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09.灯す火を間違えるべからず

『…して……殺して、河上さん』

炎と煙の中で呟いた言葉を拾った彼は無言で銃を突き付けた。

『……目を閉じていろ』

軽く首を振って視線を合わせると、古いアパートの部屋に乾いた銃声が響いた。さよなら。真っ暗になった世界の中でさえ想うのは貴方のことだけ。







出会いは本当に偶然だったのだろうか。
不意にそう思う時がある。

河上さんという黒いスーツを身に纏った極道は不思議な人だった。佇まいや振る舞いは驚くほど静かで落ち着いていて、そしてどこまでも暗い闇の奥深くに住んでいる人。決して交わることの無い筈の私達は何の因果かあの雨の日に出会い、恩人になりお客様へ、そして身体を重ねる関係へと変化を遂げた。

彼の冷酷で暴力的な部分はヤクザだと思えば当たり前だし理由がないのに力で物事を解決するような人では無いことはすぐに分かった。物静かではあるものの会話が途切れて気まずくなるようなこともなくて、他人といるより一人でいた方が楽だと思いながら生きてきた自分が、同じ空間にいる時間を心地良いとさえ思った。過去のトラウマに悩まされる心の弱さを目の当たりにした時も、今まで付き合ってきた男性のように「面倒くさい女」と突き放すことはなく、落ち着くまでそばにいてくれた。サングラスの奥で心配してくれているのがわかった。暴力を振るうだけでなく、人としての優しさを持っていることを知った。そしてどれだけ若頭さんやお嬢様、組のことを大切にしているのかも。そんな彼のことをいつの間にか好きになっていた自分に気づいた事も。

「万斉さんの素顔を見たことありますか?」

高杉組のお屋敷でお世話になっていたある日、庭で花の手入れを手伝っているとお嬢様が聞いてきた。

「ええ、何度か」

「何年か前…兄が若頭になった日からサングラスをかけるようになったの。わたしはそれ以来見ていません。お屋敷の中に裏切り者がいるかもれしないからとずっとかけたまま。今では『万斉さんのサングラスの下を見た者は死ぬ』なんて噂されるくらい」

「そう…」

「だからね、お姉さんは特別なの。万斉さんが唯一、お姉さんの前でなら自分らしくいられるから素顔を見せられるんだと思う。二人が出会ってくれて本当に嬉しかった。お姉さんのことを話す時、万斉さんとっても優しい顔してるの」

「私の存在がそんなに良い影響を与えているとは思えないけど…。それに私達、付き合っている訳じゃないのよ。なんて言っていいかわからないけど」

「それはきっとすごく大切だから…大切にしたくて、身動きが取れないだけなの。あんな風に悩んでる万斉さん、初めて見た。だから…えっと…」

うまく言葉にならないような心の中の気持ちさえ拾い上げて真っ直ぐに伝えてくる少女は本当に無垢で綺麗な存在だった。話していると自分がとても汚れた大人に思えるほどに。

「お姉さんは万斉さんのこと、好き?」

「………ええ、好きよ。とても」

こんな子が近くにいたらいくらヤクザでも優しくなってしまうなぁと思いながら笑いかけると花が咲いたような笑顔が返ってきた。塀の外から見える厳格な雰囲気とは打って変わって、このお屋敷の中にはあの有名な極道のアジトだなんて忘れてしまいそうなほど穏やかな時間が流れていた。

「お嬢様は好きな人がいるの?」

「…うん。大好きな人がいるよ」

「素敵ね」

「だからお姉さんと万斉さんも諦めないで。大好きな人と一緒にいられる時間が一番大切だから。手離さないで」

「ありがとう」

彼は…河上さんは私のことをどう思っているのだろう。ここに匿ってくれているのはきっと彼の優しさだろう。指輪を手渡したあの日に関係を終わりにできなかったせいで今回の件に巻き込んでしまった。忠告されていたのに。関わりを絶つべきだったのに。
暴力を振るうところを何度も見てきた。その度に過去のトラウマがフラッシュバックして恐ろしいはずなのに、人を殴りつけたその手が私の髪を、頬を、身体に触れるとこの上なく安心してしまう。彼のことを知りたくなる。身体に付いた醜い傷痕さえ、この人になら見せてもいいと思えた。次にいつ会えるかも分からない、命の保証さえできない人を待つ時間がとても長くて待ち遠しかった。この感情を何て呼べばいいのか分からないほど馬鹿な訳じゃない。彼のことが好き。でもあまりにも無謀な恋だと思った。

彼は酷く女性慣れしていた。扱いも、あしらい方も、女の面倒くさい部分を全て知っている。私は何人もいる身体の関係を持つだけの女のうちの一人なのだろう。今は、気まぐれに現れて身体を重ねるだけの関係の現状からひとつ先に進んだだけ。それだけ。その件が片付いたら……終わりにしよう。店を畳んで、祖父の育った田舎にでも行こう。彼の部屋に住むことになり隣で眠ることを許された日、あまりの心地良さに恐ろしくなった。このままじゃだめ、依存してしまう。離れられなくなる。温もりの感触を覚えてはだめ。自制しているのに毎夜心は穏やかに眠りについていく。河上さんの腕の中にいることに慣れてはいけないのに。それなのに求めてしまうの。毒だとわかっていて欲しがる愚かな生き物みたいで、自分が一人の男性にこんなにも執着している事実が嫌になる。お嬢様の綺麗な言葉が染み込んだとしても、この心は白くならない。私はいつから歪んでしまったのだろうか。





「こんなに土砂降りの雨は久しぶりですなぁ」

「本当ですね」

暫くぶりに見るお屋敷の外の景色は全く変わらない。昼間なのに薄暗くどんよりとした空模様であっても不思議と気分は穏やかだった。

「屋敷での生活は慣れましたか。女性が少ないものですからさぞ不自由していることでしょう。用事があれば何なりとお申し付け下さい」

「ありがとうございます。…あの…武市さんはなぜこの仕事を?」

「はは、つまらない昔話ですよ。しがないタクシー運転手だった頃にたまたま若頭の…お父上を乗せましてね。対立していた組の者に追われていたのです。当時は気付きませんでしたが。とにかくああだこうだと注文をつけられまして。言う通り走っていただけですが幸運にも追っ手を撒くことができたのです。その時の運転技術を買ってくださったんですよ。一言で言えばスカウトですね」

「運転が上手いと言われただけでこの世界に入ったんですか?」

「そんな理由でと思われるでしょうが、私にはとても有難い言葉でしたよ。転職しようと思えるくらいには」

「…いつ死ぬかも分からないのに」

「そうですねぇ」

柔かな話し方をするせいで思わず漏れた本音にはっと口を紡ぐ。武市さんの仕事を否定するような言い方をしてしまったことを後悔した。

「人は、いつか死ぬものです。それが今日か十年後か、早いか遅いか……それはそんなに重要な事でしょうか?天から与えられた日々を悔いなく生きることの方が尊いものだと我々は思っています。もちろん、貴女が今思い浮かべている大切な人も」

「…………」

恥ずかしい、見透かされてる。私が今誰のことを考えているのかを。それなのにクスクスと笑う武市さんの声は不快じゃなかった。

「高杉組にいる者は皆、強い志を持っています。それは人それぞれではありますが…。折角の機会なので名前さんも一度考えてみたら如何ですか。何の為に、誰の為に在る者でいたいのかを」

「誰の為に………」

浮かぶのは一人だけ。その人の為に在りたいなんて、そんな大それたことを一方的に想っても良いのだろうか。

「はは、説教じみてしまいましたなぁ。さぁ着きましたよ」

「いえ、ありがとうございます。それじゃ私、荷物を取ってきます」

「足元にお気をつけて」

バケツをひっくり返したような雨の中、店のすぐ近くまでつけて貰った車を降り河上さんから借りた上等な傘をさして見慣れた場所に辿り着く。雨が降るような暗い日はアパートの階段の電気が付いているはずなのに今日は薄暗いままだった。目を凝らし部屋の鍵を開け玄関の電気のスイッチを押しても反応がない。

「…停電?」

上の階がバタバタと騒がしい。突然の停電に焦っているのだろう。荷物を取って戻るにしても階段は真っ暗だ。先にこっちを対処しよう。私の部屋がある階には共有ブレーカーが見当たらず、上の階に上がってみることにする。すると手前の部屋の住人らしき人が乱暴にドアを開けて出てきた。

「ったくこんな雨の日に停電なんて面倒だな、」

「………!」

その男の顔は忘れる筈がない。背筋が急速に冷える感覚。河上さんに初めて会ったあの日に店に乗り込んで来ていた詐欺グループの一人の男だったから。だけど一体どうしてこんな所に?まさかここに住んでる人達って………。足早に階段を降りようと反射的に顔を逸らしたが目が合ってしまった。

「…あ?これはこれは名字名前さん、お帰り」

「……っ」

「無視すんなよぉ、彼氏の所にでも行ってた?最近アンタいなくて寂しかったんだからさぁ」

絡み付く腕から独特の煙が香る。趣味の悪い煙草のような煙。肩を組むように寄り添い、服の上から胸の谷間にさり気なく手を置く動きに吐き気がする。

「止めて」

「なぁ、あれだけ何度も店グチャグチャにしてんのにまだ続けんの?まぁでも俺、アンタならウチの会社に入れてやっても良いと思ってるんだぜ?」

くい、とトップスの襟を指で引き現れた下着を舐めるように見つめる。気持ち悪い、早くどこかに行って。

「あー残念、暗くて谷間見えねーじゃん。でもそれが逆にエロくていいねぇ」

「離して。忙しいの」

「つーかさぁ、アンタの彼氏ってあの河上万斉って男?高杉組の」

「違うわ。関係ない」

「へー?見る限り何度か会ってるみてーだけど。ちょっと呼び出してよ。俺達の新しい事業にはあのヤクザ一家はちょっと邪魔なんだわ。中でも…組一番冷酷と言われる河上万斉……アレを消しておけば後々都合が良い。借りもあるしなぁ?」

「関係ないって言ってるでしょ…!」

掴まれた腕を振り払うとドンと突き飛ばされ階段を転げ落ちた。あちこちを打ち付けて全身に痛みが走る。逃げなきゃ、早く。その時小さなバッグの中で着信音が響いた。きっと武市さんだ。部屋の電気もつかずなかなか出てこないから心配しているはず。伸ばした手よりも先にバッグを拾い上げたのは汚く笑う男の方だった。

「みーっけ。もしもーしダーリン?」

「来ちゃダメ…!!」

悲鳴のような叫び声は武市さんに届いただろうか。武市さんは高杉組に属していると言っても運転手だ。危険な目に合わせられない。

「名前さん!ご無事ですか!?」

武市さんは直ぐに駆けつけてきてくれた。傘もささず雨に濡れて、階段下で倒れ込む私を見てギョッと目を丸くした。突き落とした男の視線から隠すように背中に追いやられる。

「なんだただのオッサンじゃねーか。とりあえず組の人間ヤっとけばエサくらいにはなるだろ。いくら天下の高杉組でも一人ずつなら袋の鼠だ」

「やめて!」

「名前さん逃げて下さい!早く!」

「ヤーだーよ」

背後から別の男の声がした。振り返るとニヤニヤと楽しそうに笑うそいつはやはりあの詐欺グループのうちの一人。

「…貴方達、いつからここに住んでたの」

「アンタが一番良く知ってんじゃないの?上の階の部屋の壁ブチ破るの大変だったんだぜ?古いし人気も少ないこんなアパート、早く出てって欲しかったのに」

「まさかここを追い出す為にあの日脅したの?」

正解だと言われ後悔する。そんなことだったらもっと早くにここを引き払うべきだった。店に拘らずに畳んでしまえば良かった。そうすればこんなに大事にはならなかったのに。

「まぁでもアンタが作ったネックレスのお陰で新しい商売は順調だ。特別に見せてやろうか?『工場』を。ついでに畑主さんにも合わせてやる」

「どういう、こと…?」

誰なの、畑主って。当然のように口にされた言葉に覚えなんてない。訳がわからない。それよりネックレスって、あのマークのこと?何故それを貴方達が言うの?

「名前さん、耳を傾けてはいけません」

「黙れよ」

直ぐそこにいた男に強く肩を掴まれて簡単に武市さんの側を引き剥がされた。階段の上からそれを見ていた片方がすぐさま私の方に注意を向けた武市さんの背中を思い切り殴り付け、頭部を床に叩き込んだ。同時に強制的に肺から吐き出された酸素が苦しそうな呻き声となって階段に響いた。

「っ武市さん…武市さん!!!」

倒れた姿さえ視界に入れさせて貰えず男二人に抱えられて階段を上がっていく。なんて酷いことを。あまりに一方的な暴力に手が震える。叫んでもわめいてもなす術もなく三階建ての最上階に着き手前の部屋に放り投げられた。受け身も取れないまま床に転がり、痛みに涙が浮かぶ。顔を上げるとそこは自分の部屋と同じ間取りの筈なのに全く違う光景があった。

「…え……!?」

およそこの階にある全ての部屋の壁を破り最大限に広げた空間を埋めているのは大量の緑。停電の為か辺りには無数の蝋燭が床に立てられている。その炎が照らす特徴的な葉の形。

「これ……全部…?」

大麻だ。それもこんなに沢山の量を密かに栽培していたなんて。下に住んでいてどうして気づかなかったんだろう。

「我が社の畑にようこそ、お嬢さん」

薄暗い闇の中に浮かぶのは部屋の奥に置かれた一つのソファに座る一人の男。私をここに連れてきた男達よりも明らかに歳を取っていて雰囲気が普通じゃない。

「畑主さん、シンボルマークのネックレスを作った下の階に住む女です」

「そうか。お前達は外を見張っていろ」

「はい」

男二人が出て行きガチャンとドアを閉める音がやけに大きく響いた。沈黙で耳が痛い。恐怖で全身が動かない。

「あのシンボルマークは俺がデザインしたんだ。若者に人気が出たのはお前が作ったネックレスのお陰だ」

ふぅー、と細く吐く息遣いは煙草でも吸っているのだろう。床に置かれた蝋燭の光では顔までは照らすことができない。

「…貴方達は一体何なの?どうしてこんなこと…」

「働いているだけさ。他の人間達と同様に真面目に、平等に」

服が擦れる音。コツコツ、とゆったりとした足取りが少しずつ近づいて来る。その度に胸がザワザワと踏み荒らされる感覚を覚える。この人が何故か心の底から怖い。本能が止めて来ないでと叫んでいる。

「食っていく為に金が欲しい。金を稼ぎたい。皆その為に働いてるだろう?俺達も同じだ。だが前科者や社会から爪弾きにされた者達はその当たり前の事も困難だ。知恵を絞り、学び、商売することの何が悪い?何がそんなにも気に触る?」

コツ、コツ。足元が見える。来ないでと喉の奥から漏れた呼吸は声にならない。

「俺はあの頃よりも真っ当に働いてると思わないか?……なぁ?名前」

……顔が、上げられない。床の上で握った手は震え、足は骨が溶けてなくなったように感覚を失っている。直ぐそこで膝をつき、頬に手が添えられる。河上さんが触れる時のような優しさや暖かさはない。痛いほどに顎を掴み上を向かされてようやく、現実を見た。

「………お……とうさ…、…」

久しぶりだなと歪める口元。アルコールと煙の混じった吐きそうな匂いに酷く喉が渇く。約二十年振りに目の前にある父親との再会は暗闇と薬物に覆われていて、何とも私達らしいなと他人事のように皮肉を思い浮かべるのが精一杯だった。

「驚いたよ。詐欺で手に入れた金で新しく麻薬の栽培をしようと思ってこのアパートを買い取ろうとしたらお前が住んでいるじゃないか。これも神の思し召しだ!そこでお前にも手伝って貰うことにしたのさ。俺がデザインを描いてお前がそれを形にする。親子らしいコラボレーションだ!嬉しいだろ?」

……父は、アルコールに溺れる前はデザイナーだった。会社を退職してフリーになるもうまく行かず、家に篭りがちになり母親にも祖父にも責められ自暴自棄になった末の転落だった。幼い私は父の描く絵が好きだった。忘れてた。ずっと。人が変わったように暴力的になる父のことしか記憶になかった。家庭を壊し、母を自死させ、何より憎んでいた存在がこんなにも近くにいて…犯罪に手を染めた末に知らないうちにその手助けをしてしまっていた。いろんな感情が溢れ出して何も処理できない。この人が自分にとって何なのかもうよく分からない。顔にかかるようにわざと目の前で煙を吐いたそれを誤って吸い込んでしまいむせこんだ。

「ごほっ、ごほ、ッ、」

「そういえばお前幾つになったんだ?吸うか?ウチの葉っぱはウマいぞ」

右手に持っている、煙草と思われた物は葉巻だった。恐らく、大麻が刻んで入れてあるのだろう。ずいと口元に持ってこられた熱源に悲鳴をあげて後退りする。

「…ああ、怖いのか?コレが。それとも俺が持っているからか?」

直ぐそこにある熱が、刃物より恐ろしい。痛まない筈の脇腹がジクジクと主張する。思い出してしまう。忘れてたはずなのに。もう痛くないのに。殴られ蹴られ与えられた恐怖が記憶の底から甦ってくる。

「やっ、やめて、いや」

「ハハッ!お前、そんなに俺のことが好きか。何年経っても忘れられないくらい」

「いやぁぁ…!止めて、やめて、いたい!」

触れてもないのに痛い。涙が止まらない。必死に逃げようとすると蝋燭が床に倒れた。ふつふつと黒い煙が上がりまた咳込んだ。

「名前、あの女に似て美人になったなぁ。でも父さんお前の泣いた顔が一番好きなんだよ。どうだ、俺とまた一緒に住まないか?また可愛がってやる、全身を」

服を捲りあげられて露わになった脇腹の傷跡をこれ以上無いほど愛おしそうに見下ろす父親。そして右手の葉巻が向かうのは胸元。下着をずらし胸の膨らみにその火種を押し付けようと近づいてくる。

「いや!おねがい、やめて!いやぁぁぁ…っ!」

ガチャァァン!!
爆発でも起きたかのような音に馬乗りになっていた父親の動きが止まる。視線は男二人が見張っている筈の玄関。扉が壊れ外から誰かが入ってくるようだった。うまく呼吸ができない。過呼吸のように酸素を求める状況で耳に届く荒い息遣いにあの人の存在を見た気がした。

title by FELICIT