。ちょうどいい。ひとつしかないベンチに腰を下ろして息をついた。
帰ったら総悟くんに謝らなきゃ。なんて言おう……でもわたし悪くない、よね?ビンタしちゃったけど……総悟くんが悪いよね?
総悟くんと話さない一日はとてもつまらない。自分から無視してるはずなのに、さみしさが生まれてくる。どうしてだろう。わたしにはたくさん友達ができたのに、頭の中では総悟くんのことばっかり考えている。
「…帰ろう」
帰って、謝ろう。早く総悟くんの笑顔が見たい。荷物を持って歩き出した時、ドンと人にぶつかった。周りに誰もいないと思っていたからびっくりして転びそうになってしまい、ぶつかった人に支えられる。
「あ…っ!すみません…!」
近くなった距離で気づく、独特な煙と血の匂い。わたしを支えた腕と反対側の腕の着物から、血が滲んでいた。
「大丈夫ですか…!?手当てを……」
顔を覗き込むと、鋭い瞳と目が合う。片目は包帯で閉じられているのに、強い意志を持っていて引き込まれそうになる。
「擦り傷だ。構うな」
そう言いつつもされるがままの彼に失礼しますと着物を捲ると、想像よりもずっと大きな刀傷がそこにある。
ポタリと血が指先から落ちる。腰には刀。この人も、戦うのだろうか。総悟くんや真選組のみんなの顔が浮かんだ。
薄手のハンカチで傷口を止血しようとするも、傷が大きくて意味をなさない。こんなに血が出てるなんて、どうすれば……。その時フラッシュバックしたのは、夢だと笑ったあの夜のこと。まさか、夢に頼るなんて。でも………。
この方の怪我が、治りますように
願いを込めて怪我のある腕をぎゅっと握り、患部に手を当てる。瞬間、わたしの腕に痛みが刺さる。
「ーーーーっ!!」
突然の強い痛みに思わず身体が揺れる。強い腕に引かれ、座り込まずに済んだ。息が上がり、浅い呼吸を繰り返し落ち着くのを彼は無言で待っていた。…彼の腕にはもう傷ひとつなかった。
「月の姫だと聞いてはいたが、まさかこんな力を持っているとはなァ…驚いたぜ」
「…わたしのことを知っているんですか……?」
「真選組が囲っている美しいお姫様……何か秘密があると踏んでいたが…見目も能力も想像以上だ。手に入れたくなっちまった」
「……あなたは……?」
「ククッ……てめェの大切な男にでも聞いてみるこったな」
綺麗な顔を歪ませてにやりと笑う。この人、何か違う。背筋に嫌な汗が伝った。
「お人好しのお姫様、これからは誰かれ構わず傷を直さねェ方が身の為だぜ」
すっと髪を細い指が通る。顔が近づいてきて、これ以上は危険だと胸板を押し戻すように拒否するも簡単にいなされる。冷たい唇が首筋の裏側に触れ、チリッと痛みを覚えて目を閉じると、すぐに開放された。気づいた時には彼は消えていた。足元には買い物袋。佇むわたしの視線の先には、彼が落とした血がまるで目を逸らすなと言っているかのように赤黒く輝いていた。
*
高杉が江戸に来ている。
山崎からそう報告を受けて情報のあった場所を見回るが、もう痕跡はなかった。
「毎度毎度逃げ足だけは速いこって…」
土方さんがイラつきながら煙草に火をつける。
「ザキの情報によるとまた何か企んでる動きがあるらしいでさァ。それと…………」
「…なんだ?」
「『真選組が月の国の姫を囲っている』という噂が水面下で出回っている、と」
「……………姫か」
「噂に尾ひれがついて姫を狙ってくる輩がいるかもしれませんぜ」
「姫はただの女だっつーのに…」
「…そのことなんですが………近藤さんと土方さんにまだ言ってないことがありまさァ」
土方のヤローと屯所に戻り近藤さんの部屋で姫について話した。確信が持てるまでは話したくない内容ではあったのだが。
姫は次元を超えてやってきたということ。
身体の傷はここへ来る前に負ったものだろう、そしてその時に彼女は一度死んでいるのではないかと考えていること。そして、治癒の力を持っているということ。俺の額の傷を治した時の状況を掻い摘んで話すと、二人はとても驚いた表情をした。
「そんなことが……できるっていうのか………」
「信じられねェが…もし本当にそうだとしたら、姫が危険だ」
「このことは極秘で頼みやす。まだ本人も戸惑ってまさァ」
不安そうな姫の表情を思い出す。困惑し、自分の力に怯えていた。
「あの力は姫自身にも影響が出るモンでさァ。傷を負ったところに痛みを感じていた。恐らく…重い傷を治すほど、姫が受ける痛みも強くなる」
「もしその力を悪用されれば………」
「簡単に壊れるでしょうねェ」
ーーー身も心も。
言葉にしてぞくりと背筋が痺れる。
そんなことはさせない。
姫はもう寝ている時間だ。
高杉の件があって屯所を離れていたから、会話はおろか顔を合わせることもなかった。こんなに離れていたのは初めてのことだ。無性に顔が見たくなり、怒られるだろうなと苦笑しつつ部屋に向かう。声をかけても返事はない。……気配も。中に入ると部屋は真っ暗で誰もいない。どこにいる?
はっとしてまだ一度も戻っていない自分の部屋に走る。乱暴に襖を開けると、真っ暗で何も見えないが、そこにいるのがわかる。
「姫」
月明かりに目が慣れてきて、部屋の奥で小さく蹲っているのを見つける。ホッとしつつ近づくと、顔を上げた姫の瞳は濡れていた。
「総悟くん…!」
弾かれたようにしがみついてきた姫を優しく受け止める。
「どうしたんでィ。今朝のことなら、俺が悪かった」
「…ちがうの……そんなこと、もういいの……」
しゃくりあげて泣いている姫の髪から、煙草とは違う独特な煙の香りがする。それは今自分達が探し回っているあの男のものだ。
「姫…………昼間、どこにいた?」
自分の声が低くなるのがわかる。
片手で背中を撫でながら顔を上げるように顎に手を当てる。目を合わせると、大きな瞳からまた涙が溢れ出る。
「お使いに……外に出たの………公園で、あの人が………怪我を…………」
「………治しちまったのかィ」
ぎゅっと俺の服を握る。
姫は、奴の顔も名前も知らなかったはずだ。お人好しの彼女のことだ。偶然会った人が怪我をしていたから力を使ったんだろう。
「………ごめんなさい………約束破って………ひとりで………っ」
「わかったからそれ以上泣くな。目が腫れちまう」
布団を敷いて、泣いて身体が熱くなった姫を横たわらせる。
「奴には何もされてねェか?」
答えはなかった。泣き疲れて眠った姫の首筋に、赤い跡が目に入る。その上に、掻きむしったであろう細い線がいくつも。
「…………ぶっ殺す」
呟いて、上書きするように唇を落とした。